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第2話:第一嫁候補発見

「ここは……」


 ふと、目が覚めた。ぼやけた視界に眩い閃光が容赦なく差し込む。


 ぽかぽかとして暖かい。いつの間にか日が昇っていたらしい。


 程なくして、彼は――


「なっ、なんだこりゃ!?」


 と、大いに狼狽した。


 鮮明となった視界でまず、彼が目にしたものは見知らぬ土地だった。


 緑豊かな山々が連なる光景は圧巻で、しかし少なくとも刀神山付近のものではない。


 加えて、すぐ近くで流れていた川で更なる驚愕が彼を襲った。


「これは、俺か? いや、間違いなく……俺だ」


 一点の穢れもなく、ゆらゆらと揺れる澄んだ水面に若々しい男が映っている。


 幾度となく目にした顔だった。自分の、若かりしころの顔なのだ。見間違えるほうが逆に難しい。


 ここまできてようやく、青年(・・)ははたと己を見やった。


 枯れ枝のようだった肉体は瑞々しく張りがあった。鍛え抜かれた筋肉もしっかりと戻っている。


 生気に満ちた己がいる。この事実に当然、青年が驚かないはずもなく。


「若返っている……いったいなにが、どうなってるんだ?」


 青年ははて、と小首をひねった。


(まさか、本当にあの時刀神山の神様が俺の願いを叶えてくれたっていうのか?)


 常人であれば、まずこう思うものはいないだろう。


 第三者から聞いても、とても正常な者が至る考えとは誰も思うまい。


 はっきりというのならば異常だ。自分もきっとそう思うだろう。青年はすこぶる本気でそう思った。


「……こいつは夢なんかじゃない。現実だ。だったら、やっぱり神様のおかげってことか?」


 しばらく沈思して――


「じゃあ嫁探しができるってことか!」


 と、年甲斐もなく大喜びした。


「肉体が若返ったことで頭もほうも若くなったような気分だ! ありがとう刀神山の神様! あなたにもらったこの命で今度こそ温かい家庭を作ってみせる!」


 ここがどこなのか、依然としてわかっていない。


 状況を把握するにはあまりにも情報が不足しすぎている。


 だが、現在の青年にとってはそれは些細なことにすぎなかった。嫁探しができる、これが重要だった。


「そうと決まればこうしちゃいられないな。早いとこ嫁を探しにいかないと……!」


 この先に道があるかどうか、そのような保証はどこにもない。もしかしたら、道などないかもしれない。


 だが、青年が出した一歩は力強く迷いが微塵にもなかった。


 木々の間をするりと抜ける微風がそっと頬を優しく撫でていく。


 森は穏やかな静寂に包まれ、木々の間から差す木漏れ日が道を照らす。


 心地良い空気は自然と心を癒した。


「ん?」と、しばらくして青年は立ち止まった。遠くに村があった。


 規模はそこまで大きくはなく、どこにでもあるような至って普通の農村だ。


 村があるということは当然、そこには人がいる。青年の目に輝きが満ちる。


「あそこに俺の嫁になってくれる人がいるかもしれないな……!」


 意気揚々と早速村へと向かった青年は――


「……どうなってるんだ、これは」


 と、険しい表情で周囲を一瞥した。


 血の香りがした。むせ返るほどの濃厚な鉄の臭いが容赦なく鼻腔をつんと突いた。


 日が高くあるのに人気は皆無である。家々はひどく荒され、おびただしい血があちこちに付着している。


 先程まで穏やかだったはずの静寂が、ここにきて不気味さを帯びる。


 ぞくりと、全身の肌が粟立った。


「……ッ」


 すぐ近くの農家から物音がした。


 生存者がいるのかもしれない。青年は家の戸を蹴破った。


「……え?」と、青年はぎょっと目を丸くする。


 その光景は正しく地獄絵図だった。


 床は朱に染まり、空気は死と鉄による異臭が漂っている。


 そして、血の海の上に立つそれは明らかに人ではなかった。正真正銘の化け物だ。


 人と同じように二足歩行こそしているものの、造形は人とはまるで異なる。


 黒い肌に金色に不気味に輝く単眼、手には太刀がしかと握られていた――肝心の刃は、ひどくぼろぼろだ。赤錆にもまみれ、もはや満足に斬ることは叶うまい。


 鬼がいた。青年はふと、そう思った。


「……なるほど。そこに転がっている死体はお前がやったのか。鬼が人を食うっていうのは、本当だったんだな」


 青年がひどく嫌悪したのは、それが幼い子どもだったからに他ならなかった。


 まだ年端もいかない、とても小さな少女。首と頭が皮一枚で繋がっている状態だ。


 女子供であろうとも一切容赦しない。冷酷無比な性格は実に化け物らしいと言えよう。


 本物の鬼かどうであるかなど、今の青年にとっては実に些細なことである。


 肝心なのは目の前の化け物が今正に、こちらを襲おうとしている。この事実のみが重要である。


「おいおい……俺は確かにいろんな奴と闘ってきたが、まさか今度は鬼とやり合うことになるとは思ってもなかったぞ」


 青年の頬に一筋の脂汗がじんわりと滲み、にっと不敵に笑った。


(嫁じゃなくて真っ先に出会ったのが怪物とは俺も運がないな。だが、これはこれで面白そうだ)


 青年は剣聖の域に達した。その強さは紛れもなく本物で、数多くの武芸者に挑まれた。


 我こそが真の天下無双也――と、そう豪語する輩をどれだけ斬ったか、それももう百から先は憶えていない。


 誰も自分に敵う者はいない。そう悟った時、青年の心を満たしたのは喪失感だった。


 強くなりたかった。強くなりたくて必死に足掻いた。その時の心境は苦しくも、だが確かな充実感があった。


 それが消失した時の、なんという虚しさか。


「この歳にしてまたこうして心躍るとはな……礼を言わせてもらうぞ、異形の怪物」


 青年は腰の一刀(白鴉)をすっと抜いた。


「手に伝わるこの重さ……やっぱり、この握り心地が一番いいな」


 次の瞬間、鬼がけたたましく吼えた。人でも獣でもないそれは奇声そのものである。


 血濡れの床をどんと蹴ってたちまち、間合いへと肉薄する。


(速い……!)


 耳をつんざく金打音が室内にぐわんと反響する。


 それに伴い、目が眩みそうになるほどの強烈な火花がわっと散った。


 縦横無尽に駆け巡る太刀筋は、さながら嵐の如く。


 一見すると無茶苦茶なように見えて、しかしそこには確かに術理があった。


 ただの化け物ではないらしい。青年は、再びふっと口元を緩める。


 これに過剰に反応したのが鬼だった。優位に立っていたはずにも関わらず、刀を振るうのを止めたばかりか自ら間合いを取ってしまう。


「なるほど、なかなかの剛撃だ。だけど、この程度の連中とは幾度となく俺はやりあってきた。その中でもお前は――弱い方(・・・)だな」


 青年がとんっと地を蹴った。


 鬼とは対照的な歩法はとても軽やかなものだった。例えるならまるで散歩にでもいくかのような雰囲気すらあった。


 だが、青年の攻撃はすでに終えていた。ことり、と鬼の首が床に落ちる時、青年はその背後にて納刀していた。


 勝負は正しく一瞬だった。目にもとどまらぬ速さ、ではなく目にも映らぬ(はや)さ。


 紫電一閃――勝負は一瞬で着いた。青年は鬼に勝った。だが、青年の顔には落胆の色がわずかに滲んでいた。


「この程度のものなのか? 鬼っていうのは……もっとこう、強いもんだと思っていたんだが」


 まるで手応えがなかった。


 鬼というのは、御伽噺の世界でしか目にしたことがない。


 だからこそ、本物の鬼と刃を交える。その高揚は天下分け目の大合戦でも到底味わえなかった。


 それだけにこうも呆気なく終わってしまったことが、残念で仕方がなかった。


「鬼はどうやらこいつ一匹だけのようだな――とりあえず、こいつの犠牲者を弔ってやるとするか」


 せめて彼らの魂が安らかな眠りにつけるように。青年は死した者たちの冥福を祈った。


「よし」、と青年は空を見やった。


 青かった空が徐々に茜色に変わりつつあった。思いのほか時間がかかってしまったようだ。


「……仕方がない。今日はここで寝るとするか」


 幸い、衣食住はたくさん残っている。


(悪いな、どうかお前さんたちのを使わせてくれ)


 簡易的な墓にそっと手を合わせた、その時――


「御用改めである!」


 と、若々しい少女の声が扉越しにした。ちょうど調理に取り掛かっている最中のことだった。


「誰だ?」と、青年もはて、と小首をひねる。調理中なので手が今は離せそうにもない。


 程なくして、勢いよく障子戸がびしゃりと開く音がした。どかどかと慌ただしい足音がどんどん近付いてきた。


「新撰組副長、和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)推参! 大人しく神妙にいたせ!」


「…………」


「……あれ? 禍鬼(まがつき)は?」と、その少女は不可思議そうな顔をする。


 歳はおおよそ十代後半ぐらいだろう。あどけないが凛々しく美しい顔立ちである。


 腰まで届くさらりとした長髪は、色鮮やかな濡羽色に染まりそれがとてもよく似合う。


 青と白のだんだら模様の羽織を纏い、軽度ではあるが胸当てなどの装備をしっかりとしている――袴が異様に短い仕様には違和感がどうしても拭えない。大陸ではエロい、というらしい。


(エロいってやつか。うん、エロい。悪くない言葉だな)


 青年はすこぶる本気でそう思った。


「……俺の嫁候補見つけたかも」と、青年はもそりと口にした。


「むっ! 失礼だがそこの御仁! ここに禍鬼(まがつき)を見なかっただろうか?」


「禍鬼? それはあの鬼のような化け物のことか」


「あぁ、そのとおりだ!」


「それなら俺が斬ったぞ」


「は?」と、少女は素っ頓狂な声をもらした。


「い、いやいや! そんな馬鹿なことがあるはず――」


「でも、事実だからなぁ」


「……まさか、本当に?」


 少女の眼差しはひどくいぶかし気である。むろん青年は嘘偽りは一切口にしていない。すべて純然たる事実だ。


「御仁……あなたは、何者なんだ?」と、少女がおもむろに尋ねた。


「俺か? 俺は……雷志。華御雷志(はなみらいし)だ」


 青年――雷志はそう答えてにっと口元を緩めた。


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