その後の小話
時系列は本編から1〜2ヶ月後くらいです。
「あの黒い目隠しってさ、どんな見え方するの?」
とある日の昼下がり。先の不聖脈浄化の報告書をまとめるべく集まったアルマンの執務室で、その些細な疑問は生まれた。
アルマンは作業していた手を止め、顔を上げて正面を見る。橙色をした双つの瞳が、興味津々といった様子でこちらをまじまじ見つめていた。
「あれって普通の明るさの場所では見えてるものなの? それとも私の目潰し発光ありきだったりする?」
向かいの応接用ソファに座るリーエは、極めて真剣な顔をして、極めてどうでもいいことを考察している。
どう転んでも話が長くなりそうなので、潔くアルマンはその話題に付き合うことにした。しばしの休憩代わりである。
「貴女は口で説明されるより、自身の目で実際に見た方が早いでしょう。試しに着けてみますか?」
「絶対着ける」
一体何が彼女をそこまで駆り立てるのかは謎だが、ひとまず二人連れ立って席を立ち、目的の場所まで移動する。
執務机の後ろにある棚の引き出しを開き、アルマンは目当ての目隠しを取り出した。
目隠しには、両耳と頭の後ろの三箇所に特殊な留め具がある。留めるのに少々コツがいるため、初めてでは着け辛かろうと、アルマンはその装着を手伝うことにした。
「少し触れます。じっとしていてください」
「うん、ありがとう」
まず頭の後ろで大まかな位置を固定した後、両耳に金具を引っ掛ける。きつく締めすぎて耳を痛めることがないように、慎重な手つきで小さなネジを数回まわして調整すれば、無事に装着完了である。
「おお〜……暗くて何も見えない」
「まだ目が慣れていないのでしょう」
念願叶って目隠しを着けられたリーエは、物珍しそうにキョロキョロと辺りを見回している。
その様子を見て、アルマンは内心「おや?」と思った。
「……何か、気になることでもありましたか?」
「えっ、なんで?」
「いえ、思ったより反応が薄いので。貴女のことです、暗い暗いとひとしきりはしゃいだ後、自身の顔面に向かってありとあらゆる明かりを照射しろと言い出してもおかしくはないかと」
「…………………………」
アルマンの指摘に、リーエは気まずげに顔を横に逸らす。こちらの発言を否定しないあたり、図星ではあったらしい。
だが今回の論点はそこではない。問題は、それほどまでにあったはずの勢いが、なぜ急に落ち着いたのかである。
視界が暗くなったのを恐れているわけではない。留め具がきつくて痛がっているようでもない。一体全体、彼女はどうしてしまったのか。
「……あの、別にそんな大したことじゃないからね」
「はい」
「そのぉ、さっきすごい丁寧な手つきで耳の留め具つけてくれたでしょ。それが嬉しくて、でもちょっとくすぐったくて……」
「…………」
「“好きだなぁ”って、しみじみ思ったというか、なんか急にすごい意識しちゃっただけというか……」
「ほんと、それだけなの」か細い声で最後にそう付け足して、目隠しを着けたままリーエは俯く。長い髪の隙間、露わになっている首元と両耳はほんのり赤い。
けれど肝心の顔だけは漆黒に隠れていて、彼女が一体どんな表情をしているのか見ることは叶わない。それがひどく惜しく、煩わしく感じられて、アルマンは半ば衝動的に目隠しの裾に手をかけた。
ぺろりと黒い布を捲ってしまえば、頬を赤く染め、驚きこちらを見上げる愛しい女のすべてがアルマンの眼下に晒される。
「わっ、なに! えっち!」
「そこまで不埒な真似をしたつもりはありませんが」
相手の防御が“照れ”でガタガタになっているのをいいことに、アルマンは攻撃の手をゆるめない。会話のどさくさに紛れて、目隠しを全て捲り上げ、もう完全には隠すことができないように、さりげなく頭の後ろの留め具をゆるめておく。
「そもそも何故、急に目隠し越しの見え方を気にするようになったのですか?」
突発的な思いつきという線も大いにあるが、もし仮に顔を隠したい事情が何かあるならば、一応リーエには発光対策用に特注した兜がある。彼女が目隠しにこだわる理由がいまいち分からなかった。
「……あの、別にそんな大したことじゃないからね」
先程とまったく同じ台詞を吐いて、橙色の目がふにゃりと歪み、困ったように眉尻が下がる。なるほどさっきもこんな表情をしていたのだろうなと、アルマンは頭の片隅で思う。
「前にさ、その……“濃霧の森”でやむを得ず、口付けしたことがあったでしょ?」
「……ええ。俺が自分のために、貴女を利用したものです」
「あー!! 待って違う! ちがうの! 今更あのこと責めてるわけじゃなくて! 自責の念に駆られるモードに入んないで! ――私はただ、検証したかっただけなの!!」
……検証、とは。発言の意図が掴めずアルマンが黙する一方で、リーエは「もうどうにでもなれ」といった様子で一気に捲し立てた。
「“濃霧の森”で口付けした時、突然だったこともあるけど、私もう、いっぱいいっぱいで……もしかして最中ですごい変な顔してたんじゃないかって、昨日突然ふと気になり出しちゃって、でもアルマン補佐官はあの時目隠ししてたし、至近距離だったし、ほとんど見えてなかっただろうと思い直して、いやでも見えてる可能性も捨てきれないよなとさらに思い直して、もういっそどんな見え方するのか本人に聞くなりして検証した方が早いって思ったの!!」
息つく間もなく事の経緯を言い切り、ぜえはあとリーエは肩で大きく息を吐く。アルマンはとりあえず近くにあった水飲みを彼女に手渡し、導き出した結論を述べた。
「要するに、目隠しをつけた状態で口付けをした際、その視界がどうなるのか知りたかったということですか」
「そうそれ!」
差し出された水を勢いよく飲み干し、喉を潤したリーエは謎の達成感を得たせいで羞恥心が消えたのか、「あの説明でよく分かったねぇ」と他人事のように感心している。これがリーエという人間である。
一番の争点は「濃霧の森でアルマンはリーエの“変な顔”を目にすることができたのか?」であるというのに、いとも容易く論点がすり替えられたことに気づいてすらいない。
過去に無理やり奪ってさせた“変な顔”より、今こうして隣で無邪気に笑い、時には恥じらう姿の方が、どれだけアルマンにとって価値があるのか、どれだけ彼の脳裏に焼きついているのかを、知らない。
今から自分が彼女にどんな真似をしようと思っているのか、分かってもいない。
「リーエ」
「ん? なに?」
「……先程も言いましたが、貴女は説明されるより、自身の目で実際に見た方が早いでしょう」
――目隠しをつけた状態で口付けをした際、その視界がどうなるのか?
それが、そんなに気になるというのなら。
「試してみますか?」
そう言って、アルマンは彼女の目隠しを下ろした。




