第六話
それから少しして、兵士の怪談まがいの目撃談を聞き終えた後。
食堂を後にしたリーエ達は、ひとまずアルマンの部屋で今後について話し合うことにした。
砦内に用意された簡素な一室で、木製テーブルに二人向かい合って腰掛ける。「さっき怖がらせたお詫びに」と食堂で兵士からもらった干し肉を、行儀よくナイフで切るか雑に手で引きちぎるか、どう半分こにしようかとリーエが首を捻ったところで、先程からずっと黙って考え込んでいたアルマンが口を開いた。
「あの兵士が見たのは、おそらく人間ではない」
目の前の男が早速本題を切り出し、リーエも干し肉を引きちぎろうとしていた手を止めて彼を見る。
「人間ではないって……まさか、ぼ――」
「亡霊でもありません。彼が見たのは、人型をとった魔獣です」
アルマンの言葉に、リーエは前に“濃霧の森”で見た人型魔獣のことを思い出す。
おぼつかない足取り、だらんと垂れた両腕、目も鼻も口もない全身真っ黒な出立ち。なにも無かったはずの手から黒い矢を生み出し、こちらに狙いを定めて矢を番えたあの姿は、今でもリーエの脳裏に焼きついている。
確かに真夜中に遠目であの姿を見れば、人間だと勘違いしなくもない……とは思う。しかし今回兵士が見張り塔で見たのは女性だ。しかも薄ぼんやりと身体が光っていたというから、詳細は分からずとも流石に体格の違いは分かるだろう。
「いくら夜で視界が悪くても、あの真っ黒棒人間を女の人と見間違えるのは無理がない? 結構上背あったよ」
「ええ、俺もそう思います。だがもし、あの人型魔獣が試作段階のものだったとしたら?」
そう言って、アルマンはリーエが手の中で放置していた干し肉をつまみ取る。そのまま懐からナイフを取り出し、干し肉を切りながら話を続けた。
「濃霧の森で、不聖脈の周りに居た人型魔獣を覚えていますか」
「うん、覚えてる。めちゃくちゃ怖かったから」
腕や足が三本あったり異常に長かったりするもの、身体の半分だけが異常に大きいもの、頭部だけ獣の姿になっているもの……歪な姿をした無数の人型魔獣が、どす黒い巨大な球体を囲んで蠢いていた。
「あの人型魔獣達は……姿をより人間に近づけるために不聖脈が試行錯誤した残骸です」
ぷつん、と乾いた肉の切れる音がアルマンの手元からした。
「そして、その人型魔獣を生み出すための情報は残りの不聖脈へと受け継がれ――ついに人間と非常によく似た魔獣を生み出すことに成功した」
「……それが、兵士の人が見た光る女の人?」
アルマンは頷き、綺麗に切られて半分になった干し肉のうちの一つをリーエの手に戻した。
「ただ、どうしても腑に落ちない点があります。不聖脈が精巧な人型魔獣を作り出せたとして、なぜ今回のような姿をとっているのか」
戦闘力だけで考えるならば、非力な女より屈強な男の姿の方がいい。その一方で、相手を油断させて不意をつくつもりならば、屈強な男ではなく女の姿をとっているのは理解できる。だがその場合、どうして身体を光らせているのかが分からない。不意をつくなら目立たないに越したことはないはずだ。
「……なんか、わざと目立つ真似をして、誰かに気づいてもらうのを待ってるみたいだね」
切ってもらった干し肉を味わいつつ、リーエは頭に浮かんだことをそのまま呟く。すると、それを耳にしたアルマンがはっとした表情になった。
「っ、そういうことか!」
「えっ、どういうこと⁉︎」
どうやら何気ない一言で閃きに貢献できたらしいが、リーエには皆目見当がつかない。ごくんと干し肉を飲み込み、続きを尋ねようとしたその時だった。
――カンカンカンカンカン!!
見張り塔の鐘の音が、突然として鳴り響く。
リーエ達が席を立つのとほぼ同時に、部屋の中へ兵士が飛び込んできた。
「おい大変だ! 砦の上にデカい魔獣が!」
「魔獣⁉︎ すぐ行く!」
「屋上に行ってくれ! 右の階段から上がれる!」
部屋に近い階段の方向を指差した後、兵士は「俺は他の奴にも知らせてくる!」と言い去り大慌てで駆けていく。リーエも彼に倣って急ぎ部屋を飛び出そうとしたのだが、そうもいかなかった。
彼女の腕をアルマンが捕らえたからだ。
『説明してる暇はない。とにかく貴女は待機だ』
『危険なら、なおのこと貴女みたいな足手まといを連れて行くわけがないでしょう』
リーエの脳内に、過去の記憶が蘇る。
まさかこの期に及んで、また待機とでも言い出すのではなかろうか。身構えたリーエが何か言うより先に、アルマンは告げた。
「約束してください。決して無茶をせず、俺の側を離れないと」
予想外の言葉に、リーエは反射的に顔を上げた。
以前の憎悪や苛立ちに満ちたものとは違う、怖いくらいに真剣な朱い眼差しと視線がかち合う。
「もう既に俺達は敵の罠にかかっています。人型魔獣が光る女の姿をとったのは、貴女を誘き寄せるためだ」
特殊な状況に置かれている人間が、ある日自分とよく似た状況にある他人を知って、関心を持たないはずがない。「事実、今回の話を聞いた俺は、こうして貴女を砦まで連れて来てしまっている」と、アルマンは苦悶の表情を浮かべて続けた。
「しかし、だからといって今さら待機するように貴女へ言っても、絶対に大人しくなどしていないでしょう」
何だかリーエがものすごく落ち着きのない人間だと言われているようにも聞こえるが、不思議と不快ではなかった。
きっと彼は後悔しているのだろうなと思う。けれどその上で、その後悔を受け入れて、リーエと正面から向き合おうとしてくれている。
「危険でも行くと言うならば、せめて約束してください。光整者リーエ」
誰かにこんなにも心を注いでもらえることが、これほど心震えるものだと思わなくて、酔いしれそうになる。
きっと自分は、危険が迫った時に真っ先にこの人を守ってしまうと、約束に反することを否応なく悟ってしまう。
「……わかった、約束する。私も貴方を守るよ」
だから、どちらともとれるズルい答え方をした。
リーエが頷いたのを確認して、アルマンは彼女の腕を自由にする。どうやら上手く誤魔化せたらしい、この時ばかりは兜で顔が見えないのに感謝した。
「急ごう、さっき屋上へ行けって言ってた!」
これ以上の長居は無用だと、リーエは部屋を出るべく身を翻す。そのままアルマンと一緒に、砦の屋上まで一気に階段を駆け上がった。
甲冑のままの全力階段ダッシュで心臓と肺が潰れそうになったが、それでもなんとか上がりきり、満点の星空の下に躍り出る。
息苦しさに思わず兜の面頬を上にずらして顔を晒すと、遮るものがなくなった光が夜空に一筋のびた。
夜の海を照らす灯台よろしく天を仰いで辺りを見回すと、先に屋上にいた別の兵士が西の空を指差す。
「見ろあそこ! 馬鹿でかい鳥の魔獣がいる!」
“鳥”と言うにはサイズにまったく可愛げがないが、確かに鳥の姿をした魔獣が砦の上を旋回している。
漆黒のその羽毛は闇に紛れやすく、月明かりのおかげで位置は分かるが細かいところまでは見えない。
「矢は⁉︎」
「駄目だ! 暗いし距離がありすぎて届かねぇ!」
「な、なぁ、誰か鳥に乗っかってねぇか?」
「馬鹿言え、あんなのに乗ったら振り落とされちまうだろ!」
忙しなく飛び交うアルマンや兵士達の会話を尻目に、リーエは激しい既視感に襲われていた。前々回、一つ目の不整脈の時もこんな風に、何か暗くて遠い場所を自身の顔から出る光の筋で照らしたのを覚えている。
確かアルマンに待機していろと置いて行かれた後、遺跡の方をリーエは見ていたのだ。遺跡は大量の魔獣で真っ黒に埋め尽くされていて……ただ、リーエの光の筋が当たっている場所だけは、魔獣の層が薄くなって動きも鈍くなっていたはずだ。あれはきっと、遠くからでも魔獣をある程度灼き払うことができていたのだろう。
通常の光量でそうならば、もっと光量を強くして狙いを定めたらどうなるだろうか。
「――アルマン補佐官!」
息吐く間も無く方々に指示を発する己の補佐官を呼ぶ。周囲を警戒して睨んでいた彼の視線がすぐさまこちらに向き、リーエは声を張り上げた。
「あの魔獣、私が顔で撃ち落とす!」
「は……⁉︎」
「だから協力して!」
アルマンはわずかに目を見張った後、すぐに気を取り直してリーエの隣に並び立った。後ろで兵士達が「顔で?」「顔で?」「美しさで殺すってことか?」とザワついていたが、今は構っている時間はないので一旦無視だ。
リーエは今から自分がやろうとしていることをアルマンへ簡潔に伝えた。
「……――それで、アルマン補佐官には何とかしてあの魔獣の気を引いてほしいの。撃ち落とそうにも今のままじゃ狙いがつけられない」
「分かりました。こちらにも一つ考えがあります」
アルマンは頷き、砦のそこかしこに焚かれた松明を見やる。
「不聖脈から生み出される魔獣には、強い光に反応する習性がある。天敵である貴女が、全身から凄まじい光を発するからだ」
言われてみれば、前回の“濃霧の森”でも人型魔獣の弓矢はリーエばかりを狙っていた。あれも光に反応していたのだろう。
「あの鳥魔獣がまだ襲ってこないのは、おそらく貴女を正確に捉えきれていないためでしょう。甲冑で身体の光を抑えている今は、貴女は砦の灯りに紛れることができている」
そう言って、アルマンはリーエの兜へ手を伸ばし、上げたままだった彼女の面頬をカションと軽く下げて元に戻した。
兜の隙間越しに見上げた補佐官が、不敵に笑う。
「ヤツの気を引きたいのならば、今の貴女を凌ぐほどの強い光を作ればいい」
◇
「補佐官殿! 人形の準備、完了しました!」
アルマンの指示の下、砦の屋上に一体の藁人形が運び込まれる。
燃えやすいようにと油をたっぷり染み込ませ、丸太に磔にされた大人一人分くらいの大きさの稾人形は、つい数時間ほど前にも見た覚えがあった。
「俺の力作があぁぁ!!!」
「よし、着火!」
「は!」
これまた見覚えのある兵士が傍らで咽び泣くのを尻目に、容赦なく人形に火がつけられる。やはりあの藁人形は食堂で見た怪談演出の一部で間違いないらしい。
えげつない活用方法だが、油のおかげか人形は瞬く間に燃え上がった。
暗い砦の屋上で、闇夜を焼き尽くすその力強い光は一際目立つ。それは上空も例外ではなく、先程まで砦の上を旋回していたはずの鳥魔獣の動きが変わった。
翼の向きを固定し、一気に風を切り裂いていく。
熱く光り輝く天敵へと狙いを定め、急降下するその様を、リーエはちょうど人形の影になる場所から注視していた。
(まだ……まだ……)
甲冑の下、身体中の光が増していくのを感じる。
だが全身から光を発するだけでは駄目だ。光が四散して、あの大きさの魔獣は一瞬で灼き尽くせない。
身体の一点に極限まで光を集めて、撃ち抜くしかない。そんなこと今までやったこともないが、やるしかない。
(もうちょっと……)
光を撃ち放つなら顔面からだ。見るだけで勝手に照準が合う。
何より、今まで何度も己の補佐官に目潰し攻撃を仕掛けてきた確かな経験がリーエにはある。
(――ここ!)
瞬間、思い切り面頬を上げる。
白き柱の如く眩い光が、魔獣の片翼を撃ち抜き風穴を開けた。
――ギィエエエエ!!!!
「すげぇ! 当たった!」
「砦の外に落ちてくぞ!」
耳をつんざく魔獣の絶叫に、兵士の歓声が交じる。
リーエは面頬を再び下ろし、息を深く吐いた。一瞬だけ兜の中の景色が真っ白に染まった後、いつも通りの光量に戻っていくのを感じる。
暗さに慣れてきた視界でアルマンを探すと、彼がこちらに駆けてきているのが見えた。
無事に成し遂げた余韻に包まれながら、リーエも彼の方へと足を向ける。
「アルマン補佐か……、っ!」
ふいに、ぞっと背筋が凍るような感覚に襲われる。
あの時と同じだ。濃霧の森でアルマンが自分を庇って、人型魔獣に射抜かれそうになったあの時と。
これは多分、殺意の感知に近い。まだ誰も気づいていない。リーエだけがこの恐ろしいほどの死の気配に気づいている。光を強くするのでは間に合わない。
そう判断するが早く、リーエの足は地面を蹴っていた。
「逃げて!」
あと少しの距離まで近づいてきていたアルマンを、ありったけの力を込めて、体当たり同然で突き飛ばす。
驚いた彼の表情を見るより先に、リーエの身体は大きな鳥爪に掻っ攫われていた。
「――リーエ!!」
アルマンの絶叫が、ごうごうと吹く風の音に掻き消される。あっという間に砦の屋上が小さくなった。
その急激な上昇負荷に身体が耐えきれず、次第にリーエの意識は黒く暗く塗りつぶされていった。