恋のプロローグ
騒つくバスの中、私はある人物を見つめていた。
クラスメイトの壇原聡太である。
話したことがないわけじゃないけど二人きりで話したことは一度もない。いつも彼は一人で漫画や本を読んでいるから、用事の時しか話しかけてはいけない気がして話しかけることも少なかった。
また、私と話しているところを見られたら壇原がみんなに噂されるのもかわいそうだったからだ。
今日も、また彼は本を読みながらつり革に捕まって本を読んでいる。
私みたいな人間が関わっていいような人じゃない。
部活の先輩と付き合っていたことがあるのは知ってる。
でも、私みたいなクズじゃ付き合えない。
「おっはーよ。美人かつ可愛くて、男好きの湊花苗ちゃん」
「ちょ、っと。ここバスなんですけど」
「何してんの?」
「別にスマホ見てただけ」
いつものように適当に暇そうな男探して、LINEして、その時の寂しさを埋めてるだけ。意味なんてどこにもない。
「バス降りたら聞かせてもらおうじゃないの。先週末の話を」
「は?なにそれ」
うわ、バレてる。最悪オブ最悪。
「噂になる前にこの君の味方である私に全部吐いちゃった方がいいと思うけどな」
彼の視線が少しこちらに向けられていることに気が付いた。
きっと本の邪魔だったのだろう。
「わかった、わかったから。ここでその話はやめて」
声のトーンをかなり下げてこのたった一人の味方である、東條奈々子に告げた。
そして、すぐにバス停に着き彼はすぐに降りて行った。
「で、どうなのよ。クラスメイトの神崎くんと二人であそこに入ってくの見られてたみたいだけど」
「うるさいなぁ。別にいつものことでしょ」
「そっかそっかぁ」
いつものように奈々子は笑っている。
だか、今日は目の奥が笑ってない。
「もうその話はおしまい。行くよ、ほら」
「この話、壇原が知ったらどう思うんだろうね」
心にナイフが刺さったように痺れと痛みが体中を走った。
「は?いきなりなに?」
「そのまんま。この話を壇原が知ったらどう思うんだろうね。質問だよ」
「なんで、あいつが出てくるわけ?」
「好きなんでしょ」
「好きじゃない」
そう言って私は奈々子を振り切って、教室へと走った。
教室に着く頃には息切れが激しく、クラスメイトは、驚いた様子でこちらを見ていた。
何もなかったかのように私は「おはよう」といつもの笑顔で告げると、「おはよう」と苦笑いでみんなは私に挨拶を返した。
そして、席に着く途中で彼にも挨拶をした。
「お、おはよ。今日は何読んでるの?」
「さぁなんだろうね」
彼が本や漫画のタイトルを教えてくれたことは一度もない。
それでも私は毎日聞き続けている。
少しすると奈々子が普通に教室へと入ってきた。
「さっきはごめん」
奈々子から謝ってくることなんて、今までに一度あったかなかったかというところなのに、謝ってきたということは相当悪いと思ったのだろう。
「私もごめん」
クラスメイトが聞き耳を立てているのが分かった私は必死に話を逸らし、スマホを開いて奈々子にチャットを送った。
『ごめんね。後でゆっくり話す』
すぐに既読がついて、返信が来た。
『り』
放課後、裏庭で話す予定だった私たちだがあいにくの雨で場所を変えていつものカフェに行くことにした。
雨の中、また私は前を歩く彼を見つめていた。
人は、これを恋と呼ぶのだろう。
好きな人がいたら自然と目で追ってしまうもの。
でも、私はこれを恋とは呼ばない。
バス停に着いてからも、横に奈々子がいるにも関わらず私の心と視線は彼に持っていかれていた。
それでも、私は恋と呼ばない。
「雨、こんなに降ってくるなんて思わなかったね」
「ほんとだよ」
空返事をすると奈々子は、彼がバスを降りるまで話しかけてくることはなかった。
そして、駅前のバス停で降りてカフェに着くと奈々子は急に元気になったのだ。
明らかにテンションがおかしかった。
「スパゲッティ食べようかな」
「あぁ今日午前授業でまだ昼食べてないもんね、いいんじゃない」
「花苗は?」
「うーん、ダイエット中だからパスタはなぁ」
「パスタって言うあたりやっぱオシャレだよねぇ」
「何その嫌味」
私達はいつの間にか普通の私達に戻っていた。
そこで彼女は朝の話題をぶっ込んできた。
「で、壇原のことはどうなの?」
「んー。何が?って言ったら怒るよね」
「うん、怒る。好きなんじゃないの?」
「好きじゃないよ。多分」
彼女は頬を膨らませて、こちらを睨んでいた。
「じゃあなんで毎日話しかけてるの?珍しいじゃん。しかも、多分って何」
「恋ってさ、勘違いなんだよ。きっとさ。好きだって勘違いして、それが恋だと勘違いして、付き合い始める。いつから好きだったのか、いつからそれが愛になるのか、果たしてそれが本当に愛だったのか分からない。恋なんて恋愛ごっこの始まりに過ぎない」
「じゃあ今、壇原のことを好きな気持ちは勘違いって言いたいの?」
「だから、好きなんかじゃ」
そう言いかけた私にパスタをぶっ込んできた。
「んんっいきなり、なに、すんの」
「勘違いかどうかなんて分かんないじゃん。本気で好きになるのが、振られるのが怖いだけじゃん。そんな言い訳並べて、逃げて、また同じ日々を繰り返すの?また寂しさを埋めるだけの日々を繰り返すの?私そんなのもう見てらんないよ」
ずっと奈々子は私が本当に恋するのを待っていたのかもしれない。笑って私のクズ以外の何者でもない私の話を聞いて、いつか恋するんだと信じてずっと呆れずに見守っていてくれたのかもしれない。
「でも、好きかどうかはやっぱり分かんないよ」
「私は嬉しかったんだよ。花苗が壇原を見る姿を見て、あぁこの子も恋に落ちたんだなって、いつ話してくれるかなって。ずっと待ってた」
「恋なんて好きになった方の負けなんだよ」
「負けたら、私が慰めてあげる。だから、素直になんなよ」
ずっと、考えていた。
私は彼のことが好きなのか。
彼とどうなりたいのか。
付き合いたいのか。
自分の感情に見て見ぬふりをして、同じ日々を繰り返していた。
「素直になる」
「おぉ」
「私、変わるから、もしかしたら傷付いてボロボロになるかもしんない。それでも、変わるから」
「じゃあ認めるんだね」
「うん」
そして、家に帰って、寂しさを埋めるためだけに連絡を取っていた人に片っ端から謝罪のチャットを送って、眠りについた。
すっきりした気持ちで迎えた朝。
私はまた今日も訪ねた。
「おはよ。なに読んでるの?」
「なんだろうね」
「じゃあチャットで教えてよ」
とスマホを差し出すと彼は、びっくりした顔でスマホを差し出してきた。
「誰にも言うなよ」
少し微笑んだ彼の顔を見て、私の心はピンク色に染まっていた。
好きになったら負けなんだ。
ずっとそう思っていた。
でも、負けるくらいがきっとちょうどいい。