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第五話


 不聖脈の浄化から二日後。


 その日のリーエは王都の一画にある聖堂の中に居た。

 規則正しく並べられた長椅子の一番後ろに腰掛け、緻密に描かれた天井画を見上げてみる。壁上の窓からは外の光が差し込み、天井からこちらを見下ろす美しく大きな女性の画が柔らかく照らされていた。


 微笑む彼女の顔をしばらく眺めた後、リーエは視線を下に戻す。(うつむ)いた視界に入ってきた自身の両手は、まだ光り輝いてはいない。

 前回は一日経たずに身体の光は戻ったが、今回まだ光は戻っていなかった。森で矢を防ぐために光量を強くしたことで、女神の力の回復に時間がかかっているのだという。


 数日あれば元に戻るだろうという補佐官の見立てのもと、現在リーエは久方ぶりの休暇を堪能していた。昨日は王城の与えられた客室で泥のように眠り、今日は外に行くかとこの聖堂まで足を延ばして、今に至る。


「おや、リーエ様。こちらにいらしたのですか」


 不意にそう声をかけられて、リーエは顔を上げる。腰掛けていた長椅子のすぐ側に、目隠し(ベール)をつけた小さな老人――大司教が何故か立っていた。


「うわっ、大司教様、なんでここに?」

「そんな亡霊でも見たような反応をされると、少々傷つきますね。ああ、隣に座っても?」


 本当に傷ついた人ならば、失礼な反応をした相手の横にわざわざ座りたがらないような気がする。そんなことを思いながらも、とりあえず断る理由もないのでリーエはどうぞと頷く。長椅子の右隣がほんの少し軋んで、重みがかかる感覚が伝わって来た。


「……大司教様に会うと、すぐにでも身体が発光し始めるような気がするんですよね。ほら、前も面会中に光が戻りましたし」

「ただの偶然ですよ。私にそんな力はありません」

「じゃあ何で今日も目隠しを着けてるんですか?」

「お洒落です」

「絶対うそ!」

「ホッホッ」


 息吐くように嘘をつき、隣の老人はなんとも愉快そうに笑う。といっても目元は見えないので声と口元だけで判別するしかないのだが。


「というか、本当にどうしてこんなところに居るんですか? お仕事?」

「視察ですよ。近く祭事でこの聖堂を使う予定なので」

「へぇ、大司教様でも視察とかするんですね。勝手な想像ですけど、そういうのは部下の方がするのかと思ってました」

「この聖堂の天井画は見事ですから。直接目にしたかったのです」


 そう言って、大司教は天井画を見上げる。リーエも彼に(なら)って背もたれに身体を預け、もう一度天井画を見つめてみる。


「リーエ様は、どうしてこちらに?」

「……うーん、なんとなくです。懐かしくなって」

「“懐かしい”、ですか」

「この聖堂、小さい頃は毎月お祈りに来てたんです。お世話になってた孤児院の院長が信心深い人で、よく連れて来てもらってました」


 白髪頭に丸眼鏡がよく似合う、いつも落ち着いている知的な人だった。ここで天井画を指差して、女神にまつわる色んな話――人は死ぬと身体は地に還り魂は女神の元へゆくのだとか――を教えてくれたが、いつもリーエは最後まで聞いてられなくて途中で眠ってしまっていた。「まったくこの子は」と呆れながら、眠気覚ましに市場で冷たい果実水を買ってくれたことが何度かあって、それがとても美味しくて、随分と嬉しかったことをよく覚えている。

 数年前、リーエが十六歳で成人して孤児院を出るのを見届けた後すぐ、眠るように息を引き取ってしまって、もう彼女はいない。


 昔より少しだけ色褪せた、天井の美しく大きな女性の画――女神の画を眺めて、リーエは静かに尋ねた。


「……大司教様は、どうして私が光整者に選ばれたと思いますか」


 育ての親に聞かされた沢山の神話より、ほんの数回だけ買ってもらった果実水の味の方をはっきり覚えているような女だ。少なくとも信心深さで選んだわけではないだろう。


「そうですねぇ、私はリーエ様が選ばれるに足るお方であったからだと思いますが……この答えは貴女を納得させるでしょうか」

「……いいえ。その理由が一番、あり得ないから」


 脳裏に浮かぶのは、朱色の瞳をした無愛想な男の姿だ。

 リーエは彼のように深い知識もなければ、頭も良くはない。光整者に選ばれた後すぐ、一通り剣やら弓やらは試したが、武芸の才能も体力もない。馬に乗るのだって未だにへっぴり腰だし、乗馬中に槍を使って飛んできた矢を弾き返すなんて論外だ。


 アルマンに「足手まとい」だと告げられた時。

 彼に聖墓で膝を折って謝られた時。

 彼が待ち望んでいたものを奪っていたと知った時。

 彼が自分を庇って怪我を負った時。

 彼を守るため身体を輝かせていた時でさえ。

 いつだってリーエは、己の無力さを突きつけられている。


「――でも、それでも誰かに代わってほしいとはもう思えないんです」


 やたらと身体が光り散らしているのも、単騎で魔獣の群れに突っ込んでアルマンに啖呵を切りに行ったのも、彼の助けで無数の矢を潜り抜けたのも、彼が初めて手を借りてくれたのも、これまでしてきた経験全てが、もうリーエのものだから。

 今さら手放すことなど、もうできない。


「私は今代の光整者として、最後までやり切ってみせます」


 橙色の瞳を(きら)めかせ、リーエは高らかに告げる。

 隣でその様子を見守っていた老人は、口元に微笑みをたたえ、ほっと息を吐くように言った。


「……その言葉を聞いて、安心しました」


 そうして長椅子から立ち上がり、白い祭服をふわりと翻してリーエに向き直る。ステンドグラスに透かされた陽射しを背負い、こちらを見下ろす厳かな佇まいは、自然とリーエの背筋を伸ばさせた。


「実は、三つ目の不聖脈に関して貴女にお伝えすべきことがあります」


 何となく、彼が今日この聖堂に来た本当の目的は、視察ではなくこのためだったのだろうとリーエは思う。


「“風塵の谷”に発生していた魔獣が突如として消えたとの報告がありました」

「魔獣が?」


 風塵の谷は王都から西に位置する、次の三つ目の不聖脈の発生場所だったはずだ。魔素の塊である不聖脈には、魔獣の大量発生がつきものだ。それが突然消えたとは、一体どういうことか。


「そしてもう一つ、魔獣が消えたのとほぼ同時期に、谷近くの砦の兵士が身体が発光した人間を目撃しています」

「!」


 予想外の知らせに、リーエは瞠目する。

 大量の魔獣がいなくなって、その代わりに身体が発光する人間が現れた――それとよく似た状況をリーエは嫌というほど知っている。


「どちらも詳細な確認はまだ取れていません。すぐに調査を進める予定ですが、そのことでアルマンから意見がありました。――現地の調査には、光整者である貴女と補佐官の自分が赴くべきだと」

「えっ⁉︎⁉︎⁉︎」

「……驚きすぎです」


 予想外すぎる知らせに、リーエはものすごい勢いで長椅子から立ち上がる。あの補佐官が自分を頼りにして連れていくべきと判断した事実は、それほどまでに彼女にとっては衝撃で、進歩だった。何ならさっきの発光人間が現れた話を聞いた時よりも数倍驚いている。


「……()()()は、揃いも揃ってお互いに心を傾けすぎですね」


 苦笑を浮かべた大司教のその呟きを、残念ながら驚きに支配されていたリーエの脳は適当に聞き流してしまった。以前にもアルマンに注意された悪癖である。


 それからやや緩んでいた空気を仕切り直すように、大司教が軽く咳払いをした。

 そして、確かな重みを声にのせて言葉を紡ぐ。


「光整者リーエ。どうかアルマンと共に調査へと向かってください」





 ◇





 “風塵の谷”は高い岩山に囲まれた、それはそれは深い谷である。

 王国の最西端にあるその場所への道のりは険しく、凸凹道による馬車の縦揺れが半端ない。道中、リーエは歯の根が合わなさすぎて人間カスタネットと化す瞬間が何度かあったが、それでもなんとか目的地である砦には到着した。


 ちなみに五度目のカスタネット化ぐらいで身体の光も無事に戻ったので、リーエはいつもの間接照明甲冑スタイルでの参戦である。


 陽も沈み、ちょうど夕飯の頃に到着したため、砦の大食堂でリーエ達は目撃者である兵士から話を聞くことにしたのだが――


「――これは、俺が実際に体験した話なんですがね。その日、俺は夜の見張り当番でして、いつも通り見張り塔から外を見てたんです。……二時間くらい経った頃でしょうか、一緒に組んでたやつがどうしても(かわや)に行きたいって言い出しましてね。俺は『しょうがねぇなぁ、さっさと済ませて戻って来いよ』つって、ほんのしばらくの間、一人で見張りすることになりました。そしたらね、ふと、遠くの方に何かぼやぁっとしたものがあることに気がついたんです。最近、不聖脈のせいで砦にも魔獣が襲ってくることが何度かありましたんで、こりゃやべぇぞって俺は警鐘を鳴らそうと手を振りかぶったまま、じぃっと目を凝らしました。そしたら……」

「……っ、そしたら?」

「魔獣じゃなくて、全身が光ってる女だったんですよ!!」

「ぎゃぁあ!!!」


 鬼気迫る兵士の声と仕草に、リーエは悲鳴をあげて隣に座っていたアルマンの腕にしがみついた。甲冑とアルマンの肩当てがぶつかって、ガツンととんでもない金属音が響いていたが、今はそれどころではない。

 完全に場の空気にのまれて恐れ(おのの)いているリーエをよそに、隣の男はピクリとも表情を動かさず、不機嫌そうに口を開いた。


「話がくどい上に長い。余計な情報が多すぎる」

「いやぁ、光整者様があまりに良い反応返してくれるもんで……」


 リーエの発光(間接照明効果)によって大食堂が絶妙な薄暗さとなったことも相まって、つい力が入ってしまったと目撃者の兵士は頭を掻く。

 その割にはテーブルの上の毒々しい蝋燭やら、大人一人分くらいの大きさの不気味な(はりつけ)わら人形やら、明らかに過度で意図的な怪談演出がされているように思うが、癪に触るのかアルマンは全ての装飾を無視していた。


「それで、その後はどうした。その者の消息は?」

「それが実は……仲間に知らせようと、ちょっと目を離した隙に消えちまってて……、見張り塔から距離も遠かったんで、顔もよく……」

「…………」


 兜の面頬(バイザー)越しに見てもアルマンの額に青筋が走るのが分かって、彼の腕にしがみついたままだったリーエは無言でスッと離れた。


 先程までのおどろおどろしい話し方はどこへやら、すっかり縮こまってしまった兵士に、リーエは気になっていたことを尋ねてみる。


「ねぇ、そもそも何で光ってるのが女の人だって分かったの? 顔もよく見えない距離だったんでしょ? 背丈とか格好?」

「それもあるんすけど、何より声ですかね。ちょうど光整者様とよく似た声色で、向こうから話しかけてきたんですよ」

「何と言っていたか覚えているか」

「うす、何回も繰り返してたんで耳にこびりついてます」


 内容は意味不明でしたけど、と言葉を付け足して、兵士は続ける。


「“今日は果実水買ってくれる?”って言ってました」


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