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1.

 振り上げる。肘を開いて、上段へ刀身と固定する。

 振り下ろす。斬撃の一瞬に全身の駆動を合致させる。


「……右手はあくまでも支え。左手の小指から、順に力を込めて」


 大地と平行の位置で刃を止め、言い聞かせるように呟いた。

 半歩引き、再び上段の構えへ。無音の気合で切り下ろす。が、力が入り過ぎたその一閃は先のように止めきれず、切っ先は軽く地を削った。


 町外れ、真剣を用いてただ黙々と反復動作を繰り返すのは、ひとりの娘だった。

 彼女は少女であったが、同時に剣士だった。一見のシルエットは細くとも、決して華奢(きゃしゃ)な身ではなかった。

 それは余分を削いで瞬発力に特化した身体であり、柄を握る掌は硬かった。豆の上に豆を作り、血豆を幾度も潰して出来上がる、それは武芸者の手だった。


「取るべき理想の動きを明確に意識する事」


 また独り言が零れる。

 時折の小休止を挟みながら素振りを続けて、もう一刻にもなるだろうか。

 己を嗜めて呟く言葉に反して、刃の軌跡は乱れに乱れた。ひとつとして同じラインをなぞらない。それは彼女の内面の乱れをもまた、如実に示していた。


 ──強くなった、つもりだった。


 師を別れてからおよそ一年。

 出会った仲間たちと重ねた経験とが自分を高めた。そう思っていた。けれど。


 ──何も出来なかった。


 きつく唇を噛む。柄を握る手に力が篭る。次第に黒さを増す雲を抜けてわずかに届く陽光が、刀身に反射して一時だけ煌く。

 増上慢だった。

 あの日、あの死地において。四肢は思うように動かず、思考は用を為さなかった。判断は拙く、決断は遅かった。辛うじて窮地を脱し得たのは、ただ(ひとえ)に仲間たちの尽力のあってこそだった。


 辛うじて手のひらに残る記憶は砂と飢え。

 親の顔も忘れてしまった孤独からの再出発だった彼女の人生において、得た仲間とは決して失いたくない、何よりもかけがえのない宝だった。

 だというのに、そう思っていたのに、あの日この刃は友の血を絡めた。

 事情と理由でどう言い(つくろ)おうとも、それは変わりのない事実だった。あの瞬間の沸騰したような激情、煮えたぎる氷のような憎悪。それは肉を斬り裂く鈍い手応えと共に、べったりとこびりついて離れない。

 そして何より、責めずに案ずる仲間の言葉が、余計心に痛かった。苦しかった。とても一緒には居られずに宿を飛び出し、行く当てもないまま辿り着いたのがここだった。

 走り疲れて足を止めたものの、じっとしていればまた思考が出口のない迷路に陥りそうで、体を動かさずにはいられなかった。


「慣性は膝で殺せ。決して重心を乱すな」


 ぽつりと、雫が落ちた。雨が来ようとしていた。

 だが意にも介さず、彼女は反復動作を繰り返す。なんの実も結びはしない、自分を(さいな)むだけの行為。けれど立ち止まったら、そのまま二度と歩き出せなくなりそうな気がしていた。何かが完全にへし折れて、立ち上がれなくなってしまいそうだった。


 重い。刀が重い。使い慣れた、手に馴染みきったもののはずなのに。

 全身が頼りない。手足がバラバラに解けていってしまいそうだった。

 雨粒が徐々に勢いを増す。五体を打ち据え、温度を奪っていく。


「振り回すな。振り回されるな。刀にも、自分にも。それから、」


 心が荒れる。それを映して刃筋が乱れる。五体に過分な力ばかりが籠もり、刃先がまた制御できずにぬかるむ地面を穿った。泥土を撃って俯いた格好で、彼女はとうとう動きを止める。肩が震え始めた。


「それから──それから、何だっけ、師匠」


 濡れて重くなった髪から、ぽたりぽたりと雫が滴る。頬を伝うのは雨滴ばかりではない。


「わかんないよ。わかんなくなっちゃった」


 涙を、弱さを追い出そうと目を閉じる。眼裏に浮かぶのは背中だった。

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