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天上教の設定について

天上教とは


 唯一神、マルクーアを主神として崇拝する宗教、しかしながら、マルクーアの家族神や精霊、歴代聖皇、聖人も信仰の対象に含まれていて、一神教とされるが実際は多神教的な側面もある。このレ・アースでは全ての宗教が天上教であり、幾つかの宗派に分かれているに過ぎない。宗派については後述する。


 この『アルテ』という小説に登場する天上教は『セルスアスラ神話』に含まれる話である。天上教では魂の不滅を認め、全ての生命の魂は生命の樹、ヴェシラーシルに戻り再生され、また転生するとしている。そのため天上教の教会には螺旋がシンボルとなっている。螺旋は頂点で折り返し始点に戻るデザインである。マルクーアはヴェシラーシルの元で暮らしているとされている。


天上教の教義


 教義は聖対録が根本である。マルクーアが地上にいた時代、様々な人間、果ては動植物までが、マルクーアと言葉を交わした。それが412章に時系列としてまとめられている。また、リリターアウ前章という412章とは別の聖対録があり、マルクーアがこの世界を構築した以前の世界が崩壊していった姿が描かれている。これはいわば黙示録である。この前章は捏造とも、実は過去でなく、未来を予言したものだとも言われていて聖職者の間でも意見が分かれている。


 この前章を狂信するものもいて、それはリリターアウ派と呼ばれている。リリターアウ派の象徴はリリターアウの花である。これは宇宙が崩壊する時に、宇宙を突き破って咲いた巨大な花のことで、世界の滅亡と再生を示している。リリターアウ派は歴史の闇の中で革命や戦乱を操ったとされる。リリターアウ派は魔術師と関係が深い。また、412章の387章以降401章まではマルクーアが残した予言も記載されている。聖対録にはいつの日かマルクーアがこの地上に再臨し、神の国が築かれ、永遠の至福国家が誕生するとマルクーア自身によって予言されている。


 これは一種の千年王国思想である。リリターアウ派は前章の破滅の後にマルクーアが再臨すると信じていて、歴史の節目で表に出てはこの破滅を自らの手で起こそうとした。リリターアウ派は弾圧を受けるが今日まで存在している。


 さて寄り道してしまったが、教義は聖対録に全て記されている。この本その物が信仰の対象でもある。本はマルクーアの物語である。マルクーアが諍いを解決したとか、奇蹟を行なったとか、そんな話がほとんどを占めている。そして、マルクーアとその周りの人々との関係や対話が教義の重要な部分をなしているのである。


 例えばジラスという若者との対話は重要な話である。そこには人間の幸福の姿描かれている。ジラスは悲観的な若者で、身の回りのことを悪く捉えてばかりだった。マルクーアはある日、ジラスの将来を憂い対話した。そこで「どんなに生きたって、やがては死んでしまう」というジラスに楽天主義を説いたのがマルクーアだった。


 今を最善と見る、そこからさらに先へが重要とするマルクーアにジラスは最後まで同調しなかったと言う。途中から時の長老テメネスも加わり、延々と対話が続く。こう書くと意味が感じられないが、実際には、魂の問題、内なる幸福、外からの幸福など人間にとって避けることの出来ない問題が書かれているのである。この一説はやがて天上教西方教会により主説にまでなり、それが歴史の後退を招いたことは不思議なことでもある。


天上教の特色


 幅の広い宗教である。聖性の尊崇、永遠性の認識や魂の不滅、隣人愛などその多くの価値観は私たちの宗教にも見られる普通の宗教である。もっとも大きな特色はマルクーアの時代を神聖視していることである。ただ、地域性や宗派で差異が大きい。食物や慣習の禁忌などもそれにあたる。菜食主義は南方教会に見られるが、西方教会では祭日だけの風習である。また、最大派閥、西方教会派で顕著であるのが、楽天主義である。これは今でもある程度見受けられる。ただ、ラディカルな楽天主義は究極の現状肯定であり、それはある種、病的なので現在は完全に支持するものはきわめて少数である。


天上教の宗派

 

 西方派(西方教会)主流派である。マルクーアが去った後、右大陸の中央部で組織化が始まり、主流派になった。マルクーア崇拝とアルバーティンへの信仰が強い。また、楽天主義も強固である。世俗化が進行しており、


 南方派(南方教会)アーランドやテスタトリアで多数を占める宗派、ゼリア信仰(マリア、弥勒信仰のようなもの)が強く、多神教的な側面が強く、世俗化が進まず、宗教的な権威がいまだ強い。


 少数派は無数にある。その中でもリリターアウ派、マルクーアの再臨を願う千年王国派、マルクーアが人間であったと主張するバンナ派、マルクーアは偽りであり、この世界こそが神だとするジャルア派、マルクーアの生まれ変わりを見つけて信仰するナルア派などが有名である。


聖皇とは


 聖天マルクーア教皇というのが、正式の名称、世界中の人口の七割が信仰する西方派の頂点に位置する。宗教界のトップである。

聖皇制は古代天上教期に始まったが、この時代は単なるとりまとめに過ぎなかった。神聖王国時代に権威的存在になり、その後、世俗をも支配した。


 ナイアステア一世はこれを改革し、宗教のみに限定したが、かえってその権威と権力は強まった。また本格的な聖皇制を作ったのはナイアステア一世である。彼の即位から新聖皇暦ははじまっている。その権威は一時、世界を圧倒した。


天上教の歴史


1 神話の時代


 聖対録に記されている時代、マルクーアとその信徒たちが暮らしていた時代、マルクーアがこの世界を作り、生き物たちを連れてきたとされている。それは崩壊した世界から生き物たちを救うために、マルクーアがこの世界をお造りになったのだと言う話だ。マルクーアは連れてきた生き物たちや人間とこの世界が安定し調和するために手を尽くし、一万年もともに暮らしたとされている。しかし、この世界はある日、終わりを告げる。マルクーアが突然にいなくなったのだ。人々はこの日を境に、全ての事を自分でこなさなければならなくなった。また、マルクーアが去った三日後、巨大な地震と津波が襲い。ほとんど全ての人や動物が死んだ。世界は調和を失ったのだ。聖対録はマルクーアの最後の言葉を伝えている。それは、「あの花はまだか」という言葉だ。マルクーアが隣人に尋ねた、桜の開花を聞く言葉がマルクーアの最後の言葉だ。そこには失踪を予感させるものはない。しかし、この言葉は別れの常套句として膾炙している。


2 古代天上教の成立と興隆


 マルクーアの失踪後、世界は乱れた。千年間にわたって、停滞し、様々な小さな国や集団が勃興し、諍いを起こし、滅んだ。しかし、次第にある国が興隆してくる。右大陸の中央部で成立したファルナ神聖王国である。この国は人の手でマルクーアの時代を取り戻し、マルクーアの神権を持って人の世を統治する事を国家の中心にすえた神権国家だった。そのため聖対録を神聖視して、法律や慣習まで聖対録の価値観が取り入れられた。


 この王国を築いたのは神聖ファルナ一世である。ファルナはこの地域の大きな豪族の出身であったが、叔父に族長の地位を奪われ、傭兵となって大陸を転々としていた。彼は深く聖対録を読み込んでいて、それを傭兵でありながら実践していた。そのことが彼に思わぬ幸運をもたらした。北のバンナ王国に傭兵長として雇われた事だ。ファルナはここで軍功をたてて、国王の娘を娶り、彼が国王になったのだ。彼はバンナ王国を神聖王国と改めて、天上教を国教とした。また、同時に天上教の教団を招き、組織した。これは後の西方派の元になった。

 王都ファルナでは天上教の教会が建設され、神官を育成する神学校が設立された。また、そこを中心に知識が集められ、経験的な学問も発達した。


 ファルナは合理主義的な一面も持ち合わせていたので、城下での市から税金を取らなかった。宗教的な安寧と合理的な施政は神聖王国に繁栄をもたらした。ファルナは程なくして、叔父を打ち、自らの部族を取り戻したが、そこには帰らなかった。


 やがて神聖王国は安定し、右大陸を制覇した。また、教団も発達し、各都市に組織を持ち、世俗を天上教の権威でファルナの一族が統治し、ファルナの庇護を受けて、天上教が宗教的な安寧と教理を発達させると言う、いわば両輪がうまく機能したのである。


 ファルナの死後、神聖王国は分裂と集合を繰り返し、やがてファルナの血筋も途絶えたが、神権国家の形は変わらなかった。だが、宗教的な権威は世俗よりも優位になり、皇帝をしのぎ、ついに神官長はついには聖皇を名乗るようになった。初代聖皇はヴェシラーシル一世を名乗った。王権は聖皇の権威の前に、縮小を余儀なくされ、最終的には聖皇が皇帝を指名し任じるまでに後退した。


 この古代中期から末期への天上教の宗教的な権威の高まりの背景にあるのが、銀界の扉を巡る。マルクーアの予言である。マルクーアは神話の時代、聖対録のリリターアウ前章おいて、今から千年後に星星の巡りから、この世界と異世界を繋ぐ銀界の扉が開かれる機会が巡ってくる事を予言している。銀界の扉はこの世から空間素エーテルを向こうの世界に流しだし、この世界は滅亡すると考えられている。そのカタストロフに向かって時が流れているとされたのだ。これは平安の末に末法の世が恐れられたのと同じ心理である。


 このカタストロフを防ごうとあらゆる研究が古代天上教では行なわれた。ただ、時は古代であり、科学的な知識は全くなかった。そこでタブーとされた魔術の研究も盛んに行なわれ、様々な研究成果がもたらされた。錬金術から化学が誕生し、天文学の基礎や医学も生まれた。リフォンが誕生するのもこのファルナルネッサンスが影響しているのである。

話を元に戻すとこのカタストロフへの恐怖と絶望が宗教的な救いを求める求心力になったことである。

やがて、この神権国家はラサミアやアーランドへも広がり、今から千三百年余り前に神聖カスタドーリア帝国を名乗るようになった。


3 神聖カスタドーリア帝国と古代天上教の終焉


 神聖カスタドーリア帝国は首都をファルナからカスタドリアに遷したことによる名である。銀盤占いシルファレーテによって遷都の場所が現在のスライデル国家社会主義国首都スライデリアの近郊に定められた。


 この時代は古代末期にあたる。神聖カスタドーリア帝国は百年ほどしか続かなかったが、銀界の扉を巡る事件は、太陽の巫女であるアルオーゼ第三王女を犠牲にすることで解決したとされる。では実際には銀界の扉とは何だったのかと言うことであるが、最近の説でもっとも有力なのは彗星、つまり周期でやってくる、ほうき星を異界への接続とする現象だと勘違いしたとするものである。科学的にみてこれが無理のない説だとされている。天文学では周期を計算して、マーチン彗星がこの銀界の扉の正体だとした。


 銀界の扉のカタストロフが解決すると、人々は急速に天上教から離心した。これを繋ぎとめ宗教改革を行なって、天上教を復活させたのが、ナイアステア一世である。彼はそれまでの暦を改め、聖対録中心主義を打ち出した。加えて、魔術や巫女術を異端として禁忌としてこれらを一切、公式の場から排除した。リリターアウ派への弾圧は苛烈を極めた。さらに、マルクーアを抽象的な神格として像を破壊した。古代天上教ではマルクーアの前であらゆる生命が等しく平等とされていたが、ナイアステア一世は神と人とにそれを改めた。首都をカスタドリアから聖都イーメルに定めた。聖都イーメルは現在でも聖皇国の首都である。


 アルバーティン布教会の創設と活動も大きな特色である。アルバーティン布教会は聖皇の直轄、部隊であり、親衛隊でもあった。彼等はナイアステア一世の命令のもと、直接、信徒に聖皇の意見を伝え、また、聖皇の教えを布教した。時には武器を持って聖皇を守り、敵を討伐する事もあった。アルバーティン布教会は巡察使として、各地をめぐり、司教の不正を正した。


 神学校の改革も積極的に行なった。最高学府をアルバーティン聖教学校にして、博士の学位授与はこの学校のみとした。この時代から、ラサミアにはカミラ高等学院やカスタドリア大学など、各地に学校は存在したが、アルバーティン聖教学校のみが正統な教育機関とされた。


 銀界の扉の異変以降、人心は急速に神権や聖なるものへの関心から、人間へと向かい始め、その方向へ舵を切ったナイアステア一世の宗教改革は成功を収めた。天上教は生まれ変わったのである。そして、もっと大きな功績はナイアステア一世が世俗への関与を限定的にしたことである。これによって、諸王や皇帝に世俗を任せ、天上教は宗教界にその力を限定したのである。これは一見、衰退のように見えるが、このことで天上教はますます発展することになったのである。それに、実際は世俗の王たちは結局、神権の承認を必要として天上教に接触してきたのだから、責任を捨て、ナイアステア一世はその実だけを採る事ができるようになったのである。


 これらの改革を行なったナイアステア一世は今ではもっとも有名な聖皇の一人である。そして、彼はアルオーゼとジャーシヤ・ルン、あの『太陽の巫女』の登場人物でもある。

 南方教会もこの時代、様々な改革を行なったのであり、それらも興味深いが今回はその記述は見送りたい。それは複雑で多岐に渡るためである。他の専門家の著述を待ちたい。


4 中世後期の右大陸諸国家の衰退と芸術革命


 ナイアステア一世の死後、三百五十年間あまりこの体制、イーメル体制(聖皇庁が実質的に世界の中心だったので)は続く、この時代は天上教が、西方教会にせよ南方教会にせよもっとも権威を保持した時代である。


 しかし、この天上教の栄光と引き換えに社会は長く停滞した。技術的な発展は遅く、発見も少なくなった。それは魔術を禁止したためである。魔術研究は実質、科学研究も含んでいたので、科学分野の発展は阻害されたのだ。


 大きく発達した文化もある。それは、神学である。神学は異様な発達を遂げた。またそれに付随する、教会音楽、紋章学、書式学なども大いに発達した。神学は神の実在、マルクーアの失踪の意味、そしてなによりも楽天主義の追求に充てられた。


 この時代は楽天主義の時代だったのだ。楽天主義は「今日はきっと良いことがある」などというレベルの話ではない。全てにおいて楽天主義なのだ。これは実に恐ろしい事であった。聖皇アマリッドの時代、楽天主義は極まり、何もしないことが最上とされた。なぜなら、この世界は神の御手で最善に動かされているのであって、それに何かをすることが悪とされたのだ。この時代、信じられない話だが、病人に対する治療は放棄され、農業は地に種をまく行為だけになった。そのため、社会は荒廃した。後世の歴史学では、この状況は楽天主義ばかりが、引き金で無く、天災が大きかったとするが、ひどい有様だったのだ。そして、天上教への信仰も大いに減退した。


 こうした局面に登場したのが、聖皇フラクシナーレス二世である。彼は笑う聖皇と呼ばれ、天上教史に偉大な足跡を残した聖皇である。彼が始めた芸術革命が実質、この世界に近代の扉を開いたといってよい。大声で笑う聖皇というのが彼の個性を良く表している。彼は芸術を奨励した。神を寿ぎ、世を明るくすると言うのが聖皇フラクシナーレス二世の目的だった。また、月に一回は小さな祭りを義務付け、これは娯楽と同時に経済を回そうという意味もあった。


 聖皇フラクシナーレス二世は芸術というものであれば、いかなる研究や製作も許したので、芸術という名目であらゆる技術や科学の研究も進んだ。ただ魔術は変わらず厳禁とされた。

 聖皇フラクシナーレス二世は一説にリリターアウ派であったとされる。彼は聖対録のリリターアウ前章を好んで読み、「リリターアウの花は美しい」と良く語っていた記録が残っているのである。そして、彼は「歴史は人の情念によって、その輪から外へ羽ばたく」と言い、楽天主義を憎んでいたとさえされているのである。

 ともあれ、楽天主義は後退し、再び世界は動き出したのである。


5 天上教の世俗化と市民社会の興隆、および現在


 聖皇フラクシナーレス二世以後、二百年、社会は発展続け、王侯貴族から市民階級にその力の中心は写り始めた。こうした中、人々の関心は次第に、来世や天国での幸福から、現世の成功へと変わり始めた。こうした中で、天上教は権威を失い。道徳と慣習に大きな地位を占めるだけになりつつある。


 ご無沙汰してます。今回は『アルテ』と去年ブログで書いていた『セルスアスラ神話』をつなぐ設定を載せました。まあ、西洋のキリスト教史を適当にアレンジしただけでしょと言われる内容ですが、芸術革命など自分の考えも入れてみました。歴史のエポックメーキングに芸術はなりうるかという疑問を入れてみました。地味に地ならしを続けておりますので、また、連載を再開したいと考えてます。まあ、かやまは全然、放り出す事は考えておりません。今後もよろしくです。


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