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第二話


 甘い花の香りがする。鳥の(さえず)りが耳をくすぐる。

 顔がポカポカと温かくて、閉じた瞼越しに、陽の光をリーエは感じた。


 ここはたぶん、外だ。それはなんとなく分かるが、自分がどうして外で横向きに寝っ転がっているのかは分からない。


 ゆっくり目を開くと、まず芝生が目に入る、それから木の根、近くに投げ出された自分の腕、よく手入れされた花壇。

 そしてその中心には、何か文字が彫られた白い石版がある。


(あれは……)

「――目が覚めましたか」


 ふいに、リーエの視界が誰かの足によって遮られる。足元から徐々に上へ上へと視線を滑らせていくと、(ふた)つの朱色と目が合った。

 木の葉の隙間から逆光が差し込み、目元と鼻筋には薄い影が落ちている。影が顔の造りをなぞって、存外整った美しい顔立ちをしているなとぼんやり思った。


「……おはよう、アルマン補佐官」

「いつまでそうしているつもりですか。さっさと起きてください」


 眉目秀麗な顔から放たれた、休みの朝のオカンみたいな発言におされて、リーエはよいしょと起き上がる。


「ところで、ここどこ?」


 ようやく意識がはっきりとしてきて、当然といえば当然の疑問をリーエはアルマンに投げかける。


 不聖脈の球に飛び込む前、リーエ達は遺跡の中に居たはずだった。けれど彼女達が今居るのは、周りを立派な柱で囲まれた、神殿らしき建物の中庭であった。

 すぐ近くではリーエ達を乗せてくれていた馬が芝生を()み、和やかな光景の演出に一役買っている。


「ここは聖墓です」

「せいぼ」

「王家と聖教会が管理している墓所です」


 墓所、なるほどお墓か。そう納得したリーエの視線は自然とまたあの白い石版の方へと向く。文字、というか文章が彫られていることから察するに、やはりあれは墓石なのだろう。

 でもそうなると、あそこに刻まれていた名前がどうも気になる。だって、あの名は……


「不聖脈に触れた後、光整者は“地の巡り”によって必ずこの聖墓へと運ばれると伝わっています」


 リーエが黙って思考しているのをよそに、アルマンの話は続いていた。とりあえず墓石の件は置いておいて、今はこちらに集中したほうがよさそうだ。


「こうして無事に聖墓(ここ)へ運ばれたということは、不聖脈の巡りは正せたと言っていいでしょう。貴女の身体が光っていないのが、いい証拠です」


 そう言われてはじめて、リーエは己の身体が光り輝いていないことに気がついた。


『神託により選ばれた者――“光整者(こうせいしゃ)”は、その証として身体が光り輝くとの言い伝えがあります。そしてその光は、不聖脈を治すまで収まらない』


 これはリーエが城で最初に聞いた説明だ。この言葉に則して考えるならば、アルマンの言う通りなのだろう。

 およそ二ヶ月ぶりに自分の本来の肌を見る。どこも何も光っていないのが、なんだか不思議な感じだった。


 兎にも角にも、自分はきちんと務めを果たせたらしい。ほっと息を吐くリーエに対して、アルマンは静かに言った。


「……結局、貴女は正しかった」

「え?」

「大抵の物事には、そうなる理由があります。貴女のその()()()()()()光は、魔獣を退けるためのものだった」


 朱色の瞳が真っ直ぐこちらを見る。その眼差しは、リーエの身体が光っている時と同じものだった。目を蝕む光があろうとなかろうと、彼はいつだって正面からリーエを見据えてくる。


「光整者である自分も戦闘に出るべきだと、そう言った貴女の意見は正しかった。けれど俺はそれを聞き入れず、結果的に部下を危険に晒しかけ、貴女に助けられた」

「…………」

「申し訳ありませんでした。光整者リーエ」


 アルマンは膝を折り、頭を下げる。その黒髪のつむじを、リーエはじっと見つめていた。


 正直、彼の謝罪に驚かなかったと言えば嘘になる。だが単なる驚きだけでなく、彼に対する興味が、己の胸の中に湧きつつあるのをリーエは感じていた。

 意固地なようでいて、こうして己の非をきちんと認める彼を、憎らしく思っているはずの相手にも膝を折れる彼を、単純にもっと知りたいと思い始めている。

 だから、その()()が口をついて出たのだと思う。


「大抵の物事には理由があると、さっき貴方は言ったけど。……アルマン補佐官が私を憎んでいる理由も、何かある?」

「…………」


 アルマンは答えなかった。黙って顔を上げ、立ち上がってリーエに向き直る。ただその目は伏せられていて、先程の様に視線が合うことはなかった。


「……王城への専用通路があるので、案内します。こちらです」


 それだけ言ってアルマンは(きびす)を返し、そのまま専用通路へと歩みを進める。

 また置き去りにされかねないと、リーエもその背中を続こうとしたところで――なぜか彼は歩みを止めてこちらを振り返った。

 何か言い忘れたことでもあったのだろうか。まさか止まるとは思っていなかったので、これ幸いとリーエは彼に駆け寄った。


「どうしたの、急に止まって」

「……別に、どうということもありませんが」

「えぇ?」

「行きますよ、遅れないでください」


 そう言うと、アルマンは再び歩き出してしまう。「もしかして自分のことを待っていてくれたのでは?」ともリーエは思ったが、その真意を尋ねることは、どうしてか出来なかった。








 案内された通路は、通路というより石段だった。

 (おびただ)しい段数が真っ直ぐ下まで続いている。今は下りなのでまだ良いが、これがもし上りだったらと思うと、リーエは身震いしてしまった。


「そういえば、アルマン補佐官」

「なんですか」

「“地の巡り”って何?」


 ただひたすらに黙々と、前を行く背中にリーエはそんな質問を投げかける。さっきの会話でもさらりと出てきた単語なのだが、あの時は先に説明を全て聞くのを優先して聞き流した。

 ではなぜ今さら尋ねるのかと問われれば、「ずっと石段を降りていて暇だから」としか言いようがない。


「……“地の巡り”については、大司教から説明を受けていたと伺っていますが」

「え? えーっと……そうだったっけ?」


 大司教は、リーエが最初に王城で話した三秒解説目隠し(ベール)おじいちゃんだ。アルマンをリーエの補佐官に任命した人物でもある。

 正直、あの時は大司教に「アンタの身体、しばらく光りっぱなしだよ(要約)」と言われたのが衝撃的すぎて、その後の記憶がほぼない。あの後いろいろと他に説明を受けた気がするが、全く聞いていなかった。


「そのぉ、“地の巡り”についてさ、もう一回おさらいしときたいっていうか、改めて振り返っておきたいっていうか、ね!!」


 ややゴリ押し気味な、馬鹿でかい「ね!!」が通路内に響く。「ね……ね……ね……」と三回ほど残響がこだました後、非常にうるさそうな顔をしていたアルマンは、これまた非常に長い溜め息を吐いた。

 この様子を見るに、どうやら呆れつつも説明してくれるらしい。リーエの力強い声に心動かされたのだろう。


「“地の巡り”というのは、女神の力が流れるための通り道のようなものです」


 遥か昔より、この大地には女神の力が常に巡っている。それは比喩でもなんでもなく、実際に女神の力が行き渡るための“道筋”があるのだという。

 目には見えない、通路のようなものが大地の各所に張り巡らされているのだ。

 そして、その通路のことを“地の巡り”と呼び、そこに魔素が溜まって地の巡りが悪くなると、不聖脈が生まれるという仕組みになっているらしい。


「ちなみに、この聖墓の下には女神の力が最も多く集まる“大聖脈”があります。大聖脈から力が送り出され、そしてまた大聖脈の元へと戻ってくる。光整者が不聖脈に触れた後にここに運ばれるのも、それが理由です」


 なので厳密にいえば、聖墓へ運ばれているのではなく、聖墓の下にある“大聖脈”に向かって運ばれているのだ、というような説明で話は締め括られた。


「ありがとう。すごくよく分かった」

「そうですか」


 もう聞いてくるんじゃねえぞと言わんばかりの素気無い返事を気にすることもなく、リーエは数段駆け降り、アルマンの隣に並んだ。


「それにしても、さっきから思ってたんだけどアルマン補佐官ってこの手の話(光整者の話)にものすごい詳しくない? 聖騎士団って皆そうなの?」

「そんなわけないでしょう」

「じゃあ、補佐官になる時に一から勉強した?」

「…………」

「アルマン補佐官?」

「……勉強したというよりは、()()()()()()()という表現の方が正しい気がしますね」


 その時の彼の声色は、ひどく不安定な感じがした。

 ……まただ。あの時と同じ、(くら)い憎しみをのせた瞳で彼はリーエを射抜く。


 けれどあの時とは違い、その強い視線は続くことはなく。アルマンは少しだけ眩しそうに、目を細めた。

 今までどんなに凄まじい光量を浴びても、意地でもそんな素振りを見せなかったのに。もうリーエの身体は光っていないのに。

 まるで天高く輝く太陽を仰ぐ時のように、こちらを見ている。


「俺は待っていた。もうずっと、幼い頃からです」

「それは、どういう……」


 そうリーエが口を開いた、その瞬間だった。


「――光整者様! 補佐官殿! よくぞ無事に戻られました!」


 突如として、階下からそんな声がかかる。

 ハッとして下を見ると、いつの間にやら自分達はもう随分と下まで降りてきていたようで、石段の終わり付近に控えている聖騎士団の仲間達が目に入った。きっとリーエが不聖脈を治した伝令を受けて、ここまで来てくれたのだろう。

「よくぞ! よくぞ!!」と讃えてくれる彼らに出迎えられて、あれよあれよとリーエ達は王城へと連れられていく。


 その道中、まだ後始末が残っているというアルマンとは別れ別れになってしまい、結局その日リーエが彼の言葉の真意を聞くことは叶わなかった。




 ◇




 それから、聖墓から戻った翌日のこと。


 その日のリーエは朝から王様や偉い大臣のおじさん達と謁見し、そこでも「よくぞ! よくぞ!!」と労われ、褒め称えられた。


 そして午後からは大司教との面会のために、やたらと立派な部屋に通され、ふかふかのソファに腰を落ち着けて――今に至る。


 朝に会った王様達に比べれば、何度か会ったことのある大司教との面会はそこまで緊張はしない。それに何より、面会を申し込んだのはリーエの方からなのだ。

 労りの言葉と挨拶もそこそこに、向かい合った大司教を見据えて、リーエは本題を切り出す。


「今日聞きたかったのは、聖墓のことです」

「……聖墓ですか、それはまた」


 意味深な言い方とともに、大司教が微笑んだ……ような気がした。何せまた目隠し(ベール)をしているので目元が見えない。もうリーエの身体は光っていないのに、なんでまだそんなものを付けているのか聞いてやりたい気もするが、今は質問の方が先だ。


「私とアルマン補佐官が不聖脈から飛ばされた中庭には、白い墓石がありました」


 リーエが目を覚ました時、真っ先に視界に入ってきたあの墓石には、こう書かれていた。

 ――『光整者ハイン・ディレイン、ここに眠る』


「あのお墓は、一体誰のものですか」


 薄々もう分かっているはずなのに、確証が欲しくて、リーエはそう問うた。


「あの墓は、二百年前に選ばれた先代の光整者のものです」

「……先代の、光整者」

「ええ。賢く才能にあふれ、容姿はちょうど――今のアルマンと同じ、黒髪で朱い瞳の者だったと」

「! じゃあやっぱり、あの“ディレイン”っていう家名は……」


 ソファから身を乗り出したリーエを、大司教は視線で(たしな)める。といっても目元は見えないので雰囲気で読み取ったのだが。


「ディレイン家は、聖教会の中では飛び抜けて有力な家です。何せ先代、先々代と光整者を一族から輩出していますから。流石に先々代ともなると、墓は残っていませんがね」


 それでも文献にはきちんと、今から四百年前にもディレイン家の者が光整者に選ばれたという記録が残っているらしい。


「そして先代が不聖脈を浄化し終えてから二百年経った今、先代とよく似た容姿をした、優れた男子が一族にはいた」

「…………」

「ディレイン家の人々は当然思うことでしょう、“次の光整者に選ばれるのは、この子だ”と」

「その子が、アルマン補佐官?」

「そうです。アルマンは女神様に選ばれる()()()特別な子供として、光整者になるためのあらゆる教育をディレイン家で受けてきました」


 リーエの脳裏に、昨日交わしたアルマンとの会話が過ぎる。

 彼は「()()()()()()()」と言っていた。「ずっと待っていた」とも言っていた。

 生まれた時から光整者になることを課せられて、ずっと待っていたのだ、女神に選ばれることを。


「けれど女神様が選んだのは、貴女です。リーエ様」


 大司教の言葉を聞いて、やっとリーエは理解した。

 どうしてアルマンがリーエを憎んでいるのか? ……それは、彼の生まれながらの存在理由を自分が奪っていたからだ。


「どうして、女神は私を……」


 選んだのか。その問いに答えられる人物はここにはいない。だからリーエは続きを言わなかった。

 空気に溶けて消えていった彼女の言葉の欠片を拾うように、大司教は静かに言う。


「……女神様は、我々のことを本当によく見ておられると、私は思いますよ」

「…………………嫌がらせが好きってことですか?」

「いいえ、その逆です」


 胡乱げにするリーエに対し、大司教は穏やかに続ける。


「アルマンにとって、ディレイン家は呪縛です。それを断ち切るために、私は彼を光整補佐官に任命しました」

「人事にめちゃくちゃ私情入ってんじゃないですか」

「ホッホッ、申し訳ありません」


 全く反省が見られない様子で公私混同を謝りつつ、「もちろん理由はそれだけではないですよ」と大司教は言葉を付け足した。


「呪縛とは言いましたが、アルマンはこの国で一番光整者になるために教育され、努力してきた人間です。これからもきっと、補佐官として貴女の役に立つことがあるでしょう」

「それは、そうでしょうけど……」


 アルマンが優秀な人間だということは、リーエも充分に理解している。

 だが呪縛を断ち切ってほしいと言われても、リーエはアルマンにとんでもなく嫌われてしまっているし、不可抗力とはいえ、光整者という立場を奪ってしまった事実を知った今、どんな顔をして話せばいいのかも正直分からない。

 そもそも不聖脈はもうとっくに浄化し終えていて、これ以上、光整者と補佐官として今後関わることもないだろう。あんなに眩しかったリーエの身体だってもうすっかり輝きを失ってしまって…………、


「……あれ?」

「おや、さっそく光が戻ってきましたか」


 なぜか、また身体が発光し始めている。

 あまねくこの世のものを照らしてやる、そんな気概を感じる勢いで、リーエの身体は再び光り出している。

 にもかかわらず、目の前に座る大司教はというと、身につけていた目隠し(ベール)を存分に活用し、特に驚いた様子はない。


「今代の貴女の光整者としての力はずば抜けていますからね。歴代の光整者も淡く身体が発光していたそうですが、貴女のように光で照らすだけで魔物を(ほふ)るなど、聞いたことがない」

「え? え?」

()()()()()不聖脈も、この調子で――」

「ちょっと待って!!」


 今、ものすごく大事なことを聞いた気がする。

 リーエの今後を左右する、非常に重要で聞き捨てならない言葉を耳にした気がする。


「……不聖脈って、まだ三つあるの?」


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