17『フィリー姉妹の憂鬱』
アカデミーの正門は、下校する生徒たちが絶えず外へ流れていた。
もちろん、すぐに帰らず、人の濁流のわきで約束の相手を待っている生徒も少なくない。
その人物もまた、フェルカという約束の相手を待って、正門のそばに立ち尽くしていた。
「...っ」
久方ぶりに視界に収めるその姿に、フェルカはやりきれない気持ちになって思わず目をそらす。
相手もまた、フェルカを見るなり瞳をいっぱいの不安で満たした。
彼女はリリー・フィリー。
フェルカの姉にして、最愛の家族の一人だ。
「フェルカ...」
フェルカには見なくとも分かった。リリーの瞳に溢れている不安と、心配と、愛情と、そのどれもが他でもない自分に淀みなく、惜しみなく向けられている。
「ねえ、フェルカ、私――――」
「カナギア先生の」
フェルカは感情を殺した声で、リリーの気持ちが言葉になるのを遮断する。
「伝言って、なに」
「――――」
必要条件を満たし次第帰りたい――――そう態度で示したフェルカに、リリーは表情を暗くしながら、妹の要望に沿うべく本題に入る。
「...来週の金曜日は、外の仕事があるからアカデミーには朝からいないそうよ。相談や質問があれば、別の日に来てほしい、って。それと...その......」
「?」
急に恥ずかしげにもぞつき始めたリリーに、フェルカは思わず彼女の方を見る。
すると今度は、リリーの方が目を逸らしながら、
「――――"リリーとは、微笑ましき姉妹の言葉を交わしてから帰るように"って...」
「ほ...ほぇ...!?!?」
この瞬間、"嵌められた"という気持ちが姉妹の間に共有たれたことは間違いないだろう。
徹底的に隙の無い、カナギアらしい小狡い...もとい、機転の利かせ方である。
「それにしたって、もうちょっとほかの言い方が...」
「わ、私だってこんなはずじゃなかったわよぉ...!!」
リリーは頭を抱えて縮こまる。
「お、お姉ちゃん...カナギア先生に、なにされたの...?」
「思い出すだけでこう...あぁ...どうして私はあのとき、あんなに油断していたのかしら...ってもどかしくてたまらなくなるような...」
「共感出来すぎだそれぇー!?」
「カナギア先生に恨みはないわ...でも...」
「なんの前触れもなく...」
「心の準備もさせないままに...」
「「息を吸うみたいに簡単に騙して!」」
言葉が揃って――――姉妹の間に、初めて笑顔が生まれた。
「あぁ...でも...よかった。案外、会ってみるものね」
「ほわ...」
フェルカは、その小さな身体を姉に抱きしめられる。
「...元気にしてる?」
「......」
フェルカは俯いて、首を――――横に振った。
あっけないな、と思う。
あんなに周囲にバレないように振舞って、ユリムにも倒れたところを見られるまで認めようとしないでいたのに、リリーに聞かれると、いとも簡単に本音を、本心を曝け出してしまう。
結局のところ、フェルカがリリーを避けていたのは、彼女に会えば自分はいかな隠し事も通せないということが分かっていたからだった。
「...そう。そんな気はしてた」
リリーは優しい声でフェルカの答えを受け止めると、彼女のバラ色の髪を、フードの上から撫でる。
「ねえ、私じゃダメ?フェルカの力になりたいの」
「それは...」
フェルカだって、そう思う。できることなら、リリーに全部を打ち明けてしまいたい。
しかしそれはできない。
むしろ、世界のあらゆる人々がフェルカの秘密を知ったとして、一番最後に知るのはリリーであってほしいとさえ思っていた。
それは、リリーのことが大好きだからに他ならない。
「せめて、あなたがどこで寝泊まりしてるのかくらいは、知っておきたいの」
リリーは言う。
「ミルノラの近くにはいるのよね?それじゃあ、心配なの。だってもうすぐ...赤バラが街にやって来るそうじゃない?」
「...!」
「避難勧告が届く場所にいなかったら、私...もしもフェルカが何も知らずに危ない場所に迷い込んで、あの吸血鬼たちにでも襲われたりしたら――――フェルカ?」
「...お姉ちゃん」
最後に、フェルカはぎゅっとリリーに抱きついて温もりを確かめると、静かに彼女から離れた。
「私、大丈夫だから。うまく言えないけど、頼れる人もできたりして...だから、大丈夫」
「フェルカ...?急にどうしたの...?」
溶けかけていた緊張の氷塊が、みるみるうちに少女の心を凍てつかせる。
「でも、ごめん。まだ、ちゃんとお話することはできないの。そういうふうに気持ちが向かない。でも、お姉ちゃんのことが頼りにならないって、そう思ってるわけじゃないよ。ほんとに、違うよ?だから、ほんとに...ごめんなさい」
「フェルカ...!?」
リリーが手を伸ばすのも避けて、見ないようにして、フェルカは下校生の流れの中に消えていった。
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ミルノラの中央広場に着いてから、フェルカは大またに歩いていた足を止め、心を落ち着けると普段のペースで歩き直す。
(...)
フェルカは行きつけのパン屋で今晩と明日の朝用のパンを買い、雑貨屋で不足していたコンロ用の魔力晶を買い足した。
(...お姉ちゃん...)
心が油断したそばから頭によぎってしまって、フェルカは自分を戒める。
今はもう、リリーのことは忘れよう。心配するだけ、後悔するだけ無駄なのだ。何より、あの時よりもいいリリーへの振る舞い方などフェルカには思いつかなかった。
そう頭では分かっていても、心の奥がモヤモヤとして、ズキンと痛むのを止められない。
そんな逡巡の中で少女が街を歩いていたとき、ふいに大勢の人の歓声が彼女の耳に入ってきた。
「あ...あの人たちは...!!」
大道芸人たちが賑わいをつくり、華を添える中央広場の一角。
そびえ立つのは赤と青。
あれに見えるは『フタツヅリ』――――ミルノラで一番人気の曲芸師だ。
その名の通り彼らは二人組。軽業にジャグリングに剣を用いたアクロバットな舞踏に、とにかくなんでもござれなマルチパフォーマーだ。
この二人の素性は謎に包まれている。というのも、二人はそもそも一度も人前で言葉を発したことがない。また『フタツヅリ』として現れるとき、彼らはいつでも目隠しをしていて素顔も分からない。
この目隠しというのは、もちろん演技中も付けたままだ。
数々の絶技と一糸乱れぬ連携を視界を覆った状態でこなすという嘘のような真の空間を作り上げるーーーーそれが『フタツヅリ』の大きな特徴だ。
フェルカもこの『フタツヅリ』のファンであった。彼らが舞台に立っているときは足を止めて最後まで見ているし、お小遣いに余裕のあるときはコインを入れたりする。
「『フタツヅリ』さん、来てたんだ...」
フェルカは晴れない気持ちを抱えているとき、教会に足を運ぶことはなくとも彼らのパフォーマンスに魅せられ、感動し、そして励まされてきた。
リリーと気まずい別れをしてしまった後だ。言うまでもなく、フェルカは『フタツヅリ』の方へと自然に足が向いていた。辛いことを、忘れるために。
『フタツヅリ』はいつものように、十メートル近い高さの小さな台に立ってジャグリングをしているようだった。演者の披露する絶技に、詰め掛けた観衆が拍手や歓声を贈っている。
その中にフェルカも混ざろうと、小さな身体を駆使して人だかりの最前列にたどり着いたその時――――赤い花びらが宙に散った。