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悪役令嬢がポンコツ過ぎてもはや「悪役」どころか「令嬢」すら危ういんですが…

作者: アムリ

思いついたままに書きました。2万字いかないくらいの短編です。



「あら、またエリーゼが居眠りしているわ。本当に使えない子ね」


 聞き覚えのある高慢な声で目が覚めた。


 私はゆっくりと目を開けると、見知らぬ教室のような場所にいることに気づいた。窓から差し込む陽光は眩しく、周囲には高級そうな制服を着た少女たちが座っている。そして目の前には、金髪をきつく結い上げた美しい少女が立っていた。


「な……に?」


 私は自分の口から出た声に驚いた。いつもより高く、若い。そして周りを見渡すと、自分が豪華な学園の教室にいることに気が付いた。身に着けているのは見たことのある制服――『麗しの貴族学園~真実の愛を求めて~』という乙女ゲーに出てくるものだった。


「まぁいいわ。それより、これからセレスティア様のお茶会の準備があるの。さっさと立ちなさいよ」


 金髪の少女は鼻で笑うと、くるりと踵を返して歩き去った。


(待って、いま私を「エリーゼ」と呼んだ?)


 頭の中で情報が整理されていく。


 私—――佐藤美咲、27歳、IT企業勤務。昨日まで締め切りに追われてブラック企業で過労死寸前だったはずが、目が覚めたらこの世界に来ていた。しかも自分が「エリーゼ」という名前で呼ばれている。


(エリーゼって……あのゲームの……)


 そう、私が寝る前にプレイしていた乙女ゲーム『麗しの貴族学園~真実の愛を求めて~』に登場するキャラクターだ。主人公の恋路を邪魔する悪役令嬢セレスティア・フォンテーヌの取り巻きの一人。


(まさか転生? しかも悪役サイドに?)


 混乱する私をよそに、周囲の生徒たちは教室から出て行った。取り残された私は、自分の手を見つめた。細く白い、十代の少女の手だった。


「セレスティア様のお茶会……」


 思わず呟いた私の脳裏に、ゲームの記憶が鮮明によみがえる。セレスティア・フォンテーヌは第二王子フレデリックの婚約者で、学園一の美貌と名門の地位を誇る令嬢。だがプレイヤーが操作する平民の主人公がフレデリックの心を射止めると、嫉妬に狂い主人公を陥れようとする。そして最終的には、王子から婚約破棄を宣告され、国外追放される運命にある。


(でも、セレスティアは本当は……)


 実は私、このゲームを何周もしたコアファンだった。だからこそ知っていた――セレスティアが本当は悪い人間ではないこと。彼女の冷酷な行動の裏には、王族の政治的思惑や、彼女自身の複雑な家庭環境があったことを。特別なエンディングでしか見られない彼女の真の姿は、実は繊細で優しい心を持った少女だったのだ。


(こんな理不尽な運命、絶対に変えてみせる!)


 私はゆっくりと立ち上がった。自分がエリーゼという小悪役に転生したことは不運かもしれない。だが、セレスティアの真実を知っている私だからこそ、彼女を救えるかもしれない。


 廊下に出ると、先ほど私を起こした金髪の少女が待っていた。


「遅いわよ、エリーゼ」


「あなたは……」


「何言ってるの? マリアンヌよ。本当に頭大丈夫?」


 そう、マリアンヌ・ド・サン=クレール。セレスティアの取り巻きの中でも特に意地悪なキャラクターだ。


「ごめんなさい、少し寝ぼけていて……」


「もう、しっかりしなさいよ。セレスティア様をお待たせするわけにはいかないわ」


 マリアンヌは溜息をつくと、私の手首を掴んで引っ張った。


 私たちが向かったのは、学園の庭園にあるパビリオン。そこでは既に何人かの生徒たちがテーブルの準備をしていた。


「あら、来たわね」


 声の主は、パビリオンの中央に立つ少女だった。金色の長い巻き毛と、深い青の瞳。完璧な姿勢と高貴な佇まい。間違いなく、このゲームの悪役令嬢――セレスティア・フォンテーヌだ。


「もう少し早く来るべきではなくて?」


 彼女はそう言って、鼻を高く上げた……と思った瞬間、足元に躓いて前のめりになった。


「きゃっ!」


 咄嗟に踏ん張ったものの、彼女の手からは持っていたカップが滑り落ち、地面で粉々に砕けた。


「あ……あらら……」


 セレスティアは顔を真っ赤にして、周囲をキョロキョロと見回した。取り巻きたちは呆気にとられている。


「す、すみませんわ! わ、私の不注意でございましたわ!」


 彼女の言葉は明らかに不自然で、まるで台本を読んでいるよう。そして「すみませんわ」という言い回しは、貴族が使うようなものではない。


(これが……悪役令嬢セレスティア?)


 予想とはかけ離れた彼女の姿に、私は目を疑った。


「セレスティア様」マリアンヌが小声で諭すように言った。「そんな風に謝るのは庶民のよう……」


「あ、そ、そうでしたわね!」セレスティアは慌てて姿勢を正した。「む、むしろカップが私の手から落ちるなんて、品質が悪いのかしら。明日にでも作った職人を呼びつけて説教してやるわ!」


 今度は無理に高飛車な態度を取ろうとしているのが明らかだった。その不自然さに、私は思わず吹き出しそうになった。


(彼女、本当に悪役令嬢なの……?)


 疑問を抱きながらも、私はセレスティアの前に進み出て深々と頭を下げた。


「セレスティア様、私がすぐに新しいカップをお持ちします」


「あ、ありがとう……いえ、当然のことね!」


 彼女の目には一瞬感謝の色が浮かんだが、すぐに取り繕うように顎を上げた。だがその直後、またもバランスを崩しかける彼女。


(この子、絶対ポンコツじゃない?)


 そう確信した瞬間、私の使命も決まった気がした。


(よし、調査してみよう。そして、このポンコツ「悪役令嬢」を救ってみせる!)



 *



 お茶会は予想通り、いや予想以上に珍事の連続だった。


 セレスティアは「高貴な令嬢」を演じようとするたびに失敗した。紅茶をカップに注ごうとして隣の生徒のドレスにこぼす。フォークとナイフの持ち方が怪しい。何より、彼女の言葉は完全に不自然で、まるで古い時代劇の悪役のセリフのようだった。


「え、エリーゼ、もっと早くお菓子を取りなさいよ! ……え、えっと、令嬢たるもの、すべてにおいて他より優れていなければならないのよ!」


 彼女が必死で演じる姿を見ていると、なぜか胸が痛くなった。


 お茶会が終わり、片付けを手伝いながら、私はセレスティアを観察し続けた。彼女は取り巻きたちが去った後、肩の力が抜けたように溜息をついていた。


「あの……セレスティア様」


 私が声をかけると、彼女は驚いたように振り向いた。


「まだいたの? え、えっと……お前も早く帰りなさい! 私はこれから……その……貴族としての勉強があるの!」


「お手伝いしましょうか?」


「え?」彼女は目を丸くした。「でも、あなたたちは私の……その……取り巻きで……」


「私、エリーゼです。お力になれることがあれば」


 彼女はしばらく黙って私を見つめていたが、やがて肩をすくめた。


「……ありがとう。でも大丈夫よ」


 その瞬間、彼女の表情は柔らかく、声のトーンも自然になった。まるで別人のように。



 *



 翌日、私は授業中も彼女を観察し続けた。


 魔法史の授業では、先生に当てられたセレスティアが「貴族の魔法は生まれながらにして優れているもの。平民にはわからないでしょうね」と答えようとして、教科書を落としてしまい、ページがバラバラに。


 数学の授業では、難しい問題が解けなかった平民の少女をからかおうとして、自分も解けずに赤面。


 昼食時には、庭で一人寂しそうに食べている平民の少女に「そこは私のお気に入りの場所なの!」と追い払おうとしたが、その少女が持っていたパンに興味津々な様子を見せ、結局一緒に食べてしまった。


(……これはあまりにもポンコツ過ぎない? 悪役令嬢どころか令嬢としての所作すら怪しいんだけど)


 疑問は深まるばかり。その日の放課後、私はセレスティアが一人で図書室に向かうのを後をつけた。


 彼女は人目を気にしながら、奥まった棚の前で立ち止まった。そこから「貴族の基本作法」「上流社会での振る舞い方」「気品ある話し方入門」といった本を何冊も取り出し、熱心に読み始めた。


(なるほど……彼女、勉強しているんだ)


 そっと近づき、彼女の背後から覗き込むと、セレスティアは「令嬢の話し方」というページに線を引きながら読んでいた。


「きゃっ!」


 私に気づいた彼女は、本を慌てて閉じようとしたが、バランスを崩して床に座り込んでしまった。


「大丈夫ですか、セレスティア様」


「え、エリーゼ! ど、どうしてここに?」


「少し本を借りようと思いまして……」


 嘘をつきながら手を差し伸べると、彼女は恥ずかしそうに受け取った。


「あなた……昨日からずっと私を見ているわね」


 鋭い。私は一瞬言葉に詰まったが、正直に答えることにした。


「はい。セレスティア様のことが気になって」


「……私がヘンだから?」彼女は自嘲気味に笑った。「令嬢失格ね」


「そんなことはありません!」思わず声が大きくなった。「ただ……セレスティア様が本当は無理をしているように見えて……」


 彼女の青い目が大きく見開かれた。


「あなた……」


 その時、図書室の入り口から声が聞こえてきた。


「セレスティア様、どこですか?」


 執事らしき中年男性の声に、セレスティアは慌てて本を片付け始めた。


「シュトラウス……」彼女は小声で呟いた。「見つかるとまた説教……」


「隠れましょう」


 私は咄嗟に彼女の手を取り、奥の書架の影に彼女を引っ張った。


「セレスティア様!」


 執事の声が近づいてくる。セレスティアは私の隣で息を潜めていた。彼女の手は小刻みに震えていて、それが私には怖れているようにさえ感じられた。


 幸い、執事は私たちを見つけることなく立ち去った。


「ありがとう……」彼女はホッとした表情で言った。


「あの執事さんは?」


「家の執事長……厳しいの」彼女は言葉を選びながら答えた。「私が『セレスティア・フォンテーヌとしての役割』を果たせるよう、監視しているのよ」


「役割……?」


 彼女はハッとした顔をして口を閉ざした。


「何でもないわ。私、行かなくちゃ」


 そう言って彼女は立ち上がり、足早に図書室を出て行った。私はその背中を見送りながら、疑問が膨らんでいくのを感じた。


(セレスティアの「役割」って……?)



 *



 翌日の午後、庭園の噴水前で、ついにあの「運命の出会い」が起きた。


 ゲームの主人公役である平民の奨学生、リリアナ・モリスが王子フレデリックとぶつかるシーン。これがゲームの冒頭で、ここからリリアナと王子の恋が始まる。


 そして予定通り、セレスティアが現れ、リリアナを叱責するはずだった。


「あら、平民風情が王子様に触れるなんて、身の程知らずね!」


 セレスティアは腕を組み、リリアナを見下ろした。が、その視線はどこか泳いでいて、声も小さい。


「ご、ごめんなさい……」リリアナは震える声で謝った。


「謝って済むと思っているの? 王族に触れた罪は重いのよ。っと…………が、学園から追放されてもおかしくないわ!」


 セレスティアの言葉は明らかに棒読みで、しかも台詞を忘れたのか、一度言い淀んだ。


「セレスティア」王子フレデリックが冷静な声で言った。「彼女は故意にぶつかったわけではない。それに怪我もしていない」


「でも王子! 平民が……」


「もういい」王子は厳しい目でセレスティアを見た。「彼女に謝りなさい」


 セレスティアは口をパクパクさせたが、何も言葉が出てこない。その代わり、彼女の目には涙が浮かんでいた。


「わ、私……」


 突然、彼女は踵を返して走り去ってしまった。


(まずいな……このままじゃやがてゲームの展開通りに……)


 私は慌ててセレスティアを追いかけたが、王子の冷たい視線が私の背中に刺さるのを感じた。この瞬間から、セレスティアの評判は下がり始める。そして最終的に断罪シーンへと続くのだ。


 彼女を見つけたのは、校舎の裏手だった。壁に背中をつけて座り込み、膝を抱えている。


「セレスティア様……」


「来ないで……」彼女は顔を上げずに言った。


「私、失敗したの……また……」


「大丈夫ですよ」


「大丈夫じゃないわ!」彼女は泣きながら叫んだ。「私、こんなことずっと続けられない……」


 私は彼女の隣に座り、しばらく黙っていた。やがてセレスティアの泣き声が静まると、私は勇気を出して尋ねた。


「セレスティア様は、どうして悪役を演じているんですか?」


 彼女は驚いたように私を見た。


「あ、あなた……気づいていたの?」


「はい」正直に答えた。「セレスティア様は本当は優しい人だと思います」


 彼女は長い間黙っていたが、やがて深い溜息をついた。


「私……実はね……」


 セレスティアは少し躊躇ったが、ついに口を開いた。


「私、実は去年まで田舎で暮らしていたの」


「え?」


「私は本当の娘ではないの。フォンテーヌ家の本家とは遠い血縁関係で、父は領地の端っこで形だけの領主として、自らも畑を耕して暮らしていたわ。でも突然、本家の当主――お義父様から使者が来て……」


 彼女の話によると、フォンテーヌ家の本家には後継者がおらず、血縁者の中から「娘」としてセレスティアが選ばれたという。そして突然、田舎から都会へ連れてこられ、貴族の作法を叩き込まれ、王子の婚約者という重責を負わされたのだ。


「でも私は何もできなくて……」彼女は肩を落とした。「お茶の注ぎ方も、歩き方も、話し方も、全部覚えられない……」


「だから執事長が……」


「シュトラウスは本家の執事で、遠縁とはいえ伯爵家の傍流の出であるから、私よりもずっと貴族らしい振る舞いができる人よ。振る舞いだけじゃなく考え方もね。そんな彼が私を『フォンテーヌ家の令嬢らしく』するために厳しく指導しているの。でも最近は……」


 彼女は言葉を選びながら続けた。


「最近は『悪役になれ』って言うの。王子が他の子や、ましてや平民の女の子に心惹かれることなどないよう、私が悪役になって『悪い虫』を引き離せ、って……」


「それって……」


 政略的な婚約を守るため、彼女を盾として使おうとしていたのだ。


「で、でも王子との婚約と、『悪役』としての振る舞いを両立させるなんて難しすぎるんじゃ……。悪役として振る舞うほど王子の心は離れていくのでは? 今日だって……」


 私の言葉に、セレスティアはふっと寂しそうに笑った。


「それならそれでいいんでしょうね。たぶん、今王子が他所の子を見初めるのを防ぐことのほうが優先順位が高いのだと思う。所詮私は替えのきく駒よ。血縁を探せばきっと私以外にも丁度良い人はいるでしょう。私が愛想をつかされれば、きっとその子が王子の相手としてまた充てがわれるのだわ」


「セレスティア様……」


「でもね……私、本当はリリアナさんを困らせたくないの。彼女、優しいし……」セレスティアは悲しそうに続けた。


「でも両親のために……本家の人たちは、もし私が言うことを聞かなければ、父や母を国外に追放すると……」


 彼女の青い目から再び涙がこぼれ落ちた。


「セレスティア様……」


 私は思わず彼女の手を握りしめた。彼女は単なる駒として使われていたのだ。しかも、悪役を演じるよう強制されているにもかかわらず、そのポンコツぶりからうまく演じられず、結果的に皆から嫌われる運命が待っている……。


「エリーゼ……」セレスティアは私の手をぎゅっと握り返した。「あなたは優しいわね。他の子たちは私が命令すれば従うけど、心の中では軽蔑しているのがわかるの……」


「違います!」私は彼女の目をまっすぐ見つめた。「私はセレスティア様の味方です。それに……」


(そうだ、私は転生者として、この世界の結末を知っている。セレスティアを救う方法があるはず……)


「セレスティア様、私たちで打開策を考えましょう」


「打開策?」


「はい。セレスティア様が悪役を演じずに済む方法を」


 彼女は目を丸くした。


「でも、それじゃ家族が……」


「家族を守りながら、セレスティア様自身も幸せになる方法があるはずです」


 私は彼女に微笑みかけた。セレスティアはまだ半信半疑の表情だったが、少し希望の光が目に宿ったように見えた。


「エリーゼ……ありがとう」



 *



 その日から、私はセレスティアの「悪役令嬢修行」の助手となった。表向きは彼女の取り巻きを続けながら、裏では本当の彼女を知る唯一の味方として。


 まず私がしたのは、セレスティアの部屋の調査だった。彼女の許可を得て、部屋に入ると、そこには想像以上の証拠が転がっていた。


「これが……」


 壁には「令嬢の基本動作」「貴族の話し方入門」といった紙が貼られ、セレスティアの走り書きでびっしりとメモが取られていた。机の上には「悪役台本」と書かれたノートがあり、そこには今日の行動指針までびっしりと記されていた。


「ごめんなさい……恥ずかしい……」セレスティアは顔を赤らめた。


「いえ、セレスティア様が頑張っている証拠です」


 私がノートをめくると、そこには執事長シュトラウスの署名があった。つまり、彼がセレスティアに具体的な悪役の演じ方まで指示していたのだ。


「シュトラウスは毎晩、一日の行動を確認しに来るの」セレスティアは小声で言った。「そして夕方には報告を……」


 まさに監視体制。そして、彼女の失敗を逐一チェックして叱責しているのだろう。


「これは酷い……」


 私が部屋を調査している間に、セレスティアはクローゼットから一着のシンプルなドレスを取り出した。


「これ、田舎にいた頃に着ていたの」彼女は懐かしそうに布地を撫でた。「たまに着ると、故郷を思い出すわ……」


 彼女が本当に恋しいのは、貴族の生活ではなく、田舎での自由な日々なのだと理解した。



 次の数日間、私はセレスティアと行動を共にしながら、彼女を取り巻く環境を詳しく調査した。


 執事長シュトラウスは確かに彼女に「悪役」を強いていた。リリアナと王子が親しくなりそうな場面――原作でいうイベント発生のタイミングでは必ず割り込むよう指示し、時には侍女たちを使ってリリアナの持ち物を隠したり、いたずらをするよう命じていた。


「なんてこと……」


 ある日、執事長シュトラウスがセレスティアを叱りつけている場面に遭遇した。


「無能な! どうしてあの平民娘を追い払えなかったのです!」


「で、でも彼女は何も悪いことしてなくて……」


「関係ありません! あなたの役目は王子との婚約を守ることです。そのためには手段を選んではいけない」


 セレスティアは肩を震わせて俯いていた。


(……っ!)


 執事が公爵令嬢を無能呼ばわりとは。普通ならありえない場面だ。

 一瞬、私が飛び出して叱責することも頭に(よぎ)った。


 執事長だって、彼女の身分がハリボテであることが表に出るのはまずいはずだ。

 だけど……まだそのときじゃない。証拠を集め、言い逃れのできない場面で実行すべきだ。


 わかってはいたが、ぐつぐつと煮えたぎるような怒りが湧いてくる。今にも飛び出したい気持ちを私は必死で抑えた。


「もしフォンテーヌ家の名を汚すようなことがあれば、田舎の両親にも責任が及ぶことをお忘れなく」


 シュトラウスの脅しに、セレスティアはただ黙って頷くしかなかった。



 *



 その夜、私は自分の部屋で考え込んだ。このままでは、ゲームのエンディング通り、セレスティアは婚約破棄され、国外追放されてしまう。しかも彼女の両親も巻き込まれることになる。


(何とかしなきゃ……)



 翌朝、私はセレスティアの部屋を訪ねた。彼女は目に見えて疲れた表情で、窓辺に座っていた。


「セレスティア様、大丈夫ですか?」


「エリーゼ……」彼女は弱々しく微笑んだ。「昨日の夜も、悪役の練習をさせられて……」


「もう十分です」私は強く言った。「セレスティア様は悪役になんかなるべきじゃありません」


「でも、家族が……」


「解決策があります」


 私は慎重に言葉を選んだ。


「まずは、セレスティア様が本当の自分を出せるようにしましょう。無理に悪役を演じなくていいんです」


「どういうこと?」


「悪役を演じるのではなく、素直なセレスティア様でいましょう。そうすれば、きっと……」


 私は言いかけて口をつぐんだ。言おうとしたのは「王子も本当のセレスティア様に惹かれるはず」という言葉だった。ゲームの隠しエンディングでは、セレスティアの素直な一面を見た王子が彼女に心を寄せるという展開があったのだ。


「私にできるかしら……」セレスティアは不安そうだった。


「大丈夫です。私がサポートします」


 そう言って、私は彼女の手を取った。



 *



 時は流れ、学園の一大イベント「王宮舞踏会」の日が近づいていた。この舞踏会は、ゲームのクライマックスで、セレスティアがリリアナを公の場で罵倒。しかし周囲の人たちからセレスティアのいじめや嫌がらせの証拠や証言が多数集まり、それをきっかけに王子から婚約破棄される運命の場所だった。


 なお件のリリアナは、当初こそその出自から疎まれ蔑まれる場面は少なくなかったものの、彼女のまっすぐな性格とひたむきな努力、誰にでも分け隔てなく見せる優しさから次第に周囲から認められていった。いまでは「白の聖女」とまで呼ばれ愛されている。

 特にフレデリック王子とは(原作イベント通り)なにかと接する機会が多く、当人同士の気持ちは横において、お似合いのカップルと一部では噂されるまでになっていた。


「本当、私なんかよりもずっとお似合いよね……」


「こら。弱気になってはいけませんよ。セレスティアにはセレスティアのいいところが沢山あるのですから」


「でも……」


「それに……身分の差というのは貴女が意識する以上に大きな障壁になります」


「知ってるでしょう。私だって本当は平民と大差ないわ」


「事実はどうあれ、セレスティア様は公爵令嬢、リリアナ嬢は平民。そう周囲から認識されているのです。ふふ、よほどのこと(・・・・・・)が無い限り、そうそう上手くはいきませんよ」


「エリーゼ貴女、なかなか黒いことを言うのね……」


 軽く舌を出して笑った私は、パン、と手を叩いた。


「私たちは私たちにできることを、です。さあ、舞踏会の練習、頑張りましょう」



 私はセレスティアと共に、空き教室でダンスの練習を始めた。彼女はリズム感があり、基本的なステップはすぐに覚えたが、「高貴な令嬢」としての威厳ある所作が身についていなかった。


「こんな感じかしら?」セレスティアは背筋を伸ばそうとして、かえって不自然な姿勢になってしまう。


「もっとリラックスしてみてください」


 私が彼女の肩に手を置くと、セレスティアはゆっくりと力を抜いた。


「そう、自然な感じで……」


「エリーゼ、ありがとう」彼女は微笑んだ。「あなたがいなかったら、私、とっくにダメになっていたわ」


「セレスティア様が本来の優しさを出せば、きっとみんなも認めてくれます」



 そんな練習を重ねる中、ある日、王子フレデリック本人が私たちの練習部屋の前に立っているのを発見した。


「王子!」セレスティアは驚いて直立した。


「セレスティア、話があるんだ」フレデリックは真剣な表情で言った。「二人きりで」


 彼は私に視線を送った。私は心配しながらも、部屋を出ることにした。


「大丈夫ですか?」ドアの外でセレスティアに小声で聞いた。


「平気よ」彼女は微かに頷いた。


 廊下で待つこと約30分。ドアが開き、セレスティアが出てきた。彼女の表情は複雑だったが、どこか晴れやかでもあった。


「どうでしたか?」


「王子が……舞踏会で一緒に踊ってほしいと」


「え?」


「私も驚いたわ。でも……」彼女は頬を赤らめた。「彼、私のことを『最近変わった』って言ったの。そして『本当のセレスティアを知りたい』って……」


 私の心は喜びで満たされた。計画が上手くいっている証拠だ。


「それは素晴らしいですね!」


「でも、シュトラウスには言えないわ……」セレスティアは不安げに言った。「きっと『リリアナを引き離す絶好のチャンス』とか言って、また余計ないじわるを命じてくるはず……」


「大丈夫です。私たちで乗り切りましょう」


 その日から、私たちの「脱・悪役令嬢計画」は本格的に始まった。



 *



 王宮舞踏会まであと1週間。


 私とセレスティアは、彼女が本来の自分らしさを取り戻すための特訓を続けていた。執事長シュトラウスからの「悪役令嬢台本」は受け取りつつも、実行はしない、あるいは実行したが失敗してしまったように見せる、という策を取った。


「今日は何をするの?」セレスティアは目を輝かせて尋ねた。


「まずは、セレスティア様の好きなことを教えてください」


「好きなこと?」彼女は考え込んだ。「田舎にいた頃は、花を育てるのが好きだったわ。特にデイジーとかラベンダーとか……」


「高級な花ではなく?」


「うーん、育てやすい花が好きなの。あと、手作りのお菓子も……」


 彼女の話を聞きながら、私は微笑んだ。セレスティアはとても素朴で純粋な少女だったのだ。


「今日は学園の温室で園芸の時間にしましょう」


 私たちは人目を避けて温室へ向かった。そこでセレスティアは、まるで別人のように生き生きと花々の世話を始めた。


「ねえ、エリーゼ」彼女は土に手を入れながら嬉しそうに言った。「今って、田舎にいた頃の私みたい……」


「セレスティア様らしいですよ」


「もう、エリーゼとの時は、そんな堅苦しく呼ばなくていいわ。セレス、って呼んで」


「でも……」


「お願い」彼女は真剣な顔で言った。「あなたは私の初めての本当の友達よ」


「……わかりました、セレス」


 彼女は満面の笑顔を見せた。その純粋な笑顔に、私も心から微笑み返した。


 しかし幸せな時間は長くは続かなかった。


「セレスティア様! ここにいたのですか!」


 振り返ると、執事長シュトラウスが温室の入り口に立っていた。彼の鋭い目は、セレスティアの土だらけの手と私たちの笑顔を捉えていた。


「何をなさっているのですか? 高貴なフォンテーヌ家の令嬢が土いじりなど!」


 セレスティアの表情が曇った。


「すみません……」


「しかも!」シュトラウスは私を指さした。「下級貴族の娘と友達のように……あなたはフォンテーヌ家の当主候補なのですよ!」


「エリーゼは私の友達です!」セレスティアは珍しく声を張り上げた。


 シュトラウスは一瞬驚いたが、すぐに冷たい表情に戻った。


「お忘れですか? あなたのご両親の身の安全は、あなたの行動にかかっています」


 その言葉にセレスティアの顔から血の気が引いた。


「もう一度言います。あなたの役目は、横槍を排除し、王子様との婚約を守ることです。それ以外の……『友情』などという無駄なものに時間を使っている暇はありません」


 シュトラウスは私を冷たく見下ろした。


「エリーゼ嬢、あなたも気をつけなさい。フォンテーヌ家に逆らえば、あなたの家族にも影響が出るでしょう」


 そう言い残して、シュトラウスはセレスティアの腕を掴み、温室から連れ出した。セレスティアは振り返り、悲しげな目で私を見た。


(このままじゃダメだ……)


 私は拳を握りしめた。セレスティアを救うためには、シュトラウスの企みを暴かなければならない。



 *



 翌日、私はマリアンヌに近づいた。


「マリアンヌ、ちょっといい?」


「何かしら、エリーゼ」彼女は高飛車に答えた。


「あなたもシュトラウスから命令されているんでしょう? セレスティア様を悪役にするための……」


 マリアンヌの目が見開かれた。


「な、何を言ってるの?」


「もういいの。私は全部知ってる」私は彼女の目をまっすぐ見つめた。


「あなたも本当はセレスティア様を苦しめたくないんじゃないの?」


 そう。セレスティアに与えられた計画書を読み解くうちに私は知っていた。

 マリアンヌたち他の取り巻きも、実はシュトラウスから指示を受けていたのだ。彼女たちはセレスティアと違って本物の貴族の子女だったが、家同士の政治的つながりからセレスティアの「悪役計画」に加担させられていたのだった。


 マリアンヌはしばらく黙っていたが、やがて肩をすくめた。


「……そうよ。私の家もフォンテーヌ家の影響下にあるの。従うしかなかったわ」


「協力してくれない? セレスティア様を助けるために」


「どうやって?」


「舞踏会で、セレスティア様が本来の姿を見せられるようにしたいの」


 それから詳細を語った私に、マリアンヌは迷った表情を見せたが、最終的に頷いた。


「分かったわ。でも、もし失敗したら……」


「大丈夫。必ず成功させるから」


 そして私たちのポンコツ悪役令嬢救出作戦は仲間を増やしていった。


 シュトラウスの強制から解放されたマリアンヌは、ベルタとエレオノーラという他の取り巻きも誘い、私たちの味方になった。彼女たちも実は、セレスティアの無理な演技に気づいていた。そして本当は彼女に親しみを感じていたのだ。


「セレスティア様、あなたが自分らしくいていいんですよ」エレオノーラは優しく言った。


「みんな……」セレスティアは涙ぐんだ。



 *



 そしてついに、王宮舞踏会の当日がやってきた。


 セレスティアは緊張しながらも、私たちの励ましに勇気づけられていた。彼女は白と青のドレスを着て、いつもの厳しく結った髪型ではなく、柔らかいウェーブの髪型にしていた。


「緊張するわ……」彼女は小声で言った。


「大丈夫よ、セレス」私は彼女の手を握った。「今夜は本当のあなたでいいの」



 舞踏会場に入ると、華やかな音楽と光に包まれた世界が広がっていた。セレスティアは深呼吸して、背筋を伸ばした。


 すると、フレデリック王子が彼女に近づいてきた。


「セレスティア、今夜は特に美しいよ」


「あ、ありがとうございます、王子」彼女は少し赤面した。


「最初のダンスを僕と踊ってくれるかな?」


 セレスティアは驚いた表情を見せた。王子の最初のダンスは特別な意味を持つ。彼女は私たちに助けを求めるように視線を送った。


「大丈夫よ、セレス」マリアンヌが微笑みながら頷いた。「自分らしく」


 セレスティアは深呼吸し、王子に優雅にお辞儀をした……と思いきや、足が絡まってバランスを崩した。


「きゃっ!」


 王子が素早く彼女を支え、二人の体が近づいた。


「大丈夫?」王子は心配そうに尋ねた。


「は、はい……」セレスティアは真っ赤な顔で答えた。


「ごめんなさい、私、ダンスも上手くないし。貴族として失格ね……」


「そんなことないよ」フレデリックは優しく笑った。


「君の素直なところが好きなんだ」


「え?」


「さあ、踊ろう」


 王子はセレスティアを導き、二人は踊り始めた。最初はぎこちなかったセレスティアも、徐々にリラックスしてきた。そして気づけば、二人は息を合わせて美しく踊っていた。


「あの二人、とても似合ってるわね」マリアンヌが感心したように言った。


「ああ、やっとセレスが自分らしくいられる……」


 私たちはホッとして見守っていた。しかし、その幸せな時間は長くは続かなかった。


「セレスティア様!」


 シュトラウスの声が舞踏会場に響き渡った。彼は顔を赤くして、セレスティアに近づいてきた。


「何をしているのです! 計画通りに動かねば!」


 ダンスが中断され、セレスティアは怯えたように王子から離れた。


「計画?」フレデリック王子は眉をひそめた。


「な、何でもありません、王子様」シュトラウスは慌てて取り繕った。「ただ、セレスティア様にはお約束があったのです。リリアナ嬢に一言……」


 彼はセレスティアの腕を掴み、リリアナのいる方向へ引っ張った。


 これが原作ゲームの決定的シーンの始まりだった。セレスティアがリリアナを陥れるために偽の証拠でで断罪をする。しかし公の場でリリアナを侮辱したセレスティアに対して王子が激怒。次々現れる証言者でセレスティアの工作が明るみになり、最後には婚約破棄と国外追放を宣言されてしまう……。


 だが、この場は良くも悪くも原作とは違う。

 原作ではセレスティアたちのせいで、リリアナに今ほどの評判はなかった。しかし彼女は今や「白の聖女」。王子との恋愛もまことしやかに噂されている。

 執事長シュトラウスの目にも焦りがありありと浮かんでいた。


「待って!」私は叫んだ。


 場の空気が凍りついた。皆の視線が私に集まる。


「セレスティア様と王子との時間を邪魔しないでください!」


「だ、黙りなさい、分不相応な!」シュトラウスは怒鳴った。


「それはこちらの台詞です! あなたこそ弁えなさい!」私は一歩前に出た。「セレスティア様は脅されているんです! 彼女の両親が人質に取られて、悪役を演じさせられているんです!」


 会場に驚きの声が広がった。


「馬鹿な!」シュトラウスは顔を真っ赤にした。「そんな証拠が……」


「あります」マリアンヌが進み出て、一枚の手紙を取り出した。「これはシュトラウス。貴方がセレスティア様に出した指示書です。リリアナ嬢を陥れる計画が詳細に書かれています」


 フレデリック王子は手紙を受け取り、目を通した。次第に彼の表情が厳しくなっていく。


「これは……本当かシュトラウス?」


「そ、それは……政治的な……」シュトラウスは言葉に詰まった。


「セレスティア」王子は彼女を見た。


「君は本当はどうしたいんだ?」


 すべての視線がセレスティアに集まった。彼女は震える声で言った。


「私……本当は誰も傷つけたくありません。リリアナさんは優しい人です。私は……」彼女は涙を堪えながら続けた。


「私は田舎で育った普通の女の子で、貴族の作法も知らなくて、いきなり令嬢にされて……でも、両親を守るために、言われるままに……」


 彼女の正直な告白に、会場は静まり返った。


「そうだったのか……」フレデリックは理解の表情を見せた。


 突然、シュトラウスが叫んだ。


「フォンテーヌ家の名に傷をつけるつもりか! セレスティア様! あなたはただちに……」


「もう十分だ、シュトラウス」


 新たな声が響いた。それは、入り口に立つ年配の貴族だった。フォンテーヌ公爵、セレスティアの養父だ。


「お父様……」セレスティアは驚いた。


「すべて聞こえていたぞ」公爵は厳しい表情でシュトラウスを見た。「我が娘を脅し、悪役に仕立て上げるとは……」


「し、しかし! 政略結婚を守るためには……」


 んん? フォンテーヌ公爵こそ黒幕かと思っていたけど、もしかしてこの件に絡んでいないの?

 いやいや貴族の腹芸に騙されているだけかも……。


 内心混乱する私を他所に、公爵は次第にヒートアップしていった。


「結婚は……結婚は愛あってこそだ!」公爵は断固として言った。


「私も若かった頃は政略で動いてきたが……妻と出逢って変わった。私はセレスティアを本当の娘のように愛している」


「お義父様……」


「だが……セレスティアがこの暮らしを疎んでいたとは思いもよらなかった。言い訳がましいが、よかれと思っての提案だったのだ。すまない。私はただ、セレスティアの幸せを願っている」


 シュトラウスは言葉を失った。


「セレスティア」公爵は優しく彼女に近づいて、頭を下げた。「すまなかった。君に重荷を背負わせて。君の両親は安全だ。私が保証しよう」


「お義父様……」セレスティアは涙を流した。


「あなたはもう、誰かの道具ではないのよ」マリアンヌが彼女の隣に立った。


「セレス、あなたの本当の姿を見せて」私も彼女の手を取った。


 セレスティアは深呼吸して、王子に向き直った。


「王子様、私は令嬢としては未熟で、踊りも下手で、言葉遣いも間違えるし……でも!」彼女は勇気を出して続けた。「本当の気持ちを伝えたいんです。私はあなたのことを……好きになってしまいました」


 会場から「おおー」という声が上がった。


 フレデリック王子は微笑み、セレスティアの手を取った。


「僕も君が好きだよ、セレスティア。君の素直で優しい心に惹かれたんだ」


 そして二人は再び踊り始めた。今度は、セレスティアは本当の自分を解放して。彼女の動きは多少ぎこちなかったが、その笑顔は会場で一番輝いていた。


 シュトラウスは公爵に連れられて退場し、リリアナは意外にも祝福の笑顔を向けていた。彼女は実は別の貴族の息子と親しくなっていたのだ(ちなみにゲーム的には別の攻略対象だった若き辺境伯だ)。


 私とマリアンヌ、ベルタ、エレオノーラは嬉しさで抱き合った。


「やったわね!」


「セレス、本当の幸せをつかんだのね」


「エリーゼ、あなたの計画が成功したわ」


 私は温かい気持ちで二人を見つめた。ゲームの結末を変えることができた。セレスティアは「悪役令嬢」の運命から解放されたのだ。



 *



 舞踏会から一週間が経った。


 セレスティアをめぐる学園の空気は一変していた。以前は恐れられ、または軽蔑されていた彼女が、今や多くの生徒たちから親しみを込めて見られるようになっていた。


「おはよう、セレス」


 私が教室に入ると、セレスティアは窓際で花を活けていた。彼女は振り返り、明るく微笑んだ。


「エリーゼ、おはよう!」


 以前のような緊張感はなく、彼女は自然な笑顔を見せていた。髪も厳しく結わえるのではなく、ゆるやかにまとめていて、全体的に柔らかい印象になっていた。


「今日もお花、綺麗ね」


「ありがとう」彼女は嬉しそうに言った。「田舎で育てていたデイジーと似た花を見つけたの」


 そこにマリアンヌたちも加わり、和やかな朝のひとときを過ごした。これまで「取り巻き」としての関係だった私たちだが、今や本当の友人になっていた。


 午後の授業が終わると、セレスティアは庭園に向かった。そこでは、フレデリック王子が待っていた。


「フレデリック様、お待たせしました」


「セレスティア、来てくれてありがとう」


 二人は並んで歩き始めた。私たちは少し離れた場所から見守っていた。


「二人とも素敵ね」マリアンヌがため息をついた。


「うん、本当に」


 セレスティアはまだ時々つまずいたり、言葉に詰まったりするポンコツ令嬢だったが、もう悪役を演じる必要はなかった。彼女は本来の優しさと素直さを取り戻していた。


「あれ? あの人たちは……」


 庭園の向こうから、フォンテーヌ公爵とシュトラウスが近づいてくるのが見えた。シュトラウスは舞踏会の一件以来、その地位を追われる可能性があったが、公爵は彼に反省の機会を与えたようだった。

 セレスティアの話では、彼もまた宰相に脅されていたようだ。今はフォンテーヌ公と協力して尻尾を掴むための作戦を練っている、らしい。

 表面はにこやかなのに腹の探り合いや足の引っ張り合いをする貴族社会。セレスティアじゃないけど嫌になるわ、まったく。


「不吉な予感……」マリアンヌがつぶやいた。


 私たちは慌てて二人に近づいた。


「お義父様」セレスティアは公爵に会釈した。


「セレスティア、そして王子殿下」公爵は二人に微笑んだ。「このたびの舞踏会での出来事、多くの反響がありました」


「良い意味でも悪い意味でも……」シュトラウスが付け加えた。彼の態度はまだ少し堅かったが、以前のような尊大さはなかった。


「最終的に王室からも理解をいただきました」公爵は続けた。「セレスティア、君と王子殿下の婚約は、政略ではなく二人の意思に基づくものとして再確認されました」


「え?」セレスティアは目を丸くした。


「つまり」フレデリック王子が彼女の手を取った。「僕たちは自由に、お互いの気持ちに従って進むことができるんだ」


「それって……」


「ただし」シュトラウスが声を上げた。


「セレスティア様は依然としてフォンテーヌ家の令嬢です。最低限の礼儀作法は身につけていただかねばなりません」


「もちろんです」セレスティアは真剣に頷いた。


「私、頑張ります」


「今度は誰かの指示ではなく、自分自身のために」公爵は優しく言った。「そして、君の実の両親も都に招くことにした。もう会えないわけではないよ」


「本当ですか?」セレスティアの目に涙が光った。「ありがとうございます!」


 彼女は思わず公爵に抱きついた。シュトラウスは目を丸くしたが、公爵は微笑んで彼女の頭を撫でた。


「私も本当に今まですまなかった……。家族として、やり直そう」


 その言葉に、セレスティアはさらに涙を溢れさせた。


「それから……シュトラウス」


「はっ」


 執事長は私たちに向かって深く頭を下げた。


「セレスティアお嬢様、そして学友のお嬢様方。これまでの所業、詫びる言葉もございませんが、これからの働きで少しでもお返しさせていただきたいと思います……本当に申し訳ございませんでした」


「頭をあげて」


 ぽつりと言うセレスティアに、ゆっくりと顔を上げるシュトラウス。


「今までの日々は辛かったけれど……私が『令嬢らしく』なるためにはとても役に立ったと思うわ。優しくされていたら、甘えてしまっていたかもしれないし。だから……だから、私は貴方を赦します。これからも色々教えてね」


「お、お嬢様……」


 私はその光景を見ながら、心が温かくなるのを感じた。セレスティアが本来の自分を取り戻し、周囲の人々にも受け入れられる。これは、私が転生した意味だったのかもしれない。



 *



 数日後、すべての問題が解決したと安心しきっていた私は衝撃を受けた。

 セレスティアが授業中に突然倒れたのだ。


「セレス!」


 私は彼女のもとに駆け寄った。彼女は顔色が悪く、熱を出していた。


「保健室に連れて行きましょう」


 マリアンヌと協力して、セレスティアを保健室へ運んだ。



「彼女は疲れが溜まっているのでしょう」学校の医師は言った。「精神的なストレスもあったでしょうし……」


 私たちはセレスティアのベッドの傍らで待った。


「私のせいね……」彼女は弱々しく言った。「最近、お父様との家族団らんや、フレデリック様との時間、それに勉強もあって、少し無理していたみたい……」


「セレス、もう無理しなくていいのよ」私は彼女の手を取った。


「でも、みんなの期待に応えたくて……」


「あなたはあなたのペースでいいの」マリアンヌも優しく言った。「周りはあなたを待ってるわ」


 彼女はホッとしたように微笑んだ。



 その日の午後、フレデリック王子が見舞いに来た。


「大丈夫?」彼は心配そうに尋ねた。


「はい、少し休めば……」


「無理をしないでほしい」王子は真剣な表情で言った。「僕は君の本当の姿が好きなんだ。完璧な貴族になる必要はない」


「でも、夫人になるには……」


「それは遠い将来のこと」王子は微笑んだ。「今は学生として、友達と過ごす時間を大切にしてほしい」


 セレスティアは安心したように頷いた。



 彼女の回復を祝って、私たちは小さなパーティーを開くことにした。場所は、セレスティアが大好きな学園の温室。


「わあ……」


 セレスティアが温室に入ると、色とりどりの花々と、小さなテーブルセットが目に入った。テーブルには手作りのお菓子が並び、友人たちが待っていた。


「みんな……」


「セレス、おかえり」マリアンヌが笑顔で言った。


「元気になってよかった」ベルタも嬉しそうだった。


「これ、貴女に届け物よ」エレオノーラが箱を差し出した。


 開けてみると、セレスティアの両親からの手紙と、彼女が子供の頃好きだったという田舎のお菓子が入っていた。


「お母さん……お父さん……」


 彼女は感極まって、涙を浮かべた。


「もうすぐ会えるのよ」私は彼女の肩に手を置いた。「公爵様が約束してくれたでしょう?」


「うん……」


 そこに、フレデリック王子も加わった。彼はカジュアルな服装で、リラックスした表情だった。


「王子! そんな格好で……」セレスティアは驚いた。


「今日は王子ではなく、フレデリックとして来たんだ」彼は微笑んだ。「ただの学生として、友達と過ごしたいんだ」


 セレスティアは嬉しそうに頷いた。


 その日、私たちは温室で楽しい時間を過ごした。セレスティアは田舎での思い出話をし、フレデリックは王宮での面白いエピソードを聞かせてくれた。マリアンヌたちも、これまでの「取り巻き」時代の裏話を披露して、みんなで笑い合った。


「エリーゼ」


 パーティーの終わり頃、セレスティアが私を呼んだ。


「なに? セレス」


「本当にありがとう」彼女は真剣な表情で言った。「あなたが現れなかったら、私はきっと……なにか大きな過ちを犯して、両親も危険に晒されて……」


「そんなことないよ」私は彼女の手を握った。「セレスは元々、優しくて純粋な子だもの。いつか必ず誰かがそれに気づいたはず」


「でも、あなたが一番最初に気づいてくれた」彼女は微笑んだ。「あなたは私の一番の友達よ」


「私も同じ気持ちだよ、セレス」


 私たちはしっかりと抱き合った。


 これからもこの華奢な背中を護らなきゃ……!

 私は強く、強く決意した。


「……そういえばエリーゼ。貴女のことが気になっているという方がいてね。今度紹介するわね」


「えっ?」



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