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デザンクロ研究室の長い午後  作者: 門部ラン
序章『フェルカ・フィリーの秘密』
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8『保健室にて・a』


喰われているとも焼かれているともつかぬ、消失。

足先からせり上がってくるその感覚から、逃げる術は無い。


消える。


消えてなくなる。


なくなる。


無くなる。


失くなる。



何かを叫ぶ。


泣いて叫んで、喚いて、やがて喉も闇に葬られる塵と散ってーーーー


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「――――ッッッ!!!」


目を開けた――――肉体が残存しているということを実感してもなお、フェルカは自分が悪夢から覚めたということを信じられなかった。

身体に覆い被さった毛布、頭の後ろの枕、乾ききった喉、まだ熱い身体に苦しい呼吸――――五感信号を脳が受信し、ひとつひとつ確信に変えて初めて、フェルカはようやく現実世界に生還したことを安心して受け入れる。


自分を見つめる、紺碧の瞳に気がついたのはそれからだ。


「.........り、む、さん...?」


「――――」


その沈黙の下には、無限の感情がひしめいてたことだろう。

ユリムは目覚めたフェルカを見て、何か言わねばと口を開き、そして――――顔を逸らした。


「ユリムさん...?」


「......すまない」


「...!?」


やっと一言口を利いた男の声はか細く――――明らかに、人が涙を堪えながら話そうとするときのそれだったからである。


「ちょ――――ちょっとユリムさん!?」


あまりの出来事に、フェルカはがばっとベッドから身を起こす。


「なんで泣いてるんですか!?」


「うるさい!俺は泣いてなど――――...いや」


フェルカに背を向けて目頭を押さえていたユリムは、涙を収めると彼女に向き直る。


「これは開き直りでもなんでもなく、むしろ、生死の境を彷徨うかの如く苦しんでいた小さな子どもが目を覚まして、何食わぬ顔なままの奴はどうかしているぞ」


「むむ...それはたしかに...っていうか、私、そんなに酷かったんですか...?」


「...」


フェルカが尋ねると、ユリムはしばし黙り込んだ後、


「俺に言わせんでくれ。思い出して泣く」


「ユリムさんって意外と正直ですね...?」


「ともあれ――――これで動かぬ証拠だ。まさかこれ以上言い訳するつもりもあるまいな」


「...」


フェルカは何も言えずに黙り込む。


「単刀直入に聞く。俺に、どこまで話せる?」


「...ユリムさんが、どこまで知ってるかによります」


かけひきめいたフェルカの発言に、ユリムは少し目を見開く。

フェルカは悲しいくらいに大人びた表情をしている。


「...分かった」


ユリムは壁に寄りかかって腕組みをする。


「明らかな症状は日射効力の低下。観察に基づいて俺が疑っている症状は頭痛、倦怠感、睡眠障害、食欲不振あるいは不安定...フム...あとは...ごく稀に、突発的な眩暈」


「ふぇ...!?ちょ、ちょっとまってください...!?」


ユリムの羅列していく疑惑は、あまりに的中続きであった。

今まで誰にもバレて来なかったという実績があるだけに、フェルカは驚きどころか不気味ささえ感じる。


「ユリムさんってもしかして、その...私みたいな小っちゃい女の子専門の学者さんだったり...?」


「なんなのだ、そのいかにもいかがわしい括りは」


神秘科(スピルテ)ならあるかも?って思って...」


「どいつもこいつも学科だけで変質者扱いしおって...!

何度も言うが魔法生物学は至って現実的かつ建設的な分野で......まあいい。いいや全くよくないが、この件は一旦保留だ」


魔法生物学の意義について説教したい気持ちを抑えて、ユリムは話を本筋に戻す。


「ともかく、俺が知っているのはお前の抱えている諸症状のみだ」


「のみ、って...かなり網羅されてる気がするんですけど...?」


「ならば、俺が知るに至らんことを挙げてみるか」


言って、ユリムは指を二本立てた。


「ひとつ、それら諸症状の原因がなんであるか。

ふたつ、なぜお前がそれら一切を隠したがるのか。

俺はこれらに関しては答えを得ていない。加えて、お前の口から聞くことはほぼ不可能であると推察する」


ユリムの察する通り、フェルカはそれについて何も言う気はない。

彼の挙げた二点の答えは、フェルカ・フィリーの秘密のそのものだ。

少女の頑なな沈黙を、男も空気で感じ取ったのだろう。

複雑な表情でおし黙るフェルカに、彼はポツリと言う。


「まあいい――――俺がいちばんに確認したいことは、それではない」


「...?」


「フェルカ。この質問には答えてほしい」


ユリムは壁にもたれていた身体を戻すと、フェルカのベッド脇のスツールに腰をおろし、彼女を覗き込んだ。


「その様子を見る限り、少なくともお前は自分の絶不調の原因がなんであるかを知っている。そうだな?」


戸惑いながらも、フェルカは正直に頷いた。


「よし。では、これだけは教えてほしい。

――――お前のそれは、放っておけば死に至るものか、否か」


「...」


フェルカは自分の手元に視線を落とし、黙考ののち、口を開く。


「――――私の答えを聞いたら、ユリムさん、きっと怒りますよ」


「何...?」


ユリムがどんな心の持ち主か、フェルカはこの朝の短い時間の中で、それを知る手がかりをいくつも見てきた。


誰からも忘れられたような路地裏のネコたちに、愛情深く接する彼を見た。

知り合って三時間足らずの少女のために、涙を堪えきれなくなる彼を見た。


ひとつひとつの命に真剣になれる。


ユリムという名の、そんな人間を見てきたのだ。


だから、知っている。


「死ぬことはありません。ほぼ確実に」


彼を知った人間なら、誰しもが分かること。


「でも」


少女の告げるこの言葉が、どれほど彼の逆鱗に触れ、そして――――どれほど彼を深く傷つけるのか。


「私は、いっそ死んだ方がマシだと思ってます」


ゆっくりと見開いていく紺碧の瞳が、もう言葉には尽くせないほどの感情に掻き乱されていくのが分かる。

このままユリムが怒鳴っても、あるいは万が一手を上げてもフェルカは彼の好きにさせようと覚悟を決めた。自分だって言いたいように言ったのだ。それで自分が彼の感情のハケ口になれたのなら、それはそれでフェアというもの。

――――なのに。


「なぜだ...なぜそうまでして、耐えようとしてきた?」


傷心を無様に晒しながら、なおも男は、


「お前はもっと、弱くていい」


相手の心に寄り添おうとする。


いっそ怒ってほしかった――――なんて甘えた本音を認めながら、ついに少女は泣いてしまう。




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