19『ある男と助手の会話』
「まったく、教会の連中も連中ですよ。往生際が悪いというレベルではない。もはや頭が悪いまで来ています」
魔術師カナギア・コクソーは、呆れ果てた顔で毒を吐いた。
ここは、レクバレン魔法学院職員棟の一室――――デザンクロ研究室。
テーブルには、淹れたての紅茶が湯気を踊らせるティーカップが二つ。小皿に盛られたチョコレートが横に置いてあった。
「なかなか厳しいことを言いますね?カナギア」
二人がけのソファに腰かけて、銀髪銀眼の老紳士...エルトラン・デザンクロ氏は、サーブされた紅茶を飲んでいる。
「だってそうでしょう?」
振り向くカナギアは、デザンクロ氏の助手である。妙齢の女性で、オレンジ色の髪を後ろでひとつに括っている。
「もともと、感謝祭の会場がエトルキースからミルノラに変更になったことだって、中央命令という名を冠した苦情が原因です。
その内容も"首都エトルキースでの感謝祭の禁止"...そして教会は通達の揚げ足を取って、首都の代わりにミルノラを戦場に選んだ」
「戦場ではありませんよ、会場です」
「いいえ、戦場です」
「はぁ...まあ、事実上はそうなりますね。会場変更のお陰で、感謝祭はリスクが跳ね上がりました」
感謝祭は、毎年秋に催されるガウラ教の宗教行事である。最高神ガウラへ秋の実りの感謝と同時に、この先一年の健やかなることへの祈りを捧げるのだ。
人間至上主義を唱えるガウラ教の一大イベントに、吸血鬼至上主義を掲げるテロリスト、赤薔薇同盟が、黙っている道理はない。
「毎年毎年、赤バラが襲撃してくるのが分かっていながら感謝祭を"敢行"する教会の"篤い信仰心"には脱帽ですよ。帽子どころか、銃の安全装置まで外れてしまう」
カナギアは、コートから珍しい形のハンドガンを取り出し、ジャキ、と獰猛な音を鳴らした。
初めて感謝祭が赤バラの襲撃に遭ってから、驚くことに教会は一度も感謝祭の中止をしてこなかった。赤バラの活動が活発になったここ一、二年の間も変わらずである。その度に、彼女の銃は掃除に駆り出されていたのだった。
赤薔薇の活発化に政府が危機感を示したが故に、エトルキースでの感謝祭の禁止通達が出されたのであるが...それを受けた教会は屁理屈のように、代わりにミルノラでの感謝祭開催を決定した。
残念ながら、政府には教会にそれ以上口出しする力はない。通達が"全面禁止"ではなく"首都での開催禁止"だったことにも、政府側の無言の譲歩が見られるのは明らかだった。
「今年の感謝祭の参加者は、どれほどなのですか?」
「信じられないことに、去年とほぼ変わらずです」
「ふむ...本来ならば、中止されて当然のイベントのはずでしょうに」
「......先生」
カナギア助手がポツリと言う。
「先生はこの"感謝祭"について、教会側は何の考えがあって継続開催しているとお思いですか」
デザンクロはしばし黙考する。
「やはり宗教行事ともなると、改革が難しいということではないでしょうか。伝統文化に現代のメスを入れるのは大変神経を使うものです。
なにより、彼らにとって神というのは心の拠り所ですからね。神に感謝と祈りの両方を届けることができないとなれば、彼らはその先の一年間を背信の罪悪と無加護の不安の中で過ごさねばならない」
「なるほど...先生」
「はい」
「やはり先生は、本当に剣を振り回すことしか能の無いお方です。心の底から同情します」
「はい...はい?」
唐突にこき下ろされ呆気にとられるデザンクロに、カナギア助手は机上に積まれた書類のひとつを彼に投げた。
「ここ三年の、感謝祭参加者のリストです。まさかこれで気付かないとは言わせませんよ。これは知的活動ですらない、視力検査の域の話です」
「フム...?おや、これは...」
カナギアが視力検査と形容したのは、なるほどリストを見れば納得できた。
「マズロ、サンペーター、シューヴェー...ほとんどの参加者のファミリーネームが、この三種類ですね」
「そのファミリーネームに心当たりは?」
「メジャーなガウラ教会の孤児院で...」
そこまで言いかけて、デザンクロは戦慄に銀眼を見開いた。
「実際に、私は該当する孤児院三つに行き、リストにあった子どもたちに話を聞いて来ました」
カナギアは心底不愉快そうな声で言う。
「みんな子どもだったんですよ。まだ10になるかならないかの...大人に逆らう術を持たない子どもたちです」
「カナギア...」
「案の定でしたよ。教会は数合わせのめに、彼らの経営する各孤児院の子どもたちを、あの冷たい秋の夜に、教会へ無理矢理押し込めていた」
「...そうまでして感謝祭を続ける理由は、赤バラですか」
「ここからは私の推測ですが、おそらくは。
毎年感謝祭を襲う赤バラ団員は、飛び道具も持たせてもらえないような下っ端が大半です。対して、教会側の駒は魔闘の専門家たる公安。
教会には確信がある。感謝祭はこれからも毎年、教会側の――――人間の圧勝で終わるのだという確信が」
「......」
デザンクロは紅茶を一口飲み、一呼吸おいた。
「彼らが秋の夜に捧げたいのは、感謝でも祈りでもなく、"悪魔の子"の血というわけですか...どちらが悪魔か分かったものではありませんね。赤バラも人間を手にかけに来ているのですから、悪魔と呼ばれても致し方ありませんが...さしづめ、悪魔と悪魔の喰らい合いといったところでしょうか」
「悪魔同士で勝手にやるだけならまだいいものです。
いつもいつも...弱い者から切り捨てられる。いつだって真っ先に犠牲になるのは、子どもたちだ」
「カナギア...」
「絶対に許さない」
拳を固く握って、女は怒りに声を震わせる。
「子どもを我が物顔で不幸にする人間はクズだ。私は絶対に許さない。ミルノラに感謝祭がやって来た以上、その主導遊撃部隊に先生と組み込まれた以上、赤バラも、うわべだけの感謝祭も、ぶちのめしてやりますよ」
「...ええ。あなたと私なら、そう難しくはないでしょう」
デザンクロはカナギアに手招きして、彼女にまだ温かい紅茶を勧める。彼女は男の隣に腰を下ろすと、渇ききった喉を潤していく。
そしてふいに、カナギアがこぼす。
「先生と私と――――志を共にする研究生たちがいれば、もっと大きなことができるでしょうか」
カナギアの問いかけに、デザンクロはふっと表情を緩める。
「もちろんです。そのために、私たちは準備を進めているのですからね。棘の冷たさだけではなく、花びらの美しさにも目を向けてくれる...そんな学生達を集めて、作りましょう。デザンクロ研究室を」
「先生の名前を冠しているというだけで、なんだかダメそうな空気が漂って来ますね」
カナギアは口に放り込んだチョコレートを転がしながら、やる気なくデザンクロに身体ごともたれかかる。
「フム...では、カナギア研究室というのは...」
「なぜそこで私の名前なんです...!?」
「我ながら名案だと思ったのですがね?私は賛成ですよ?あなたのことは大好きですし」
「キショい」
「レディ...!?いったいどこでそのような口の利き方を覚えたのです...!?」
「ご安心を。先生の前でしか使いません」
「おお...なんと嘆かわしい...」
「もう結構です。主導教授の名を冠さない研究室なんてレクバレンにはひとつも...ああ、そういえば先生はその歳に及んで未だ准教授止まりでしたね。失礼しました」
「カナギア。論文というものは、一つ書き上げるのにそれはもう大変な労力を費やすのですよ」
「まったく...本当に先生は剣を振り回すことしか能のないお方だ...」
深いため息を吐いて、カナギアは身体が存外重いことに気が付いた。
「カナギア。今日はもう休みなさい」
助手の疲れきった顔を見ていた、デザンクロが言う。
「しかし、まだ"バラ摘み"に関する資料が...」
「その状態では頭に入ってくるものも入って来ませんよ。知らないうちに孤児院にまで遠征に行ってきて...あなたは十分働きました。賃金の天引きなんてしませんから、今は休んでいきなさい」
「減給も何も...私と先生では、サイフが変わらないのですが...」
上司の許可を得て身体が安心したのか、カナギアはいよいよ瞼が重くなってきた。
「私の目がないからと言って、事務仕事をおろそかにしないでくださいよ」
「ふふ。肝に命じておきます」
デザンクロは丁寧にカナギアをソファに寝かせて、誰かがうっかり入って来ないよう部屋のカギを閉めると、自分のデスクの椅子に腰を下ろす。
そして、引き出しからとある書類を取り出した。
「デザンクロ研究室...」
カナギアと二人で秘密裏に作った、研究生候補のリスト。デザンクロはリストの中から目当ての名前を見つけて、チェック欄に印を入れる。
候補資格の条件のひとつが"剣術実技試験Aランク"だった。いまデザンクロが印を付けた生徒は今までB+止まりの成績だったが、幸運にも今日のテストでAランク相当の高いパフォーマンスを見せてくれた。秘密裏にカナギアが魔力晶を提供したとかしていないとか、なんだかそんな怪しいことを仄めかしていたが、そこはまあ目を瞑るとしよう。
「さて...どんな面々なのでしょうね。"バラ摘み"の先に選ばれた、私の研究生たちは」
静まりかえった研究室で一人、男は呟いた。