6『sample4:最優天使』
どこの国の血を受け継いでいるのだろうか、女性は褐色の肌をしていた。ゆるいウェーブのかかった髪はラベンダー。どこかエキゾチックでミステリアスな雰囲気を醸し出している。
「あ――――アイレイ...!?」
先刻セインと呼ばれた男が声を上げると、アイレイと呼ばれた女性はシャイに微笑む。
「やっぱりセイン君だったのね。おはよう」
衒いのない、天使のような微笑みである。
「えっと...その人たちは...?」
「ほよ?」
「ああ、ちょっと此奴のケンカに巻き込うわっ!?」
「ダチだよ、トーモダチ!なあそうだろ兄弟!?」
ユリムの言いかけた真実を遮るように、唐突に彼の肩に男の腕が回る。
「やめんか、馴れ馴れしい!」
「そうカリカリすんなよ、ユリムサン君」
「違います、それでひとつの名前じゃないです...!」
フェルカがそう呼んでいるのを文字通り取ってつけた発言に、ユリムも抗議しようと口を開きかけたのだが、
「ほんと?よかったぁ...!!」
アイレイがぱちん、と両手を合わせ、それはそれは嬉しそうな顔をした。
「セイン君、やっと新しい友達ができたのね...!さっきセイン君を見かけたとき、もしかしてまたケンカしちゃったのかなって、心配してたんだけど...よかった!」
「――――お、おう。あんがとな、アイレイ...」
男は後ろめたそうに目を泳がせつつ、サッと後ろを向いてユリムに耳打ち。
「おい、ちょっと合わせてくんねぇ?」
「は?」
「アイレイのやつ、俺がケンカしたって知ったらめっちゃめちゃ悲しむんだよ。だからここはひとつ、俺に合わせて...」
「なぜ俺がお前に協力せねばならんのだ」
「そ、そりゃあお前、女に悲しい顔させちゃあ、男が廃るってもんだ」
「年下相手に殴り合いするような輩は、既に人間として廃れていると思うがな」
「頼むよ坊ちゃん...!!!」
「だからその呼び方はやめんか!!」
男たちが仲良く仲違いしている間、女性はフェルカのそばに歩み寄り、身を屈めて少女に話しかける。
「初めまして。私、アイレイ・ソウっていいます。あなたは?」
「ふぇ、フェルカです。フェルカ・フィリー。中等部の二年生です」
「まあ、二年生なのね?私は大学部、剣術科の二年生」
「え...剣術...!?」
「剣術科だと...!?」
フェルカに同じく、言い合っていたユリムもアイレイの自己紹介に目を見開く。
しかし、ユリムの驚愕はフェルカのそれと似ていながら、少し、彼女よりも踏み込んだものだった。
「と言うことは、やはりお前..."あの"アイレイ・ソウか...?」
「ほよ?"あの"ってどういうことですか、ユリムさ...」
「アー...ソイツぁアレだよ、兄弟」
戸惑う二人に口を挟んだのは、アイレイではなく、ユリムにうざ絡みしていた男のほうだった。
彼はアイレイをちらりと見やると、目を逸らして言う。
「たしかに、剣術科のナンバーワンにしてランカスタ研究室の最優たあ、そこにいるアイレイのことだ」
「え...えぇ...!?」
フェルカが驚きの声をあげるのも無理はない。
先の肩書きは、すなわちアイレイがアカデミー生最強の座にいるということを証明しているに等しいのだから。
「だがなあ、坊ちゃん。驚くのは無理もねえが、それに目の色変えちまうのは良くねえなあ。だよなあ、アイレイ?」
男が振ると、アイレイは呆気にとられたように目を少し見開いて、それからふっと表情を緩めた。
「うん。セイン君の言う通りよ。普通に接してくれたら嬉しいな?」
「あ、ああ...いやしかし、そのように尊敬すべき存在を前に、思わず一目置いてしまうのは致し方...いてっ!?」
後ろから頭を叩かれた次の瞬間、ユリムはまたセインに耳打ちされる。
「バッカじゃねえのかお前!女のコに兵器を見るみてえな目ェ向けてな、デリカシーねえとは思わねえのかよ!」
「いきなり他人の頭を叩く輩のデリカシーも問いたいところだが...」
なるほど、つまりセインはアイレイの優秀さを理由に彼女を他と差別化するなと言いたいらしく、それが理にかなった主張であるのはユリムにも分かった。
「喧嘩の告げ口については保留だが、その件については努めよう」
「えー、両方負けてくれよぉー坊ちゃぁーん」
「だからなお前...!」
「セイン君たち、またこそこそして、どうしたのかな...?」
「さ、さぁ...どうなんでしょう...?」
二人の様子を見た感じ、会話はもはやどうでもいい口喧嘩になっている気がして、フェルカはぎこちなく首を傾げ、そしてちらりとアイレイの横顔を盗み見る。
(アイレイさん、剣術科なんだ...ユリムさんが神秘科なのよりビックリ...)
剣術科とは戦学部に属する、読んで字の如く戦うことを主体とした学科である。卒業生はほぼ100%、警官や公安などの高い戦闘スキルを必要とする機関に就職する。
荒事からはほど遠そうなアイレイが剣術科のトップだというのだから、それはもう驚きなのである。
見かけによらないコレクション:サンプルナンバー4に登録待ったなし。
「そういえばフェルカちゃんは」
「ほよ?」
ふと意識を現実に戻せば、アイレイのアメジストの瞳は、フェルカの顔まわりを見回していた。
「そのフード、どうして被ってるの?」
「こ、これですか?えっと、その...」
フェルカはフードの上を握り口ごもる。
状況的に止むを得ずユリムには話してしまったが、日差し云々について、フェルカはあまり人にしたくなかった。
...彼女の秘密に関わることかもしれないからだ。
「そ、それより、聞きたいことがあるんですけど」
少々強引な会話の切り方になってしまったが、心優しいアイレイはフェルカの質問に答えてあげようという気持ちに傾いたようだ。彼女はアメジストの瞳で真っ直ぐにフェルカを見る。
「どうしたの?」
「そっちにいる、アイレイさんのお友達って、セインさんって言うんですか?」
「うん?ええ、そうよ。セイン――――セイン・サンペーター君」
「サンペーター...?」
聞き覚えのある名前にフェルカが反応すると、その反応に今度はアイレイが「あ...!」と何か思い出したような声をあげ、そして手首を裏返して腕時計を見た。
「いけない、もうこんな時間...!」
「...何?俺より年上だと...!?」
「へへ、まあ俺、たぶん老けないタイプのオトコマエだからな?てなわけで、俺より年下のユリム坊ちゃんだ」
「いいや、納得いかん!!学年で言えば俺の方が上級生ではないか!」
「俺、そーゆータテ社会キライ」
「年功序列もれっきとしたタテ社会の一形態だが」
「ぐ...い、いーんだよ坊ちゃんで!お育ちよさそーだし!どーせ親は医者とかそこいらだろ?」
「な...そ、育ちなど関係無かろう!」
「おっとぉー?俺ってばもしかして的中させ――――」
「セイン君、もうすぐ礼拝が始まるわ」
「――――げ...」
ユリムと何やら言い合っていたセインが、アイレイの言葉に敏感に反応した。
「礼拝?そういえば、大学部の生徒がなぜ下級生校舎近辺にいるのか疑問だったが...なるほど、そういうことだったのか」
フェルカも納得した。
敷地内にある教会――――サンペーター教会では、毎日朝夕二回の礼拝が行われている。
フェルカの仲良しのクラスメイトも、きっと今頃教会に来ているだろう。
ユリムは頷き、それから「フム...」とセインに訝しげな目線を送る。
「な、なんだよ」
「そこな勤勉そうな彼女はさておき、お前が真面目に朝夕の礼拝に足を運ぶというのが少々信じ難くてな」
「ぐ...」
「そうなの。セイン君一人だとサボっちゃうから、毎日私と待ち合わせして、一緒に行ってるの」
「ぐぎ...ちょ、アイレイ、そーゆーのさっそくバラしちゃう...?」
「ユリム君...だっけ?すごいわ。セイン君のこと、もうなんでも分かっちゃうのね」
「買いかぶり過ぎだ。他人がそのような習慣づくりに付き合ってやらねばならんほどのダメな奴だったというのは、俺の予想をはるかに上回っていた」
「しれっとなじるの上手いな?資格取れるんじゃねえか、坊ちゃん?」
「だから坊ちゃんではない!」
「ふふ...」
二人のやり取りに微笑みつつ、アイレイは「それじゃあ」と会話を締め括る。
「もう行かなくちゃ。ユリム君、セイン君はほんとにいい人だから、これからも仲良くしてくれると嬉しいな」
「はぁ...!?」
ユリムにしてみれば、セインとこれ以後も関わるなど大変ごめん被りたいところである。
そもそも友達というのがセインの勢い任せのでっち上げで――――しかし、アイレイがあまりに純真無垢に信じている様子なので、ユリムはついに何も言いだせなかった。
「よろしくなあ、兄弟!」
セインは相変わらず何も考えてなさげな様子で、ユリムの肩をぽんぽん叩いたりしている。少なくとも、ユリムと今後関わることに関して嫌だとは思っていないようだ。
「はぁ...アセト先生のところでは、一生分の厄介を味わったつもりでいたんだがな...」
「お?」
「独り言だ。ともかくもう行け。俺も始業に備えねばならんからな」
「うん、そうするわ。セイン君、行こう?」
「おー...ちょーイヤだけどアイレイの頼みだからなあ、俺もひと肌脱ぐぜ」
「ユリムさんユリムさん、セインさんは毎日朝夕礼拝のたびにひと肌脱いでるんですか...?そのうちタマネギみたいに、むきすぎてなくなっちゃうんじゃないでしょうか...?」
「タマネギとは即ち、元から中身が無いということだ。したがって問題ないと考察する」
「息ピッタリになじってくれちゃってよぉ、もう!!」
足並みが揃っているのかいないのか、ともあれ、知らない人が遠目に見れば四人の様子がたいへん微笑ましい朝の一幕に思えることには違いないだろう。