6.営業になる
グラフィックデザイナーになりたくて、会社を辞めたのはいいが、お金が全然足りず途方に暮れていた。
出戻るわけにもいかないので、求人雑誌の営業募集記事を見て面接に行った先は、江東区の可能印刷という会社だ。
小さな印刷会社で社員は10名ほどだった。
面接に行くと、白い髭に眼鏡をかけ、タバコを吸う気難しそうな職人気質の社長が待っていた。
面接といっても履歴書に、ざっと目を通して前社での勤務内容などを少し質問されただけで、いつから働けるか聞かれ就職が決まった。
初日は社員に挨拶をして、デスクと一台の古いパソコンを渡された。
ただ、それだけだった。
事務所は昭和を思わせるような、古いスチールの事務机が四台ほど置かれていて、くたびれた黒い応接用ソファー、シールのはがし跡が目立つガラステーブルが部屋の隅にあり、不釣り合いな家庭用冷蔵庫が置いてある風景が、何とも零細企業という雰囲気を漂わせていた。
何をしていいかもわからないし、とりあえずデスクで自分のパソコンの初期設定などをして時間を潰した。
時間ばかりが過ぎて行き、いくら待っても何も言われない。
他の営業も二人いたが、何か指示されるわけでもなく「お、今日からか頑張れよ」などと声を掛けられる程度で、本当に何も起こらないまま、一日が終わってしまった。
奥の部屋で経理を担当している、おばあちゃん社長夫人が、社長に話しかけている声が聞こえた。
「新人の子、今日は一日パソコンでゲームしていたみたいね」
社長夫人の嫌味な一言にイラついた。
「やる事が無いからパソコンを使いやすいように設定していただけだし」と思ったが口には出さずに黙っていた。
何も言われなければ、何をしていいかもわからない。
古い体質の零細企業には、社員研修なんてものはないし、自分から何かしなくてはいけないのか、それとも黙って指示を待てばいいのか、それすらわからなかった。
2日目に社長から
「佐藤君、この住所の会社に行ってきてくれ」と言われ、言われるがままに、指定された会社に訪問した。
渋谷区神宮前の細い路地を入った角にある、雑居ビル3階の狭い事務所。
歩くのがやっと、というくらい様々な印刷物が乱雑に置いてあった。
好々爺を思わせる年配の人から「待ってたよ」と言われ、挨拶をして雑談タイムとなる。
後になってわかるがその人は会社の社長で、入社した可能印刷の社長と長い付き合いの人だった。
しばらくの間、今までの職歴や生い立ちなどを話した後、「これを会社に持ち帰り社長に渡して」と印刷物に関するデータと指示書を受け取った。
会社に戻り渡されたデータを社長に見せると「じゃあ、それをやってみて」と言われた。
「え~!やってみてと言われても何をすればいいのだろう?」
本当に説明がない。
「適当に誰かに聞いてやってみろ」という指示
「マジか~、営業ってこんな感じなのか~」と思いながら、仕方ないので先輩営業の手が空いているのを見計らいながら、一つ一つ質問をしていく。
「え!お前そんなことも知らないの?」とカラー印刷に携わったことが無かったので知らないことだらけで、イジられながら仕事を動かし実践の中で仕事を覚えていった。
下町の輩から印刷営業にジョブチェンジして人として少しマシになった瞬間です。
しかし、これからが社会人として苦難の連続が始まるのだった。
社長は職人気質
何か困れば教えてくれるけど
最初からは教えてもらえません。
もう手探りのトライアンドエラーから始めました。