第一話
己の身体が突然発光し始めた時、リーエは何かの病気だと本気で思った。
なにせ光り方が尋常でなかったのだ。後光が差す、なんて生易しいものではない。あまねくこの世のものを照らしてやる、そんな気概を感じる光り方であった。
一向に輝きが収まらず、このまま天に召されでもするのかと不安に駆られたところで、今度は王城から使いがわらわらとやってきた。
黒く薄い布で目を覆い、発光対策万全の彼らによって、あれよあれよという間にリーエは王城に連れて行かれた。
そこで告げられたのは、リーエは女神に選ばれた特別な存在であることと、その力を使ってこの地の”不聖脈”を治してほしいという話であった。
“不聖脈”という聞き慣れない言葉にリーエが首を傾げると、待ってましたと言わんばかりに厳かな雰囲気をまとった老人が前に進み出てくる。
例によって黒い目隠しをつけているが、どうやら彼が解説してくれるようだ。
「そも、太古より我々が住まうこの大地には、常に女神様の御力が巡っています。その御力は大地に溜まった魔素を浄化し、清浄に保ってくれているのです。しかし二百年に一度、その巡りが乱れ、魔素が溜まってしまう場所があります。それが不聖脈です。不聖脈が発生すると、その狂った巡りを正すため、神託によって力を授かる者が選ばれます。その者こそが貴女なのです、リーエ様」
「ふ、ふーん?」
「要するに、二百年に一度、大地に悪いものが溜まるので、女神様がそれを浄化してくれる人を選ぶ、ということです」
「なるほど」
途中から理解するのを諦め、何となく雰囲気で聞いていたのがバレたらしい。リーエ向けに三秒で分かる解説にしてくれた。
そして、ここからが一番大事なのだと老人は告げる。
「神託により選ばれた者――“光整者”は、その証として身体が光り輝くとの言い伝えがあります。そしてその光は、不聖脈を治すまで収まらない」
「えっ」
「……大変申し上げにくいのですが、当分の間、貴女様の身体は光り続けることとなります」
◇
いくら女神の力の証といえど、眩しいものは眩しい。
数瞬であれば有り難みを感じる光も、とんでもない光量が長時間続けば目に毒でしかない。
そんなわけでリーエは今、全身のありとあらゆる肌を隠す羽目になっている。首からつま先まで衣服で覆うだけでは飽き足らず、その上から甲冑を身につけるフル装備だ。
それでも甲冑のわずかな隙間から、淡く光が漏れ出るため、さながら気分は歩く間接照明である。
「……私、ほんとに光整者ってやつで合ってる?」
だから、思わずそう尋ねてしまうのも無理もないとリーエは思う。世界を救うという大役を担っている感がまるで無いのだ。
たった今居るこの馬車の中を、淡く照らしてムードある空間に演出する役目の方がよっぽど向いている気さえする。
「当たり前でしょう。寝言は寝て言ったらどうですか」
しかし、せっかくの素敵空間をものともしないのがこの男、アルマン・ディレイン補佐官である。
リーエの左向かいの席で腕を組み、短めの眉は不機嫌そうに歪められていた。リーエより幾分か軽装の鎧を身につけたその肩には、「王国神聖騎士団対不聖脈第一部隊長兼光整補佐官」という長すぎてよく分からない肩書きが乗っている。
「貴女のように、やたらと光り散らかしている人間が何人も居ては目が潰れます」
そうしてアルマンは皮肉げな言葉を吐き出した後、話はもう終わりだと言わんばかりに黙ってしまう。
リーエが女神に選ばれた後、準備期間に一ヶ月半、不聖脈に向けて出発してから半月と、アルマンとはかれこれ二ヶ月近く一緒に居るが、初対面の時から彼はずっとこの調子である。
彼を補佐官に任命したのは、三秒で分かる解説をしてくれたあの老人らしいが、明らかな人選ミスだと訴えたい。
こちらだって何も、親切で礼儀正しくて謙虚な優しい人がいいとは言わない。それは贅沢というやつだ。
だがこうも喧嘩腰で来られ続けると、応戦したくなるのがリーエという人間だった。
実際何度か我慢が効かなくなって、わざと兜のスライド式面頬を上げ、顔面の光による目潰し攻撃を不意打ちで仕掛けたことがある。しかし、今のところ全て上手く防がれてしまっている上に、基本的に彫りが深く目元が険しい男なので目潰し攻撃に効果があるのかもいまいち分からない。
もしかしたらアルマンはこちらが放つ光の影響を受けにくそうという理由だけで補佐官に選ばれたのかもしれない。そんなわりと失礼なことを密かにリーエが思ったところで、ちょうど馬車が止まった。
「着いたようですね」
アルマンの言葉で、反射的に外を見る。
果てが見えないほど広い南平原の先の先。其処には大きな石造りの建物があった。周囲には柱や台座の残骸と思しき建造物もちらほらある。
遠目でも見ても年代ものの異質さをビシバシ感じるこの遺跡こそが今回の目的地であり、不聖脈が発生している場所だった。
兜越しに外を注視していたリーエは、ふと違和感を覚える。
「……なんか、黒くない?」
まだ距離があるので細かいところまでは分からないが、何だか遺跡の壁が黒い気がする。出立前に聞いた話では、遺跡は美しい白壁なのだと教わった。
それに何だか、遺跡の輪郭もボヤけている。蜃気楼というわけでもなくて、まるで無数の何かが蠢いているような……?
そこまで考えて思い至った事実に、リーエは息を飲んだ。
「あれは……魔獣です。遺跡の壁一面に、魔獣が張り付いている」
出来れば否定してほしかった事実が、隣の男から無慈悲に告げられる。
「あれ全部、不聖脈の“魔素”のせいってこと?」
『数百年に一度、大地に悪いものが溜まるので、女神がそれを浄化してくれる人を選ぶ』これはリーエが選ばれた理由だ。
では何故、溜まった“悪いもの”――魔素を浄化する必要があるのか? その答えが今目の前で起きている光景だった。
魔素は一定以上溜まると、互いに引き寄せ合う。いつしかそれは巨大な集合体――不聖脈となり、そこから魔獣を生み出す。魔素の塊である魔獣が増えれば、大地が冒されさらに魔素が発生する。その魔素を糧に不聖脈はまた魔獣を生み出す。そうやって繰り返し繰り返し、無数の魔獣が生まれ続け、やがてその数はこの大地を覆い尽くすまでになる。
そうならないために、不聖脈を治して魔素を浄化する必要があるのだ。
力を持つリーエが不聖脈に触れれば、狂った巡りは整えられる。この無数の魔獣の群れも消える。それは分かっている、分かっているのだ。だが、これでは……
「――隊長! 魔獣の数が多すぎます! これでは遺跡に近づくことさえできません!」
リーエの考えを代弁するかの如く、アルマンの部下が息を切らして報告にやってくる。
彼の焦りは尤もだった。なにせこちらの想定を遥かに上回る数の魔獣なのだ。
先行隊が遺跡周辺の魔獣を倒し、次にアルマン率いる後発隊が遺跡入口の魔獣を掃討する。そして最後にリーエが合流し不聖脈を正す。諸々を掻い摘んで言えば、作戦はそれだけのはずだった。
「先行隊は?」
「今はなんとか持ち堪えていますが、時間の問題です!」
「わかった、援護に向かう。後発隊、出撃用意!」
「は!」
馬車の中のリーエを置き去りにして、アルマンは方々に指示を飛ばしていく。
「――アルマン補佐官!」
息吐く間も無く発される指示の合間に、何とかリーエは己の補佐官に声をかけた。
遺跡を睨んだままの彼の視線はリーエに向けられることはなく、冷たい声だけが返ってくる。
「なんですか。手短にお願いします」
「私も行く! 出ます!」
「いいえ、作戦通り貴女は魔獣の掃討が終わるまでは待機していてください」
「なんで!」
「説明してる暇はない。とにかく貴女は待機だ」
そう言い捨てて馬車から出ていく背中を、慌ててリーエも追う。
「でも今の状況って想定外なんでしょ⁉︎ 緊急事態なんだよね⁉︎」
アルマンは答えない。ガシャガシャ金属音を鳴らして追い縋るリーエを無視して、用意された馬の方へとずんずん進んでいく。
「そんなに危険な状況なら、私も居た方が何かあった時にきっと――うわっ!」
進んでいたかと思えば急停止した男の背にぶつかりそうになって、リーエはたたらを踏む。寸のところで何とか止まることができた。
限界まで薄くし軽量化したものとはいえ、甲冑姿で体当たりなどしては一大事だ、危ないではないか。そうリーエが抗議しようとした瞬間、いきなり兜を掴まれ、思いっきり面頬を引き上げられた。
「っ⁉︎ なっ、」
「……勘違いしないでいただきたい。逆なんですよ」
凄まじい光量にも構わず、切れ長の目から覗いた、燃えるように朱い瞳がリーエの顔に迫る。
この身体になってから、初めて人とちゃんと目が合ったなと、そんな見当違いなことを思う。
「危険なら、なおのこと貴女みたいな足手まといを連れて行くわけがないでしょう」
焦りと苛立ちの奥に潜んだ、確かな憎悪がリーエの両目を射抜く。
「俺は貴女なんかに、命を預けるつもりは毛頭ない」
そう吐き捨てた後、アルマンは踵を返す。今度こそ彼は歩みを止めることはなく、馬に乗り、隊を引き連れて遺跡に向かっていく。
そのまま後ろ姿がどんどん小さくなっていき、最後には黒々とした遺跡に混じって見えなくなった。
その光景を、リーエはただ黙って見ていた。
遮る物がない視界は鮮烈で、隠す物なく剥き出しでぶつけられた感情は痛かった。ずっと鬱陶しかったはずの面頬が、思わず恋しくなってしまうほどに。
「あ、あの……、大丈夫ですか……?」
恐る恐る、先程のやりとりを見ていた兵士がリーエに近づいていく。
彼はリーエの護衛を任されている待機兵の一人だった。面頬を上げたままの彼女の発光対策なのか、ちゃっかり目隠しを身につけている。
アルマンにキツい言葉を浴びせられた後、光整者は棒立ちになったまま動かない。あのアルマン隊長に、正面からあんな言葉をぶつけられたのだ。さぞやショックを受けて立ち直れないに違いない……そんな共通認識が兵士達の間で漂った時だった。
「……ねぇ、あそこ、何か変じゃない?」
ふと、リーエがそんなことを言う。
その声色は存外しっかりとしていて。真っ直ぐ前を向いたまま、決して俯くことのなかったその顔は、ある一点を注視していた。
「へっ⁉︎ えっ、どこですか?」
「ちょうど私の顔の光が当たってる場所らへん。あそこだけ、魔獣の層が薄くなったと思わない?」
リーエが指した先、彼女の顔から放たれた一筋の光は、はるか遠くの遺跡の壁にまでも届き、部分的に照らしている。
確かに言われてみれば、その辺りの魔獣の層が薄くなっているようにも見える。ついでに言えば、魔獣の群れの蠢きも、他の部分と比べて鈍くなっているような。
「…………」
数秒静かに思案した後、ふいにリーエは呟く。
「……脱がなきゃ」
「え?」
「鎧を脱がなきゃ。貴方も手伝って!」
「え? え?」
「いいから早く!」
困惑しきりの兵士達を一喝し、リーエは窮屈な兜を脱ぎ捨てる。
露わになったその髪の一本一本が、俄かに輝き始めていた。
先へ先へと進むたび、暗い大地が白んでいく。
夜を終わらせる朝陽の如く、幾筋もの光が伸びていく。
やがて光は遺跡全体を包み込み、黒黒とした無数の魔獣たちを照らし出す。無論それは遺跡で戦っていたアルマン達も例外ではない。
「……夜明けか?」
今は真昼で、そんなはずはないとは分かっている。
だがそう思えてしまうほど、夜明けと見紛うほどの強い光が、魔獣の群れに突っ込んでくるのだ。
その光の中心には、馬に乗った一人の女がいた。
後光が差す、なんて生易しいものではない。あまねくこの世のものを照らしてやる、そんな執念すら感じる光り方をした女が、こちらに向かって駆けて来る。
こんな無遠慮に光り散らかしている人間など、アルマンは一人しか知らない。
「――アルマン補佐官!」
どうして貴女がここに居る。
甲冑はどうした。なぜ丸腰でここへ来た。そんなへっぴり腰で馬に乗るな。そもそも他の兵士は何をやっている。
その瞬間、数多の言うべき叱責が、アルマンの頭の中を通り過ぎた。通り過ぎまくり過ぎて、コンマ数秒の間ではあるが、珍しく彼は呆けてしまった。
その隙を逃さず、馬上の発光女は高らかに告げる。
「貴方のその行動は、職務怠慢もいいところよ!」
「……は?」
「不聖脈を治すのは、光整者である私の役目でしょう。そして貴方の役目は、光整者に協力すること」
光の中心から、凛とした女の声が聞こえる。
凄まじい勢いの光量に、アルマンは思わず目を眇めそうになる。だがその輝きの奥に、こちらを射抜く橙色の双眸が確かにあった。
「貴方が私を足手まといじゃなくするの! アルマン補佐官!」
その言葉にハッとして、アルマンは周りを見た。
……先程までより、明らかに魔獣の数が減っている。それに加えて、遠くにいる魔獣の動きも鈍くなっている。
目の前の女が一体何のためにここまで来たのか思い至った途端、アルマンの行動は早かった。
風のような速さでリーエの後ろに乗ったかと思うと、慣れない乗馬でへっぴり腰の彼女から手綱を奪う。
流石に驚いた様子のリーエを無視して、そのまま馬に合図を送って走り出し、彼は声高に叫んだ。
「遺跡の中まで突っ切る! 援護しろ!」
「は!」
彼の部下には、それだけの指示で充分だったらしい。
まばゆい煌めきを浴びすぎた魔獣は灼かれて塵となり、光に怯んだ魔獣を他の仲間達が斬り伏せる。そして拓いたその道をリーエ達が駆け抜けていく。
「アルマン補佐官! ひとつ確認なんだけど!」
「何ですか!」
馬はリーエが走らせた時よりも何倍も速く、あっという間に遺跡の入り口を通り過ぎる。
びゅうびゅう顔に纏わりついてくる風の音に負けないように、リーエは声を張り上げた。
「これって前、見えてる⁉︎ 私の光、まぶしくない⁉︎」
「見えないに決まってるでしょう! 貴女はバカなんですか⁉︎」
「はぁ⁉︎」
前ではなく後ろに乗ることを咄嗟に選んだのはアルマンなのだが、今はそんな不毛な言い争いをしている場合ではない。
リーエの光が暗闇を照らし、その光で前がよく見えないアルマンが直感で手綱を操る、なんともアンバランスな危うい連携で遺跡の廊下を突っ切っていく。
そして高い石壁に囲まれたその廊下を抜け、開けた空間に出た時、それは視界に飛び込んで来た。
「あれが……不聖脈!」
どす黒い霧が集まってできた、巨大な球体。
広間の中央にある、白い大きな台座の上でそれが浮いていた。
リーエがこの黒い球体に触れて浄化すれば、外の魔獣達も消えて戦いが終わる。何とか触れることさえできれば。
「アルマン補佐官! 道がない!!」
リーエの渾身の訴えが広間にこだます。
彼女の視線の先、台座がある場所をぐるりと囲むようにして堀が造られていた。堀といっても底が全く見えないこの深さでは、ほぼ崖である。
そして大変不親切なことに、中央の台座へと続く道も無ければ橋も無い。一体どうやって行けというのか。
「このまま突っ込みます! 貴女が合図してください!」
「ええっ⁉︎」
「言ったでしょう! 俺はいま前が見えないと!」
アルマンは駆けるスピードを緩めない。
近づくにつれて、リーエが放つ光も黒い球体へと差し込んでいく。だがすぐに黒霧の塊に光は吸い込まれてしまって、これといった変化はない。やはり身体が直接触れないと駄目なのだろう。
リーエが合図を出すと同時に、アルマンが馬を操る。今から自分達がやるのはそれだけだ。
ただそれだけだと分かっているのに、息がだんだん浅くなる。
もし失敗してしまったら――ヒュッと喉奥を鳴らしたリーエに、後ろで男が吼えた。
「貴女が決めろ! いま、ここで!」
己が命を預けるに足る人間だと、証明してみせろ。
言外にそう告げられた気がして、その瞬間なぜか、呼吸がすっと楽になった。
「――今!!」
崖の端ギリギリで、リーエは叫ぶ。
グッと全身に力がこもった後、浮遊感に襲われる。
馬ごと大きく跳躍したリーエ達の姿は、そのまますぐに黒い霧の渦に飲み込まれてしまった。




