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第三話


 不聖脈はまだあと三つあるらしい。

 残りの不聖脈すべてを治し終わるまでは、リーエの全身の光は収まらない。


 前回身体の発光が収まっていたのは一時的なもので、いわばあの状態は女神の力の回復期間だったらしい。ある程度の時間が経てば、自然とあのとんでもない光量に戻るのだという。


 その言葉通り、大司教との面会の最中、リーエの身体の光はあっという間に元の光量へと戻った。それから準備期間を経て、王都を発って約一週間、今日も今日とてリーエは全身のありとあらゆる肌を隠す羽目になっている。首からつま先まで衣服で覆うだけでは飽き足らず、その上から甲冑を身につける、いつものフル装備だ。

 前回同様、馬車の中を淡く照らす間接照明の役目も漏れなく果たしている。


「信じられませんね。不聖脈の残りの数も分かっていなかったなど」


 そして勿論アルマンの冷たい物言いもこの通り健在である。


「聖墓で“地の巡り”について尋ねられた時から不安には思っていましたが、まさかここまでとは」

「……しょうがないじゃない。最初から一気に説明されたって覚えきらんないよ」

「貴女の場合は覚える以前の問題です。とりあえずその場は聞き流し、分からないまま放置して、最後には忘れる、という最悪の頭の構造をしているでしょう」

「ぐっ……」


 ひどい言われようだが、大体その通りなので言い返せない。流石に魔獣の討伐作戦の内容や、陣形やら地形図やらは足りない頭を総動員して前回も今回も覚えているが、それだけではいけないことはリーエも分かっている。

 銀の面頬(バイザー)の下、しょぼくれながら自身の至らなさを反省しているリーエをよそに、アルマンは今回の作戦内容のおさらいを始めた。


「今回の不聖脈は、東に位置する濃霧の森に発生しています」


 “濃霧の森”という名の通り、その森は一年を通してほぼ毎日霧が深く、視界が悪いのだという。

 そのため、今回の作戦はリーエの放つ光を中心にして兵を配置することになっている。光が届く範囲であれば、もし霧の中で魔獣に出くわしたとしても、魔獣が怯んでいるので対処しやすいからだ。


 事前にリーエの光が届く距離や範囲は、アルマンの指示のもと調査済みである。そこらへんは抜かりない。ちなみに光量の調節もできないか試したが、残念ながら抑えることはできなかった。


 その後も諸々(もろもろ)の細かいところをさらっていき、アルマンの説明は滞りなく終わった。

 そのままいつも通りのすました顔で馬車に揺られている補佐官を、リーエはちらりと盗み見る。朱色の瞳がこちらを向いた。


「何か用ですか」

「……ううん」


 ほんの一瞬、大司教からアルマンの事情を聞いたことを打ち明けるべきか迷って、リーエはそうしないことを選んだ。

 ……今はまだ言えない。今のリーエには、アルマンを(しの)ぐほどの、光整者という役目に対する強い想いがまだないから。

 そんな中途半端な状態で彼の事情にずけずけと口を出すのは、無礼なことように思えた。


「…………」


 急に黙って大人しくなったリーエの様子をどう思ったのか、アルマンが眉根を寄せる。ガタガタと道に(わだち)を刻みつけているであろう車輪の音だけが数秒車内に響いた後、彼は口を開いた。


「……言っておきますが、あくまで貴女の役目は“不聖脈を治すこと”、この一点に尽きます。戦闘の役に立とうだとか、皆を助けようだとか、そんなことは無理にしようとしなくてもいい。はっきり言って無駄です」

「む、無駄……」


 少々はっきり言い過ぎではなかろうか。

 思わず顔を引きつらせるリーエに、アルマンは続けた。


「貴女を戦闘で役立たせたり、皆の力にしたりするのは、俺がやることです」

「え?」

「何を驚いているんですか。貴女が前に自分で言っていたでしょう」


 彼がそう言葉を切ったところで、ちょうど馬車も止まる。

 前とは少し違う、挑むような眼差しがリーエを射抜いた。


「貴女を()()()()()()()()()()()のは、俺の役目だ」




 ◇




 あらかじめ聞いていた通り、森の霧は深い。

 それでもリーエから発される光のおかげで、ある程度の視界は保たれている。


 重苦しい鎧を脱ぎ去り軽装となったリーエは、現在森の中腹辺りを馬で駆けていた。

 といっても、実際に馬を操っているのは後ろに同乗しているアルマンだ。ちなみに今回は発光対策の目隠し(ベール)をしっかり身につけているので、前は見えている。


「……少ないな」


 風と(ひづめ)の音に混じって、そんな呟きが後ろから聞こえた。何が()()()のかは、尋ねずとも分かった。魔獣の数だ。

 前回の不聖脈では戦況が逼迫(ひっぱく)するほど大量発生していただけに、今回は魔獣の少なさが目立つ。

 陣形の端の方では魔獣と交戦したとの報告があるが、中心にいるリーエ達の部隊はまだ一度も遭遇していない。


「私の光のせい?」

「その可能性はありますが……」


 当然ながら、光の効果は中心のリーエに向かうほど強くなる。照らされて塵になるのを(いと)い、魔獣がこちらを避けていてもおかしくはない。

 目標の不聖脈は森の最奥にある。このまま何事もなく一気に突っ切ることができればいいのだが。

 そんな淡い期待を、リーエが抱いた瞬間だった。


 アルマンが手にしていた槍を素早く振り上げる。


「――伏せろ!」

「っ⁉︎」


 リーエが反射的に身を伏せたと同時、何かが鋭く風を切る音と、それを弾く金属音が頭上で鳴った。

 アルマンによって弾かれた何かは、軌道を変え、すぐ脇の木の幹に突き刺さる。馬が加速し、視界が目まぐるしく動く最中、伏せた状態のまま、リーエはその何かを一瞬だけ見た。


(真っ黒な、矢?)


 それは、先から矢羽根に至るまでどす黒い色をした矢だった。木に刺さったそれは、端から塵となって消えていく。

 あ、とリーエが思った次の瞬間には、木と茂みが横殴りの残像となって視界に押し寄せてきて、全て見ることは(かな)わなかった。


 アルマンが槍で矢を弾き返す音はまだ止まない。そのまま彼は周囲の部下へと声を張り上げた。


「怯むな! 射線から敵の位置をとらえろ!」


 森の霧は深い。確かにリーエの光があれば、近接戦の範囲ならば視界は保たれる。だが弓矢ともなれば、射手の位置は霧に紛れて視認できない。それに強い光に反応しているのか、先程からリーエばかりが狙われている。

 何より、この場にいる全員が思っていることだろう。――「なぜ魔獣が弓矢を?」と。


 今までの魔獣は獣の姿をしていた。あの姿形では、弓矢は到底扱えないはずだ。ならば、やはり人間が?……いや、それにしては弓兵の連携が稚拙だ。

 さっきから断続的に矢を射ってはきているが、タイミングはバラバラで、位置取りにも無駄がある。例えるならば、弓を覚えたばかりの子どもが、的めがけて手当たり次第に射っているような……、


「アルマン補佐官!」


 槍で巧みに矢を防ぎながら思考を巡らすアルマンに、下から声がかかる。

 最初の指示からずっと伏せたままの(まばゆ)い小さな背中が、顔だけこちらに向けて言った。


「あの矢、私の光で消えてた! あの矢は魔素で出来てる!」

「なんだと?」


 魔素で出来ている矢など人間には扱えない。身体が魔素に侵されて、最悪死に至るからだ。

 そうなると、導き出される答えは一つだった。


「まさか……魔獣が、人型をとっているのか?」


 そんな馬鹿な。自分で出したその結論を信じきれないアルマンを嘲笑うかのように、ふいに視界の端で黒いものが動いた。


 矢が――近すぎる、弾き返せない。

 考えが頭に巡りきるよりも早く、アルマンの身体はリーエを庇うために動いていた。


 馬のいななき、右太腿に鋭い痛み、バランスを崩した身体への鈍く重い衝撃。

 なんとか致命傷は避けたが、アルマンはリーエもろとも落馬した。庇ったリーエが無傷なのがせめてもの救いか。


「アルマン補佐官!!」


 腕の中のリーエが叫ぶ。彼女のここまで焦った声は初めて聞いた。

 痛む身体を無視して上半身を起こし、リーエを手で制したアルマンは、真っ直ぐ前を見据える。

 視線の先、濃い霧の向こうから先程の矢を射ったであろう人物が現れた。

 目も鼻も口もない(のっぺらぼうの)全身真っ黒な人型の魔獣が。


 光に照らされているせいか、既に体の輪郭が(おぼろ)で、塵となって消えかけている。それでも左右に身体を揺らし、おぼつかない足取りで、こちらへ歩いてくる。

 ふいに、だらんと力なく垂れていた黒い腕が上がる。なにも無かったはずの手の中に、黒い矢が再び生まれた。


 もう片方の手にあった弓の弦に、その矢を(つが)える。


(っ、まずい――!)


 咄嗟にリーエを己の身体の陰に隠そうとした時だった。


「――やめて!!」


 カッ!と、落雷が起きたかのような激しい光が、瞬間的に辺りを包む。目隠し(ベール)がなければ、まず間違いなく失明していたほどの。

 次に見た時には、人型の魔獣は塵一つ残さず、音もなく消え去っていた。


(今のは……)

「アルマン補佐官! 大丈夫⁉︎ 怪我は⁉︎」


 先ほどの稲妻の如き光は一体なんだったのか、いつも通りの光量に戻っているリーエが顔を覗き込んでくる。

 アルマンに触れた彼女の手は、震えていた。


「……俺の心配よりも先に、まずは周囲の安全確認を」


 我ながら愛想のない返しだとは思うが、大事なことだ。アルマンの指示通り、リーエは辺りを警戒して見回した後、「もう魔獣はいないみたい」と告げた。


 おそらくさっきの光でここ一帯の敵は全て灼けて消滅しているだろう。現にリーエめがけてあれほど降り注いでいたはずの矢の雨が止んでいる。

 部隊の仲間達とははぐれてしまったが、あの尋常でない光でこちらの位置は気づいたはずだ。(じき)に助けが来る。残る問題は……、


「ねぇ、貴方の右足の怪我、さっきから全然血が止まらない……!」


 どうやらリーエもこちらの異常事態に気づいたらしい。

 アルマンの右太腿には、先程の人型魔獣に負わされた矢傷がある。傷自体は浅いのだが、止血しようとしても一向に止まる気配がない。それどころか、傷口の周囲の肌が黒く変色し始めていた。

 ついでに言えば、傷を受けてから右足の自由が効かず、動かすこともできない。


「魔素の影響です。魔素は人体に入ると、人間の治癒能力を阻害しようとします」

「しようとします、じゃなくって! なにそれ、どうしたら治せるの⁉︎」


 大抵は光属性の薬草で何とかなるが、あの矢は魔素の塊のようなものだ。あれほど濃いと薬草も効かず、基本的には打つ手がない。ただ死を待つばかりだ。

 けれど今ここには光整者であるリーエがいる。一か八かだが、彼女がいれば、とれる策はまだ残っている。


 迷っている暇はない。説明している時間もない。

 一度だけ目を伏せた後、視線を上げてアルマンは口を開いた。


「……俺の役目は、貴女を足手まといにせず、無事に不聖脈の元へ送り届けることです。それが最も優先すべき務めだ」


 アルマンの言葉に対し、リーエは困惑しつつも半ばキレかけていた。なにやら突然自分の役目について語り出したが、絶対に今このタイミングで言うべきことじゃない。それだけは分かる。もしかして血を失いすぎて、正気でいられなくなっているのだろうか。


「ねぇしっかりして! 今はそんな決意表明してる場合じゃないでしょ!」

「聞いてください。貴女は被害者で、後で俺を責める権利がある。俺は自分の役目を果たすため貴女を利用し、今からひどいことをします」

「もう! 利用でもなんでもしたらいいじゃない! これ以上ひどいことなんて――――んんっ⁉︎」


 これ以上ひどいことなんてない。そう言おうとしたのに、言えなかった。いきなりアルマンに口付けられたからだ。

 そっと触れる口付けなんて生易しいものではない。リーエの中にあるもの全てを奪い去っていくような、強引でまるで容赦がない、深い口付けだった。


 顔の角度を変え、鼻同士が擦り合わさった拍子に、男の目隠し(ベール)の裾が少しだけ捲れ上がる。

 息が苦しくなってきて、潤んだリーエの視界に、至近距離でこちらを見つめる朱色が目に入る。燃えるような熱を孕んだその瞳は、(まぶた)が閉じてすぐに見えなくなった。


 そうして永遠にも思えた、長い長い口付けがようやく終わる。


「っはぁ、いきが、くるしい……!」


 男の大きな手に捕らえられていた後頭部と腰も解放されて、リーエはめいっぱい息を吸って吐いた。

 しばらく吸って吐いてと息を整えた後、今度は目を三角にしてアルマンに迫る。


「なに今の⁉︎ ちゃんと説明して!!!!」

「光整者の体液は、おそらく魔素を浄化する作用があります」


 おそらくって何だ、おそらくって。

 突然の奇行に何か考えがあったらしい男を睨みつけ、リーエは釈明の続きを無言で促す。


「貴女の先代である光整者ハインの逸話の一つに、瀕死だった兵士を涙で救ったという話がある」


 不聖脈浄化作戦の最中、魔獣の襲撃によって兵士が深い傷を負ってしまった。兵士の肌は黒く染まり、誰もが兵士の死を確信した時、光整者ハインは己の未熟さを嘆き涙を流した。その輝く涙が兵士の頬に落ちると、その肌は元の色を取り戻し、奇跡的に命を取り留めた……ざっくり言うと、こんな感じの話だそうだ。


「二百年も前の話なので確証はないですが、肌が黒く染まったというのは、魔素によるものでしょう」


 兵士は魔素に身体が侵されたことで死にかけていた。そこへ偶然にも光整者ハインの涙が彼の頬を伝い、兵士の口の中へ零れ落ちたことで助かったのではないか――そんな仮説をアルマンは前々から立てていたらしい。そしてその仮説を身をもって立証したと。


「待って、それなら別に血とか涙で試してもよかったんじゃないの?」

「血は論外です。涙は……出そうと思って出せるほど、貴女は器用ではないと判断しました」

「そ、そんなことない。私だって嘘泣きくらい……」

「それに浄化のためにはどれくらいの量が必要かも分からなかったんです。やはり実効性を考えると、だえ――」

「うわあ! いい、いい! わざわざ言わなくてもいいから!」

「うるさいですよ」


 目元は見えないが、たぶんいつものすました顔をしているのだろう。さっきあんなとんでもないことをしたというのに、通常運転すぎる。この男には恥じらいというものがないのだろうか。


「それで怪我は? 血はちゃんと止まったの?」

「ええ。この通り肌の色も正常です」


 そう言って手早く応急処置をすると、アルマンは立ち上がった。

 それから馬笛を取り出して一定のリズムで鳴らす。自分の馬を呼んでいるのだ。落馬した拍子にはぐれてしまったが、賢い子なので音を頼りにすぐに戻ってくるはずだ。


「まずは隊に合流します」

「わかった」

「それから、これは質問ではなく確認なのですが」

「うん、なに?」

「またあの稲妻のような光は出せますか」

「……それは……」


 リーエは答えを言い淀み、視線を(わず)かに泳がせる。

 さっきの光は……正直どうやって出せたのかリーエ自身も分かっていない。こちらへ向けられた恐ろしいほどの死の気配を感じて、無我夢中で自分の目の前に立つアルマンを守らなければと強く思ったら、ああなった。

 だから、もう一度出せるかと言われたら……、


「……出せるよ。意地でも出してみせる」


 橙色の瞳が上向いて、目を逸らさずアルマンを見る。

 いつかの彼と同じ、挑む眼差しで彼を射抜いた。


「私が貴方を守ってみせるよ」


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