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寝台の上の愉快な話 弐ノ肆

直枝:宮殿、失礼いたします。

雅仁:直枝。今日は気分が良い。緑茶ではなく棚の紅茶を淹れろ。

直枝:畏まりました。

雅仁:それから、午前に僕が見ていた名簿があるだろう。持ってきてくれ。

直枝:畏まりました。

友之:ふむ。なるほど。俺は君の考えが分かったよ、雅仁。君は素晴らしい。

雅仁:お前はどうだ、壮人。

友之:簡単だ、壮人。宿泊名簿にある数字の並びといったら、電話番号以外に何が思い浮かばれる。

壮人:……!! 部屋番号か!!

雅仁:その通りだ。実に単純明快な数字の並びだ。置き時計の示す時間が二時。これが、観月が殴られた時に止まった仮定すれば、懐中時計の四時二十分は随分と時間に差がある。そのまま懐中時計が進み、その時間に偶然止まったことも考えられるが、時計の針を動かす摘みに血痕があり、尚かつ摘みが抜き取られているのであれば、それは明らかに故意的なものであろう。観月は死に逝く中で、目前の懐中時計で自らを襲った者を示したのだ。

壮人:これが先生のメッセージであるとするならば、部屋番号が四二〇の者が犯人だ!誰だ!誰があの日、四二〇室へ泊まっていたんだ!!今すぐ静さんに連絡して、すぐに……!

友之:壮人、君は覚えていないのか。慎太郎に彼らを紹介してもらった時に、少しだが、部屋の話をしたではないか。


……

壮人:お前はどうしたんだ。何故、こんな場所にいる。

慎太郎:勉学の一環なのだ。今日もこのホテルの三一五室へ泊まっている。

壮人:三階か。僕は五階の奥の部屋だ。

慎太郎:五二〇室だろうか。五階であれば、先生と同じ階だ。

……


……

慎太郎:俺たちも、揃って今晩このホテルに泊まっているのだ。二人は何階に?

友之:俺は六階だ。六一八室。

壮人:僕は五二〇室だ。五階の最も奥の部屋だ。

吉野:おや。では、私の丁度上ですね。

将士:私と慎太郎は三階です。五階だと、一室が広いでしょう。

壮人:さあ。他の部屋を見たことがありませんが、それ程広くもありませんよ。

……



壮人:……慎太郎の部屋は三階だ。そして、将士さんも。

雅仁:その二人を示すのならば、懐中時計の針は三時を指していなければならぬであろう。

直枝:宮殿。

雅仁:ご苦労。……宿泊名簿だ。どちらも見るがいい。

友之:あのホテルの造りは実に単純だ。エレベーターから奥へ行くごとに一室一室の造りが広く、そうして各階足す〇一から二〇までの番号が振ってあり、一階二階七階八階を除いて各階につき二十室まで用意されている。壮人。君が泊まった部屋は何番であったろうか。

壮人:奥の部屋だ……。五階の、奥の部屋……。

友之:五階で最も広い部屋だった。だとするならば、仮に、君が観月先生を襲ったのであれば、短針は五時二十分を指していたのだろう。

雅仁:懐中時計の針だけでは些か根拠が薄い気もするが、その部屋に住まう者が当日宿泊していた客の中で観月と面識があり、親しく、盗まれたという論文に価値を見出す人物であるとするならば、偶然が重なるの一言では捨ててはおけまい。良い偶然は運命というのであったな、壮人。

友之:それは壮人の言葉か。相変わらず、君は詩的な男だ。感性が豊かなのだ。俺は君を見習わなければならない。

雅仁:正しくその通りだ、友之。お前は詩的ではあるが壮人ほど颯爽としていない。お前は些か偏執的だ。

友之:ああ、すまない雅仁。だが、感性の中でも愛情という範囲内で言えば、偏執とは最も分かり易い形だと思うのだ。

雅仁:お前は実に鬱陶しい。

壮人:……。

友之:どうした。顔が青いぞ。良かったではないか、壮人。慎太郎ではない。つまり。

壮人:……直枝さん。電話を貸してください。知り合いの警官に連絡を。

直枝:お持ちいたします。

壮人:いや。僕が行きます。雅仁の部屋でこれ以上、この様な話はしたくない。

雅仁:律儀な男だ。……ああ、直枝。よい。まずはお茶よりも壮人を案内しろ。

直枝:畏まりました。

雅仁:観月の最期は大凡想像が付いた。ご苦労だったな。

友之:ああ、お安いご用さ、雅仁。君のためならば、僕は何でも誂える。僕の誠意が君に僅かでも伝わることができるのなら、こんな悦びはない。

雅仁:大袈裟だ。

友之:そうだろうか。

雅仁:この上は治安省に任せておくのが良かろう。

友之:そうとも。君は当面、観月先生を囲む一団とは接触しない方が良かろうね。この屋敷にて、悪しき気色を流すことに専念した方がいい。晴れて事件は解決だ。流石は雅仁。君は英知に富んでいる。今日の話は如何であったろうか。

雅仁:うむ。悪くはないな。しかし、明け方に死者が発見されると、ああも忙しないものなのか。明け方から今日にかけて、気が休まることがない。

友之:なるほど。確かに、明け方は時間が悪かろうね。事件は夜の方が雰囲気もある。そして翌日に発見される方が良かろうね。万事において気色や雅には重きをおくべきだ。

壮人:……。

友之:おや。壮人、どうした。君はさっきから立ち上がったままぼんやりと立ちつくしているが。

壮人:ああ……すまない。行ってくるよ。

 

 

 

躑躅邸/廊下/

壮人:……。直枝さん。

直枝:何でしょうか、壮人様。

壮人:雅仁と友之は、いつもあんな感じで話しているのでしょうか。

直枝:と、おっしゃいますと。

壮人:二人とも……。いや、すみません。勿論哀しんでいないことはないのでしょうが、何と言うか……まるで、本当にただ話を聞いているみたいだ。噂話の類を。何て言ったらいいのだろう。とても軽いような。あんな、淡々とする話ではないはずなのに。

直枝:私は宮殿のお心を察するよう努めておりますが、知ろうなどと、烏滸がましいことは未だ嘗て思ったことはございません。友之様に関しましては、何も申しあげることはございません。

壮人:……ええ、そうですね。すみません。馬鹿なことを聞きました。

直枝:どうぞ、壮人様。お電話はこちらに。ご自由にお使いくださいませ。

壮人:ありがとう。

直枝:失礼いたします。

 

 

――じりりりり。じりりりり。

 

 

壮人:……申し申し。是は九条壮人。第壱捜査班第弐締役、静和孟しずかずたけをお願いします。

…。

 

 

 

 

 

友之:やあ。これはとても香りのいい紅茶だ。何という銘柄であろうか。

雅仁:僕はあまり銘柄を気にしたことはない。直枝。

直枝:さる侯爵殿が特別にブレンドした茶葉でございます。正規の名はございませんが、私どもは“リー伯爵の紅茶”と呼ばせていただいております。

雅仁:紅茶は僕らよりも壮人の方が詳しかろう。どうだ、壮人。

壮人:ああ……。美味しいよ。

友之:壮人。君さえ良ければ、今日は俺がいる離れへ泊まらないか。

壮人:ありがとう。だが、遠慮しておくよ。迎えに来るよう、三沢に言ってあるんだ。そろそろ彼が来る頃だと思う。

友之:そうか。残念だ。積もる話ができると思ったのだが。

壮人:確かに、お前とはあまり話せていないな。また後で話そう。雅仁も、明日また僕はここへ来るよ。

雅仁:壮人。お前は滞在する日数が限られているであろう。僕の所にばかり来ていて良いのか。

友之:雅仁。それは愚問というものだ。壮人は君と一緒にいたいという自らの意思で、この場にいるのだ。そこの真意を問うのはあまりに彼が哀れだ。慈悲をお与えよ。

壮人:……ああ。その通りだよ、雅仁。君の傍にいるのは僕の意思だ。僕がそうしたいから、ここに足を運んでいる。

雅仁:前日も、急遽ホテルへ宿泊したであろう。あまり己を酷使するものではない。

壮人:ありがとう。心配してくれて嬉しいよ。

直枝:宮殿、失礼いたします。三沢様がお見えになりました。

壮人:では、僕はそろそろ帰るよ。直枝さん、紅茶をご馳走様でした。

友之:気を付けて。

壮人:ああ。それじゃあね、雅仁。また明日も顔を見に来るよ。その時はきっと何か……今日とは違う、何か良い話を持ってくるから。

雅仁:お前には、別段友之と同じことを求めてはいないが、来たければ来るが良いだろう。しかし、今日のように声を荒げるのなら来なくていい。

友之:今日の話は特別だ。なあ、壮人。雅仁、この後は彼の異国での話を愉しむがいいだろう。

壮人:反省してるよ。気を付ける。……それじゃあ。

雅仁:うむ。

 

 

躑躅邸/玄関前

三沢:お迎えにあがりました、坊ちゃま。

壮人:ありがとう、三沢。僕は大丈夫だ。家へ帰ろう。

三沢:畏まりました。

壮人:……少し、遠回りをして帰ってもらえるか。ぼんやりしたいんだ。

三沢:はい。畏まりました。

 

 

 

 

九条家/

三沢:おや。あの車は……。

淳:お。丁度だ。帰ってきた帰ってきた。よう、坊ちゃん!親父―!

静:お邪魔しているよ、壮人君。

壮人:静さん……。

三沢:これは静様。ようこそお越しくださいました。

静:三沢さん。連絡もなく申し訳ない。ご無沙汰しております。

三沢:いえいえ、とんでもございません。生憎と旦那様は不在ですが、静様はいつでもお越しくださって結構です。奥様もお喜びでございましょう。どうぞ中へ。

静:いいえ、ここで結構です。壮人君の顔を見に来ただけですから。

壮人:……。

淳:聞いてくれ、坊ちゃん。犯人が分かったんだぜ。誰だと思う。意外な人物だ!

壮人:静さん、すみません……。僕は、今日は気分が悪いので、部屋で休むことにします。

淳:何だって。大丈夫なのかよ。

静:ああ、分かっている。あまり人間の裏側を見慣れぬ君には、胸に痛い出来事であっただろう。ゆっくり休みたまえ。よくぞ連絡してくれた。君の活躍を知れば、お父上もお喜びだろう。

壮人:僕じゃありません。全ては雅仁です。彼がいの一番に気付きました。

静:宮様が……。そうか。当日、現場にいらっしゃったとは伺っていた。私は勿論お会いしたことはないが……。これは、素晴らしい。流石は宮様でいらっしゃる。

淳:……?? 親父、何のことだ。全然分からん。話が見え……あいてっ!

三沢:口を慎みなさい。

壮人:静さん。すみませんが、僕はこれで。

静:ああ。君の正義を讃えよう。私たちもすぐに動いている。明日には、身柄を拘束できるだろう。

壮人:ええ。さようなら。

三沢:お茶も出さずに、申し訳ございません。

静:いいえ、お気になさらず。また来ます。

淳:さいならー。

 

 

九条家/居間/

淳:どうしたんだよ、坊ちゃん。暗いな。

三沢:淳。黙っていなさい。

淳:何だよ。折角先生のことが分かったってのに。知りたいだろ?

壮人:……三沢。僕は部屋で休む。慎太郎の家に電話をかけておいてくれ。僕が心配していたとだけ伝えてくれればいい。

三沢:かしこまりました。

淳:自分でかければいいじゃないか。

壮人:彼にかける言葉が、僕にはない。それに僕は今、誰とも話したくない。少し考えたいんだ。

淳:何をだ。

壮人:それは僕にも、よく分からない。

淳:はあ? 大丈夫か、坊ちゃん。

三沢:夕食になりましたら、お声かけいたします。

壮人:ああ。頼む。

淳:おーい。本当に大丈夫かー?

…。

 

 

 

 

 

■三日目

九条家/食堂/

壮人:……。

三沢:坊ちゃま。朝食、お口に合いませんでしたでしょうか。

壮人:ああ、いや、すまない。違うんだ。お前の食事はいつも美味しいよ。ただ少し、食欲がないだけだ。大丈夫。夕食は楽しみにしている。

三沢:左様でございますか。……。恐れ入ります、坊ちゃま。お伝えしなければならないことが、今朝方わたくしめの耳に。

壮人:ん?

三沢:観月先生の助手を務めていらっしゃいました、吉野先生が、昨晩、自害をなさったそうです。

 

 

 

九条家/壮人部屋/

友之:聞いたとおり、随分気落ちしているな、壮人。様子を見に来て正解だった。

壮人:友之……。もう僕は、疲れてしまったよ。……一体、何に対して気を落として良いのか、沈んで良いのか、それさえ分からなくなりそうだ。目眩がする。

友之:ここに来る道がてら、井ノ原家へ寄ってきた。慎太郎も随分と滅入っていたが、君ほどではなかったように俺は思うよ。

壮人:そうか。それならば、不幸中の幸いというものだ。

友之:吉野先生は警官に詰問され、本来であれば今朝、警察処へ送られる筈であった。しかし、夜のうちに頭を撃ち抜いたそうだ。自分は断じて犯人ではないという、書き置きを遺してね。

壮人:訳が分からない。この期に及んで、何故そのような主張をし、また自害などという方法で主張を貫こうとするのか。部屋番号からいっても吉野先生が犯人であろうし、真に潔白であるのなら、死する必要すらない。警察に隅々まで調べさせ、法廷でしっかりと証言をすれば良いだけの話だ。

友之:全くその通りだ。

淳:そりゃ無理じゃねーかなあ。

壮人:淳……。

淳:さあ、坊ちゃん方、珈琲です。どうぞー。

友之:ありがとう。美味しそうだ。

淳:砂糖はお使いですか。

友之:ひとつもらおうかな。

壮人:どういうことだ、淳。

淳:ん? 何が??

壮人:今、吉野先生が無罪を証明することについて、お前は無理だと言った。

淳:だって普通そう思うぜ。

壮人:僕はお前が言っていることがよく分からない。

淳:おいおい。だって今回、その吉野って先生が犯人だろうって言ったのは宮様だろう。仮に、その先生が犯人じゃなかったら、宮様が大恥かくことになるぜ。

壮人:それはそうかもしれないが、だからといって、何故吉野先生が潔白を証明することが無理だという結論になるのか。

淳:はあ? 本気かよ、坊ちゃん。そこは疑問を持つところじゃないぜ。宮様が恥を知ることに繋がるのなら、俺なら何としてもその先生が犯人になるような証拠を揃えようと精を出す。揃わないようなら何とかしちまうかもしれない。

壮人:いかに雅仁の発言でも、事実まで曲げられるわけがないだろう。真に潔白であるのなら、警察処は吉野先生の疑いを晴らすに決まっている。

淳:……おいおい。ちとそりゃ温室育ちが過ぎるな。蝶よ花よ過ぎるぜ。女じゃあるまいし。

壮人:淳。何を言っているんだ、お前は。

淳:うーむ。

友之:止めたまえ、君たち。俺は双方それぞれの主張がよく分かるよ。しかし双方の意見は、今回の出来事に関して云えば、どちらも杞憂だろう。

壮人:杞憂だって?

友之:そうとも。例え吉野先生が犯人でなかった可能性があるとしても、それはもう永遠に解かれることはない。何故なら主張すべき当人が亡くなってしまったからだ。最後に遺した遺書を終わりに、彼はこれ以上、何も言えないし何の主張もできない。遺された我々は、彼が犯人であろうと思っている。その疑いが、現状という今を囲っている。それだけさ。

壮人:友之。それは、考えたところで、どうしようもないということか。

友之:いいや。考えることは大切だろうが、しかしこれ以上この件が動くことはないだろうという話さ。どうしようもないという表現は使わないことだ。哀しくなる。終わったのだよ。

壮人:そうだろうか。僕はどうにも納得がいかない。

淳:やれやれ。済んだことを振り返ることは大切だが、拘ったって何にもなりゃしないぜ。ぼやぼやしてるとすぐにまた渡英だ。部屋に閉じ籠もっているよりは、紅葉狩りにでも行ったらいいのさ。……それじゃ、有月の坊ちゃん。ごゆっくり。うちの坊ちゃんを宜しく。

友之:ああ。ありがとう。

 

―――ぱたん。

 

壮人:淳は時々、僕の分からない話をする。

友之:彼はとても君を案じているんだ。

壮人:そうなのだろうが……。

友之:君はまだ、既に届かない架空の理想的な“今”に焦がれて両腕を足掻かせている。俺は君の苦悩する姿を見ていることが、とても辛い。いいだろう、壮人。とても極端な話をしよう。

壮人:何だろうか。

友之:例えば、俺が犯人であったとする。

壮人:それは、確かに大変に極端だな。止めてくれ。そういった冗談は、例え、例え話であろうとも聞きたくない。

友之:俺は先生を殺そうと思って、夜中に彼の部屋へ足を運んだ。夜中であったこともあり、誰とも擦れ違わず、顔も見られなかった。

壮人:どうしてお前が、観月先生を殺めようなどと考えるのだ。動機が何もない。

友之:そうだな。動機は……。

壮人:考えたところで無駄だろう。ないに決まっている。

友之:そうだな。これといって俺は彼を殺める動機が思い浮かばないが、しかし、殺そうと思って彼の部屋へ行ってノックをしたとしよう。彼は何か調べ物をしていたのか、論文の最終的な確認を行っていたのか、兎に角まだ起きていたので、俺を快く中へ入れてくれた。

壮人:そんな時間に人が部屋を訪れたら、何事かと思われるに決まっている。

友之:観月先生が、例えば彼の研究に興味があると話す相手に己の研究を語らうことがとても好きであったとしたらどうする。研究者や学者にはとても多い性分だ。

壮人:それで中に招き入れてくれるというのか。馬鹿な。

友之:そして俺は飾り時計で背を向けた先生を殴り、殺めてしまった。始めから誰かに罪を擦り付けるつもりで、先生の懐から転がり出た懐中時計の針を操作し、知った部屋番号に合わせ、摘みを抜いた。そうして観月先生の血で濡れた右手に一度懐中時計と摘みを持たせ、放置した。出て行く際は、誰かが見つけてくれるようにと敢えてドアに靴を挟んだ。そして好運にも、誰にも会わなかった。どうだろう。

壮人:論文を盗み忘れているぞ、友之。

友之:おっと、失礼。勿論、論文も盗んでね。

壮人:どうだろうも何も、悪い冗談以外の何ものでもない。

友之:しかし可能だ。

壮人:そんなことを言いだしたら切りがない。全ての犯罪に真犯人がいると考えることができてしまう。出てきたどんな証拠もつくられたものであるとするならば、根本から全てが間違っていたことになる。

友之:その通りだ。しかし壮人。吉野先生が冤罪を主張していた以上、こちらの方が真実に近いとは思わないか。

壮人:思わない。

友之:それは何故だろうか。

壮人:僕はお前を信じているからだ。お前はそんなことはしない。

友之:ははは。君は実に美しい。

壮人:僕は何か面白いことを言っただろうか。真面目なつもりだが。

友之:すまない。どうかそうむっつりとしないでくれ、壮人。折角の端整な顔が台無しだ。しかし、これで分かっただろう?

壮人:何がだ。

友之:可能性とは、切りがない。膨大な可能性に檻を与えなければ、事件などというものは一向に解決をしないのだ。君が、吉野先生が犯人ではなかったかもしれないと思うのはいい。しかし、先生が犯人であったかもしれないという雅仁や僕や、警察の意見は、今君が、俺が犯人ではないと断言したことと、何の変わりがあるだろうか。双方とも、可能性の問題ではないだろうか。いや、いくつかの条件が揃っている分、少なくとも、俺は犯人でないと断言する君の感情的な意見よりも、吉野先生が犯人であろうとする意見の方がずっと可能性が高い。そうして我ら人間は、可能性に手を伸ばせはするが、真実かどうかの確証を遡って確実として取ることはできず、また万能でもない。完璧であろうとするが、完璧でもない。

壮人:冤罪であったらどうする。

友之:冤罪の皆無な裁判など有り得ない。繰り返そう。我らは完璧ではない。故に我々には未だ成長する余地がある。

壮人:……。

友之:その顔は納得していないようだ。

壮人:お前が犯人だという例えが、あまりに極端過ぎるせいだ。正直、よく分からない。

友之:さればこそ、予め断言したのだ。極端な話をしよう、と。

壮人:……。先生……。可哀想に。

友之:そう思うのならば、部屋に閉じ籠もっていてはいけない。花を手向けに行こう。葬儀の連絡は届いたが、日にちはまだ先のようだ。それを待たずともいいだろう。帰りに公園へ寄り、先程の彼の言うとおり紅葉でも見てこよう。いくつか形の良いものを拾って、雅仁への土産としようではないか。

壮人:……ああ。そうだな。

友之:さあ。立ちたまえ、壮人。君に哀しげな顔は似合わない。冷静で善良な君が、俺は好きだよ。

壮人:ああ。ありがとう、友之。

 

 

 


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