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第七話


「……エ、リーエ、リーエ!」


 自分の名を呼ばれて、リーエはハッと顔を上げた。

 市場の雑踏の中、白いひっつめ髪に丸眼鏡の女性がこちらを見下ろしている。彼女の顔を見るのはもう随分と久しぶりな気がして、リーエは呆気に取られて呟いた。


「……院長先生?」

「リーエ、いくら眠たいからといって道端で寝るのはおやめなさい」

「えっ、わたし寝てた?」

「ええ。危ないでしょう、まったく」


「聖堂での居眠りが抜けていないようですね」と院長は呆れた声で続ける。そういえば今は聖堂からの帰り道だったなと、リーエは何故か当たり前のことを思い直す。


 いつも通り聖堂の美しい天井画を見てお祈りをして、院長の眠たい話をうとうとしながら聞いて、そのまま孤児院へと帰る……前に、院長が市場に用事があると言うので、その寄り道の最中だ。


 はぐれないようリーエの小さな手を引き、スイスイ器用に市場の人混みを進んでいく後ろ姿に、リーエはふと思いついた言葉を投げてみる。


「ねぇ、今日は果実水買ってくれる?」


 実は前に一度、この市場で院長に果実水を買ってもらったことがあるのだ。眠気覚ましに飲んだそれは冷たくて甘くて、リーエは無意識に唾を飲み込んだ。


「…………」


 リーエの問いかけに、前を歩く院長は答えない。そのまま振り向くこともなく、(うつむ)いて立ち止まってしまった。


「院長先生?」


 おかしい。これが()()()()()光景なら、ここで院長が振り向いて、「まったく、そんなに眠いのですか」と言いつつもまた果実水を買ってくれたのに。


「……(いや)しい女」

「え?」

「親も死んだ、育ての親も死んだ、もう他には何もない。特別な女神の力しか縋るものがない」

「な……、ぐっ⁉︎」


 これは院長の声ではない――そう思った瞬間、リーエの首にものすごい力がかかった。


「居場所がほしい、誰かに必要とされたい、役に立ちたい。だから光整者になった。たとえ別の誰かから奪う形になったとしても、力が劣るのだとしても」

「あ……なた、は……」


 自分と同じ顔をした女に、首を絞められている。

 喉を圧迫されて上手く言葉が出ないのに、どうしてか頭だけは嫌に冴えていて、女が何を言っているのか理解できる。


この役目(光整者)を、誰にもとられたくない」

「ぅ、あ……!」

「だからアルマン補佐官なんか、いなければいい」

「ち、……が、う、」

「アルマン補佐官を殺して――」

「そ、れはっ、……ちがう! ぜっ、たいに!」


 この女はリーエのようでいて、リーエではない。

 己の首に回っていた手を掴み、思いきり爪を立てて引き剥がす。

 腹の底から湧き上がる激しい怒りに身を任せ、声を荒げた。


「――私の顔で、勝手にアルマン補佐官のこと喋らないでよ!!」


 視界がチカチカと鮮烈に輝いて、急速に意識が浮上する。リーエの全身から放たれた光が、彼女の首に回っていた女の腕を灼き尽くした。


「げほっっ! ゴホゴホッ! はぁ、はぁ……!」


 肺へと空気が巡る感覚に、リーエは咳き込み目を覚ます。先程までの市場の景色はどこにもなく、辺りにはゴツゴツとした岩壁しかない。


(っ、さっきまでのは夢? ここは……)


 深い谷底へと至る途中の、横穴といえばいいのだろうか。ちょうどリーエが寝かされていた場所の真後ろに、ポッカリ大きな真っ黒い穴が待ち構えていている。底が見えない、落ちたらまず間違いなく死ぬだろう。


 深い呼吸を繰り返していくうち、段々とリーエは自分の置かれた状況を思い出してきた。

 砦の屋上でアルマンを庇って、そのまま鳥型魔獣に攫われたところまでは覚えている。そのあと意識を失ったのだ。


 自分の身体を見下ろすと、身につけていたはずの甲冑は兜と腕の部分が外れてなくなっていて、胴の部分のプレートは大きな爪痕で傷だらけになっていた。


「……ねぇ、今日は果実水買ってくれる?」


 夢で自分が言った台詞と同じものが聞こえて、リーエは弾かれたように声の方を見た。身体から出る光が横穴の奥を照らす。


 ゆらりと、両腕のない光る人影がこちらへと歩いてくる。腕は元からないのではない、先程のリーエの光で消し飛んだのだ。

 両方の肩口から黒い塵が漏れ出て、身体の輪郭が(おぼろ)になっているその様子は、濃霧の森で見た人型魔獣のものとよく似ていた。


 けれどその姿形は、彼らと同じ黒いのっぺらぼうではない。肌も手足も完全に人と変わらない――リーエと全く同じ容姿をしている。


「……あんたね、さっきまで私の首を絞めてたのは」


 痛む身体を叱咤して、女を睨みつけながら距離を取る。といっても後ろは崖っぷちなので、ほんの数十センチ移動しただけだ。

 ゆらゆらと近づいてくる女が恐ろしくて、背中に冷や汗が伝う。それでも唇を噛み締めて、必死に自分へ言い聞かせる。


(落ち着いて、落ち着くの。考えて、よく見て)


 自分が瀕死の状態なのに、自分の心配よりも先に周囲の安全確認をしろと(のたま)う、どこかの無愛想な補佐官を少しは見習わなくては。


 迫る女の後ろへと、リーエは目を凝らす。

 女の他に鳥型魔獣が一体、横穴の奥にいる。両翼揃っているのでリーエが撃ち抜いた個体ではない。おそらく最初から鳥型魔獣は二体いたのだ。一体が砦を襲って、もう一体がこの人型魔獣を乗せてリーエを攫った。夜闇に紛れて気づくことができなかった。


 砦の時とは打って変わって、鳥型魔獣がこちらを襲ってくる素振りはない。弱っているのか、機を伺っているのかは分からない。


(……そもそも、なんで私をここに運んだの?)


 単に殺すことが目的ならば、獲物を高所から落とせばいいだけの話だ。それこそ、たった今リーエの真後ろにある深い穴に突き落としてもいい。

 にもかかわらず、目の前の魔獣達はわざわざリーエをここまで運んで、首を絞めて直接手をかけようとした。……リーエを()()()()()、この穴の中に落とそうと思っていた?


(たぶん、この場所が特別なんだ)


 魔獣達にとって特別な場所、そんなもの一つしかない――不聖脈だ。

 ここはきっと、不聖脈がある“風塵の谷”の底だ。


 もしこの予想が正しいのなら、リーエを直接穴に突き落とさずにわざわざ首を絞めて殺そうとした理由は分かった。

 リーエが生きたままこの穴に入って、中にある()()に触れると都合が悪いのだ。――ならば、


 くるりと女に背を向けて、底の見えない真っ暗な穴と対峙する。

 いつものような、どす黒い霧が集まってできた巨大な球体……ではないけれど、全ての光を吸い込むこの暗さは見覚えがあった。


「……っ、」


 たった一歩踏み出すだけなのに、息がだんだん浅くなる。

 もし予想と違っていたら――ヒュッと喉奥から鳴った音を飲み込んで、リーエは()えた。


「“()が決めろ! いま、ここで!”」


 めいっぱいの叫びが響くと同時に、地面を蹴る。

 そうしてリーエは真っ黒な穴の中に飛び込んだ。

















 ◇


 次に目を覚ました時、リーエは王城の一室に居た。

 断片的にだが、王城に来るまでのことは覚えている。


 “風塵の谷”の底にある不聖脈に触れるべく、一か八かで穴の中へと飛び込んで、無事に聖墓へと運ばれた……ここまではいつもとあまり変わらない。


 そこからリーエ達の不聖脈浄化に備えて聖墓で待機していた大司教とその護衛らに保護され、今に至る。ちなみに聖墓に大司教達が控えてくれていたのは前回の浄化作戦で案じられた「浄化した後もし瀕死の状態で誰もいない聖墓に運ばれたらやばくね?(要約)」問題に対応してもらった結果である。


 そうして王城のいつもの客室で一日ぐっすり身体を休めた後、現在リーエは大司教から見舞いという名のお説教を受けていた。


「……今回のことは本当に肝が冷えました。ボロボロの状態で貴女が聖墓に現れた時、どれだけ焦ったことか」

「……はい、ごめんなさい」

「加えて一時意識を取り戻したかと思えば、“これってまた夢じゃないよね? もう首絞めてこないよね?”と仕切りに私の手をつねり始めますし」

「その節は、本当に……」

「夢かどうかを確認する際は、ご自分の頬や手をつねるようにしてください」

「以後そうします」


 部屋備え付けのふかふかソファに向かい合い、相変わらずの目隠し(ベール)姿の大司教に対し、リーエは神妙な顔で頷きを返す。

 もうかれこれ五分ほど、聖墓で大司教の手をつねったことで叱られている。そんなに痛かったのだろうかと申し訳なくなって、もう二度と偉い人の手はつねらないとリーエは心に誓った。


 それから一言二言交わした後、大司教は懐から懐中時計を取り出し、(おもむろ)に席を立った。


「さて、まだまだお話ししたいことはありますが……時間も時間ですし、私はそろそろ失礼します」


 リーエも彼に(なら)って席を立ち、部屋の扉まで見送りについて行く。シワの深いその手が戸にかかったところで、リーエは「大司教様」と彼を呼び止めた。


「おや、どうかしましたか」

「……あの、アルマン補佐官はどうしてますか」


 目覚めた時からずっと尋ねたかったその問いを、ようやくリーエは切り出す。本当は気になって気になって仕方がなかったのに、なかなか踏ん切りがつかなくて()くことができなかった。

 目を伏せ気まずげなリーエの様子を眺め、大司教は少し考えるような素振りをした後、深刻そうな口調で告げる。


「……アルマンですか。報告によると、貴女が鳥の魔獣に攫われた後それはそれは怒り狂い、手のつけようがないほど暴れ出し……そうなほど、ものすごい形相をしていたそうです」

「ものすごい形相」

「貴女を助け出すべく砦で指揮を取っていたようですが、無事に貴女が聖墓へと戻ってきた伝令を受けて、そこからすぐに王城へと発ったので、つい一時間ほど前に帰ってきていますよ」

「え……えっ⁉︎」


 予想外の知らせに大いに狼狽えるリーエをよそに、いけしゃあしゃあと老人は懐中時計を確認し、なんでもないように続ける。


「今日この時間にリーエ様とお会いすることは事前に彼には知らせていますので……。そうですね、もうすぐここに来るかと」

「なんで⁉︎」

「――俺がそう頼んだからです」


 聞き馴染んだ低い声がいきなり会話に参戦してきて、リーエの肩はこれでもかと飛び上がる。本気で心臓が口からまろび出るかと思った。

 ぎこちない動きで声がした方を見ると、大司教が開いた扉の外に、ものすごい形相をした男が立っていた。まるでそう、それはそれは怒り狂って手のつけようがないほど暴れ出し……そうな顔だった。


「リーエ様、アルマン、それでは私はこれで」


 場をかき乱すだけかき乱し、しれっと大司教は去ってゆく。そして彼と入れ替わるようにしてアルマンが入室し、パタンと軽い音を立てて扉が無慈悲に閉まった。


「…………」

「…………」


 数秒前まで目まぐるしかった部屋に沈黙が訪れる。

 とりあえず何か言わなくてはとリーエが意気込んだ矢先、アルマンが無言でズンズンとこちらへ勇み歩いてきた。


「あのさ、えっと……おわっ!」


 言い切る前に大きな身体が目の前まで迫って来て、次の瞬間リーエは抱きしめられていた。

 背中に回された男の両腕が、彼女の存在を確かめるようにして()(いだ)く。


「…………無事で……」


 無事でよかった。それはほとんど声にならない(かす)れた呟きだったが、確かにリーエの耳に届いた。

 きっと急いで来たのだろう、砂と埃混じりの彼の匂いがする。こんな風に触れ合うのは“濃霧の森”の時以来だが、あの時よりもずっと胸の奥が切なく苦しくて、温かい。


「アルマン補佐か――っ⁉︎」


 ドキドキ跳ね高鳴る心臓を(こら)え、リーエもゆっくりとアルマンの背に手を回そうとした途端、今度はいきなり両肩に手を置かれたかと思うと、ベリッと容赦なく身体を引き剥がされた。

 突然のことに目を白黒させるリーエをよそに、すっかりいつもの無愛想なすまし顔に戻っている補佐官が彼女を見下ろす。


「…………」

「……アルマン補佐官?」

「すみません、少し取り乱しました」

「え」

「それより怪我の具合はどうですか」

「け、怪我?」

「打ち身や擦り傷があったと聞いていますが」

「あ、それはもう大丈夫……その、はちゃめちゃ元気百倍っていうか……」

「そうですか。ならいい」


 おかしい。ほんの数秒前までリーエは目の前の男にこれでもかと抱きしめられていたはずなのに、なぜ今「はちゃめちゃ元気百倍」などとすこぶる色気のない言葉を吐く羽目になっているのか、理解がまったく追いつかない。


 ただひとつ分かったのは、鉄仮面の男の両耳が赤く色づいていて、彼にもちゃんと恥じらいという感情があったということぐらいだった。


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