「騎士になりたかった魔法使い」~完結記念短編・対~
先日投稿した完結記念短編の主人公視点バージョンです。
未読の方は、先にそちらをご覧ください。
※本編未読の方には盛大にネタバレになっております。ご注意ください。
「うーん、ヤバイな」
朝から違和感はあった。「嫌な予感」と言い換えても良い。胸の辺りが重くてスッキリしない感覚だ。
原因は簡単、魔力の溜まり過ぎだろう。城にいると護衛の仕事と騎士の訓練、そして師匠の夜の特訓が日課になるのだが、最近は座学や薬の調合などが多くて魔力を使う機会が余りなかった。
他にあるとすればセクティア姫に定期的に依頼される、カフス用の石に術を込める作業くらいで、それも毎日ではない。そういった理由が少しずつ積み重なり、その事件は起きた。
日が暮れた騎士寮の自室で、俺はランプの灯りのもと、机に向かって書き物をしていた。またココと連名で論文を提出することになったのだ。今執筆しているのはその元原稿だった。
「うっ」
突然どくん! と胸が強く鼓動を打ち、俺は手からペンを落とした。カランと軽い音がして、ペン先が紙面に黒い染みを作る。
ヤバイと直感した。慌てて懐を探って細長い水晶を取り出したけれど、あった三本はどれも真っ黒。空は一本もなかった。
「げっ、マジかよ……!」
舌打ちしながら今度は机の引き出しに手を伸ばす。中の木箱にはまだ予備があったはずだ。しかし、間に合わなかった。
「うぁ、あぁっ」
胸が、いや「核」が熱くなり、それが一気に体全体に広がる。魔力が抑えきれなくなり、外へ溢れ出そうとしているのが分かった。駄目だ、そんなことになったら自分も周りもどうなるか……!
俺は無理やり熱を裡へと押しとどめようとした。すでに浅かった呼吸は完全にノドの奥で詰まってしまい、意識が真っ白になり――。
「……あれ? なんともない?」
と言ったつもりの自分の声が、「にゃあ」という猫みたいな鳴き声になっていることに気付いたのだった。
……へっ? ええぇえぇっ、お、俺、もしかして!?
ちょうど机の上に出しっ放しにしておいた手鏡を覗き込んでみると、そこにはバッチリと黒猫の姿が映っている。
「やっぱり猫になってる!」
その声も「にゃあ」にしかならない。まるで使い魔のテトラを大きくして、瞳の色を青から紫に変えただけのような、どこからどう見ても立派な猫だ。
つい先日、師匠に無理やり教え込まれた変身術が勝手に発動してしまったのだろう。だから覚えたくないって言ったのに! 猫になったのも練習でテトラをイメージしたからだろうなぁ。
「……」
どうしよう、早く元に戻らないと。そう思っても自力でどうにもならないことは過去のやらかしで証明済みだ。
はっとして机上から降り、引き出しを開けようと前足でカリカリ引っかいてみたが、猫の手で開けられるタイプではなかった。……仕方がない、助けを求めよう。
最初に頭に浮かんだのはキーマの顔である。なにしろ隣の部屋だ。
「にぁうぅ……」
猫に扉は開けられないし、呪文も唱えられない。が、魔力なら有り余っている。というか、少しでも消費しないと危ないのだ。
体が縮んだ分、許容量も減るはずで、早く減らさないと今度こそ暴発してしまう。猫型爆弾なんて冗談じゃない。
俺は境の壁に向かい、意識を集中し――転送術で空間を転移ってキーマの部屋に出た。よし、成功! あとで反動が来るかもしれないけれど、贅沢を言っていられない。
「に、にゃあっ?」
って、もう寝てる!? 疲れたのかキーマはベッドの上でぐっすり就寝中だった。駄目だ、一度寝たらコイツは絶対に起きない。
寝入ってすぐは眠りが特に深いようで、気付け術もキツくかけないと効果がないくらいだ。今はそんな加減をするのは無理……諦めよう。俺は仕方なくもう一度意識を集中した。
猫になっても刻印は使えるらしく、ココの居場所はすぐに分かった。自室に居るようだ。こんな深い時間に女性の部屋を訪れるのは気が進まないのだが、事情が事情だ。後で謝って許して貰おう。
再び空間を渡り、想定通りココの部屋の隅に現れる。ランプの灯りが遠いのか、そこは暗がりだった。万が一にも着替え中だったりしたら一大事なので、俺は「にゃあ」と鳴いて訪問を知らせる。
ココは読書に没頭していたらしく、「きゃっ」と悲鳴を上げて本を取り落としそうになった。慌ててそれを掴み、こちらに目を遣って言う。
「……猫? テトラちゃん?」
やはり外見と纏う魔力からそう思ったようだが、すぐに違うと気付いたらしく、それでも近くへと呼び寄せてくれた。敵だと認識されずに済み、ひとまずはホッとする。
近付けばココは俺の頭を撫でてきた。と思った次の瞬間には抱き上げられて頬擦りされてしまう。え、ちょっ!
「ご、ごめんなさい」
いきなりのことに驚いて慌てるとココは謝ってからベッドに腰かけ、俺を膝にのせる。そこでようやくカフスを見、自分が誰かに思い至ってくれた。
カフスと刻印があって本当に良かった。俺にとっては完全に身元証明書だな。
「あらら、そんなに気を落とさないで下さい」
早く戻してくれーと訴えると、彼女はまた猫の頭を撫でながら魔力を探ってきた。よしよし、そのまま少し減らしてくれれば戻れるはず……。しかし、そうはいかなかった。
「その前にちょっとだけ、良いですよね」
ココは俺をヒョイと抱えると、強く抱きしめてきたのだ。わわっ、何するんだよ!? 突然の柔らかさと体温、そして彼女の香りに包まれて鼓動が早まってしまい、体が強張る。
「良い匂いです……」
言いながらまたもや顔を寄せてくる。きっと変身術が発動している最中だから、魔力が濃く香っているのだ。感知に長けたココは特に感じ取りやすく、強く惹かれてしまうのだろう。
そう言う彼女自身からも、ほんのりと甘い香りがし始める。もしかしなくとも、俺の影響を受けて引き出されているようだった。
「にゃう、にゃうー」
確かに良い匂いかもしれない。けれど、魔力の香りは魔導師の感覚をおかしくさせる。どれだけ好きでも嗅ぎ続けているのはお互いにとってよろしくない。
っていうか猛烈に恥ずかしい! こうなったら気は進まないが……。
「きゃっ」
俺は勇気を出して、ぼうっとした表情のココの形良い鼻をぺろりと舐めた。他に良い方法が思い付かなかったのだ。彼女は目を丸くして「く、くすぐったいです」と呟く。
効果があったことに安堵し、その後も数回舐めて目を覚まさせる。それから前足で必死にアピールしたことで、ようやく承知してくれた。
ココが俺の体から余分な魔力を吸い取ってくれるのを感じ、勝手に発動した術が解けると――。
「わっ」
俺は元の姿で彼女の膝に乗っていた。互いの顔も間近にある。ココはビックリして飛びのくかと思ったのに、何故か逆に近付いてきて唇で俺の鼻にそっと触れてきた。
ぅええぇっ!? 何をされたか気付いた瞬間、顔が一気に熱くなる。何するんだと抗議したら、お返しの鼻キスだと言われてしまった。
「だって、凄く可愛くてふにふにと柔らかくて、良い匂いがして気持ち良かったんですもん」
「わーっ、感想を列挙すんな!」
「また猫になったら触らせて下さいね? あ、他の姿の時もお願いします」
「なんで他の姿までっ!?」
どれだけ「香り」にハマってるんだよ!? それに恥ずかしいコメントをぺらぺら連ねないでくれってば!
彼女は少し前から、思ったことは口にしないと伝わらないと確信しているような節があった。俺もそう思う一方で、口にしても伝わらない瞬間も結構あるよなぁとも感じていたりするのだが。
……いや、そんな悠長な思考に沈んでいる場合ではなかった。ココは俺の両腕を掴んでいた手に力を込めて言ったのだ。
「では、今日はこちらをお願いします」
「へっ? ええっ!?」
静かに告げ、目を閉じて待っている。突然のことで驚きはしたが、俺にだってそれが何を「お願い」する姿勢かくらいは判る。閉じられたピンク色の唇をまじまじと見詰めてしまい、どきりとした。
「……良いのか?」
事ここに至って確かめてしまうのは無粋なのだろう。でも、間違えて傷付けてしまうよりはずっとマシだ。彼女の念押しを耳にし、顔をそっと近付け――唇を合わせた。
おさまりかけた鼓動がドクドクと早鐘を打ち、全身が熱を帯びる。ココの体からは甘やかな香りが一気に立ち昇った。
それは自分も同じなのだろうと、顔を離した直後の彼女の色付いた表情から直感する。
「これで良いのかよ」
よせば良いのに、やっぱり確認してしまった。
嫌がられるかと思いきや、ココは上気した頬のままふわりと花のように微笑み、返事以外にもまたもや詳細に語ろうとし始めたので慌ててストップをかける。
今の行為の感想なんてものを延々と語られた日には、間違いなく自我崩壊する……っ!
「じ、じゃあ。急に来て悪かったな。助かったぜ」
これ以上一緒に居るのはまずい。俺は立ち上がって部屋を去ろうとし――服の裾が細い指で摘まれていることに気付いた。くいっと控えめに引っ張られる。
「ココ?」
「……もう少しだけ、傍に居て欲しいです」
上目遣いに強請られては、陥落するしかないのだった。
誘惑に負けて書いてしまいましたが、予想した以上にはハチャメチャになりませんでした。
少し意外ですね。
お読みくださってありがとうございました。