5.衝撃のデザイナー
会社にデザイン企画室という部署ができた。
企画室長には仕事に一生懸命で、企画が通らないと悔しくて泣いてしまう、熱いタイプの体育会系女子「渡辺さん」が抜擢されていた。
勢いとやる気だけで仕事をしていた私は、渡辺室長に気に入られていたと思う。
仕事が暇で早く終わった時には、ご飯をご馳走になっていた。
「渡辺さん、綺麗だし気合い入っていてなんかいいな〜。」
「なんでいつもご飯、奢ってくれるんだろう。」
「一人暮らしだから寂しい?」
「それとも少しは男として見てくれてるんだろうか?」
10歳くらい歳の差があっただろうか?
大学時代に体操をやっていたスラっとした体形の大人の女性は魅力的だった。
休みの日に、渡辺室長に呼び出され「会社のマスコットデザインをしてもらった、外部のデザイナーに、お礼にいくから一緒にいこう」と言われ、ついていくことになった。
ちょっとしたデート気分で浮かれながらデパートに行った。
デザイナーに持っていく、お礼の品を買うことになり渡辺室長から「佐藤君、何か気になったのあった?」と聞かれ、渡辺室長は最終的に商品券などにする予定だったのだが、私はデザイナーに持っていくお礼の品は「洒落が効いている物」じゃないとダメだと思い込んでいた。
インテリアとして目を引いた苔玉の盆栽がいいと提案した。
洗練された人ならミニチュア盆栽をデスクに置いても許されるし、何より和の緑をデスクに置ける余裕がカッコイイと思ったのだ。
有名なデザイナーの家にお邪魔をして挨拶し、苔玉を渡した。
「デスクが無機質で丁度、こういうのが欲しかったんだよ」と言ってくれたことがうれしかった。
駆け出しの社会人が一生懸命、選んだ物だから、良しとしてくれたのか。
そういう狙いがあって、渡辺室長も私を連れて行ったのか。
真意は定かではないが、良い経験になった。
少しだけ打ち解けて、仕事場を見学させてもらった。
10畳ほどの部屋には、綺麗に整理されたデスクに最新のMacがおいてあり、文房具とは言いがたい、お洒落なステイショナリーが並んでいた。
隣の部屋には画材道具が置いてあり、グラフィックデザイナー兼、画家としても活躍していたらしい。
アトリエと呼ばれそうな部屋の中には、一台のイーゼルがあった。
そこに置かれていたカンバスを見た瞬間に衝撃が走った。
まさに「脳天を撃ち抜かれる感覚」とはこのこと。
とても写真では再現不可能な、写実的だが荒々しい海のうねりを表現している絵画で、力強い中にもキラキラと波が光を纏っているかのような描き方をされていた。
とても私の語彙力では表現できない。
今で言うならAIが書いたような幻想的な絵画をアナログで完成させていたのだ。
私の人生を変えるには十分な、破壊力と美しさを持つものだった。
「これだ、俺はこれがやりたい!」
私は心底、デザイナーになりたいと思った。
その日を境に内勤営業という仕事をしていたが、デザイナーになりたいという気持ちが膨らみ、仕事をしていても身が入らず、欲求を抑えきれず会社に辞表を提出してしまった。
渡辺室長と副社長に物凄く止められ「必ずチャンスはくるから」と言われたが今すぐ、飛び出したくて仕方がなかった。
渡辺室長から
「自分で結論を出し、いきなり辞表を提出して、交渉の余地はないというのはずるいよ」と言われたことを、未だ覚えている。
私は気持ちばかりが膨れ上がり、何も考えずに会社を辞めてしまった。
今まで自分が何者で何になりたいか、わからなかったが、そんな自分が初めてなりたいものを見つけたのだ。
デザイナーになるためには専門学校で学ぶ費用や、Macを買ってイラストレーターやフォトショップというソフトも購入しなければならなかった。
しかし設備に掛かる費用は当時の私にはとんでもない金額であった。
感情で生きていて、あとさき考えず突っ走っていた私は、その事実を知ったのも会社を飛び出した後のことであった。
「ggrbk」と言われてしまいそうだが
この頃はまだ、何でもググれる時代ではなかった。
キャリアアップと言えば聞こえがいいが、ここから何度も転職し、その都度良くしてくれた人たちを裏切ってしまうことになり、心残りという名の「葛藤」を一生引きずることになるとは思いもしていなかった。
なりたいものがない。
やりたい仕事が見つからない。
大抵の学生はみんなそう思っているのではないだろうか。
私の場合も何になりたいかわからなかった。
そして経験を積み重ねる中で、やりたいと思えるものは見つかったが実際に歩く道は違った。
やりたい事が見つかる人の方が稀だと思う。
やりたい事が見つからなくても、都度決断を迫られたり、行動していくうちに道は勝手にできているもので、見つからなくても焦る必要はない。
止まることはできないし、人は歩き続けるものだから。