3.Side フェレーナ
その日の晩餐は、久方ぶりに訪れたエドガーをもてなすため、かなり豪華な内容になった。
メニューを相談して決めたのはフェレーナだが、エドガーの好きなものを揃えろと言ったのは父親だ。
エドガーの好みと父親の好みとを上手く織り混ぜながら献立を考えるのは、料理人にとっても難しかったようだが、今のところ不満は出ていない。
目的のためには手段を選ばない父にとって、これも一種の懐柔策なのだろう。
「最近は王宮での仕事が増えたらしいな」
給仕をしていた執事から肉料理を取り分けながら、父親がエドガーに尋ねた。
「ええ、そうですね。家のことは兄一人で事足りますし、ランドール子爵から頼まれましたので」
「ランドール子爵はグレンヴィル侯爵の嫡男だったな、確か。そんな大物と仕事をしているとは、なかなか頼もしい」
「ありがとうございます、伯父上」
フェレーナは面識がないのでよく知らないが、ランドール子爵はとても有能な人物らしい。
そういえば、前にエドガーから貰った手紙には愛妻家だとも書いてあったことを思い出す。
エドガーが長く一緒に働いているのなら、きっと良い人なんだろうな、とフェレーナは想像した。
「ところで」
父親の声でフェレーナは我に返った。
「ユリウスが結婚したらしいな」
恐いくらいの笑顔で父親がエドガーに尋ねる。
エドガーは表情を崩すことなく頷いた。
「ええ、先月です」
「お相手はスペンサー子爵のご令嬢だったか?」
「そうです。兄の初恋の相手らしいですから、相当浮かれていましたよ」
「羨ましいことだ。……なあ、フェレーナ?」
ふいに話を振られ、フェレーナはグラスを取り落としそうになった。
慌てて曖昧な笑みを浮かべて頷く。
「本当に……ユリウス兄様はお幸せですね」
どう答えるのが正解なのか分からず、フェレーナは父の顔色を窺いながら無難な返事をした。
それを聞いて父は益々笑みを深める。
「エドガー、おまえもそろそろ結婚を考えないとならない年だろう?誰か心に決めた相手がいるのか?」
「私はまだまだですよ。もう少し自由でいたいですからね」
エドガーは苦笑いしながら、葡萄酒のグラスを傾けた。
「そうか。おまえにも早く身を固めて貰いたいものだがな。……それにしても、フェレーナも早く嫁に出さないと適齢期を逃しそうだ」
「フェレーナなら、いくらでも縁談があるでしょう?」
「否定はせんが、どれも今一つだ。おまえと結婚すればリーデル家の問題は一気に解決するんだが……どうだ?」
フェレーナはドキリとした。
カトラリーを持つ手が震えそうになり、そっと皿に置く。
「伯父上、フェレーナにも選ぶ権利がありますよ」
エドガーが申し訳なさげに答える。
それは遠回しな断りだ。
今までエドガーとの結婚を考えたことはなかったが、思った以上に衝撃を受けた。
すぅっと周りの音が遠ざかるような気がして、フェレーナは必死に耳を澄ませる。
最後に聞こえたのは父の笑い声だった。
(何がおかしいのかしら……)
不快な笑い声はやけに大きく頭の中で反響して、フェレーナはそっと目を伏せた。
*** ***
鏡には虚ろな瞳をした自分が映っていた。
真っ白なネグリジェよりも白い顔。
フェレーナは緩くうねる髪を梳かしながら、エドガーの言葉を思い出す。
夕食は途中からほとんど記憶がなかった。
味のしない料理を少しずつ流し込み、笑みを絶やさず受け答えしたような気はする。
ただ、フェレーナを拒絶したエドガーの声だけははっきりと残っていた。
エドガーにとって自分は一生を共にする対象とはならないことが分かって悲しかった。
だが、フェレーナにはやらなくてはならないことがあり、ゆっくり悲しみに浸る時間はない。
ガウンを羽織り、ポケットに小瓶を忍ばせる。
部屋を出るとしんとした廊下に思わず身震いした。
寒気がしたのか、これから起こる出来事に戦いたのか。
フェレーナはそのどちらもを否定するように頭を振ってから、エドガーの部屋に向かった。
意を決してノックすると、すぐに扉が開く。
「フェレーナ……?」
現れたエドガーは驚いたように目を見開いた。
「あの、兄様……」
「どうした?何かあった?」
エドガーが廊下を見回す。
フェレーナは小さく首を振って、あらかじめ用意していた言い訳を口にした。
「違うの。兄様に相談したいことがあって……」
「相談?明日じゃ駄目かな?……さすがにこんな時間はまずいよ」
「人に知られたくないの……お父様に知られたくないの……」
フェレーナはドキドキし過ぎておかしくなりそうなくらい緊張して言葉を続けた。
「兄様、お願い……」
エドガーは少し迷ってから、仕方ないというように部屋へ招き入れた。
フェレーナは自分が自分でなくなっていくような気がした。