【コミカライズ】『真実の愛』に目覚めたとか言い出した王子をビンタしたら正気に戻った
あまり深く考えずに楽しんで読んでいただけたらうれしいです!
「キザリス・ハーデンターク伯爵令嬢! 俺はお前との婚約を破棄するっ!」
華やかに賑わっていた卒業パーティーの場に、その声は凛と響き渡った。
魔法学院。
魔力の素養を持つ者であれば、誰にでも開かれた学院でのパーティーだ。
二年生である私……キザリス・ハーデンタークは、数時間前の卒業式では卒業生代表として登壇し、答辞を行った。
今は学友や後輩たちに囲まれ、別れの挨拶をしていたところだ。
つい先ほどまで在校生たちが代わる代わるにヴァイオリンやピアノの演奏を行っていた舞台には、なぜだか私の婚約者であるミール・ゾディア第三王子の姿がある。
彼は金髪碧眼、眉目秀麗な容姿の持ち主なので、その姿は何か演劇でも始まったのかと思えるほど見応えがあったのだが……それにしてはおかしい。
何故かといえば、たった今、彼は他でもない私の名前を叫んでいた気がするからだ。
「俺は『真実の愛』に目覚めたんだ。隣に居るカレン・アイウィスが、俺にそれを教えてくれた。だからこそ――カレンと、新たに婚約を結び直すことに決めたっ!」
呆ける私を置き去りに、周囲の生徒が一斉にざわつき出す。
(カレン・アイウィス……)
その名前は知っている。平民でありながらこの学院で優秀な成績を収めている一年生。
ボブカットの髪に目鼻立ちの整った容姿をした彼女は、異性からの人気が高いと聞いている。
特にミール様は、私という婚約者がありながら彼女によく目を掛けていた。
学院内でも数日前から、仲睦まじげに語り合う二人の姿を見かけている。
今もカレンさんは、弱々しい小動物のように潤んだ瞳をしながら、ミール様に肩を抱き寄せられている。
私はじっと、そんなふたりを見定めるように眺める。カレンさんは怯えたような顔でミール様の背後に庇われているが、それくらいで目線の鋭さを緩める私ではない。
(――つまりミール様は私という婚約者を捨て、平民である彼女との『真実の愛』とやらを選ぶと)
なるほど、美男美女カップルで大いにお似合いだ。
大変結構なことだ。
(よろしい、ならば)
だが、そういうことなら私もそう簡単に引き下がりはしない。
引き下がるどころか、ドレスの裾を恥ずかしげもなく上げて前に出る。
「――承知しました。ではミール様、歯を食いしばっていただけますか?」
「……待ってくれ。よく意味が分からないんだが」
私が臨戦態勢を取ったのに気がついてか、つい数秒前まで調子が良さそうだったミール様の顔が一気に青ざめる。
そして状況を見守っていた学生たち――もっと端的に表すと血気盛んな野次馬たちが、一気に盛り上がった。
「やれ! やっちまえキザリス嬢!」
「"血塗られた惨劇"をもう一度!」
「そんな浮気男は女の敵です、キザリス様!」
「思いっきりぶん殴ってやってください!」
それも当然のこと。
キザリス・ハーデンターク――何を隠そうこの私は、魔法学院で最強の一角とされる魔法の使い手なのである。
普段は多少、筋肉質であっても穏やかでたおやかなる令嬢とされるが、その戦闘スタイルは魔力を込めた拳で相手を殴りつける――即ち徒手空拳である。
素手と侮ることなかれ。魔力量が常人を遥かに上回っているため、その拳は剣より鋭く、音を超えたと吟遊詩人に謳われるほどなのである。
この魔法学院で売られた喧嘩は星の数ほどだ。しかしそのすべてに、私は素手だけで打ち勝ってきた。
中には「俺と婚約してくれ」「僕の妻になってください」などと訳の分からないことをいう輩も居たのだが……やはり全て、拳で打ち倒してきた。暴力はペンよりも強しである。
そしてそんな私の伝説の数々を、婚約者であったミール様が知らないはずもなく。
ジャンプ一つで舞台を穿って着地した私を、ミール様がブルブルと震えながら見つめる。
一歩ずつ近づくたびに、ミール様はそろそろと後退していくのだが、壁際に追い詰められては逃げ場はなかった。
盛り上がった上腕二頭筋を前に、悲鳴を上げながらカレンさんが舞台袖に逃げ出していく。しかし私は、ミール様にはその隙を与えない。
「ま、待ってくれキザリス。話せば分かるはずだ」
「唐突に婚約破棄などと自分から言い出したくせに、よくもそんな使い古された文言を」
「暴力は良くない! 我々に必要なのは対話のはずだ!」
「ですから、アナタがそもそも会話を放棄して一方的な宣言をしてきたのではありませんか」
「諸君、今こそ対話が――そう、『愛』ある対話が必要なのではないか!?」
私は容赦なくぶん殴った。
といっても、そこは腐っても婚約者が相手なので容赦はした。
拳ではなく、しかも利き手ではない左手でのビンタをお見舞いしたのだ。
そう。私は少し筋肉質なだけで、根はとても優しい貴族令嬢なのである。
「ブヒイイインッッッ!!!」
子豚によく似た絶叫を上げながら、ミール様の細身な身体が吹っ飛んでいった。
野外舞台の天井部分に激突し、照明の部品と共に真っ逆さまに落ちてくる。
……しばらく、辺りを大量の埃と煙が覆い尽くした。
私はその光景から目を離さないまま……しかし、確信していた。
(――――光を超えたわ)
今、確かに、限界を超える一撃を放つことができた。左手から伝うようにして全身が痺れているのがその証拠だ。
そして他者の魔力障壁を、破ったという確かな実感があった。
それは、ミール様個人のか弱きものもあるのだが……それだけではない。
私はもう一つ、強固な障壁をも破壊したのだ。
……ゴホ、ゲホ、と咳き込みながらも、少しずつ晴れていく煙の中からミール様が姿を現した。
といっても、右の頬は見るも無惨に赤黒く腫れ上がっている。しかも痛みのあまりか両の瞳からは大量の涙が溢れていた。
せっかくの美形が台無しで、私は少し悲しくなった。
しかしこれも致し方の無いことだったのだ。
ミール様は仁王立ちする私を指さし、喉を大きく震わせた。
「き、き、キザリス……分かっているのか。いま君は、この国の王族を相手に理由なき暴力を振るったんだぞ……」
「そうですわね。ですが、それがやむを得ないと認められる場合は問題ありませんので」
意味を問うように、ミール様が私を見つめる。
私はにこっと、出来るだけ柔らかく笑ってみせた。
「いま、私が破ったのが、アナタが仰った『真実の愛』です。おわかりでして?」
「……あ……」
ようやく、ミール様の瞳には――元々の彼が持つ、聡明な光が戻りつつあった。
『真実の愛』――それは、魅了系では最強と目されるスキルの名称だ。
発動者は対象者と見つめ合いながら、たった一言を口にするだけでいい――「『真実の愛』を教えてさしあげます」なんて言うような呪いの言葉を。
それを聞くと、魅了耐性の弱い人間の場合、すぐさま相手の虜となる。
他の全てがどうでもよくなり、その人物の愛は一直線にスキル発動者だけに向けられる。そういう怖ろしいスキルである。
強力なスキルではあるが、それを見抜くのも破るのも、また簡単だとされる。
私の場合、あまりにも顕著にミール様にその傾向があったので、すぐそのスキルの存在を看破できたのだ。
「あたし……あの、すみませぇん。その、何も知らなくてぇ……」
「何を仰いますの、カレン・アイウィスさん。素晴らしい魅了スキルの腕前でしたわ」
ご立派よ、と両手を叩く私に、舞台袖から覗いたカレンさんの頬は引き攣っている。
平民である彼女が、王子であるミール様を手に入れようとしたのには様々な事情があるのだろう。その手際は粗末ではあったが、彼女の頑張りには私も感じ入るものがあった。
「また今度、よろしければ私とも殴り合いましょうね。もちろん素手で」
「い、いえ。結構です」
「あら残念」
彼女はとうとう顔を覆って泣き出すと、全力でその場を走り去ってしまった。
「……ううっ……。どうして『真実の愛』に掛かった人って必ず、「『真実の愛』に目覚めた」って宣言しちゃうんですかああ~~~っ!」
……そう。それが『真実の愛』の大きすぎる弱点である。
スキル効果に落ちた者は、なぜか口癖のように『真実の愛』とひっきりなしに口にするようになってしまうのだ。
さすがに突然、感極まったように『真実の愛』とか恥ずかしいことをやたらと連呼している人が居たら怪しい。無性に怪しい。
そして国民にとって、ギャグスキル扱いされている『真実の愛』はほぼ禁句のようなものだ。
そんなことを突然言い出した人間は九割ほどの確率で魅了スキルにやられているので――"あの一言にピンと来たらぶん殴ろう"の標語の元、問答無用で暴力を振るう許可も国から下りている。
といっても、ただストレス解消でぶん殴って良いというわけではない。魅了スキルを解除するために立会人の元でなら一発入れてみてもいいよ、というルールだ。やり過ぎは御法度だが。
私の場合、武器はこの"拳"なのでビンタしてあげて、ミール様を正気へと戻した。それだけのことだ。
「き、キザリス……」
「ミール様……」
足取りはフラフラとしていたが、ミール様は確かに私に向かって歩き出していた。
そして私も、そんなミール様におずおずと近づいていく。
学院ではミール様の言うとおり、出来るだけ距離を取り、節度ある関係を心がけてきたが。
『真実の愛』なんてまやかしにも打ち勝った今――もはや、私たちを阻むものなど何もないのだ。
「ミール様、大好きですわっ!」
「ああ。俺も君を愛している、我が愛しのキザリス!」
私たちは人目も気にせずに熱く抱き合った。婚約者なのだから当然だけれど。
そんな私たちを、少々複雑そうな顔をしながらも生徒たちは祝福を送ってくれた。
「キザリス様には、もっとお似合いの殿方がいらっしゃるでしょうに……」
……あら、余計なお世話です。
私にとって、どんなにおバカでもお間抜けさんでも、ミール様以上の人は居ないのだから。
+++
卒業パーティーからの帰り道。
負傷したミール様をお詫びにと家までお送りした私は、ひとりで帰路に着いていた。
私とミール様の婚約破棄の話は無かったことにされた。あの場にいた全員が口に頑丈な戸を立てることにしたのである。
戸の建てつけが悪い場合は、すぐに私が鉄拳を振り下ろして直すので問題は無いだろう。今後も二人の関係に障害はない。
そしてこれならカレンさんにもお咎めはない。ミール様は「拷問だ」「処刑だ」と喚いていたのだが、私が拳を見せれば黙り込んだ。
私は戦う女の子が好きだ。手段こそ許されるものではなかったが、優秀な魔法の使い手である彼女には心を入れ替えて頑張ってほしいと思う。
「るんるん……るん……」
ミール様と数年ぶりに想いを確かめ合えたことが嬉しくて、私は下手な鼻歌を歌いながら石畳の道を歩く。
貴族令嬢に夜間の一人歩きなどあるまじきことだが、私の場合は問題ない。自分より強い相手が国内でも数えるほどしか居ないからだ。
たとえ熊が襲ってきても、盗賊団と遭遇しても、暗殺者に命を狙われても、余裕で切り抜けられるのである。
それに月がきれいな、涼やかな夜に外を歩くのはわりと悪くない。
「あら……? ハルジオン様?」
そうしてズンズン突き進んでいると、知っている顔を発見して私は彼に駆け寄った。
「やあ」と気さくに片手を挙げているのは、ライノ公爵家の次男であるハルジオン様だ。
私とはクラスメイト同士だが、彼は身体が弱く、あまり学院の授業にも出たことはなかった。
それでも、医務室で受けているという筆記試験ではいつもトップを取っていて――凄まじい努力の人なのだと、私は密かに尊敬していた。
そう、私は筆記試験は苦手だ。実技は連戦連勝なのだが、なにぶん机に向かうのは苦手なのである。
「こんばんは、キザリス嬢」
「ごきげんよう。ハルジオン様はこちらで何を?」
今日の卒業パーティーも、彼は欠席していた。
最終日も直接挨拶できないことを残念に思っていたが、まさかこうして会えるとは僥倖だった。
しかし、こんな道ばたで会った理由はよく分からない。彼の生家がある方向とはまるで真逆なのだ。
ハルジオン様は、微笑むだけで私の問いには答えなかったが、こほんと咳払いをしてみせた。
「こんな夜分に、女性の一人歩きは危険だよ。僕が家まで送っていこう」
「いやですわ、ハルジオン様。私、巷で"筋肉令嬢"なんて呼ばれていますのよ」
「関係ないよ。キザリス嬢は女の子なんだから」
私は驚いた。ハルジオン様、なんて紳士なのだろうか。
それならお言葉に甘えて、と私は頷いた。ハルジオン様は安堵した様子だった。
……やがて、隣を歩き出した彼が静かな声音で言う。
「キザリス嬢。この二年間、本当にありがとう」
「何のことですか?」
「僕が授業に置いていかれないように、毎日のようにノートを家まで届けてくれたよね」
「いやだわ。お恥ずかしい」
本当に恥ずかしかった。何せ私の書く字は汚い。ミミズの這ったような字だとよく言われる。
公爵家の使用人の方たちが温かく歓迎してくれたので、何とかクラス委員としての役目は果たせたのだが。もっと字の上手な人に任せるべきだったと何度か後悔したものだ。
「そしてそのノートの隅っこには、可愛らしい猿やキリンのイラストが添えられていて……吹き出しには"ハルジオン様、ファイト!"って書いてくれていたよね」
私はハルジオン様の言葉に頬を赤くして、そっと微笑む。
「あれは猫とライオンです」
「……………………そうだったんだ。ネコ科の動物が好きなんだね」
私は夜空を仰ぎ見た。いっそ殺してくれと思ったのは初めてのことだった。
「もしかしてわざわざ、そのことを仰るために……?」
「ああ、違うよ。それもあるけれど――もっと大事なことを、君に伝えたくて」
ハルジオン様が立ち止まったので、私も止まる。
青白い月光の中でも明らかに、彼の顔は真っ赤に染まっていた。
「キザリス嬢。どうか僕と、婚約してもらえないだろうか」
……しばし、私は固まった。
私を見つめるハルジオン様の瞳はあまりにも真剣で。
あまりにも綺麗で――そのせいなのか、断りの言葉を考えるのにいつもより少しだけ時間が掛かった。
「……申し訳ございません、ハルジオン様。アナタの申し出は受けられません」
「そう、か」
ハルジオン様が眉を下げて笑う。
彼に、まったく悪いところはない。むしろとても魅力的な人だと思う。
でも、とてもじゃないが恋愛対象としては考えられないのだ。
「それはやはり……彼が居るから、なのかな」
「……ええ、そうです」
もしかして、私に婚約者が居るのを知らないのかと思ったが――そんなことは無かったようだ。
それに学院を卒業した現在ならば、今まで口にするのが憚られてきた想いでも、簡単に口にすることができた。
「私が胸に抱き続けたミール様へのこの想いこそ、真実の愛と呼ぶのに相応しいものだと……そう、思っておりますから」
月光の下。
ぺちん……と、間の抜けた音が響いた。
私の右の頬が、ハルジオン様によって打たれていた。
ただしそれは、いたずらで恋人の頬をつつくよりも弱い、あまりに優しい衝撃だったけれど。
私は、呆然としたまま……ぱちぱち、と何度か瞬きをした。
「…………あ、ら?」
「許可もなく触れてごめん。でも……分かったかな?」
にこっと、ハルジオン様が微笑む。
「今、僕が解いたのが『真実の愛』だよ」
それ以上は、何を言われずともよく分かった。
だって曇り続けていた視界が、急に晴れたような。
靄だとも認識していなかったものが、片っ端から消えていくような……そんな爽快な感覚に、私はしばし浸っていたから。
「――――私も、魅了に……掛かっていたのですね」
私が大きく息を吐き出すと、ハルジオン様が物憂げに頷く。
「ミール・ゾディア第三王子も、とんだ食わせ物だね。彼のそれは、カレン・アイウィスの『真実の愛』よりよっぽど高性能だったみたいだ。僕も気づくのには……それに君に近づくには、時間がかかってしまったし」
ミール様……否、ミールと私が婚約を結んだのは七年前のことだ。
確か最初はふたりきりのお茶会が開かれた。そこで初めて会話をしたのだ。
そうして私は次々と、封印されていた記憶を思い出していく。
勝手に私の瞳は、ミールを格好の良い、聡明な人物だと受け取っていたけれど……実際は違うのだ。
ミールはものすごいブサ男だった。いわゆる白豚である。
そんな彼と出会った私は大きなショックを受けた。でも別に、外見だけが嫌だったわけではない。
ミールは、会った瞬間から私のことを筋肉女などと罵倒し、その後も罵詈雑言を叩きつけてきたのだ。
しかもその直後には、
『お前みたいな筋肉女に、この俺サマが『真実の愛』を教えてやるブー!』
『…………っっ!』
みたいなことを叫ばれて、顔に似合わないその言葉に衝撃を受けすぎて、何がなにやら分からないうちに長い時間が過ぎ去っていた。具体的に言うと七年くらい。
……そうだ。
確か『真実の愛』は、相手の精神の均衡を崩した瞬間に使用すると、より効果が増すのだったか。
だとしたら私は、あの男の策略にまんまと嵌っていたということだ。
「恥ずかしいですわ……魅了の効果とはいえ、今まであんな男に惚れ込んでいただなんて」
「君は被害者なんだから、何も悪くは無いよ」
優しく微笑むハルジオン様。
命の――もはや命より大事な尊厳の恩人であるハルジオン様を、私は憧れの眼差しで見つめた。
だって私が本気のビンタでたたき落とした『真実の愛』を、彼はただの『ぺちん……』で打ち破ってしまったのだ。
やはり筆記試験だけでなく、魔法の実技科目でもハルジオン様は優秀な方なのだろう。強者の予感に胸が震える。
そう思うと一度でいいから手合わせがしてほしかった。本当に一度でいいから。一度だけでもいい。
「さて、これからどうする?」
私はそんなハルジオン様の問いかけには淡々と答えた。
「ミール様のことはとりあえず振りますわ。婚約関係も解消していただきます」
「……それでいいのかい? 婚約者に対して数年間も魅了スキルを発動していたなんて、明らかになれば前代未聞の大事件だ。王族と雖も、彼もタダじゃ済まないと思うけれど」
ハルジオン様の言うとおりだ。
だが不思議と、私の中にミールへの怒りはあまり無い。魅了の残滓というわけではなく、彼への強い呆れと嫌悪感だけが残っているだけだ。
何というか、ぶっちゃけどうでも良かった。
あんなに卑怯な真似を使った男に、労力を割くのがもったいない。
「そうですわね……とりあえず今度会ったら一発殴ります。ビンタではなく拳で、キツいのを」
「はは……今日のも相当、キツそうだったけれどね……」
どこかで見ていたのだろうか。そんなことを言い出すハルジオン様に、私も笑う。
「いえ。それとは比べものにならないくらいキツいのを、股間にぶち当てますので」
「……股間……かぁ……」
「それが最も効率的かと」
なぜかハルジオン様がちょっと内股になっていた。それに頬を汗が伝っている。
私はその、滑らかな横顔のラインを見て――そうして、頭を下げた。
「ではハルジオン様。ごきげんよう」
「えっ、ちょっと待って。どこへ行くの?」
「山ごもりをして鈍った精神と筋肉を一から鍛え直してまいりますわ」
「……え? 山に行くって、今からかい?」
「三日休めば鈍るものですので」
私は拳を振った。筋肉には休憩とタンパク質が必須だが、今は鍛えるべき時である。
何せ私はこの数年間、白豚のゴミ滓みたいな魅了なんぞに囚われていたのだ。恥ずかしいことこの上ない。穴が無くとも自力で地面を穿ち、その中で老後を送りたいほど恥ずかしい。
しかしそれを聞いたハルジオン様は、なぜか悲しげな顔つきをした。
「確かに君は強いよ。学院でも負けなしで、最強だと誰からも称えられている。……でも、僕は怖い」
「怖い……ですか?」
ハルジオン様の言葉の意味がまったく分からず、私は首を傾げた。
そんな私に、ハルジオン様が微笑む。ほんの少し、照れくさそうに。
「君に何かあったらと思うと、怖いよ。だって君は強いけれど、それ以上に可愛くて、きれいな……ひとりの女の子なんだから」
その瞬間。
私は、残った右の頬をぶん殴られたのかと錯覚した。
(――何なのだろう、この威力!)
それほどの爆発力だった。これほどの攻撃は今までどんな戦士からも受けたことがない。
私の心の臓は突如として高鳴りだした。あまりのときめきに発作を起こしているのだ。
動悸・息切れ・目眩の諸症状が怒涛の勢いで私に襲いかかってくる。
強すぎる。どうしよう。勝てない。……呑まれる!
私はまともに呼吸できずに苦悶しながら、その攻撃の名を呼んだ。
「こ、困りました」
「え?」
「私、また、性懲りもなく『真実の愛』にやられてしまったかもしれません……!」
どうしましょうとブンブンと身体を振る。ああ、心臓の強度を鍛えるにはどんな訓練が必要なんだろう。
でもそんな尋常でない様子の私に怖れることなく、ハルジオン様は私の熱い頬にそっと手を当てた。
いや……私のほっぺに負けないくらい、ハルジオン様の手のひらも、その頬も、真っ赤に染まっていたのだ。
「違うよ」
「へ……?」
それはきっとね、と形の良い唇が言葉を紡ぐ。
「たぶんだけれど……それはただの『恋』って呼ぶんだよ、キザリス」
――その日、私は恋に落ちた。
ついでにちょこっとだけ空も飛んだ。
『真実の愛』ほど盲目的でも、情熱的でもなくて……でもそれ以上に温かくて幸せな気持ちを、キザリス・ハーデンタークは知ってしまったのだった。
先日、このタイトルだけがふと頭に思い浮かんだので心赴くままに書いてみました。
お気に入りのシーンは鼻歌を歌いながらもスキップしないでズンズン歩くキザリス嬢です。
現在は長編を書いております。下にリンクを貼っておりますので、興味がありましたらそちらもぜひ!







