寝台の上の愉快な話 弐ノ弐
■九条家/朝
壮人:何だって!それは本当か!!?
淳:おいおい、坊ちゃん。お前がそんなに大声を出すなんて、珍しいな。
壮人:これが驚かずにいられるか!もう一度言ってくれ、三沢!
三沢:観月先生が、お亡くなりになりました。
壮人:ああ。空耳でもなければ聞き違いでもなさそうだ。観月先生が亡くなっただと。そんな。まさか。僕はさっき、あんなに普通に、彼と会話をしていたというのに!
三沢:お気持ち、お察しします。
壮人:そんな。どうして……。
淳:ほら、坊ちゃん。紅茶をやるよ。温かい飲み物でも飲んで落ち着け。
壮人:ありがとう、淳……。貰おう。
淳:観月先生とお前は、そんなに親しい仲ではなかったろう。
壮人:近年はそうかもしれない。しかし、僕は幼い頃あの人の家の庭で遊んだこともある。一時期だが、家庭教師もしてもらった。三沢。
三沢:はい。
壮人:僕はあの晩、確かに観月先生とお話した。比較的遅くまで話していたのだ。お前が、彼の死を知ったのはいつなのだ。
三沢:恥ずかしながら、わたくしがそれを存じましたのは、偶然でございました。わたくしとしたことが、本日、お坊ちゃまが何時にホテルをお出になるのか伺うことを失念しておりまして、いつお坊ちゃまがお出でになっても宜しいようにと、四時頃からホテルのロビーにて待たせていただいておりました。
淳:俺も付き合わされた。そんなに早く、お前が起きてくるはずないのに。
壮人:そうか。僕が連絡し忘れたのだ。許してくれ、三沢、淳。
三沢:とんでもございません。
淳:ロビーで待ちながら、六時半頃になったらお前の部屋に行こうと話していたんだ。そうしたら、ホテルの連中がばたばたしだしてさ。
三沢:わたくしが伺おうとしましたところ、友之様と、直枝様をお連れになった宮様にお目通りいたしまして。
壮人:あの三人が?
三沢:はい。ご挨拶しましたところ、観月先生がお亡くなりになったことをお教えいただきました。不穏なことと、何よりも先に、宮様はこの建物からお出になられた方が宜しいとお考えになったのでしょう。早朝ですが、そのままご自宅へ向かわれるとのことでした。その折、友之様が、坊ちゃまも早々にお出になった方が宜しいと仰ってくださいまして。
淳:どうやら、宮様付に知らされたのは誰かが観月先生を発見した直後らしい。お陰で、それを聞いてすぐにお前を建物から連れ出した俺たちでも、十分に間に合った。丁度俺たちと行き違いで、警官が来ていただろう。
壮人:ちょっと待ってくれ。観月先生が亡くなられたとはいえ、何故僕がその場を脱する必要があったのだ。雅仁は分かる。しかし、亡くなられたのなら、哀しみ、死を惜しむ時間が必要だったのではないだろうか。
淳:そうだな。病死や寿命であったなら、そうした方が良かったんだろうぜ。
壮人:どういうことだ。
三沢:ある警官に伺いましたところ、強盗である……と、申しておりました。
壮人:何だって!?
三沢:治安省としても、事件に九条家や有月家の者の名が触れては宜しくなかろうと、気を回してくださったのでしょう。まして宮様へは、本来であれば、同じ場所において事件があったことも伏せておきたいところであったのでしょうし。
壮人:殺人だって。何故、観月先生が殺されなければならないのだ。
淳:落ち着けよ、坊ちゃん。そんなのは誰にも分からない。警官が解決してくれるさ。それに、今はまだ本当に殺人だったかどうかも定かじゃないだろう。その警官が、その時に、そう言ったというだけだ。
三沢:お休みのところ、押しかけたご無礼をお許しください。しかし、まずは坊ちゃまをあの場からお連れすることが、わたくしどもができる最良のことと考えたのでございます。
壮人:そうだったのか。それであのように急いでいたのだな。ありがとう、二人とも。
三沢:坊ちゃま。お気を落とされませんよう。
壮人:観月先生が、殺された。一体何故。誰が殺しなど、恐ろしいことを。人を殺めて、その手に得るものが何だというのだ。
淳:葬儀の連絡が、きっとそのうち来るだろう。帰国して間もないうちに、とんだことに遭遇したな。
壮人:ああ……。雅仁も可哀想に。彼の知人が、また一人減ってしまった。慎太郎も、どんなにか気を病んでいることだろう。
三沢:本日、日が昇りましたら、どうぞ宮様の元へお出かけください。坊ちゃまのお顔を見れば、宮様も少しはお気を鎮まれましょう。しかしその為には、まず坊ちゃま自身がしっかりと、落ち着かなければなりません。
壮人:三沢の言うとおりだ。ありがとう。僕は少し、落ち着くとしよう。大丈夫だ。僕は雅仁や慎太郎ほど、ショックを受けてはいないはずだ。僕は彼らを、励まさなければならない。
淳:坊ちゃん、腹は減ってないか。衣食住が充たされてこそ、人は道徳を得るとか何とか、中国の誰かが言ってるぜ。
壮人:それは、衣食足れば則ち栄辱を知る、のことだろう。管子の言葉だ。少しおしいが、勉強しているな、淳。
淳:まーな。誰が言ったかなんて問題じゃないさ。格言は、未来に生きる俺たちのものだ。
壮人:お前が言うと、そんな気がしてくるよ。だが、たぶん今の状況で使う言葉とは、少しずれている気がする。
淳:そうかな。よく分かんねーや。
壮人:だが、腹が満たされていなければ、冷静にはなれない。これは確かだ。淳。こんな時で悪いが、何か、軽い食事を持ってきてくれないだろうか。
淳:ああ、勿論。
三沢:わたくしは、お召し物とお出かけの準備を。
壮人:ああ。頼むよ。……。
淳:しっかりしろって。坊ちゃん。どうせ犯人は捕まるさ。
壮人:ああ。そうだな。
■宮邸/朝
壮人:雅仁。早くに失礼するよ。
雅仁:壮人か。
友之:やあ。おはよう、壮人。
壮人:おはよう、友之。お前は、ずっと雅仁に付いていてくれたのか。
友之:勿論だ。あんなことがあっては、誰でも一人であるのは心細かろうと思ってね。
壮人:その通りだと僕も思う。雅仁。観月先生のことは……。
雅仁:ああ。残念だ。亡くなったという正式な連絡を、先程直枝が僕の元へと持ってきた。
友之:壮人。君は、今朝は上手くホテルを出られただろうか。
壮人:ああ。三沢が迎えに来てくれた。友之がそうした方が良いと教えてくれたそうだな。ありあとう。感謝するよ。
友之:なに。当然のことをしたまでだ。九条家は治安省とも所縁が深い。事件現場などには、君は極力いない方が良いだろうと思ったのだ。警官たちもそう思っていたようだな。
雅仁:昨晩話した人物が既にこの世にいないというのは、何とも奇妙なことだ。人生とは、人の命とは、実に儚い。
壮人:気を落とさないでくれ、雅仁。先生は最期に君と話ができて、きっと悦ばしかったと思うよ。
友之:ああ。壮人の言うとおりだ、雅仁。殺されたのであれば、本来彼の中に残ったものは、恨み辛みであったろう。しかし直前に君と話せたことは、彼の幸福であったはずだ。
壮人:友之。いらぬ失言だ。
友之:殺されたことに関してだろうか。問題はないよ、壮人。我々には存知のことだ。
雅仁:その返しは、壮人、お前も知っているということか。観月が病死などではなく、殺されたという話を。
壮人:三沢が、そのようなことを聞いたと言っていた。しかし確証はない。ただの噂なのかもしれない。
友之:俺も確証はなかったが、俺の家の者から連絡を得た。確かなようだよ。
雅仁:ふむ。僕の在った場所で人殺しなどが起きようとは。
壮人:禊ぎは済んだのだろうか。
友之:ここに戻って、何よりも先にそれと祓いを行った。それから、門と東屋、玄関と、この本邸に至るまでに三重に結界を張ることにしたようだ。本邸内部は香を焚く。心配することはないだろう。
壮人:そうか。思ったよりも雅仁が落ち着いていて良かった。僕は君がどれ程沈んでいるかと、まずそれを案じたものだ。
雅仁:観月の死は残念だ。彼は僕の数少ない知人であった。僕は彼がどのような最期であったのか、知るべきだと思っている。
壮人:君が望むのなら、僕が父に言って、治安省に報告書を提出させよう。
友之:勿論それが正当であり必要であろうが、時間がかかるだろう。雅仁、俺にできる限りで、昨晩のことを調べてこよう。
雅仁:うむ。それが早かろうな。お前は情報を集めることに関しては、無駄に早く、そして正確だ。
友之:これはなんと光栄なことだろう。君は今俺を褒めたのだ。自覚はあるだろうか。
雅仁:当然だ。お前を褒めた事実は認めるが、しかしお前が思っている程ではなかろうよ。
友之:俺は極めて凡庸な人間ではあるが、情報を集約することが早いと思うのならば、それは何よりも優先的に行っているからだ。君の為なれば、当然というものだ。
壮人:大袈裟だ。
雅仁:そう。お前は常に大袈裟だ。実に煩わしい。
友之:そうだろうか。俺は君と話す度に、未だ快感を覚えている。
壮人:か、快感……。
雅仁:僕は時折、そういったお前の態度に不快感を覚えているがな。
壮人:あまりふしだらな言葉を使うものではないよ、友之。聞き違いを招く。
友之:聞き違いとは妙だな。快感とは、心身に走る好感のことだ。何を違うことがあるだろう。ふしだらに聞こえるとしたら、それは君の中の単語に対するイメージなのだろう。ここで、君にどのようなイメージを持っているかと問いかけることもできるが。
壮人:……ごほんっ。
雅仁:友之。壮人をそうからかうな。
友之:失礼、壮人。しかし、それは我ら男にとって、年相応のイメージだろう。恥じる必要はないさ。……さあ、雅仁。君は何を知りたい。
雅仁:そうだな……。
・観月がいつ殺されたのか。
・殺された場所はどこなのか。
・どのようにして殺されたのか。
雅仁:以上の三点だ。分かる限りで構わない。
友之:お安いご用だ。
壮人:僕も手伝おう、友之。できることがあったら何でも言ってくれ。
友之:ありがとう、壮人。君が手伝ってくれるのならば、千人力と例えて間違いはないだろう。雅仁、君はまず、ゆっくりと休むことだ。君の日常は久しく安定しているが故に、非日常に対する精神的負担は計り知れない。
壮人:僕も友之に賛同する。休息が必要だよ、雅仁。
雅仁:ああ。分かっている。井ノ原家へ行く行かないどころの話ではなくなった。
壮人:ああ、そうだね。残念だけれど、その話はなかったことにした方がいい。君は当分、その寝台で横になっているべきだ。慎太郎には僕から言っておこう。
友之:昨日、壮人から贈られた洋書を読むといい。きっと君の気が紛れるだろう。
雅仁:そうさせてもらおう。
友之:尤も、落胆や悲哀という感情の機微は、それ自体が気の紛れとも言えなくもないが。
壮人:眠るといいよ、雅仁。
雅仁:そうだな。僕は些か疲れた。どちらも部屋から出るが良かろう。直枝がお茶を用意しているはずだ。
壮人:ああ。そうしよう。友之、行こうか。
友之:雅仁。気を落とさずに、安静にしているがいいだろう。待っておいで。僕が必ず君の求めるものを持って帰ってこよう。
■九条家/昼
壮人:只今戻りました。
淳:お帰り、坊ちゃん。宮様の様子はどうだった。
壮人:思ったより沈んではいなかった。が、やはり衝撃であったろう。疲れ切っていたようだ。一休みしたら、慎太郎の家にも行ってみるつもりだ。三沢、悪いがまた車を出してくれ。
三沢:畏まりました。
淳:ご苦労さん。さあ、珈琲だ。温かい一杯はどんな鎮静剤よりも四肢に染みる。
壮人:ありがとう。
淳:時に坊ちゃん。観月って先生のことだが、どうやら普通の強盗ではなさそうだ。
壮人:どうしてそんなことが分かるのだ。
淳:俺は午前中、再度あのホテルへ行ってみたのだが。
三沢:聞き捨てなりません。淳。ちょっとこちらへいらっしゃい。
淳:え、あ、いや。違うんだ、親父。勿論、親父に言われた庭の芝刈りが終わった後で……いててててっ!
壮人:……。
・・・。
淳:ああ、ええと……。それで、だ。再度ホテルへ行ってみたのだが。
壮人:左頬が赤いが大丈夫か、淳。冷やした方がいいだろう。
淳:親父は俺にばかり容赦がない。
壮人:息子であるから、仕方がない。三沢は仕事に対して禁欲的な所がある。お前にもそれを求めているのだろう。頼まれていた仕事を放棄してしまったのなら、それは怒られるさ。さあ、このハンカチを濡らして頬に当てるんだ。
淳:悪いな。……いてて。
壮人:それで、何故観月先生を襲った者が強盗でないと分かったのだ。
淳:向かった先で、静さんと会ったのさ。
壮人:静さん!それは偶然だ。先生の事件の担当をする治安警官は静さんなのか。
淳:旦那様の部下の中では、お前や俺と接点も多い人だ。思わず声をかけたのさ。挨拶の後で犯人は捕まりそうかと俺が問うたら、彼、普通の強盗ではなさそうだと言っていた。
壮人:普通の強盗ではない、か。……では、何か盗まれはしたが、それは現金や高価な品ではなかった、ということだな。
淳:流石だ、坊ちゃん。その通りだと俺も思うね。
壮人:浅ましい。人を殺して物を盗むなど、どうしてそのようなことをするに至ったのだ。
淳:下手人の心境なんて察する必要はないだろうよ。禁を犯す者の心理など、俺たちには分からないさ。人種が違う。
壮人:いいや、淳。人種が違うのであれば、これほど哀しくはなかったろう。
淳:それはとても過酷な意見だな。
壮人:そうだろうか。僕はお前の意見の方が、過酷に思えるが。それで、一体何が盗まれたのだ。
淳:それが教えてくれないのさ、静さんは。
壮人:肝心なところが不明じゃないか。
淳:まあ、しかし普通に考えて、強盗自体が驚くべきことだ。場所は帝都内でも屈指のホテルだ。警備役もいたろうに、よく建物内に侵入ができた。普通はできない。特に、五階から上は尚更だ。
壮人:なにか、そのようなことを慎太郎も言っていたな。五階から上がどうとか。
淳:何だ、知らなかったのか。あのホテルは、五階から上が特別室なのだ。賓客を迎える機会の多い由緒あるホテルだからな。お前は、五階に泊まっていたな。
壮人:三沢が取ってくれた部屋なのだ。そうだったのか。
淳:五階六階は特別室。七階は普段は使われていないが、談話室になっているそうだ。そして八階は最も良い特別室。当然、その日は宮様が使われていた。
壮人:観月先生と俺は同じ階だと、慎太郎は言っていた。観月先生は五階に泊まっていたのだろう。
淳:そうなのか。でも、部屋番号までは分からないのだろうな。
壮人:ああ。聞かなかった。金目のものではない物か。一体何であったのだろう。
淳:金になる物以外で、盗んで得する物なんて世の中にあるのか。
壮人:それは、勿論あるだろう。
淳:そうか。俺は馬鹿だから考えが及ばない。例えば何だ。
壮人:例えば……。いや、すぐには出ないが。
淳:はは。坊ちゃんも馬鹿だな。
壮人:僕が柔軟性に乏しいのは自覚しているよ。だが、金目のものでなくとも、盗んで得する物はあるはずだ。静さんに直接、聞ければいいのだが。
淳:あの人はお堅いぜ。
壮人:それはそうだろう。そうでなければ、警官は務まらない。
淳:宮様が聞きたがっていると言えば、教えてくれるんじゃないか。
壮人:逆だろう。公の人間は、雅仁に不吉なことやものを近づけるのを極端に嫌がる傾向にあるからだ。雅仁から直接命が下れば動こうが、僕が告げた程度では動かぬだろう。
淳:ふーむ。しかしまあ、それには賛成だ。あんまり宮様がこういう事件に興味を持つってことが、既に俺なんかは不安に思うね。
壮人:僕は友人知人の死を悼む為に、知ることは必要だと思っている。みながそうして雅仁から全てを遠ざけるから、彼は常に隔離されてしまうのだ。
淳:そんなことが言えるのは、昔馴染みの坊ちゃんくらいだ。坊ちゃんは変わっている。有月家の坊ちゃんだって、俺と同じ考えだろうさ。
壮人:いいや。友之は率先して調べると言っていた。
淳:それは意外だな。あそこの坊ちゃんは、うちの坊ちゃん以上に宮様を神聖視している所があるように思っていたのだが。
壮人:その通りだ。彼は昔よりも、より一層雅仁を神聖視し、神格化ている。その神聖視している雅仁に頼まれれば、彼は人だって殺めてしまうかもしれない。
淳:ははは。それじゃあ、心配はなかろうよ。
壮人:何故だ。僕は彼の傾倒ぶりを、内心で案じているのだが。
淳:その理論でいけば、宮様が殺めよと命じない限り、そんなことはないってことさ。宮様がそんな命令を下す訳がない。
壮人:それは、そうだが。
淳:井ノ原家の三男坊に会いに行くのなら、その序でにもう一度ホテルに行ってみるといいさ。静さんがまだいるかもしれない。坊ちゃんに頼まれれば、ひょっとしたら、うっかりと口を滑らせるかもしれない。あの人は坊ちゃんが大好きだからな。
壮人:そうだろうか。厳しい人だと思っているが。
淳:厳しいが、坊ちゃんに対してはどことなく意図的なところがある。俺はあれは、ほら、あれだ。仏蘭西の小説家の、ええと、ほら。なんちゃら侯爵。あれだと睨んでいるのだ。
壮人:サド侯爵だろうか。ドナスィヤン・アルフォンス・フランスワ・ド・サド。お前はサディズムのことを言っているのか。
淳:そう、それだ。好きな奴に辛く当たるのさ。心身に苦痛を与えることが好きな奴のことだ。
壮人:勉強しているな、淳。しかしおしい。サディズムとは、心身に苦痛を与え、性的興奮を得る者のことだ。性的異常者であって、一般的な性格の一つではない。
淳:何だ。そうなのか。だが、性的嗜好だって、性格の一つなんじゃないか。
壮人:だとしても、静さんは僕を性的な視点で見てはいないだろう。やはりそれは正しくないさ。それに、僕は静さんに叱られたことはあっても、虐められたことはない。しかし、自他に厳しい人であることは間違いないから、確かに無理かもしれないな。……とはいえ、行ってみなければ、結果も出ない。
淳:坊ちゃんは行動的だ。
壮人:ありがとう。僕自身は十分だと思ってはいないが、そうありたいものだ。
■帝都ホテル/玄関/昼
壮人:おや。そこに見えるは友之ではないか。やあ、友之。
友之:やあ、壮人。こんな所で、君は何をしているのだ。
壮人:何とは愚問だろう。勿論、観月先生のことを聞こうと思って来たのだ。お前も同じ用事だろう。
友之:君は精力的に調べているようだ。君のその、何事にも直向きに、真摯に取り組む姿勢を、僕は常々、大変に美しいと見ている。真面目さは紛う事なき君の美点であろう。
壮人:ありがとう。しかし、それはお前にも言えることだ。友之も、随分熱心に調べているように見える。
友之:勿論だ。俺に出来ることは過少だが、他ならぬ雅仁が望むのであれば、どんな労力も割くつもりでいる。
壮人:何か分かっただろうか。
友之:僅かながらには。しかし、それを始めに告げるべき相手は、君ではなく雅仁なのだ。申し訳ないが、ここでそれを君に伝えることはできない。許してくれ、壮人。
壮人:律儀なことだ。時に友之。お前、学校はどうしたのだ。この時間、我が国の学生は学校で勉学に励むのではと思っているのだが。
友之:その認識は間違ってはいないよ、壮人。通常であれば、俺は籍を置く学校へあり、勉学に励んでいる頃であろう。俺を担当する教師陣は大変熱心な方々ばかりだ。俺に多くを期待してくださる。しかし、勉学も重要ではあるが、それ以上に優先されるものもある。
壮人:講義を怠けているということか。驚いた。それは良くない。サボタージュは生真面目なお前の気質には合わないだろうに。お前は、国の未来を背負って立つ身のはずだ。
友之:壮人。確かに俺は君の言う通り学生だ。そう。別段、労働をしてはいない。故に、労働条件について他者に主張があるわけでもないことは、明白であろう。したがって、サボタージュという単語は俺には適さないと思うが、如何だろうか。
壮人:それは確かに、お前の言う通りだ。しかし、僕がお前に告げたい論点はそこではないことを、お前は分かっているだろう。今すぐ学校へと戻るがいい。
友之:ふふ。君は本当に真面目で誠実な男だ。女に慕われるのも頷ける。
壮人:お前に言われると、嫌味にしか聞こえないな。
友之:謙遜する必要はない。しかし、どれほど慕われようと、どれだけ慕われようと、相手が意中の者でないのなら、数的な値になかなか価値は見いだせないだろう。評価にはなるであろうが。この点について、君はどう思う。
壮人:ああ。それは全くもって道理だ。確かにそれは……。いやいや、違う。話がずれている。学校へ戻りたまえよ、友之。
友之:はは。やはり、流されてはくれないようだ。仕方がない。君に会ったのが運の尽き。僕は学校へ戻るとしよう。
壮人:励んでおいで。
友之:君がもし、これから雅仁に会いに行くのであれば、夕刻を愉しみにと伝えておいてはくれまいか。
壮人:愉しみとは、不謹慎ではなかろうか。待ち望んではいるだろうが、愉しみにはしてはいないだろう。
友之:君の中の雅仁と、僕の中の雅仁では、些か違いがあるようだ。
壮人:お前の言っている意味が、僕には分からない。
友之:君から見る世界は、さぞ美しいだろうという話だ。しかし、君はどうやら、俺以上に雅仁を神格化しているらしい。
壮人:お前にだけは言われたくない台詞だ。
友之:そうだろうか。君の意見はとても興味深い。視点が違うだけで、これ程認識に差が出るのなら、やはり我々人間は理解し合うようにはできていないのかもしれない。では壮人、また後程。
・・・・・・・。
壮人:行ったか……。学校を怠けるなんて、勤勉家な友之らしくもない。尤も、雅仁の頼みであったからという理由なのだろうが、それにしても抜け出すなんて。先生方が怒っていやしないだろうか。
静:壮人君。
壮人:やあ、静さん。こんにちは。お久し振りです。
静:ああ、久し振りだ。すっかり利発そうな若者になった。いや、利発な若者と言うべきか。一層お父上に面影が重なる。今は一時帰国らしいな。
壮人:はい。昨日戻ってきたばかりです。
静:しかし、あまり良い場所での再会とは言えん。昨晩の事件で亡くなったご老人は、知り合いであったらしいな。
壮人:ええ。お世話になった方でした。
静:ご愁傷様と言葉を贈ろう。だが、あれこれと嗅ぎ回るのは良くない。始めに淳君が来た。次に有月家の嫡男が。そして君だ。不吉な出来事にこれ以上関わることに協力はできない。帰りなさい。
壮人:ですが、僕は何も知らされていないんです。ただ亡くなったということと、殺されてしまったということだけで。
静:それ以上何を知りたいというのだね。十分だろう。観月氏が亡くなったという連絡だけで、本来十分なのだ。事件解決は我々治安省の仕事だ。
壮人:知人が最期にどのような亡くなり方であったのか、知ろうと思ってはいけないのですか。
静:必要がないと言っているのだ。犯人が捕まり、正確なことが分かれば、私から君へと話しに行こう。今はまだ捜査中なのだ。
壮人:何か盗まれてしまったようですが、一体、観月先生の部屋から何が盗まれたのですか。
静:そんなことを、君が気にする必要はない。淳君だな。彼は好奇心の塊だが、君は軽い好奇心で動くような者ではなかろう。人の上に立つべき者は、結果を見なければ多くの部下や民を導くことは難しい。さあ、帰りなさい。これ以上話すことはない。
壮人:静さん。お願いします。
静:諄いな、壮人君。
壮人:友之には教えて僕に教えないというのは、酷ではないですか。
静:私は有月家の嫡男に、これといって何も教えてはいない。
壮人:友之は、僅かながら情報を得たと言っていました。
静:彼に捕まりかなりの質問はされたが、しかし明確に答えたものはないはずだ。
壮人:なるほど。面と向かって彼と話しながらの質問に答えたのならば、消去法で彼の中に事実と思われるものが確立したのかもしれない。
静:どういう意味だ。
壮人:友之は、他者の吐く嘘と真実に非常に敏感です。僕は詳しくは知りませんが、独自に分類をしていて、自らの研究題として勉学しているのです。なんでも、表情の動きや目線や、動作ですぐに分かるというのです。
静:そんなことができるわけがなかろう。
壮人:その精度がどれほどかは存じませんが、友之が勤勉家で、且つ才能があることは確かです。
静:……兎に角、私は君にも、そして彼にも何も言うつもりはない。帰りたまえ。これ以上探るのであれば、私はお父上に報告をしなければならないだろう。
壮人:分かりました。今日は退くことにします。これから友人の家へ行かなければならないので。
静:待て、壮人君。その友人というのは、まさか井ノ原慎太郎ではなかろうな。
壮人:ええ、そうです。彼は今回の一件でどんなにか気を落としているか分からない。僕は彼へ会いに行き、励ますつもりです。
静:止めたまえ、君。
壮人:何故です。
静:彼は今回の事件の重要な証人だ。今、亡くなった観月氏を筆頭とした集団で、当日ホテル内にあった人物たちは我ら警官が話を聞いている。行ったところで会えはしない。
壮人:四六時中話を聞いているわけではないでしょう。
静:駄目だ。自宅へ帰りなさい。
壮人:いくら静さんの言葉でも、僕は納得できないことに従うつもりはありません。もしも僕を従えたいと思うのならば、その理由を告げてください。
静:私は君を思って言っているのだ。それでも聞かないというのか。
壮人:理由を告げてください。
静:……宜しい。行きたければ、行くがいいだろう。しかし、会うことはできないと思うがね。
壮人:警官が彼から話を聞いているからでしょうか。ですが、話を聞くだけでは、それほど長い時間を要することでもないでしょう。
静:行きたければ、行くがいいだろう。
壮人:……。失礼します。また我が家に遊びに来てください。
静:ああ。君がいる間に、一度顔を出すつもりだ。それでは。
続