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第九話

 

 石段はまだ続く。

 段差はそこまで急ではないのだが、一歩一歩は着実に疲労を蓄積していく。だるく重くなっていく両足から気を紛らわすかの如く、リーエ達はポツポツパラパラとゆるやかに言葉を交わしていた。


「ね、アルマン補佐官」

「なんですか」

「さっきの話で出てきたさ、教育係だった()()って今どうしてるの?」

「今は大司教を務めています。貴女もご存じの通りです」

「そう…………えっ?」

「俺が光整者候補であった話は先生から聞いたのでしょう。貴女へ勝手に話してしまって申し訳ないと後日謝られました」

「ちょっと待って、いろいろ初耳なんだけど」


 アルマンの教育係は、大司教だったらしい。

 聖墓内の特別な場所――光整者ハインの手記の場所を知っている時点で、王城か聖教会の偉い人だろうなと予想はしていたが、これはまた馴染み深い人物が出てきた。今この場にはいないはずなのに、「ホッホッ」と何とも愉快そうな老人の笑い声が頭の中で通り過ぎていった。


「先生もディレイン家の出身で、俺と同じ黒髪で朱い瞳をしています」


 髪はもう白く染まっていますが、とアルマンは付け加える。


 先代ハインと同じ黒髪朱目、それを持って生まれたことが、ディレイン家でどんな意味を持つのかリーエも察せないわけではない。なんとなくだが、大司教がいつも目隠しを外そうとしない理由が分かった気がした。


「時期からして光整者候補ではないと言われていたそうですが、それでも万が一の可能性を捨てきれない人間は少なからずいます。……若い頃は、煩わしいことも多かったでしょう」


 元教え子で、親戚で、同じ黒髪朱目。大司教のアルマンへの妙な肩入れと気安さは、なるほどこれが理由かと合点がいった。


「先生が貴女へ俺とディレイン家の事情を話したことについては、特に異論はありません。隠そうとしてもいずれ耳に入ったでしょうから」


 むしろ、口さがない人間から不確かなまま伝わるよりも、事情を知っている人間から先にきちんと聞かされておいた方がいい。きっと大司教はそう判断したのだろう。


「……ですが、先生が断りもなく人の事情を話したのは事実です。なので今日、その()()を返してもらうことにしました」

「え、今日? 何かしてもらってたっけ?」

「俺が到着するまで、部屋で貴女を捕まえてもらっていました」

「…………」


 ……言われてみれば、今日の見舞いの最中、大司教は時計をよく気にしていた気がする。もしかして、聖墓で大司教の手をつねってしまったネタでやたらと長いこと叱られたのも時間稼ぎだったのだろうか。

 リーエは密かに心の中で立てていた、もう二度と偉い人の手はつねらないという誓いを撤回した。


「……アルマン補佐官ってさ、そういうとこ抜け目ないっていうか、割とちゃっかりしてるよね」

「ふっ」


 呆れた調子のリーエの言葉に対して肯定も否定もすることなく、アルマンはほんの少しだけ口角を上げて悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 そんな顔もできるのか。驚くリーエの心臓へ卑怯にも不意打ちで攻撃(ときめき)を与えてきた後、彼はぴたりと足を止めた。


「ここです」


 アルマンが指した場所は、何の変哲もない壁だった。

 下がっているようにと言われ、素直にその様子をみていると、アルマンは壁の下部分を一回軽く蹴り、それから上部分を三回強く押し、もう一度下部分を二回蹴り、さらに別の上部分を二回軽く押し、最後に真ん中部分に出来た凹みに手を突っ込み、何かを時計回りにひねる仕草をした。


 今の手順絶対覚えらんないな、とリーエが考えているうちに、カチリと何かがはまったような音がした。次いで床と壁が動くわずかな振動が伝わって、あっという間に隠し通路が眼前に現れた。


「すごぉ!!」

「長い通路なので気をつけてください」


 一度通ったことのあるアルマン先導のもと、リーエは隠し通路へと足を踏み入れる。

 アルマンの言葉通り、結構な距離を下ったり進んだりした。ただ感覚として、今まで必死に上ってきた(おびただ)しい段数分の空間を移動しているのは分かる。

 聖墓から王城に至る出口までの通路が異常に長いのは、この隠し部屋分の空間を確保していたためなのかもしれない。


「……?」


 補佐官の後ろをついていくリーエの頬を、ふいに柔らかい風が撫でていく。ここに至るまで通路に窓はなかった。


 もしや出口の先にあるのかと、前を行くアルマンの肩越しに目を凝らしたと同時、薄暗い通路を抜けて小さな部屋に出る。

 部屋の壁には蔦と花の紋様があしらわれ、中央には白磁色の端正な台座があった。

 そしてその台座の上に、手記が一冊。

 

「……これが、ハインの手記?」

 

 リーエの問いに、隣でアルマンが無言で頷く。静かな部屋の中、波打つ羊皮紙の束へと手を伸ばすリーエの衣擦れの音だけが聞こえた。


「――気安く触んじゃないよッッ!!」

「⁉︎」


 瞬間、問答無用で静寂を打ち破る威勢のいい声に、リーエは飛び上がって退く。勢い余って隣に立つアルマンにしがみついてしまったが、今はそれどころではない。


 台座からふわりと浮いて喋っている。本が。

 横に開いた状態で表紙と裏表紙を上下の唇のように操り、パタパタ閉じたり開いたりしながら流暢に喋っている。本が。


 本は驚くリーエとアルマンの顔を交互に見やった後、勝気な様子で鼻を鳴らして告げた。


「フン、どうやらそっちの小娘が次の光整者みたいだね。ハイン様と同じ力を感じる。――名は?」

「え」

「いいから名を名乗りなッ!」

「り、リーエ! リーエ・オルブラン!」

「アルマン・ディレインだ」

「はい結構。そっちのディレインの坊やは前に一度来たことがあるね」


 ディレインの坊や。そのあまりに似合わな……耳慣れない呼び名に、リーエは未だしがみついた状態だった隣の男を仰ぎ見る。面白がる顔を抑えきれなかったせいか、男はじろりとこちらを()めつけてきたが、まったく怖くない。

 また今度、忘れた頃に呼んでみよう。そんなろくでもない決意をリーエが固めた後、話は本題へと進む。


「もう分かっちゃいるだろうが、アタシは光整者ハインの手記さ。元はただの紙束だったが、ハイン様に力を与えられ、こうして話せるようになった」

「……光整者ハインは、物体に命を与えることもできたのか?」

「いいや、アタシは別に生きてるわけじゃあない。女神の力を“動力”として、いくつかの条件と複雑な計算式のもと、通常ではありえない動きをなす――ハイン様は、アタシ達のことを“機械”と呼んでいた」

「きかい?」

「言葉の意味は知らないよ。とにかくアタシは“次の光整者が来たら意地悪だけど博識な森の魔女風に喋り出して助言する”という条件のもと今は動いてるだけさね」

「その口調ただの個性とかじゃなかったんだ」


 謎こだわりすぎる。なぜ森の魔女風なのか。どうせならもっとこう……優しく導いてくれる森の賢者風とかでもよかったのではと思うリーエをよそに、深く考え込んでいた様子のアルマンが口を開いた。


「先ほど、“助言する”という条件のもと動いていると話していたが、それは手記の内容以上のことを尋ねても答えられるということか?」

「不聖脈や光整者についてのことならね。こんな埃っぽい辺鄙な部屋まではるばる来たんだ、何か調べたかったことがあるんだろう? 聞かせてみな」


 手記に促され、リーエ達はここに来た経緯と目的を詳しく話す。小説換算で大体八話分くらいにおさまる今までの軌跡を聞き終えると、手記は不愉快そうに自身をバサバサ開閉してみせた。


「フン、光整者の偽者を生み出すなんざ、不聖脈もずいぶんと小賢しい真似をするもんだ」

「二百年前にも人型をした魔獣はいたのか?」

「半獣半人なんかはいるにはいたが、完全な人の姿を模したのはいなかったね。だがまあ、魔獣がその代の光整者に合わせて形態を変えるのはおかしな話じゃない」


 そこで一旦言葉を切ると、手記はくるりと一回転し、リーエの方へと向き直る。


「よく聞きなリーエ。不整脈はね、光整者が持つ記憶や感情を(かて)に変化する。浄化のために触れるたび、アンタの()へと入り込み、アンタの弱みを探って魔獣の姿に反映させるんだ」


 光整者と不聖脈――二者はどちらも元を辿れば女神の力によって生み出たものだ。女神の力が与えられて英雄として生じたか、女神の力が狂い乱れて邪魔者として生じたか、あるのは正負の違いだけ。

 同じ力を根源としているから、繋がっているから、お互いの情報を関知できるのだと手記はいう。


「通常、不聖脈が生身の人間に干渉することはできない。()()だと身体が判断して拒絶するからね」


 だからこそ魔獣を介して人を襲うのだが、その攻撃は無差別かつ衝動的なものが大半である。アルマンのように光整者以外の人間を明確な意図を持って狙うのは特異だった。


「そっくりな偽者を用意して、本物を知る近しい人間を消しにかかる――それで得られる結果が何なのか、よくよく考えることだね」


 それだけ言って、手記はパタンと表紙をひとりでに閉じ、台座の元のいた位置へと大人しく収まり戻る。


「……そろそろ動力切れだね。少し喋り疲れたからアタシは眠るよ」

「えっ! 待って待って、もうちょっと話を――」


 “動力切れ”が具体的にどういうものか分からないが、雰囲気からして今にも力尽きそうといったところだろう。急にしおらしく話を切り上げようとする手記を慌てて引き止めるリーエを、隣に立つアルマンが軽く手で制す。


「最後に、光整者ハインについて教えてほしい。彼は四つ目の不聖脈で何を見た?」


 アルマンが口にした“四つ目の不聖脈”という単語は、光整者ハインにとってあまりいい意味を持たない。なぜなら最後の四つ目の不聖脈浄化の際、ハインは一度失敗しているからだ。

 彼はただ一度だけ、不聖脈を浄化しないことを自ら選んだ。


「アタシには生みの親の過ちをベラベラと話すような機能はないよ」

「不聖脈や光整者についてならば話せると言っていた」

「…………」

「…………」

「……はぁ」


 手記は大仰な溜息と「人間ってのは嫌な育ち方をするもんだ」というボヤきを吐き出した後、再びほんの数センチだけ浮いて呟いた。


「……ハイン様が、四つ目の不聖脈で何を見聞きしたのかはアタシも知らない。ただあの方は、常日頃からご自身の力を次代や次々代の光整者達のためにも役立てられないかと、尽力しておられた」


 この世界は不聖脈に対してまだ(つたな)い。だから少しでも情報や技術を後世に(のこ)し、次またその次の不聖脈浄化でも活かせるようにすべきだと、よく口にしていたらしい。


「けれど、必要な全てのことを成すには時間が足りなさすぎてね。……討伐に向かう前夜、“自分はまだ光整者でいたいのだ”と、口惜しげにおっしゃっていた」

「…………」

「その後は手記(アタシ)に書かれてある中身の通りさ。さあ、もういいだろう。いい加減眠らせておくれ」

「……ああ。話し辛いことを尋ねて悪かった」


 アルマンが声をかけたと同時に、手記は今度こそ台座の上に収まり自身を閉じた。

 水を打ったような静寂が部屋に舞い戻り、どちらともなく互いに目配せをし合ったリーエとアルマンに、「ああそれと、」と下から眠たげな声がかかる。


「奥の壁にある隠し棚に一つだけ道具がある。作動するには途轍もない量の“動力”が必要なんだが、それでも良ければ持っていくといい」


 元はハインが自身の戦闘能力強化のために作り出したものだったが、彼が持つ“動力”では作動するだけの量が足りず、お蔵入りになった代物らしい。


「実際に動いているのを見たことがないんでね、道具の用途は分からない。名前しか知らないよ」

「うーん、どんな名前?」

「ああ、“飛光機(ひこうき)”さ」


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