5『sample3:美貌の男』
言ってしまえば、美貌の男だ。
絶世の美男子と呼んでしまっても差し支えない。
整った二重瞼の奥にはブラウンの瞳。鼻筋もすっきり通っている。
左耳の後ろで一まとめにしてあるのは、赤いメッシュの入った金髪。字面ではやんちゃなカラーリングに思えるが、これが不思議と悪目立ちせず、自然と彼の美貌に馴染んでいた。
男らしいというよりは、女性に評判のよさそうな、スイートな顔立ち。王子様のようなハンサムフェイス、とでも言おうか。
「うっわ...こりゃやり過ぎちまったなぁー」
見知らぬ美男子は、その容姿に少々不似合いな軽い口調で、芝生に伸びている男子学生を覗き込む。様子をうかがう男が首を傾げれば、美しい金色の髪が肩の上をさらりとすれる。
「まいっか。それより、なあおい、大丈夫だったか?」
男がこちらを向くと、フェルカの手が自然とユリムのローブをぎゅっと掴んだ。
「見ての通りだ。下級生が大変怯えている」
ユリムが少々キツい声で言う。
「ひゃー、そうカッカすんなよ、坊ちゃん」
悪気はない、しかし人を馬鹿にしたとも取れる呼び方に、ユリムの眉がピクリと動く。
「おいお前」
「ごめんな、嬢ちゃん?当てにいくつもりはなかったんだ」
怒るユリムが目に入らないのか気にならないのか、男は跪き、少女に目線を合わせて話しかける。
フェルカは恐怖に飛び上がっていた心臓が、元の心拍を取り戻していくのを感じつつ、
「...何してたんですか...?」
もっともな問いを投げた。
「...ああ」
拍子、男は思い出したようにパチン、と指を鳴らす。
「元はといえば、そこに伸びてるヤツが俺につっかかってきたのが始まりなんだ。そーそー、言うほど俺は悪くねえんだよ」
「は、はい...??」
「もっと人が聞いて分かるような説明をしたらどうだ」
ユリムが皮肉まじりに口を挟む。
「やーだなぁ!そうツンツンすんなって!」
「いてっ!?」
男はニカニカ白い歯を見せながら立ち上がると、ユリムの背中をバシバシ叩く。
「やめんか、馴れ馴れしい!それより何があったのか説明しろ!」
「よくぞ聞いてくれた若人よ!いやー、それがさあ、聞いてくれよぉ...」
「そう言われると聞く気が失せてきたな」
「なんでだよ!説明してほしいんじゃなかったのかよ!?」
「あのー...それで、何があったんですか...?」
ユリムと男の相性が最悪そうなのを察して、利口なフェルカはそっと男に先を促す。
「そう、それがだな。俺は、そこでおねんねしてるヤツの模擬試合に付き合わされてたんだよ」
「...何?」
ユリムが声を尖らせる。
「剣術科棟以外での模擬試合は校則違反だぞ」
「おう?違う違う、剣は使ってねえよ。素手。ステゴロ」
「どのみち、ここまでの暴力沙汰となれば違反行為だろうが」
ユリムは気絶している男子学生を一瞥。
男は困ったように頭を掻き掻き。
「アー...そうなの?俺、ちょっとここ来てまだ日が浅いからそういうの分かんねーっつーか...」
「フェルカ、人と殴り合いの喧嘩をすることについてどう思う?」
「悪くて、いけないことだと思います」
「ふむ。俺もそう思う...ああ、ところでお前、ルールが知らないとかいう話が、どうした?」
「ぐ...で、でも仕掛けてきたのあっちだし!!俺、悪くなくねーか!?」
第三の"人は見かけによらない"のサンプルだ。フェルカは内心思う。ただし、リズやユリムと違ってこの男はザンネンな方向での"見かけによらない"であるが。
「怪しい...」
ユリムもフェルカと同じ感想に帰結し、訝しむような目で男を睨む。
「そもそもお前、人に殴りかかられるなど、いったいどのような恨みを買ったのだ?」
「ふーむ...そいつぁたしかに、俺が悪い...のか」
「心当たりはなんだ」
「いやー、ほら、俺の顔見りゃあ、なんとなく想像つくだろ?」
「ほよ...??」
ユリムと同じく首を傾げるフェルカに向かって、男は突然、柔らな微笑みを作る。
艶やかな前髪の隙間から覗く瞳は透き通っていて、睫毛は長く、鼻筋は綺麗で、見れば見るほど完璧な顔立ち...
「ほえぇー...!?」
「ギャハハ!照れたなコノヤロー!」
甘いマスク台無しの下品な笑いとともに、男は自分の美貌に陥落した少女の頭をぐりぐり撫で回す。
「なんだ、今のは...?」
「ユリムさんユリムさん...!この人、悔しいけど、すっごくすっごく悔しいですけど、悔しいですけど顔がいいですぅ...!!」
フェルカはユリムのローブに頰の染まった顔を埋めて、自らの敗北を嘆いた。
彼の美貌は、相手と使い方次第で簡単に乙女の心を溶かしてしまうだろう。
「ギャハハハ!顔がいいとはド直球に褒めてくれるねぇ!でもまあ、つまりはそういうこった!」
「ど、どういうことだ...?」
サッパリ要領を得ないユリムに、男はさらりと言う。
「まああれだ、そこに転がってる男はだな、俺の貌に惚れちまった女を好いてたんだ。それで、俺にケンカをふっかけたってわけよ」
「はあ...!?」
「だよなぁー、ほんと参っちまうよなあ。俺は惚れられた女の顔も名前も知らないってえのに、いきなり殴られるんだぜー?いいよなあ、ちょっと坊ちゃん、俺と顔取っ替えてくんねえ?なんちって!がははは!」
ユリムのこめかみに青筋が浮き立ったその時、
「ぐぅ...」
倒れていた高等部の青年が呻いた。
「っいてて...俺は何を......そうだ、あのノートとかいう男に投げ飛ばされて...」
「おお、おはようさん?お加減どーよ?」
「いや、それはもう最悪で...って、うぉあぁアァァ!?!?」
青年が絶叫するのは無理もないだろう。
「オマエェエ!!!?の、のこのこニコニコ俺にそんな顔しやがって、このっ...!!」
「まーまー、落ち着こうぜ兄弟」
「これで落ち着く奴があるか!!」
男子学生は立ち上がり、糾弾するように美男子を指差す。
「いいかノートっ!!今回は負けたが俺は諦めないからなっ!!次はお前に勝つっっ!!」
「ははーん、さてはお前さん...」
ノートと呼ばれた男は、見透かしたように目を細める。
「まだ、愛しのあのコに告白してねえな?」
「ほよ?」
「フム...?」
「な...なんだよ!?」
青年は顔を紅潮させてわめく。紛れもない、図星の証拠である。
「そんなこと、どうだっていいだろ!?」
「っかー!そんなんだからイヤんなっちゃうわねえ、オトコってェのは」
唐突な年増口調を挟みつつ、今度は指さされていた男が、逆に相手を指差した。
「お姫サマに俺を理由にフられて、それで俺にケンカ売っちまうのは、まあ許す。が !
お前さ、自分でおかしいと思わねーの?なんで姫サマ二の次で真っ先に恋敵にお鉢が回って来るんだよ?」
「そ、それは...」
「どーせ自分に自信がねえとかそんなんだろ?恋敵を打ち負かせば告白する勇気が湧いてくるなんて、甘っちょろいコト考えてるのかあ?惚れた女に真っ直ぐになれねえ男とかダメダメ、ほんとダメ」
「な...」
「ユリムさんユリムさん、なんだかお説教みたいになってきましたね...!?」
「だな...しかも、案外あの男の意見が的確だ...」
「うるさいっ!!」
こそこそ実況しあう二人をよそに、責められていた青年がやけっぱちに怒鳴る。
「お前には分からねえよ!!お前みたいな顔のいいヤツには!!」
「アー...まあ、たしかに分かんねえかもな。俺ってば超絶オトコマエだし?」
自慢も自尊もなく男は深く頷くと同時に、こうも続ける。
「でもまあ、いい女ってのは見た目だけで男を見ねえと思うぜ?むしろ顔がいいほど中身を見ねえ女ばっかり寄って来て大変じゃね?」
「ぐ、そ、それは...」
「だーかーら、要はお前が自信持てって話なんだよ。ほら、もう行った行った」
男はしっしっ、と手を振ってみせる。
「手始めに、デートの約束でも取り付けてこい」
「な、なんだよ!お前がいちいち仕切るんじゃな...」
「なら俺を無視して帰るのがスマートってもんだよな?」
「......っっ!!」
ことごとく論破され、もう投げつける言葉も見つからなかったらしい。
男キッと睨みつけた後、青年は逃げるようにその場から走り去っていった。
「っひゃぁー、青いねぇー」
青年の後ろ姿を遠巻きに眺めながら、男は妙に年寄りな所感を述べている。
「おおっと、そうそう...嬢ちゃん、危ない目に遭わせちまって悪かったな」
男は改めて、フェルカの頭をフードの上からぐりぐり撫でてニカッと笑った。
「あのガキの代わりに謝っとくぜ」
「お前にも落ち度があると思うが」
「と、とにかく私は大丈夫です!」
ユリムが険悪な雰囲気を放出しているのを見て、これ以上揉め事になるのはごめんとばかり、フェルカが口走る。
「えっと...ノートさんって、呼ばれてましたね...?」
「ン?ああ、アレな」
フェルカが名前を確かめると、男は視線を上に逸らす。
「偽名だよ偽名。ノートは俺が居候してる先のジジイのファミリーネーム。いやな?たまにいるんだよ。俺の名前覚えてて、わざわざリベンジに来たり、嫌がらせに来るヤツ。だから、俺に色恋沙汰で恨んでくる奴らには、ウソの名前名乗るようにしてんだ」
「色恋沙汰で恨んでくる人用の名前とかあるんですか...!?」
そこで、ユリムがふと気づく。
「まさか、説教の文言がやけに流暢だったのは...」
「ああ、ボコボコにした後、いつも言ってんだよ。ほっとんどの奴らが、ロクなアプローチもしねえうちに俺に殴りかかって来るんだぜ?ホントめんどくせえ生き物だよなあ、男ってのは...」
「ところで、それじゃあお兄さんの本当の名前は...?」
「お?気になる?そんなに俺のこと気になっちゃう?もしかしてさっきので惚れちゃったか?」
「ユリムさんユリムさん、私、この人も十分めんどくさい人だと思います...」
「奇遇だな。俺もちょうど同じ結論に至ったところだ」
フェルカとユリムが呆れたその時、
「――――セイン君?」
聞いただけで心癒されるような、優しい声がした。
ユリムとフェルカは声の方に顔を向け、
「げ...」
セイン――――そう呼ばれた美男子も、いたずらの見つかった子どものように、おそるおそる振り返った。