12『二連勝』
レクバレン魔法学院の図書館は、幼稚舎から大学部までの全校舎に囲まれた、アカデミーのシンボルにして中枢の建造物である。
「勉強熱心ね」
「シルフィアさん...?」
図書館に来たユリムを見つけ、カウンタから声をかけてくれたのは、最近入って来たばかりの図書館員。
図書館の常連であるユリムは、顔見知りの彼女に足を止め、申し訳なさげに肩をすくめた。
いつもは本を目当てにやって来るユリムだが、今日ここを通ったのは近道目的である。
全校舎の中心に位置する図書館は全ての校舎と通路または転移術式で繋がっている。いわば交通の要衝というやつだ。
さらに言ってしまえば、図書館には転移室以外にも、アカデミーの時を告げる時計塔をはじめとしてさまざまな機能がある。
図書館というより"図書館を主とした複合施設"なのだが......この詳細も今は割愛である。
中等部校舎から理学部棟へは、ここの転移術式によるショートカットが効率的だ。
「申し訳ない。せっかく褒めて頂いた矢先にコレでは、格好がつきませんね...」
「いいのよ。気が向いたら、いつでも来て頂戴」
麗しの微笑みに見送られつつ、ユリムは図書館の一角、理学部棟行きの魔法陣の前に着いた。赤い絨毯の床に金色で刻まれた、一教室ほどにもなる大きさの魔法陣だ。
昼休み、人の往来も盛んになっている。巨大な魔法陣の上では、ユリムと同じ理学部の学生が理学部棟へと消えたり、反対に理学部棟からやって来た生徒が現れたりしている。
使用資格の証である校章バッジが付いているのを確認して、ユリムもその魔法陣の中に入る。
黄金の陣線を踏んで間もなく吸い込まれるような感覚に襲われ、そして数秒後にはユリムは自分が理学部棟の転移室、同じ柄の魔法陣に到着したことを認識した。
「まったく、いつ見ても通っても慣れんな...」
大規模かつ高度かつ全自動式の術式。いったいどこの誰が管理しているのやら――――そんなことを考えたりしている、矢先のことだった。
「ユリム」
「!」
転移室を出てすぐの壁にもたれていたのは、優美かつミステリアスなオーラを漂わせた、オレンジ髪の女性。
「コクソーさん...!?」
「やあ、ユリム。君が来るのを待っていたんだ」
カナギアはニコッと笑顔を見せるが、ユリムは先の"フィリー姉妹計画"を目の当たりにしたばかりである。
「なぜ俺を...?」
「そう身構えないでくれよ。別に、取って食おうというわけじゃない。キメラじゃないんだから...っと、すまない。今のはナシだ」
「い、いえ...その節は本当にご迷惑を...」
「アー...いや、いいんだ。まあ、もう少しアセト先生には大人しく...アー...うん、この話題はやめよう。私も頭が痛くなってきた」
悩ましげな空気が二人に漂いかけるのを振り払って、カナギアはユリムに向き直る。
「私が話したいのは、言うまでもなくフェルカについてだ」
「...はい」
案の定な本題に、ユリムは静かに返事をした。
「困るなぁ...そんなに警戒一色で見られると、私も話が進めづらいというものだ」
「い、いえ...それは、その...」
「まあ、悪いとは思わないけどね。そのくらいの人間のほうが信用できる...安心して、フェルカを任せられるから」
それと、私が君から事情を聞きたいと思うのは別の話だけどね――――そんなニュアンスが含まれているような気がして、ユリムはますます内心身構えてしまう。
カナギアがどこから自分を切り崩しにかかってくるのか、ユリムが脳内であれこれ想定を始めようかと思っていると、彼女はふいに視線をユリムからガラス張りの窓の向こうへ移して、
「――――私がフェルカと知り合ったのは、彼女が初等部六年の頃だった」
遠い日のことを零した。
「フェルカはとても感情豊かな子だ。そう...姉のリリーよりも複雑に物事を考えているんじゃないかと、そう思わされるときも少なくなかった。まあ、普段は年相応にいろいろゴッソリ抜けているけどね。そのあたりなんか、ユリムはたっぷり体験したんじゃないかい?」
「ええ、まあ...ちょこまかと、危なっかしいやつです...」
「はは...」
カナギアの言葉を認めつつ、しかし、ユリムは彼女が前半に言ったフェルカの評価についても心当たりがあった。
保健室で目覚めたばかりのフェルカは、少し、遠い目をしていた。
「リリーから聞いた話をこっそり開示するけどね。フェルカはここ最近、ほとんど家に帰ってないそうだ」
「は......?」
「そのまんまの意味だよ。家族に顔を見せていないんだ。
そしてアカデミーではリリーのことを避けている。クラスの友達付き合いは変わっていないようだが...私の見立て、普段通りに振る舞おうと心がけて振舞っている感じだ。もちろん、私のところへ顔を出すこともめっきり減った。
つまり――――いま、フェルカは独りなんだ」
一言で結論付けてから、カナギアはふっと笑う。
「だからね、ユリム。保健室で君と楽しげなフェルカを見て、あれで私は心底安心していたんだよ」
「い、いえ...お言葉ですが、俺はあいつとほんの今朝知り合ったばかりで――――」
「きっと、それがラクなんだろう。...見てれば分かるよ。
あの子は想いの深い相手ほど迷惑をかけないよう頑張ってしまう。現に、リリーのことはいちばん潔癖に避けているようだしね。
だから今の彼女に、君のような"甘えていい相手"がいるのはとても幸運なことだ。アセト先生に鍛え抜かれた世話焼きのエキスパートを引いたのは、豪運なくらいだね」
「は、はあ...否定はしません...」
「ははは...!」
なんとも言えない表情でメガネを押し上げるユリムを見て、屈託無く笑うカナギア。
「さて――――そこで私が持ちかけたいのは、こういう取引だ」
とても自然に切り出したカナギアは、コートから巾着を取り出した。
「...!」
「倒れたフェルカを担ぎ込んだのは君だ。そして彼女が目覚めるまでの間、君が彼女になんの治癒も施さず棒立ちしていたとは考えづらい」
巾着が開いて、魔術師の手のひらに数粒溢れたそれは、アメジストに似た紫色の結晶。
「ちょうどここに、魔力晶がある」
魔力晶とは、文字通り魔力を結晶化したものである。
魔術師誰しも、魔力が無尽蔵にあるというわけではない。そこで、魔術師たちは余裕のあるときに魔力晶をこしらえて、もしものときのために魔力をスタックしておくのだ。
「入り用だろう?午後は剣術の実技試験だ。いまの君のコンディションじゃあ、今度の"秋のバラ摘み"に採用されるだけのパフォーマンスは不可能に近い」
さすがデザンクロの右腕たる人材...ユリムは痛感した。
彼女は、いまいちばんユリムの欲しているモノを理解し、それをチラつかせている。
代わりに何を要求されるのか、考えるだけで恐ろしい。
いいや、考えるまでもなく、答えは薄々見えている。
「...フェルカのことを話せと、そういうことですか」
「逆だよ」
「!?」
「君とフェルカの間にある秘密について口外しない。それが条件だ」
カナギアはにこやかに、そして静かな声でユリムに言う。
「私がいまいちばん恐れているのは、フェルカが君に失望することだ。そうなればあの子は...独りに逆戻りだからね」
そこには、フェルカを、一人の子どもの心を案ずる一人の女性の、真剣な眼差しがあった。
「約束してくれるかい?」
「...僭越ながら、愚問です。取引ですらありません」
ユリムは緊張のほぐれた笑みで言う。
「魔力晶は、コクソーさんの善意で譲っていただくことにします」
「ははは...!案外生意気なことを言うね。君で良かったよ、ユリム」
カナギアはぽん、とユリムの肩を叩くと、すれ違いざまに彼の手に魔力晶を落とす。
「ならば――――別のモノを頂こう」
「――――は?」
あくまでも穏やかな声に導かれるまま、ユリムは振り向いて――――言葉を失う。
「使用済だね。汚れはないが、洗浄した跡がある」
カナギアがユリムにチラつかせてみせたのは、一本の注射器。
ユリムが持っていたはずの器具。
カナギアに掠め盗られていたのだ!
――――まただ。
相手が安心しきった頃に仕掛ける。
一度見たはずのその手口を、ユリムは防ぐことができなかった。
注射器が霊薬作りに使われたと見抜いた上で、魔術師は言う。
「この中に入っていた原料、当ててみようか?」