◇
お待たせしました。長くなりましたが、どうぞ。
一瞬だけ細められた無機質な鋭い碧の瞳に、私―――ニーヴは無意識に隣に座る黒髪黒眼の少年の手を握ってしまった。
「……随分、物騒な依頼ね」
「擂芽、失礼ですよ」
「兄さんは黙ってて」
ギロリ、と唯でさえ鋭い目つきがいっそう細められ、さらに冷たい碧色になった目がマスターに向けられる。
私に向けられたわけではないのに、背筋に冷たい汗が流れた。
マスターはやれやれとでもいうように肩をすくめて一歩引いた。
「レイジス国カクリアード区アベニューλ。隣の国の、決して治安のいいとは言えない場所ね。
しかも、ダリス・ジャスパー?『血碧玉の狼』の若ボスのことよね。
何考えてるの?チンピラとマフィアまがいの治安維持グループの、区別ついてる?」
「え?あ、あの?」
「しかも、爆弾を運送んでほしい?そんな危険な人間に爆弾を運送んで、報復されたらどうするのよ。
まあ、私達が情報を漏らすなんてヘマはしないけど……。
世の中にはねえ、《情報屋》の真似事してる連中だっているの。もしもってこともあるわ。
それに…………」
無表情にしゃべり続けていた少女が呼吸を整えるように一瞬沈黙し、再び口を開いた。
「新月の日の、こんな時間にこの店に来るなんて、あなたバカ?」
「―――え?」
あまりに真剣な、それでいて心配するような(気のせいかもしれない)眼差しで見つめられ、私は目を瞬かせる。
私の反応が思った通りだったのか、少女は冷めた目で、隣に座る少年はただ目を細め、マスターは若干あきれ気味にこちらを見た。
「……まあ、いいわ」
「え、理由を教えてくれないんですか?」
「知りたければ自分で調べれば?私が親切に教えてあげなきゃいけないなんて、義務ないでしょう。
私達は誇りがあるから、自分で調べるし、準備万端でないと許せない性分なの。絶対にできないと分かりきっている依頼や、理不尽な依頼は受けない。
でもね、受けると言った依頼は受けるし、その依頼がどんな経緯を持っていても、やりとげる。
たとえその依頼がどんな幸福のもと……、憎しみのもとにあったとしても、ね」
「…………」
少女の冷たい瞳が苛立ったように少年と繋がれた手を睨む。いつまで他人にすがっているのかと。
私はハッとして手を放した。少年はやっと解放されたと、オレンジジュースの入ったコップを傾け、我関せずとちびちびと飲み始める。
心の中でごめんなさいと謝り、うつむき加減に自分の手の甲に爪を立てる。
また、私はすがってしまった。この店に来た決意はどこにいってしまったのだろう。あんなに不安だったのに、勇気を振り絞ってここまで一人で来たというのに。
情けない。どうして、私は……一人では何もできないのだろう。
「あなたがどんな決意を胸にここに来たかなんて私は知らない。何を思って爆弾を運送ばせようとしているのかなんて、興味ない。
まあ、でも……その小さな勇気に免じて受けてあげる」
少女は小さなため息をもらし、いつの間にかマスターが手に持っていた契約書をその手からむしり取り、見事な紅の猫の装飾がついた万年筆で何かをさらさらと書き始め、書き終わった契約書を私に差し出す。
「―――この依頼、運送屋支店コランダムの擂芽が確かに承りました」
「いいの?本当に、この依頼を受けてくれるの?」
「受けるから、契約書に早くサインして。それと……紙袋の中身のもう一個のほうも、さっさと出して。それの契約書も書かなきゃいけないから」
言うだけ言って、勢いよく扉を閉めて出て行ってしまった少女に、私は「……え?」と表情を固まらせることしかできなかった。
◇◆◇◆◇
赤と白のライダースーツを身に纏い、右足に赤い装飾の着いたブーツを履いていると、リズムよく扉をノックされ、兄の枸遠が部屋に入ってきた。
「…………あのお嬢様はどうしたの?」
「出雲を残しておきましたので、大丈夫でしょう。出雲は大丈夫ではなさそうですが。
いざとなれば瑞希に相手をまかせるでしょうし」
「無責任」
じとりと睨み上げると、彼は「何とでも」と肩をすくめてロッカーに転がっているシーリングと赤い靴を取り出すと、屈んでそのまま左足に履かせる。
「今回の依頼は受けないと思ったんですが、いったいどういう心境の変化ですか?あんなはっきりしないお嬢さんの依頼を受けるなんて。
それに、下手に手を出すとこっちに火の粉が降りかかってきそうな相手ですよ。ああいうタイプ嫌いでしょう?」
「別に、いつものことよ。受ける気になっただけ。
出雲の警戒心が薄かったし、変な気回さないでもいいんじゃない?」
「……まあ、あの子が武器を3メートル以上身から離しても平気そうですし、ね」
会話している間に茶色のジャケットと鞄、ゴーグルと赤のキャスケットを手伝われながら身に着けていく。
「ハンドガンだけでいいんですか?シグとインフィだけしか鞄に入れてないでしょう?」
「いくら危険区だって言っても、バイクじゃショルダーウェポンは無理。
荷はもう積んであるの?」
「ええ。《紅椿》の振動軽減装置付きのボックスの中に」
その言葉に頷き、部屋を出て格納庫のある地下二階に向かう。
「整備はできています。砂漠でもへっちゃらですよ」
暗証番号付きのシャッターを開けると、カスタマイズされ原型が見えないほど改造された赤と黒のオンロードモデルのバイクが発進を待っていた。
「帰りは運がよければ菟織に拾ってもらえるかと。
では、いってらっしゃい。かわいい擂芽」
パタパタと後ろで満面の笑みで手を振られている気がするが、完全無視を決め込んでスタンドを外して《紅椿》に跨り、ハンドルを握った。
◇◆◇◆◇
マスターがカウンターに戻ってきて随分時間がたったが、私は未だに依頼の目的を告げられずにいた。
すでに依頼は受理され、擂芽という少女が『血碧玉の狼』の本拠地に向かっているのだから、目的を話さなくても依頼は果たされる。一緒に出すか迷っていたもう一つの依頼も、果たされるだろう。
少女は何も訊く気がないとでも言うようにさっさと行ってしまったのだが、マスターも、隣で眠そうに舟を漕いでいる少年も何も訊いてこないという事実が何とも居心地を悪くしていた。
「どうかしましたか?」
「いえ……あの、訊かないんですか?」
「訊いてほしいと仰るなら。ただ、我々は基本顧客の依頼内容に興味がありませんからね」
グラスを拭きながら考えるように少し視線を上げたマスターに、散々友人家族に鈍いと言われている私でも感じられるほど本当に興味がないのだと感じた。
それでもこのまま沈黙が続くよりはと顔を上げる。
「お時間があるのなら。訊いていただけますか?」
「ええ、構いませんよ。どうせ、今日は他に誰も来ませんから。
この街の警備部隊の演習に合わせて彼らにちょっかいかけて遊びたい若者達がうろついていますから」
「……………え?」
「もちろん、ここは中立区ですので誰も襲って来やしませんが。新月の日にわざわざここのバーにいらっしゃるお客様はいませんねぇ。
あ、大丈夫ですよ。明日の朝にはいなくなりますから。それまでゆっくりしてください。
お話も聞きます。体調を崩さない程度の夜更かしなら僕がお付き合いしましょう」
「…………………………」
どうやら知らないうちにかなり危ない橋を渡っていたようだ。沈黙する私を、少年は眠たげな眼で見上げてくる。あの時の三者三様の反応の意味がようやくわかった。
事前に調べもしないでよく来たものだとあきれられたのだろう。私はそれがおかしくて少し笑えてきてしまった。
知りもしない相手にまるで本気で心配してもらったかのようで。お人よしな彼らの、少し変わった優しさに、隠しているのが馬鹿馬鹿しくなってしまって。
「今回の依頼の目的は、あるヒトの復讐のためなんですよ」
「へえ?復讐ですか」
「ええ、ちょっと同じ気持ちを味わってもらおうかと思いまして」
「そのための爆弾ですか。やはり物騒ですねぇ」
存外食いつきのいいマスターに、私はおそらく意地の悪い笑みを顔に浮かべていたことだろう。
◇◆◇◆◇
「―――見つけた」
砂漠を抜けた先のビル群の街にある一際目立つビルを、望遠機能のあるゴーグルの奥で細められた碧眼が見つめていた。その猫のように細められた瞳は、獲物を一心に狙っている狩人そのもの。
「行こうか、《紅椿》。今日も頼むわよ《黒耀》、《時雨》」
腰の鞄から取り出した2丁の銃の安全装置を外し、《黒耀》と呼ばれた黒い銃を足のホルダーに、《時雨》と呼ばれた銀の銃をバイクのホルダーに入れる。
目標のビルを見据え、駆け抜けるためにアクセルを回し、ギアを上げて一気にスピードを上げて走り出した。
◇◆◇◆◇
レイジス国カクリアード区アベニューλ、『血碧玉の狼』の拠点本部の最上階。そこでは二人の青年がたった今受けた報告の内容に頭を抱えていた。
「どうなっているんだ!?侵入者はたった一人のはずだろう?この被害報告は何だ!!」
「……侵入者がこのビル街に侵入してきて15分の情報です。
すでに30分たってますし、侵入者が確実にこちらに近づいているとしたら、今はこの情報の倍以上の被害が出ていると思われますが。
…………どうするんですかダリス?たった一人の侵入者にここまでの被害を受けて。このままでは沽券にかかわりますよ」
机の上に乱暴に投げ捨てられた別件の資料と今回の簡単な報告書を忌々しげに睨みつける赤褐色の髪の青年に、くすんだ金髪の青年は「聞こえていませんね」とため息をつく。
「このあと大きな仕事を抱えているというのに、今回の侵入者は我々の仕事の妨害が目的かもしれません」
「舐めたマネしやがって。実弾じゃなくゴム弾しか使ってこねえとか、どこまで俺らをコケにして……!」
「そこなんですよね。今までだってこういうことはありましたけど、ゴム弾を使ってくる相手なんていませんでしたし。しかも報告が本当なら、たった一人で陸の孤島に来るような変わり者―――ダリス」
頭に血が上っている青年―――ダリスにも近くまで迫っている銃声とエンジン音が聞こえたらしく、すぐに二人は臨戦態勢をとる。
「やれやれ、もう最上階まで。どんな化け物ですか」
「カレント、バックアップ頼む」
「それはいいですけど、まさかビルの中にまでバイクで入ってくるとは思いませんでした」
「無駄口叩くな、来るぞ!」
入り口側の壁に左右に分かれて張り付いた瞬間、ドコッという鈍く重い衝撃と共に扉が破壊された。と同時に、鮮やかな赤が目の前に飛び込んでくる。
「―――っ!?」
頭の側面を狙って振られた銀の銃を頬の皮一枚すれすれで躱して後ろに大きく跳ぶと、すぐに左足の蹴りが迫っており、そのまま床を転がって避ける。
「ダリス!」
カレントがダリスから侵入してきた鮮やかな赤を引き離すために銃を向け発砲するが、少女は猫のように身軽にトントンと足音を響かせ3発とも躱してしまう。
「……全弾当てるつもりだったんですが」
「なんなんだこのガキ。いったいどこの者だ?」
わずかに刺激を受けた頬を拭いながら体制を整え、改めて相手の動きを気にしながらゆっくりと装備を観察する。
赤と白を基調にしたライダースーツに、茶色のジャケット。大して量の入らなそうな薄い鞄を腰と左腿の二か所でベルトで固定し、右腿には黒い銃の入ったホルダーが装着されている。左手には先ほどの銀の銃が握られており、右手で赤いキャスケットを抑えている。右足は膝までの白に赤の装飾のあるブーツ。砂除けのシーリングの下の左足は赤い底の厚いヒール。
一通り相手の武装と部屋の中を見て、左足の蹴りを食らわないでよかったと息をつく。
少女が左足を振り下ろした床は少し抉れ、いくつもの罅が入っていた。おそらくあの厚底のヒールの靴底には金属が仕込まれているのだろう。
ある意味ゴム弾より脅威だ。
「……『血碧玉の狼』のダリス・ジャスパーね?」
キャスケットの下の、赤いメッシュの混じった金髪から覗くゴーグル越しの、猫のように鋭い碧眼がダリスを映し出す。
「だったら?」
「この依頼、時間指定だから。あと2分と30秒の間に依頼は果たさせてもらうわ」
ジャケットのポケットから懐中時計を取り出して時間を気にする少女に、ダリスは彼女の言った『依頼』の内容などを一瞬で頭で組み立てて、なるほどと一人納得する。
依頼人は『血碧玉の狼』をよく思っていない裏組織の連中、または近々受ける大きな仕事―――明日打ち合わせる相手を貶めたい政府の人間だろう。
時間指定なのは、その時間までにこちらが潰れてしまえば、こちらの依頼人にぎりぎり連絡を飛ばせる時間だということか。おそらく今現在この場はその依頼人に通ずる何者かが見張っているのだろう。
「……あと1分45秒」
「くそっ、舐めたマネしやがって!」
「ダリス!?―――ああ、もう!」
一気に突っ込んでいくダリスをサポートするようにカレントが銃を連射する。少女は右腿のホルダーから取り出した黒い銃でそれを全て打ち落とし、もともと持っていた左の銀の銃でダリスを撃ってくる。
姿勢を低くして避けながら蹴りと拳を突き出すのだが、少女は顔色一つ変えず攻撃を全てその細い腕と脚でいなし、隙あらば銃を一閃させダリスを昏倒させようとしてくる。
(こいつ―――強い!)
二人がかりにも関わらす、『血碧玉の狼』の幹部が一撃も入れることができていない。その事実に焦り、さりげなくカレントを庇いながらの攻撃が一瞬鈍る。
「戦闘中に考え事?随分な余裕ね。
後ろががら空きよ」
「―――あっ!?」
その隙を少女が逃す訳もなく、左の銀の銃が放ったゴム弾がカレントの銃を手から弾き、すぐに右の黒い銃が放ったゴム弾が右肩に撃ち込まれ、彼がその場にうずくまる。
「カレ「あと、30秒」―――くっ!」
意識が少女から外れた瞬間にはすでに目の前に赤が迫っており、一気に壁まで蹴り飛ばさる。
「……かはっ」
まともにガードも受け身も取れなかったため、息が詰まって動けなくなってしまった。
少女は動けないこちらを尻目に、ジャケットから懐中時計、薄い鞄からはどうしまっていたのだろうという厚さの小箱を取り出した。
「……10、9、8」
そのままカウントダウンをしながら部屋を出ていき、小箱を中に投げ入れた。
箱がちょうど部屋の真ん中に落ちた瞬間、
「3、2、1…………ドン」
部屋の中で閃光が走った。
◇◆◇◆◇
「……ゴホッ。大してダメージが………ない?」
ダリスはとっさに伏せた身体を起こし、罅は入ったものの割れていない窓を呆然と見るカレントを助け起こす。
「爆弾まで威力がない、とは。何がしたかったんでしょう?」
「知るか……?なんだこれ」
木端微塵に吹き飛んだ爆弾の入っていた箱の一部と共に頭上に降ってきた紙切れを掴む。
所々焦げているその紙には見慣れた字で『Happy birthday』とだけ書いてあった。
「………そういえば、誕生日でしたね。ダリス」
「おいおいおい、ちょっと待て。この騒動はニーヴが―――お前の妹が原因か!」
まだ背中が痛むが、無理やり気まずそうに視線を逸らしたカレントの胸倉を掴み上げて首を絞める。
「やー、止めたんですけどねぇ一応。やはり無理でしたか」
「お 前 の 止 め か た は い つ も 足 ら ん の だ!」
首を絞めたまま乱暴に揺すっていると、部屋の外に避難していた少女が24センチ四方の箱を持って未だに煙たい部屋に入ってきた。
「はい、時間指定……時限爆弾じゃないほうの届け物」
「アンタ、まだいたの?ってか、まだあったのかよ」
「差出人はニーヴ・カミリア。受取人はダリス・ジャスパー。
依頼の品は、チーズタルト」
「ダリスの好物ですね」
「…………わざわざ誕生日に届けるために、とんだ犠牲(今回の騒動での部下の治療費や部屋の修理費)だな、おい」
納得がいかないダリスだったが、しぶしぶチーズタルトの入った箱を受け取り、受取人欄にサインをする。
「あー、もう。ヤケ食いしたる!」
少しも型崩れしていないチーズタルトを一切れ手に取り、一気に頬張る。レモンとチーズの風味が口の中に広がり、控えめな甘さがどっと押し寄せた疲労を紛らわせるように食欲に火をつける。
カレントが出してくれた紅茶で胃に流し込み、新たな一切れを手に取るという作業めいた行為を黙々とする隣で、少女がカレントに領収書を突き出した。
「依頼人が払いはお兄様によろしくと言っていた。
街からここまで来た燃料費、使った銃器などの弾代、仕事のギャラもろもろで、締めて38万リベル(約55万円)」
「結構良心的ですね。小切手払いでお願いします。
……それにしても、運送屋ですか。本当に存在していたんですね。それに、かなりお強い」
「…………依頼が終わったから、帰る」
「おや、無視ですか。何か気に障ることでも?」
「………………気に食わないの。その喋り方」
ゴーグルを首元まで下げて、カレントを思い切り睨みつけてから少女は部屋を出て行った。
その反応に首を傾げつつ、無線で部下達にもろもろの事情を話し、自分の分の紅茶を入れてダリスの正面に座る彼。
「今回の件で警備の甘いところなど、洗い出せそうですね」
「その代償は高くついたがな」
「まあまあ……おや?ダリス、ふたの裏に封筒っぽいものが」
「なに?」
受け取って中を確かめると、2枚のやたらとかわいらしい便箋が入っていた。
……………………………
ダリス・ジャスパー様
お元気ですか?私は元気でやっています。
お誕生日おめでとうございます。ケーキはお口に合いましたか?
たまにはダリス様も連絡をください。お兄様から近況は聞けますが、私はとてもさみしい思いをしています。近く、帰ってくることはできませんか。
あなたの顔が見たいです。
あまりお仕事に根を詰めすぎないよう、体調に気をつけてください。
ニーヴ・カミリア
……………………………
内容をざっと読んで、ダリスは深いため息をついた。
心配なのはよくわかったが、まさかここまで強引な手を使ってくるとは思わなかった。
次の仕事が終わったら、三ヵ月ぶりに帰ってみるかな、ともう一枚の便箋を捲る。
「なになに―――『追伸、あなたの子供ができました』……………へ?」
「ああ、ここでカミングアウトですか。ニーヴもやりますね」
うんうん、と感心するように頷くカレントの言葉すら耳に入ってこないダリスは、そのまま30分ほど彫像のように固まって、我に返った瞬間、ようやくまともに動けるようになった部下達が何事かと最上階に駆けつけてくるほどの悲鳴を上げたのだった。
◇◆◇◆◇
カクリアード区の郊外を抜け、しばらく砂漠の道路を道なりにバイクを走らせていると、大型のトラックが道を外れて停まっているのが見え、擂芽はバイクを降りて運転席を見上げた。
「依頼終わったんだろ?お疲れ、擂芽。乗ってくだろ」
「うん、ありがと。兄さんも、お疲れさま」
ドアを開けて降りてきた緑のジャケットに黒のズボン、白いブーツの青年―――菟織がキャスケット越しにポンポンと頭を撫でてきた。それに少しだけ鋭い碧眼の目元を緩めて笑い、キャスケットを手で押さえる。
トラックの空のボディ(荷を入れる部分)にバイクを乗せ、ベルトなどで固定し、それぞれ運転席と助手席に座り、菟織がトラックを発進させる。
「疲れただろ。寝ててもいいぞ」
「んーん、大丈夫。兄さんは今回どこまで行ってたの?」
「あー、隣の国のでっかい教会。棺をこのトラックに乗るだけ運送んだ」
「中身は入ってた?」
「さぁ、どうだろうな……。軽かったり、重かったり。
まあ、気にしたところで終わった依頼だ。報酬ももらったし、今さら考えてもな」
「ふぅん………」
菟織の反応から、なんとなく察した擂芽はそれ以上は訊こうとは思わなかった。
依頼人と会い、運送ぶ品を聞いて、依頼を受けると決めたのは兄だ。どんな道筋を辿った依頼であっても、受けた以上、それがカタチのないものでも、イノチのないものでも。傷一つつけず、指定された場所・受取人まで運送ぶのが、私達の仕事なのだ。
「そういえば、今回の依頼はなかなかハードだったんじゃないのか。『血碧玉の狼』のアジトで一戦交えてきたんだろう?
《黒耀》と《時雨》もメンテナンス必要だろうし、《紅椿》も」
「別に、ちょっと面倒くさい経緯があっただけで、大して嫌な仕事じゃなかったわ。
それに、あんな連中より兄さん2人との訓練と比べると、ぬるま湯に浸かっているようなものよ」
ぼんやりと気のない反応を返すと、苦笑された。
「それは俺への嫌みか?それとも………」
一瞬顔を覗き込まれ、青のメッシュの入った銀髪から覗く、金とオレンジの混じった不思議な虹彩の瞳と目が合う。
「俺と同じ顔を持つ男への嫌みか?」
「……おんなじ顔で、おんなじように嫌な表情で笑うの止めてよ。
菟織兄さんまで微妙に嫌いになりそう」
唇を尖らせた擂芽に、「だよなぁ」と微妙な顔で肯定される。
そうして話しているうちに眠くなってしまい、うつらうつらしながら自分のキャスケットを握っていると、それに気がついた菟織が自分の焦げ茶色のキャスケットを被せてきた。
「寝ろ。まだ時間かかるから」
子守歌のような優しい低い声と、少しサイズが大きいために被せられたキャスケットが視界を暗くしたことも手伝って、擂芽の意識は深い眠りへと落ちていった。
◇◆◇◆◇
あの依頼から5日後、正式にニーヴ・カミリアとダリス・ジャスパーは婚姻発表をした。
そして……
「あのね出雲君!ダリス様がね、子供が生まれるまで頻繁に帰ってくるって約束してくれたの!」
「……っ!?…………!!」
「やっと私の気持ちわかってくれたのよ!」
「――――――!!?」
後ろから締め付けるようにして抱きつくニーヴから逃げようと、こちらに手を伸ばす出雲の姿が『Bar・鋼玉』にあった。
「完璧弟扱いね、あのお嬢様」
「まあ、出雲君達は本来の年齢より幼く見えますから。仕方がないのでしょう。十二歳くらいに見えますが、十四歳なんですけどね。
ねえ、瑞希」
出雲と同じ黒髪黒眼のバーテンダー姿の女性(十六歳くらいの少女にしか見えないが)に枸遠が声をかける。すると、彼女は少し微笑んで(無表情にしか見えないが)答えた。
「いいんです。あの子が喋るきっかけになってくれるなら、なんでも」
「厳しいな、瑞希は。あれはちょっとかわいそうだと思うんだが」
「あれくらいじゃどうともなりませんよ。姉である私が保障します」
何の保障だろうかと疑問を感じるが、出雲のことで瑞希に何かを言っても無駄だということは何年も一緒にいてわかりきっていることだ。
「最初見た時から気に入られているとは思ったけど、あのお嬢様、出雲を追っかけ回すためにここの常連になるんじゃない?」
「常連さんが増えるのはいいですけど、ねぇ。彼女お酒苦手でしょう?」
「そこは同感です。それに、妊婦がこんなところにフラフラ来ていいんでしょうか」
「ま、どうせもう少ししたら旦那が引き取りに来るだろ」
あの後、ダリスはカレントと他の幹部に仕事を分担し、すでに10日のうち4日もここに来ているニーヴをなるべく見張るために奔走しているらしい。
彼も出雲と同じ同情の対象になりつつあるが、直接擂芽が被害を被っていないので、特に何かをしてやろうという気にはならない。
「―――!!……………っ!?」
「出雲君ったら、照れてるの?結構うぶなのね」
出雲の反応を盛大に勘違いしているニーヴに、うんざりした碧眼を向ける。
「……とりあえず、あのお嬢様にはもっと静かにしてほしいわね」
「さすがに出雲はかわいそうだしな」
必死に擂芽と菟織(枸遠と瑞希にはすでに助けを求めるのを諦めている)に手を伸ばしてくる出雲を助けるために、二人は顔を見合わせてため息をつくのだった。
第一章.その少女、赤を纏う運送屋 End.
登場人物紹介
◆私 (ニーヴ)
依頼人。ある人物に荷物を運送んでもらうために、単身で《運送屋》コランダムにやってきた。
◇少年 (出雲)
バーテンダー見習い。黒髪に黒曜石のような目を持つ、十四歳(十二歳くらいにしか見えない)の寡黙な少年。依頼人を案内する。
◆バーマスター (枸遠)
Bar・鋼玉のマスターにして、《運送屋》コランダムの統括をしている青年。紫のメッシュの入った銀髪に、金とオレンジの不思議な虹彩の瞳を持つ。菟織の双子の弟。
◇《運送屋》の少女 (擂芽)
Bar・鋼玉のスタッフにして、《運送屋》のバイク便を担当している少女。金のセミロングの髪に赤のメッシュ。猫のように鋭い碧の瞳を持つ。
◆『血碧玉の狼』の若ボス (ダリス・ジャスパー)
赤褐色の髪の青年。体術を得意とする、血気盛んな性格。ニーヴとは幼馴染。今回の依頼の受取人。
◇『血碧玉の狼』の幹部 (カレント・カミリア)
くすんだ金髪の青年。どちらかというと頭脳派で、ダリスのサポート役。ニーヴの兄。
◆《運送屋》の青年 (菟織)
Bar・鋼玉のスタッフにして、《運送屋》の車・飛行機便を担当している青年。青のメッシュの入った銀髪に、金とオレンジの不思議な虹彩の瞳を持つ。枸遠の双子の兄。
◇黒髪黒眼の女性 (瑞希)
Bar・鋼玉のバーテンダー。出雲の実の姉。無表情に見えるが、本人はちゃんと表情を出しているつもり。