第2話・レインコートは雨の日だけに着るものじゃない女
カマンベール損保の事務所は日本各地にある。そしてだいたい給湯室がない。
「沸騰ポットしかない。」
「あるだけマシじゃないですか?3分たった。いただきます!」
「いただきます。」
ジュークロキとハニオカは応接テーブルをはさんで向かい合わせのソファでカップ麺を食べ始めた。ハニオカは少し口をつけたところで話を始めた。
「そう言えば、一人暮らしの場合って親とかに転職したことっていちいち言いませんよね?」
「……そう言われるとそうかもね。」
ジュークロキも一瞬手を止めて答える。
「ですよね!この前電話で母と話したら、母に言ってないの思い出して。」
「そういうタイミングで言えばいいじゃない。」
「でも、なんか言いそびれちゃって。なんか親に黙って転職するとそれはそれで言い出しづらくないですか?」
「大人だから……自分で決めて自分で転職でいいんじゃない?」
「まあ、そうなんだけどさ。」
しばらく黙々と麵を啜っていたジュークロキが手を止めた。
「そういえばハニオカさん前の仕事何してたの?」
「え?知りたい?」
ジュークロキはカップ麺を一度応接テーブルに置いて悩んでいる。
「知りたいかって言われると……別にそこまでって感じだし……でも、話題に上ったんだから訊かなきゃ失礼かなって思うし……どっちだろう?」
そういうとジュークロキは再びカップ麺を食べ始める。
「ジュークロキさん……私に興味ないですよね。」
「……あれ?それってマズい?」
「……別に、マズくないですけど。」
「ハニオカさん、ラーメン伸びちゃうよ?」
ハニオカは「ちょっと伸びたぐらいがおいしいんですよ!カップうどんは!」と威勢よく言うと食事を再開した。ちょうどそこにメールの着信音が鳴る。ジュークロキがスマホを見て「あ、仕事だ。」と言うとカップ麺ごと自分のノートPCのあるデスクまで移動した。
「あーこれは多分クロだ。」
「見ただけでわかるの?」
プリンターが数枚紙を吐いた。取り出して応接テーブルに置く。
「この人なんだけど名前見て。『瑯子』って書いて『ローズ』さん。」
「キラキラネームだと異世界人なの?」
ジュークロキが首を振った。
「日本で名前に使えない漢字。これ、王へんに『郎』がダメ。」
「本名じゃないんじゃないの?なんか源氏名みたいな。」
ジュークロキが別の紙をめくるとハニオカに見せた。
「戸籍なし、出身不明、年齢不詳、通称が『瑯子』、性別だけは女性ってわかってるけどほぼ決まりでしょ。ただ、これは難しそうですね……」
「何が?」
ジュークロキはデスクと応接テーブルの周りをウロウロしている。
「ただ誰でも送り帰せばいいってわけではなくて、調査しないといけないんですが……」
ハニオカが書面をめくっている。
「あ。」
ハニオカもジュークロキが「難しそう」といった理由に気づいたようだ。
「この資料読むと刑務所の中にいるってこと?」
「……そうなんですよ。『道路交通法違反』としか書いていないんですが。」
ハニオカが勢いよく汁を啜った。
「……っていうかもう啜るほど熱くないですよね?」
「私は猫舌っ!」
ハニオカは胸を張っている。
「威張るようなことですかね……まあ、刑務所から出てくるまでの間にのんびり調査しますか。」
ジュークロキはプリントアウトした紙の束をテーブルに置くと、冷めたカップ麵を食べる作業に戻った。
「裁判記録は一応入手したんですが……」
ジュークロキがホチキス止めした冊子を差し出す。ハニオカはちらっと見るとすぐに返した。
「こういうの読むの苦手。私にも分かるようにお願いします。」
「かいつまんで言うと、無免許運転のスピード違反でネズミ捕りに引っかかったんだってさ。乗っていた車は職場の店長……これなんて読むんだろうサメイ?の所有で、サメイ曰く自宅アパート近くの貸し駐車場に置いていたところキーを盗まれて勝手に乗って行かれたって言っているらしい。だけど、この件では被害届は出してないよ。」
ハニオカがシンプルに感想を述べる。
「なんか間抜け。捕まりたかったのかな?。」
「冬になる前に生活困窮者がわざと刑務所に入って冬を越すって話はまあまああるんだけど。」
事務所の卓上カレンダーは1月のままだが、実際には今は2月だ。ジュークロキはメモ用紙に何かを書いて事務所のホワイトボードに貼り付け始めた。
「弁護士、警察、車を盗まれた店長、本人に面会……書き出してみると調べられる所多いですね。そして、どれもハードル高いなあ……どれから行きます?」
「店長。」
「ですよね。一番ハードル低い。」
二人は車を拝借された店長のところへ行ってみることにした。
やってきたところはキャストと呼ばれる女性スタッフが男装して接客するタイプのカフェだ。
「おかえりなさいませ、お嬢様、ご主人様。」
やけに強調された執事の恰好をした男装キャストに出迎えられる。
「うわージュークロキさんきいた!?お嬢様だって!!」
「みんなに言ってるんだよ。」
いささか冷めた反応のジュークロキを尻目にハニオカははしゃいでいる。案内されたテーブルで二人は向かい合わせに座らされるが、ハニオカはジュークロキのことなど見ていない。
「うっわー……かっこいい……ジュークロキくんあの人かっこよくない?あっちの人も!」
「ハニオカさん、『あっちの人』は多分、お客さんです。」
狭い店内には男装した女性客もいる。ジュークロキがホットココアを頼んでいるところにハニオカはオムライスの注文を入れた。
「調査ですよ?」
「こういうところのオムライスってケチャップで色々書いてくれるんですよね!ジュークロキさんは頼まないんですか!?」
「お昼もう食べたので。」
実はハニオカも食べたのだが、ジュークロキはそこは指摘しないでおこうと心に決めたようだ。
「お嬢様は初めてのご帰宅ですか?」
キャストは接客相手をハニオカに絞ることにしたようだ。ハニオカが妙に黒っぽい色使いの名刺を受け取っている。
「私……ほのかって言います。ほのかって呼んでください。」
「ほのかお嬢様、お連れの方はお友達ですか?それとも……」
「職場の同僚です。」
ジュークロキはややこしくなる前に事実関係をハッキリさせた。少しハニオカもといほのかお嬢様は気分を害したようだが、男装のイケメン(?)との交流で再びテンションが上がったようだ。その後、ほのかお嬢様はオムライスにハートを書いてもらって平らげ、男装キャストとチェキを撮影してそれはそれはご満足した様子だ。
「ほのかお嬢様。」
「なあにジュークロキ?」
すっかりお嬢様になっているハニオカにジュークロキが念を押す。
「調査をお忘れですよ。」
「あ。」
退店寸前にやっと仕事を思い出したハニオカはやっと本題に戻った。
「あの……すいません醒井さんって店長さんおられます?」
男装キャストは少し考えた。
「それは、多分、醒井の事ですね?何かご用事が?」
ジュークロキが横から名刺を差し出す。
「すいません、ちょっと調査をしておりまして。」
「ああ、なるほど。今ちょうど手が離せない時間帯だと思うのですが……」
そう言いながら他のキャストも頻繁に出入りしている店の奥をちらっと見る。時間は17時。店はかなり混雑し始めている。
「失礼ですが店長の醒井さんはどんなことをされているんですか?」
ジュークロキの質問はスムーズに答えてもらえた。
「うちでは店長は主に厨房にいます。別に内緒ではないので良いんですが、ウチの料理はほとんど醒井さんが作ってますよ。先ほどのオムライスも美味しかったでしょ?まかないもほとんど全部が醒井さんです。ウチの店は21時ごろになるとお客さん減るので、対応できると思います。」
「あと4時間います。」
即答するハニオカをジュークロキが制止した。
「では一度お店出ます。領収書お願いします。」
「えー!ジュークロキくんのケチー!」
ケチと言われたジュークロキくんは無言で壁の張り紙を指さす。「混雑時は1セット1時間で一度ご退店願います」と書かれている。店の外にはちらほら人が並んでいる。
「ご配慮いただきありがとうございます。お嬢様、ご主人様お出かけです!」
キャストの営業スマイルに押し出されるように二人は会釈して店を出ようとする。そのタイミングで店の前に置いてある自転車にハニオカが躓いて転びそうに
「お嬢様、お怪我はありませんか?」
……なったところを男装の麗人に抱きとめられた。
「……はい。」
退転後、店を少し離れたところでハニオカがピンク色の溜息を吐く。
「……イケメン……マジぱねえっす……」
「結果的にハニオカさんのどんくささがイケメンを引き立てたね。」
「カーッ!うるさい!……でも、退店ルールとか気付いてなくて危うくヤバ客になるところだった。超人気店じゃん。」
「裁判資料によると瑯子さんもここのキャストさんだったみたいよ。」
ジュークロキがスマホで店のホームページを検索すると、まだローズのキャスト画像が残っている。
「うわ!超イケメン!!……でも私には心に決めた王子様が……あれ?ジュークロキくんどこいくの?」
「夕飯。」
言われた通り21時過ぎると店内の客もまばらだ。再び訪れた二人を小太りに口ヒゲの男性が出迎えた。オレンジのエプロンをしている。
「どうも店長の醒井です。」
「こういうものです。」
ジュークロキが名刺を渡す。ハニオカがジュークロキの耳元に顔を近づけて「もっと王子様みたいな人かと思ってた」と小声で囁く。ジュークロキは無視して話を続けた。
「失礼ですが瑯子さんの件で少しお話が……」
醒井は見るからに都合の悪そうな顔をして二人を店の外に追い出しながら自分も店を出た。
「お客さんがいるところでその話はカンベンしてください。お店の方ではローズくんは一時お休みってことにしてるんです。」
「申し訳ありません。」
ジュークロキが頭を下げたのに倣ってハニオカも頭を下げる。
「それでローズくんの何が聞きたいの?」
醒井はジュークロキの名刺を眺めながらめんどくさそうに言った。
「お車、盗まれても被害届出さなかったそうで。」
「……まあ、兄弟?みたいなもんなんで。」
「なるほど。鍵はどこで盗まれたんですか?」
醒井はエプロンのポケットに手を突っ込みながら
「店だよ。」
と答えた。
「車のカギだけですか?家のカギと一緒になってなかったんですか?」
「車のカギだけだよ。鍵束とかジャラジャラするの嫌いなんだよ。」
そういいながら醒井は今度はズボンのポケットに手を突っ込みなおした。
「お先失礼します。」
不意にダッフルコートの女性が醒井にお辞儀しながら歩いて通り過ぎていった。
「お疲れー」
醒井が返事すると、一瞬、振りむいて会釈して歩き去っていく。
「すっげー地面ガン見しながら歩きますね。男装して接客してたときとは随分違う。」
「えっ!あれ!?」
出て行ったキャストは先程ハニオカのオムライスにハートを書いていたイケメンだ。ジュークロキはすぐに分かったようだがハニオカは咄嗟には分からなかったようだ。長身のイケメン男装キャストが帰宅時にはハニオカと対して変わらない身長になっている。無理もない。
「ああしてるとナンパされにくいらしいよ。あの人は普段は女装だから。」
「ということは普段から男装のキャストさんもおられると?ローズさんはどうでした?」
「ローズは……えっと、男装だよ。普段から男装。もう、店戻っていいかな?」
そういいながら醒井は返事も聞かずに店へ戻っていった。醒井がいなくなるのを見届けてハニオカが口を開いた。
「なんか忙しそうというか……何か隠してる?」
ハニオカにジュークロキも同意した。
「私にも何か隠してるように見えましたね。」
夜22時、お店は閉店のようでシャッターが閉まる。雑居ビルの1階。先ほどハニオカが引っかかった自転車はシャッターの外だ。
「寒いけどちょっとだけ張り込んでみましょうか。」
「本当に寒いですけどね。」
それでもハニオカは文句を言わずに張り込みに付き合うようだ。店から少し離れた場所で見張る。23時ごろシャッターが再び開いた。中から最後に残った二人のキャストと醒井が出てくる。キャストの私服は男装が一人、女装が一人。醒井はオレンジのエプロンをしたままだ。そして醒井は自転車に乗り、住宅地の方へ、他の二人は駅の方向に小走りに向かう。終電が近いからだろう。物陰からそれを見届けてジュークロキは歩き出した。
「ハニオカさん。」
「なに?」
ジュークロキが話し出す。
「家からバッグも持たずにエプロンしてくるおっさんが、わざわざ職場に車のカギ持ってきますかね?」
「肌身離さず、家のカギと一緒とか?」
「家のカギとは別々だと言ってた気が。」
「そうか。」
ハニオカも悩んでいる。そして悩み終わったようだ。
「ジュークロキくん、私のおじいちゃんがね。」
「ハニオカさんのおじいちゃんのお話、是非とも聞きましょう。」
「いっつも車のカギはリビングのテレビの横のちっちゃい小物入れのカゴに入れてたの。……なんか革の靴ベラみたいなキーホルダーつけて。」
「……調査員ハニオカは、車のカギは乗ってないときは自宅にあると言いたい。」
「そう!」
「私もまったく同じことを思ってました。」
「だよね?」
ジュークロキがスマホを開くと裁判記録の写しが転送してあった。
「車種は結構古い年式のスポーツカーです。……あの人、車好きなんだろうな。キーレスとかじゃない時代の車ですよ。」
「ねえ、ジュークロキくん。家で鍵をとられたってことは、ローズくんは醒井って人の家に忍び込んだ?いつでも出入りできた?」
ジュークロキがため息をつく。
「同居してた……も可能性に入れないといけませんね。とりあえず調べてみましょう。」
冷え込む夜の街。二人はタクシーを拾う為に大通りへ歩き始めた。
それから数日は明らかに何か隠している醒井の調査に当てられた。二人は聞き込み調査の結果を事務所に持ち寄る。
「私とハニオカさんの調査結果を突き合わせると……」
概要はこうだ。店長の醒井とローズは同居していて、近所の人間からは男友達同士、または兄弟で暮らしていると考えられていた。それが最近、年下で弟分と見られるローズがいなくなって代わりに一緒に暮らし始めた女性がいるそうだ。
「レインコートの女性が夜遅くに醒井の家に入っていくのを目撃している人間が何人かいますね。お兄さんが恋人と同棲するために弟さんが出て行ったと考えている方もちらほら。」
ハニオカはスマホで何か作業をしている。
「ハニオカさん何を調べてるんですか?」
「え?スタミナ消化してないよ?とりあえず、その出入りする女性に話を聞いてみればいいんじゃない?」
スタミナ消化をしていたようだ。
「まあそうでしょうね。」
ジュークロキはスタミナ消化については咎めずに、今度は醒井のアパートに出入りする女性を待ち伏せすることにした。
付近住民への聞き込みによると22時過ぎに目撃されることが多いらしい。少しはやめの21時半ごろからレンタカーで張り込む。
「ハニオカさん、今の時間はスタミナ消化してもエエですよ。」
「かたじけねえ。幽霊イベントやってんすよね。」
ハニオカがスマホを立ち上げる。ジュークロキは特にそのイベントについて興味も無いのでひたすら醒井のアパートに近づく人間がいないかを確認する。
「あ、誰か来た。」
「……あれは、下の階に住んでる人です。聞き込みの時に少し話してくれました。」
ハニオカはすぐにスマホに視線を戻す。それから一時間近く何も無かったが、ハニオカがスタミナ消化を終え、そろそろ無課金のスタミナ回復アイテムに手をつけようか悩みだしたころ。
「来た!レインコート!」
「うわ、マジだ!」
二人は急いで車を降りて「すいません!」と声をかけた辺りでレインコートの恐らく女性が走って逃げ出した。
「あ、待って!」
逃げるレインコートはすぐ先の曲がり角を曲がる。二人も続いて曲がるが。
「え?いない!?」
住宅街のさほど隠れやすくも無いだろう路地で見失った。
「目の前で曲がったのに……」
ハニオカは少し息を切らせている。
程なく、今度は見覚えのある自転車が走ってくる。
「今度はこっちが隠れなきゃ。」
ジュークロキとハニオカは帰宅してきた醒井と鉢合わせしないように、とりあえずその場を離れた。
「すごい逃げ足だったね。このレインコートの人。」
「あの消え方には驚きましたね。あと、もうレインコートをパクって来たんですか?」
ハニオカは先程のシーンを回想して、走って逃げた女性のレインコートを奪ってきたらしい。
「ちなみに逃げた人の顔、見えました?」
「全然暗くてダメ。」
ハニオカが拝借してきたレインコートを着てみると、ところどころデザインが不鮮明なところがある。ハニオカが知覚した情報以上のものは持ち出せないらしい。ただ、デザインは少し特徴的でネコ耳のフードが付いている。エナメルっぽい生地で色は鮮やかなイエローだ。
「あいかわらずすごい能力ですね。調査後にちゃんと返してきてくださいよ。」
「調査後に必ず!……それよりジュークロキくんどうする?明日もレインコート女を待ち伏せする?」
ジュークロキは首を振った。
「いや、あんまりしつこくやって警察呼ばれても厄介なので。」
ハニオカは自分に置き換えて考えてみる。知らない男女の二人組に夜道で急に声をかけられたらかなり怖い。
「それはそうですね。」
ハニオカは少し身震いした。さてジュークロキは顔の前で右手の親指と人差し指をつまむように開け閉めする動作を繰り返している。何か考えている時の癖だ。
「そういえば、言い忘れてたんですが醒井さんの車見てきたんですよ。勝手に持ち出されたってやつ。事故ったワケではないので、もう醒井さんが借りてる駐車場に戻ってました。随分、手を入れたスポーツカーで……なんかウイングとかつけてる感じの。あとロールバーってわかります?……こういうやつです。」
ジュークロキはスマホでロールバーを検索してハニオカに見せる。
「え、知らない。」
「だいたいこういう人の車って、めちゃめちゃエンストしやすい……って、昔そんな話をきいた記憶があって。無免許で運転で来ちゃうものなのかな?って考えると、ローズさんは車の運転をどっかでこっそり練習してたような気がするんですよね。例えば醒井さんみたいな人に教えてもらって……」
ハニオカがジュークロキに気になっていることを尋ねた。
「このなんとかバーって何のためにあるんですか?」
「私も知りません。」
翌日、二人は男装カフェの周辺を散策していた。ジュークロキがきょろきょろしている。
「こう見るとコンセプトカフェって一杯ありますね。あれもそうですか?」
「あれはただのネパール人がやってるカレー屋さんです。」
ハニオカがそう言うと、店内の男性店員がにこやかに手を振った。
「ところでそのレインコート着てきたんですか?」
「なんか、何となく?」
そういって雑居ビルの立ち並ぶ商店街を歩いていると
「えっ!?」
とそこそこ大きな声が聞こえる。振り返るとすぐ目を伏せた。男装カフェのキャストの女性だ。ジュークロキが駆け寄る。
「すいません、人違いです。」
「誰と間違えたんですか?教えてください。」
女性は消え入りそうな声で「ジョーセイくん」と言うと小走りに駆けて行った。
「……ジョーセイくん?」
「あのこの働いてる店の元キャストの名前。男装のコ。」
ジュークロキが聞き取った名前を反芻していると、その様子を見ていた目の前のメイドカフェのメイドが得意そうに話し出した。
「ご存知なんですか?」
そのメイドはさらに得意そうに話す。
「ウチの店に良く来てたから。なんか、スピード違反で捕まって、ムショで亡くなったって。」
「亡くなった?」
ジュークロキが話に食いつくと、メイドは店に入っていく。ジュークロキとハニオカは釣られて店に入っていく。
「お二人様、お帰りでーす。」
先程の物知り顔のメイドに促されるままテーブルに付くとジュークロキはホットココア、ハニオカはチョコバナナパフェを頼んだ。
「あそこの男装カフェのキャストってちょっとワケありっぽいコとかヤンチャなコ多くてさ。ジョーセイってコはちっちゃくてかわいらしいタイプだったんだけど、何度かスピード違反で警察のお世話になってたらしくて……ご主人様、あたしのど乾いちゃった。ホットウーロン茶飲んでもいいですか?」
「ああ、どうぞ!」
メイドは「ホットウーロンお願いします!」と威勢よく叫ぶと再び声のトーンを落とす。
「一応、お店のほうは円満に辞めたみたいな形にしてて。ほら、こういう店って辞めた子がその後どこで何してるかなんてお客さんにわかんないじゃん?ところが死亡記事が新聞に載っちゃって。刑務所内で事故死って。」
「あー、なんか聞いた覚えある!」
ハニオカがチョコバナナから顔を上げた。
「そのジョーセイって子が普段良く似たレインコート着てたのよ。ってかそんなのどこで買うんだろ?どこで売ってたの?」
ハニオカが逆に聞かれて困って「あははは……通販?」と誤魔化している。
「そっからがウワサなんだけど。事故死じゃなくて自殺じゃないかって。同じお店の背が高いハデなコが随分警察に食い下がってたって、見た人がいるってウワサで聞いてる。ムショでいじめられてそれが原因じゃないかって。」
そこまで話すとホットウーロン茶は空になった。
「飲むの速っ!」
「あんたもパフェ食べるの速くない?」
「ネットに書き込みがあります。ちょうど一年ぐらい前。」
ハニオカに運転させてジュークロキがスマホで調べ物をしている。
「ニュースになって、顔を覚えてた常連さんとかからだんだん『あのコじゃない?』みたいな感じになっていったみたいです。自殺説は出てないな。」
二人がやってきた場所は墓地だ。ここに獄中で不審死したキャストのジョーセイが眠っている。
「この『長友家乃墓』がそうですね。」
二人で並んで手を合わせる。そこにやたら大きなエンジン音が近づいてきた。駐車場に車が入ってきたようだ。歩いてきた人影には見覚えがあった。
「どうも」
墓参にきたのは醒井だ。醒井が頭を下げるのにつられて二人も頭を下げる。醒井は黙々と墓の掃除をはじめた。ジュークロキとハニオカはなんとなく後ろに下がってその様子を見ている。ひとしきり手入れが終わると醒井の方から話しかけてきた。
「二人は保険会社の調査員って言ってましたよね?もしかしてジョーセイのこと調べて下さってたんすか?」
ジュークロキは少し返答に困ったが、なぜかハニオカが「はい!」と即答した。
「すごい……すごい真っすぐな返事するじゃん。私、ハニオカさんが少し怖いよ……」
「私たちジョーセイさんのことも調べていました!」
ハニオカが念を押した。醒井は墓を見つめて振り返らずに語った。
「ジョーセイはムショでいじめにあって自殺したんですよ……それを事故死で片付けられて……」
ジュークロキは眉をひそめた。
「証拠とか証言とかあるんですか?」
「去年、ジョーセイに最後に面会したときに、監視がいるので中のヤバい話出来ないんですが、すごくメンタルが参ってて。一緒に面会したローズが『絶対、虐待されてる』って、『付き合いが長いから分かる』って。……これじゃあ証拠になりませんよね。でも、オレはローズの言うことを信じてます。」
醒井はそう漏らすとぶるぶると震えながら涙をこらえた。ジュークロキがポケットティッシュを差し出すと醒井は素直に受け取った。
「やっと辻褄が合いました。あなたが乗ってきた車は無免許の素人が運転するのは難しいカスタム車です。気になってたんです。ローズさんがあの車でスピード違反で捕まるためには、根気強く運転の練習をする必要があった。醒井さん、ローズさんにあの車の運転を教えたのはあなたですね?」
「……はい。」
「ジョーセイさんの死の真相を調べるためには刑務所内に潜入する必要がある。それも女性じゃないといけない。一般人は刑務所の中で起きたことなんて調べられません。受刑者になれば中に入ることが出来る。でも、同じ刑務所に入るためには近い罪状で実刑を食らうのが確実だった……そうですよね?」
「その通りです。」
ジュークロキはそこまで話して一息つくと付け加えた。
「でも、私が解いてない謎がまだあります。また会うと思いますが。今日のところはここで失礼します。」
醒井を置いてジュークロキとハニオカは墓地を後にする。
「ジュークロキくん、解いてない謎って?」
「重要なことが分からないんです。ローズの能力があるとすれば何なのか……これが分からないと……」
「……分からないと?」
ジュークロキは立ち止まった。
「もしローズさんが自ら手を下して復讐するつもりなら、止めることができません。」
ハニオカがため息をついた。
「結局、醒井のアパートの張り込みじゃないですか。」
「今夜は醒井さんが帰宅する前に例の女性が家にいるみたいですね。」
「ちょっと私出てきます。」
「え?」
ハニオカが車を降りると、小走りにアパートに近づいて、そしてすぐに戻ってきた。
「戻りました!醒井家の今夜の夕食はすき焼きです!」
「匂いを嗅いで来たんですね。そういう調査方法もあるってことか。先に家に居てご飯作ってる関係なんですね。」
時刻は22時半。張り込み始めた時間が遅かったので、すでにアパートに電気はついていたが、まだ醒井が帰宅していないのは確認できている。
「ねえ、醒井さんに直接聞いたらローズさんの能力とか教えてくれそうじゃない?直接聞いちゃったら?」
「醒井が知ってるとは限らないんですよ……あと、ローズくんがアパートからいなくなった後に通うようになったレインコートの女性……もしかしてこの女性を招き入れるためにローズくんがいなくなったほうが都合がよかったのかも。」
ハニオカは狭い車内で肩のストレッチを始めた。
「あんなに泣く人がそんなこと考えてるかな?ジョーセイくんってキャストのことであんなに泣きながら、自分の女性関係のためにローズを追い出します?」
ジュークロキも首をひねっている。
「タイミング?たまたま?やっぱり心情的に無理ありますかね……そもそもすき焼き作ってる女性が、そのジョーセイくんのレインコートを着てるって何か意味あるんですかね?」
「ジョーセイが実は生きていて、醒井さんとラブラブ同棲中!……いや、それなら醒井さん泣かないよね。醒井がさめざめ泣く……どう?」
「ダジャレとしては5点ですかね。」
ハニオカは急にジュークロキの腕をつかんでジュークロキの肩もストレッチし始めた。
「あいたたた……ここ最近寒くて体バッキバキになっちゃって。」
「それだけじゃなくて、ちょっとジュークロキくんはシリアスになりすぎです!オマエもちょっと息抜きになんか面白いこと言え!ジュークロキ!」
「シリアスってシリもアスも同じ意味ですよね。」
ハニオカは一瞬止まって考えてから、がっくりとうなだれた。
「マジでくだらねー」
「昔、英語の先生が言ってたんです。私もその時は『くだらねー』って思ったんですが、でも、これ聞くと以後『シリアス』って言葉見るたびに頭よぎるんですよ。シリもアスも同じだな……シリもアスも同じ??」
「ジュークロキくんが言ったんでしょ。たしかに尻とassは同じだけど。」
「同じだ!張り込み中止!帰って寝てローズさんに面会行くよ!」
「そういえば、まだ一度もローズさんに会ってないね。」
「保険屋が何の用?」
「……ハニオカくん。目がハート。隠して。」
「えっ?出てました?」
面会室に来た瑯子は長身痩躯で美貌の女性だった。そして何よりハンサムだった。見ほれるほどの美貌だ。
「ここなら確実にお話できるかなと。あと、こちら見ていただきたくて。」
ジュークロキが紙袋から取り出したのは例のレインコートだ。そしてすぐにしまう。ローズは声にこそ出さないが明らかに動揺した。ジュークロキはそれを見て微笑む。
「近いうちにまたお会いしたいですね。お会い出来たらゆっくりお話ししましょう。」
「ゆっくりお話ししましょう。」
ハニオカがジュークロキの言葉をなぞる。ジュークロキは椅子から立ちながら監視の刑務官に会釈した。
「あ、面会は以上で結構です。失礼します。」
面会室を後にした。
その日の夜、22時。醒井のアパートの前にジュークロキと黄色いネコ耳レインコートを着たハニオカが立っている。夜霧の中からもう一人のレインコートが現れる。同じく特徴的な黄色いネコ耳のレインコートだ。
「あなた、異世界の方ですよね?」
女性は立ち止まる。
「そしてあなたの能力は壁抜け?じゃないですか?。」
「確かに……私は物体を通り抜けることができる。」
ジュークロキは満足そうに頷いた。
「ローズさんは醒井さんと同居してました。友人としてなのか、兄弟としてなのか、はたまた恋人かは分かりません。異世界から来て戸籍のないローズさんにとって醒井さんは家族以上の存在だったでしょう。ジョーセイさんの死の真相を探るため、醒井さんの協力を得てローズさんが刑務所に入ったあとは謎のレインコートの女性が醒井の生活を支えます。レインコートの女性はだれか?ローズさんあなただったんですね。」
そう言われて女性はフードをはだけた。今日の昼、面会室で会ったばかりのローズが立っている。
「今日、面会室に来たお前らにそのコートを見せられて、今日ここで待っていると確信した。案の定お前らはここでオレを待っていた。お前らは何者だ?」
「私は調査員です。」
「私も調査員です。」
ハニオカも自己主張する。
「私たちは異世界から来た方を調査しています。異世界からこの世界に押しかける方が年々増え続けています。あなたのような方が多くなりすぎたり、問題を起こしたりしないようにするため調査しています。」
「調査しています!」
ローズはふうと息を吐いた。
「なるほど。」
ジュークロキはローズが少し落ち着いたと見て話を続けた。
「ローズさん、あなたにとってはこの世界の刑務所なんて無いに等しいモノだ。いつでも出られる。そして、いつでも入り込める。」
ローズは黙ってジュークロキを見ている。
「ローズさんの能力に気付いた時、こう考えました。きっとあなたは何度も刑務所の中に入り込んで調査を試みたのだろうと。でも、変な世界ですよね。刑務所の中の人は、外に出られるとそこそこ自由に動けるのに、逆に外の人間が刑務所の中に入り込むと……」
「入り込むと?」
ハニオカもフードを脱いでジュークロキの話に耳を傾ける。
「下手な受刑者よりも不自由なんです。中の人間を外に出さない為の刑務所は、むしろ外の人間を強く排斥する空間なんです。あなたは刑務所の中に好きな時に入り込める。ただし、調査となると話が変わる。外から勝手に入ってきた人間と受刑者は話したり出来ない。例えばこのハニオカさんを壁を越えてむりやり刑務所に侵入させても刑務官に追いかけられて捕まるのがオチです。」
「だから入ったんだ。」
ローズが口を開いた。
「真相を探ってジョーセイさんの復讐をするために。もしあなたが仇を見つけて復讐するとき。刑務所の中にいるあなたには強力なアリバイがあります。就寝時間中、今みたいに抜け出して、誰にでも復讐できます。」
ローズはその言葉に微動だにしなかった。肯定も否定もしなかった。
「本当はジョーセイさんの真相も私が調べたかったのですが……残念ながら私には無理でしょう。本当に事故なのか、組織的に口裏をあわせて巧妙に隠蔽しているか、もしかするともっと重大な事故が隠蔽されているのかも?率直に伺います。ローズさん。真実は見つかりそうですか?」
ローズはひどく悲しそうな顔をした。
「刑務所の中でもあなたは目立つでしょうね。ジョーセイさんの身内である事も刑務所に入り込んだ理由もとっくにばれているんじゃないですか?」
「お前の言うとおりだ。」
夜の街灯にほのかに照らされてローズは唇をかんだ。
「その調査、私では無理ですが私の所属する組織なら可能です。亡くなった方の声を聴くことができる能力者はウチの組織にはザラにいます。」
「え、そうなの?」
ハニオカが驚いた。ジュークロキが頷く。
「組織とやらは初めて知ったが、きっといるんだろうな。」
ジュークロキは少し声を潜めた。
「申し訳ない。ここからは交換条件にさせていただきたい。組織の霊媒師に調査を依頼するのは可能なのですが、復讐をご自身でするのはあきらめてください。もし、あきらめられないなら、私たちはあなたを元居た世界に今すぐ送還しなければいけません。でも、もしあきらめていただけるなら……」
「……あきらめたなら?」
ジュークロキは一呼吸置くと交換条件を明かした。
「必ず、真相を明らかにして、もし悪意ある加害者がいたならば、必ずこの国の法の裁きを受けさせます。」
不意に後ろで自転車が倒れる音がした。
「ローちゃん、この人たちに任せよう!」
「サメちゃん……」
醒井だ。
「当然、醒井さんはローズさんの能力を知っている。ローズさんの能力があれば銀行の金庫破りでも、宝石泥棒でも、何でもできた。それをしなかったのは貴方達が善の人々だからです。ジョーセイさんが亡くなった時、なぜその能力でジョーセイさんを助けなかったのかと、ローズさんは自分を責めたでしょう。きっと今も苦しんでいる。何が一番正しかったのか……その答えは」
「……答えは?」
ジュークロキはローズと醒井を交互に見ると自分の名刺を出した。
「刑期を終えたらこちらにご連絡ください。一緒に考えましょう。後もう一つ。」
懐から一見領収書の束に見える異世界人仮登録証を取り出す。
「ローズさんはどうやってこの世界に?前の世界の記憶はありますか?」
「物心付く前に、醒井さんに拾われて。醒井さんが言うには、空中が急に光って赤ん坊だったオレが降って来たって。」
ジュークロキは少し悩んだ。
「まあ、異世界転移……赤ん坊の神隠しでしょうね。えっと……瑯子。異世界人。物体を通り抜ける能力を持つ。能力強度は推定Bクラス。記入者は私、調査員ジュークロキ。ここ、ハニオカさんもサインして。」
ハニオカに渡すとハニオカも懐からボールペンを取り出す。
「調査員ハニオカ……と。書けました!」
「渡してください。」
ハニオカは「そうでした」と言いながら慣れない手つきで二枚複写の紙を剥ぎ取る。
「こちら、本登録前に別の調査員が接触してきたら見せてください。あ、でも刑務所の中に持ち込むと色々めんどくさいか……これ醒井さん持っててください。」
醒井が受け取った紙を横からローズが覗き込む。紙を渡すとジュークロキは深々とお辞儀をした。ハニオカもそれに倣う。
「それでは、私どもはコレで失礼します。」
立ち去ろうとする二人の調査員をローズが呼び止めた。
「もし良かったら……オレが店に復帰したら遊びに来てください!」
ジュークロキとハニオカはそれぞれに違う笑顔を浮かべて会釈するとその場を後にした。
「ねえ、ジュークロキくん。」
「はい?」
ジュークロキは事務所でPCを眺めている。それをちらちらと横目で見ながらハニオカは事務所の掃除をしている。
「この前、調査に来た霊媒師の人がね」
「はいはい」
「日本の事務所は汚いって。海外はもっとキレイだって。」
ジュークロキがPCから顔を上げた。
「そういえば言ってましたね。」
「もうちょっとマシな所に事務所引っ越せないの?」
ハニオカは意外とキレイ好きだが掃除をしても一定以上キレイにならない空間というものはある。
「うーん……ここ家から近いんだよな……あ、メール来た。仕事だ。」
「ねえー、ちょっと財団にきいておいてよ……」
「自分で聞けばいいじゃん。」
「ジュークロキくん上司でしょ?」
ジュークロキはそれを聞いて思い出したようだ。
「あ、辞令。ハニオカさんも助手じゃなくて正式な調査員になりました。給料がちょっと上がります。住宅手当が付きます。源泉徴収の書類に不備があるってカマンベール損保の事務からお叱りのメールが来てます。早く出してね。じゃー、行ってきます。」
「行ってきます……って私は?」
ジュークロキは立ち止まって微笑むと、そのまま事務所を出て行った。
「もうちょっと助手で使ってー!不安ー!あと、1階におしゃれなカフェがあるオフィスビルがいいー!」
急いでジュークロキを追いかける。
「ちょっと待ってよ!カフェじゃなくて焼きたてのベーカリーがあるビルでもいい!」
ジュークロキはそれを聞きながら、イートインがあって美味しいコーヒーが出るベーカリーの存在にハニオカさんが気づくと厄介だなと心の中で呟いた。