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第八話


 それから、アルマン耳だけ恥じらい事件の後。

 ひとまずリーエ達は、砦で別れてしまった後の出来事について共有することにした。


「砦で貴女が撃ち落とした鳥型魔獣は、あの後すぐに塵になって消滅しました」


 備え付けのふかふかソファに向かい合い、アルマンが口火を切る。ちなみに彼の耳の色はあの後一瞬にして元通りになってしまって、先ほど見た光景は自分の願望から生まれた幻だったのではとリーエは若干思い始めている。


「貴女を攫ったもう一体については、後に兵士の一人から“人が乗っているのを目撃した”という報告がありました。これは貴女を襲った人型魔獣のことでしょう」


 最初から鳥型魔獣は二体いて、暗闇を利用して一体しかいないように装っていた。そしてリーエが撃ち落としたのは陽動役の方だった――そこまでは二人とも見解が一致した。


「肝心なのは、陽動役を作ってまで、もう一体の鳥に乗っていた人型魔獣は何をしたかったのかです。状況から見れば、目的は貴女であったように見えますが……」

「……アルマン補佐官を、殺そうとしたんだと思う」


 強い確信を持った声で、リーエはそう告げる。

 自分が殺されかけたというのに、アルマンが驚く様子はなかった。


「貴女は攫われる直前に俺を庇い、“逃げて”と言いました。あの時あの一瞬で、何かを感じていたのではないですか」

「…………」

「リーエ」


 言い淀むリーエに、アルマンが静かに先を促す。初めて面と向かって肩書き抜きの名前だけで呼んでもらったのに、こんな状況では素直に喜べない。もっとロマンチックな場面で呼んでくれたらよかったのにと、現実逃避に場違いなことを思う。


「……あの時、魔獣の殺意を感じたの。殺される側の危険予知とかそういうのとは違う。私が感じたのは……殺す側の、強い意志や思考の方」

「魔獣と感覚を共有した、ということですか」

「そう。それに連れ去られた先の風塵の谷で……、」


『……(いや)しい女』


『親も死んだ、育ての親も死んだ、もう他には何もない。特別な女神の力しか縋るものがない』


『居場所がほしい、誰かに必要とされたい、役に立ちたい。だから光整者になった。たとえ別の誰かから奪う形になったとしても、力が劣るのだとしても』


この役目(光整者)を、誰にもとられたくない』


 谷底で、夢の中で人型魔獣に浴びせられた言葉がリーエの脳裏で反芻(はんすう)する。自分そっくりな顔をしたあの女は、不聖脈が生み出した偽者だ。だからあの発言のすべてが偽りで、何もかもが思ってもいないことだ。そう言い切ってしまいたいのに、それができない。


「……人型魔獣は、私と同じ顔をしていて……。アルマン補佐官なんか、いなければいいって、殺すって言ってた。だから……」


 だから? だから何だ。そもそもなぜ人型魔獣はアルマンがいなくなればいいと言った? 殺そうとした?――それは、その意思は、リーエの感情から来たものではないのか?

 リーエが魔獣の感覚を共有したように、もし魔獣がリーエの感覚を共有して行動していたのだとしたら?


 目覚めてからずっと考えていた、黒く暗い思考がリーエの心を蝕む。俯いた拍子に横髪が顔にかかって、苦しげに歪められた目元に深い影が差し込んだ。


「――それで、その時貴女はどうしたのですか」


 ふいに、真正面からそんな問いかけを聞く。


「……え?」


 質問の意図が分からなくて、リーエは困惑しつつ顔を上げた。

 涙が滲んだ橙色の瞳を、朱い瞳が真っ直ぐ射抜く。


「人型魔獣が俺を殺すと言うのを聞いて、貴女はその時どうしたのです」

「……ど、どうもこうも……私の顔して勝手なこと言わないでよってムカついて、それで……魔獣の両腕を、吹っ飛ばした」

「吹っ飛ばした?」

「だって、まるで私がアルマン補佐官のこと傷つけたがってるみたいに言うから……」


 モゴモゴと口惜しそうにそこまで言って、はたとリーエは気がついた。

 そうだ、自分は怒ったのだ。自分の顔をして、危険が迫った時に真っ先に守りたいと思った人を害すると口にされて、本当に腹が立ったのだ。あの時の感情は決して嘘じゃないことを、リーエはちゃんと分かっている。


「……私は、貴方を守ると約束した。それだけは絶対に(たが)わない」

「ええ。貴女は果たすことができない約束をする人間ではない」


「事実、決して無茶をせず俺の側にいるという約束は交わさないようにしていた」とアルマンは付け足す。どうやらあの時リーエがわざとズルい答え方をしたことには気づいていたらしい。


「……でも、でも私は、貴方を守ると言いながら、貴方がずっと待ち望んできたものを奪ってる」

「…………」

「アルマン補佐官が、光整者候補だったってこと聞いた。幼い頃に選ばれて、ずっと努力してたのも聞いた。貴方の方が知識も力もあって、私より優れてるのも嫌というほど分かってる」

「…………」

「だけど私、もう誰にも代われない。代わりたくない。光整者として、私が最後までやり切りたい」


 アルマンは何も言わない。リーエが吐露するのを黙って聞いて、それからゆっくりと立ち上がり、彼女の正面まで歩いてきた。……彼がどんな顔をしているのか知るのが怖くて、視線を上げることができない。


「……俺が光整者候補であったことを、貴女が聞いていたのは知っていました」

「!」 

「貴女の言う通り、“奪われた”と思い、貴女を(ひが)んで、妬んで、羨んで。憎んだことがあるのも事実です。……ですが、」


 途中で言葉が切れたかと思うと、突然リーエの目の前に手が差し出された。

 橙色の目がこれでもかと丸くなり、その骨ばった大きな手の持ち主の方へと向く。


「こんな風に、誰かに手を差し伸べられるのも悪くないと教えてくれたのも、貴女です」


 見上げた先にあったのは、いつか聖墓で見たのと同じ、小さく微かな笑みだった。


「立ってください、光整者リーエ。こんなところでずっと座っている場合ではないでしょう」


 どこか聞き覚えのある台詞が、ぶっきらぼうに上から降ってくる。


『……何ですか、この手は』

『立って。アルマン補佐官』

『は?』

『こんなとこでずっと座ってる場合じゃないでしょ』


 それは過去に(おこな)った些細なやりとりのはずなのに、じんと胸に響いて、リーエの心を奮い立たせる。

 差し出された大きな手を取ると、強くしっかりと握り返された。


「……アルマン補佐官、私に力を貸して。貴方が隣にいたら私、もっと強くなる」


 返事を聞くより先に、グイッと勢いよく重心が上に引っ張りあげられる感覚がした。ふわりと一瞬浮いた身体が男の胸で軽く受け止められた後、彼の隣へ並び立つ。

 そうして先程よりもずっと近くなった距離で、少し得意そうな声がリーエの耳に届いた。


「――当然です。俺は貴女の補佐官ですから」





 ◇





 月が照らす真夜中は、どこもかしこも青っぽい。

 けれど長い通路の壁に点々とついている灯りの周りだけは、煌々とした黄色に包まれている。

 (おびただ)しい段数の石段を照らすその光は、どちらかというと松明(たいまつ)の光よりもリーエが放つ光と似たものを感じさせる。


「今夜、聖墓に行きます」


 そんなアルマンの言葉のもと、現在リーエは彼と一緒に聖墓へと繋がる通路にいた。

 ものすごく真剣な顔で言われたので、何か考えがあるのだろうとロクに理由も聞かずにリーエは二つ返事で応じたが、ある重大な事実をすっかり失念していた。


「……これ、ぜんぶ上るのか……」


 聖墓まで至る石段は、とてつもなく長いのである。

 しかも、今回はいつもと違って“上り”だ。こんなのもう絶対しんどい。


「すべて上りきる必要はありません。途中までです」

「途中までって、半分くらい?」

「……まあ、九割ほど上った先ですね」

「…………」


 “それってほぼ全部では?”とリーエは言いたくなったが、口にしても辛くなるだけなのでやめた。

 もう三度は下った石段だ、上れないということもあるまい。そう覚悟を決め、リーエは補佐官と一緒に上り始める。


 二人分の分厚いブーツの足音が、通路内に響く。


「ねぇ、すごい今更なんだけどさ、勝手に聖墓に入ってもいいの? 怒られない?」


 一応この場所は、限られたごく少数の者しか入れない聖域ではなかったか。外にいた衛兵に咎められることはなかったが、こんな思い立ったが吉日みたいなノリで来てもいいものなのだろうか。


「正当な理由なく聖墓へ入るのは重罪です」

「えっ」

「俺たちは今、“女神の力が満ちるこの場所で鍛錬し、光整者としての力をより強化する”という名目でここへ来ています」

「……私、今から鍛錬するの?」

「しません」


 じゃあ一体何をするんだ、と目だけで問い掛ければ、隣の補佐官も承知した様子で続けた。


「光整者ハインの手記を読みに行きます」


 久方ぶりに耳にしたその名に、リーエは目を瞬く。

 ハインといえば、二百年前に選ばれた先代の光整者である。アルマンの生家であるディレイン家の出身で、彼と同じ黒髪に朱い目。

 それから瀕死だった兵士を涙で救ったという逸話があって、四つ目の最後の不聖脈を浄化しないという選択をしたことがある。けれどその出来事は記録のどこにも遺されておらず、唯一記述があるのがハイン本人の手記だけである――リーエが彼について知っているのは、ざっとこんなところだ。


「ハインの手記は、この聖墓内に保管されています。特別な保管場所を彼自身がつくり出したのです」

「つくり出した? ハインが?」

「はい。彼の光整者としての能力は、物体に女神の力を注ぎ込むことでした」


 数百年に一度、大地に悪いものが溜まるので、女神がそれを浄化してくれる人を選ぶ。選ばれた者はその証として身体が光り輝く。この点はどの時代の光整者においても共通している。


 ただし、与えられた女神の力がどのような能力として発現するのかは、人それぞれ違いがあるらしい。

 例えばリーエの場合は、照らすだけで魔物を消し去ることができる凄まじい全身発光がその能力に該当する。歴代の光整者も淡く発光してはいたが、ここまでの光量と力はなかった。


 そして光整者ハインは、武器や道具、建造物に至るまで、女神の力を込めることができたのだという。


「彼が手を加えた武器や道具は、通常ではありえないような性能を発揮したそうです。この聖墓自体も、二百年前に彼が手を加えた(改築した)建物です」


 不聖脈浄化の後、地の巡りによって光整者が聖墓に運ばれてきたことが外に伝わる謎システムも、彼の能力のおかげらしい。すごすぎる。


「以前にも話しましたが、彼は手記の中で不聖脈はただの魔素の塊ではないと述べていた」


 四つの不聖脈は“地の巡り”を使って繋がっている。光整者の手によって、一つ二つと消し去られていくたび、そこで得た情報は残りの不聖脈へと引き継がれていく。

 その様はまるで、同胞の浄化()によって学習し、今度こそ浄化されまい(殺されまい)と変化する生き物のようだと。


「今まで浄化した二つと今回の不聖脈の違いは、攻撃の対象が絞られていたことです」

「対象……私とアルマン補佐官に向けた攻撃だったってこと?」

「そうです。広範囲で無差別的だった一つ目の不聖脈と比較しても、今回の三つ目は貴女に特化したやり方に変えてきている」


 確かに言われてみれば、罠を使ってきたり、鳥型魔獣が陽動役と襲撃役に分かれていたり、リーエの姿を真似て精神攻撃をしかけてきたりと、“風塵の谷”の不聖脈には妙な小賢しさがあった。

 遺跡の壁一面に張りつく魔獣、魔素のどしゃぶり矢――数の暴力だった今までとは明らかに違う。


「光整者ではない俺を殺そうとし、人型魔獣が貴女の姿をとったことも気がかりです。……ハインの手記を読み直すことで、次の四つ目の不聖脈の動きが分かるかもしれません」


 だから急ぎ今夜聖墓に来たのだと、アルマンは言い加える。時間帯が昼ではなく夜になってしまったのは、さっきの鍛錬がどうとかいう建前を偉い人たちに押し通すのに奮闘していたからだろう。まあ月夜に聖墓へ肝試しというのも悪くない。


「アルマン補佐官は前にも行ったことがあるんだよね?」

「ええ。成人する前、教育係に連れられて行きました。たとえ想定していた形で実を結ばずとも、備えた知識は決して裏切らないから、と」

「…………」

「まるで俺が光整者になれないかのような言い方が、やけに(かん)に障ったのを覚えています。ならば誰よりも詳しくなって必ず光整者になってやると、嫌いだった座学にも身が入るようになって……結局、()()の手の上でいいように転がされていただけかもしれません」


 それは、自嘲の言葉にしては、随分と声が穏やかで親しみが込もっていたように思う。

 隣を歩く男の顔が少しだけ(ほころ)んでいる。それを横目に見て、リーエはふと思いついたことをそのまま口にした。


「……アルマン補佐官が、数百年後もずっといればいいのにね」

「……俺は不老不死ではありませんが」

「ちがうちがう、そうじゃなくて。なんて言うか……私の次の光整者にも、その次にも、アルマン補佐官みたいな存在が側にいればいいのに、っていう……」


 説明が難しい。どう言えば伝わるのか。

 朱い瞳が興味深そうにこちらを見下ろしているので、「やっぱ今のなし」と話を切り上げることもできず、たどたどしくも何とかリーエは言葉を紡いでみる。


「……私はきっと、運がよかった。周りに恵まれて、何より貴方がいつも隣にいてくれた」

「…………」

「誰より光整者や不聖脈に詳しくて、危険に怖気付いてたら活を入れてきて、一緒にその危険の中に飛び込んでくれる……貴方は私にとっての(しるべ)だった」


 “風塵の谷”で、底の見えない真っ暗な穴に飛び込もうとした時。本当は怖くてたまらなくて、全身の震えが止まらなかった。自分の考えが正しいのかも分からなくて、死ぬかもしれない恐怖に挫けそうになった。

 けれどもしあの場にアルマン居たなら、容赦なく「貴女が決めろ」と()えてきて、一緒に飛び込むだろうと思えたから。だからあの時リーエは地面を蹴ることが出来た。


「でも次の代や、またその次の代の光整者も私みたいに運がいいとは限らない。どう進めばいいか分からなくなって、途方に暮れてしまうこともあるかもしれない」

「…………」

「だから、そういう時に何か手助けになるものがあったらいいのになって、思ったというか……」

「…………」

「……まあその、とりあえずそんな感じの意味! 伝わった?」

「……はい」

「よし、ならもう行こう! さあ行こう!」


 アルマンが頷くのを見届けて、リーエは無理やり話を終わらせ歩調を早める。段々と話しているうちに照れ臭くなってきたからだ。

 何でも頭に浮かんだことをホイホイと口に出すもんじゃない。アルマンと離れすぎない数歩先を保ちながら、リーエはこそばゆい羞恥にとらわれる。


 だからその小さな背の後ろで、己の補佐官が何か天啓を得たような、視界が開けた珍しい表情をしていたことには、彼女は気づかなかった。


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