第七章ターゴへ その3
第七章 ターゴへ その3
「今外に見えているなぎさが東海岸だよ」とアルバートは言った。
「ええ、分ります。この向こうには北ライスがあります」とアルテは言った。
「そう、この海の向こうに左大陸が広がっている。その先にはスライデルがあり、もっと向こうにスラレバトスがある」とアルバートは中学生なら誰でもが知っているような事を言った。
「そうですね。でも、不思議と実感がありませんね」
「うん、そうだね。確かに君の言うとおりだ。でも、君はこの海をわたってきた事があるんだよね」
「ええ、それはそうですけど、幼い頃でしたから、私はあまりおぼえていないんですよ」とアルテは笑った。どこか寂しい笑いだった。
「そうか・・・それもそうだね」
「はい」
「アルテ、君は、「太陽の巫女」と言う話を知っている?」とアルバートはふと思いだして話を変えた。
「もちろんよく知っています。プリンセスアルオーゼの話ですね。銀界の扉を塞ぐために、自分を犠牲にして亡くなった人の話です。それにアルオーゼはリフォンの歴史的な奏者で、実は、私の憧れの人です」
「そうか、アルオーゼは君の憧れの人なんだ」
「はい、アルオーゼは情熱的な心と気高い精神を持った本当にすごい人です。私はリフォンを彼女のように弾いてみたいといつも思います」
「なるほど、では、その話の中に出てきたジャシーヤ・ルンは知っているよね」
「ええ、もちろん。ルンはアルオーゼの恋人だった人です。黒髪の魔法使いです。ナイアステア聖皇とルンはアルオーゼをめぐって三角関係になりました。ルンは陰のある人物で、ナイアステアよりも人気がありませんが、私はルンが嫌いではありません」と笑っていた。
「君は、そのルンが、アルオーゼの亡くなった後、どうなったか知っている?」
「いえ、しりません。でも、確かに物語り上では、宰相を辞めて生まれ故郷に帰ったとかそんな話だったと思います」
「うん、まあ、物語では確かにそういう話だね。でも、実際は大きく違うらしい。ルンはアルオーゼが銀界の扉を開いて亡くなった後、それを受け入れる事が出来なくて、彼女をこの世に蘇らせる魔術を使おうとした。それは天上教に背くタブーだった。結局その事は露見し、彼はナイアステアに捕まって、異端として死ぬまで幽閉されたといわれているんだよ」
「えっ、そうなんですか?そうですか、現実ではそうなったんですか?なんか悲しい終わり方です」
「うん、さらにこうも言われている。二人は、アルオーゼを巡ってもだけど、政治的にも、互いに対立していたから、ナイアステア聖皇が禁忌の魔法を使おうとしたとして、ルンをはめ、異端の汚名を着せて葬り去ったとね」
「そんな、でも、私はナイアステアをそんな人には思えません。誠実な人だと思っています。陰謀は彼には似合いません」とアルテは物語と事実を混同させたようなことを言った。 アルテはナイアステアに好感を持っているのだろう。多くの女性と同様に。
「確かにナイアステアは誠実な人として物語で描かれているが、実際はナイアステアとルンは激しく対立していたんだよ。現実の政治家ってやつは自分の権力のために、そのくらい酷い事を簡単にやってのけるものさ」とアルバートも少し言い過ぎかもしれない解釈を述べた。
「でも、ナイアステアはルンを殺してはいませんよ」
「まあ、確かにそうだね。彼の権限で処刑する事は出来たはずだ。でも殺さなかった」
「どうしてでしょう?」
「さあ、わからない。話は変わるけど、実はこの先にオルデムミントという岬がある」
「オルデムミント?」
「いま言った宰相ジャシーヤ・ルンがナイアステアによって、幽閉されて亡くなった地だよ」
「でも、ラサミアで、この近くで?」とアルテは驚いた様子だった。
「また、驚くなかれ、もうすぐでオルデムミントをこの列車は通過する」
「ええっ、それはちょっとびっくりです。でも、あのお話の舞台は大陸の方だから、それは思いもしませんでした」
「それは、ルンがラサミアの豪族の出身だからだよ。彼はハラレ人だった」
「そうなんですか。でも、アルバートさんはずいぶんと詳しいですね」
「まあ、実のところ最近、知ったんだ。この本でね」とアルバートは鞄を開けると、中に入れっぱなしになっていたペーパーバックを取り出し、巻末のモノクロ写真を見せた。
車掌が切符の検札にやってきて、きわめて形式的にそれを済ませていく。
列車は相変わらず。規則正しい音を立てながら、海岸を疾走してゆく、しばらく走ると、突然大きく揺れ、大きなトラス橋を渡った。それなりに大きな川の河口だった。直後、小さなプラットホームが見え、駅票の 『オルデムミント』 の文字が見えた。
「ここだ、たぶんここだよアルテ」とアルバートは言った。
左手の砂州の先に泊りがあり、白いマスト、木造の船が幾艘か見え、その先に岬があり、黒い石造りの巨大な壁が見え、その上に白い、灯台が立っていた。ほんの一瞬の情景、列車はその直後、トンネルに入りそれを打鉄音と闇の中に置いていった。
「今のが、それですか?なんか、とても、寂しげな場所でした。あそこでルンが亡くなったなんて、思えません」
アルテは列車の窓に手をかけていた。
「今のが、そうだと思う、この本では、昔はお城があったらしいけど、今は壁しか残っていないと書いてあった。ルンが幽閉されたときは、城には高く雲がかかるような巨大な塔があったそうだ。ルンはその最上階に閉じ込められ、しばらくして発狂して亡くなった。ちなみにルンの墓もあそこにある。墓碑にはルンここに眠るとあるだけの簡素なものだ。でも、彼の遺体はあそこにはない。遺体は焼かれて、海にまかれたんだよ」
「それはー、たぶん、当時の考え方ではルンが蘇る事を恐れたのかもしれないね」とリンが会話に割り込んでこう言った。いつの間にかアリスとリンは交代していまの話題を聴いていたようだ。
「まあ、ルンは魔法使いとして恐れられていたからね。これがその本」とアルバートは言い、本をアルテに渡した。
「私に、ありがとう。とても面白そう。でも、今はいいです。私って、乗り物の中で本を読むと、なんだか気分が悪くなるんです。後で、見ることにします」
アルテは本を受け取ると、リンとの間に置いた。
リンはそれを、取ると「僕は「太陽の巫女」って話を良く知らないんだ。読んでみたい」と言うと後ろの席に移った。列車はがら空きだ。
アルバートはさらに話を続けた。アルテがアルオーゼについてどんなことを知っているか聞いてみたくなったのだ。彼はアルオーゼに興味を感じていた。それに、アルオーゼはスライデルに所縁の深い人物だ。アルテは多くのことを知っているだろう。それを聞いてみたくなったのだった。
「恥ずかしい話だけど、私も最近まで、あまりアルオーゼを知らなかった。彼女ことはこの本で知ったんだ。リフォンの奏者なのにね。ただ、こんなことを言うのはどうかと思うけど、録音すら残っていないのに、どうしてアルオーゼはリフォンの名手と云われるんだろう?」 アルオーゼは千年ほど前の人だ。どうして、そんな人が今日でもリフォンの名手とよばれるのだろうか?アルーバーとがだいぶ前から疑問に思っていたことだ。
「そうですね。演奏の残されていないのに、名手とは確かに変かもしれません。でも、ちゃんとした理由があります。それは、アルオーゼが作曲家でもあったからです」
「なるほど」とアルバートは頷いた。
アルオーゼが作曲家でもあったなのなら、わかる。それは曲が残っているからだ。曲を見れば、演奏家としての技量や何をモチーフとしたかなど、多くのことがわかる。名手と言われる事も。
「作曲家としてのアルオーゼはどんな人だった?」
「アルオーゼはスライデルの南、聖皇国の近くで生まれ、二十四歳でこの世を去るまでに、リフォン階梯曲と二十五の歌曲、十二のソナタ、リフォン協奏曲一曲を作りました。彼女のリフォンはいや、マギフォルアはスライデルのすべての奏者にとっての誇りであり模範と言ってもいいものなんです」
「なるほど、それほどとは、知らなかった」
アルテはその言葉に少し驚いたというか、呆れた表情を見せた。
「アルバートさんは音楽を勉強されたんでしょう?学校では習わなかったんですか?」
「私がアルオーゼを知ったのは、友達からで、その曲も聞いたことがなかった」
「そんな、では、アルバートさんは彼女の曲を終わりまで聴いた事は?」アルテはショックを受けた悲しそうな表情を見せた。
「学校では、確か短い歌曲の出だしを音楽史で一回だけ聞いた。確か現代のリフォンに繋がる方式を考案したとか、そんな講義の中でね」
「そうですね。それはアルオーゼスタイルのことです。それはルンとの協力によるものだとも言われています」
「そう、確かに言われている。君が今、言った事で思い出したよ。私の不勉強で恥ずかしい事だが、どうもラサミアでアルオーゼはあまりよく知られていないんだ。確かに「太陽の巫女」の話は有名だが、音楽家としてのアルオーゼはあまり知られていないようだ。でもだよ、そんな重要な音楽家ならラサミアで曲が知られていないのはへんな話なんだ。これは一体どういうことだろう」
アルバートは思っていた疑問を口にした。
「ああ、そう言われると、そうかもしれません。ラサミアの演奏会のプログラムは四大作家や三詩人の曲ばかりで、アルオーゼはほとんど見たことがありません。うーん、ラサミアの文化的なスライデルへの対抗意識でしょうか?アルオーゼを認めたくないみたいな」
「いや、それはないと思う。優れた曲に国境はないよ。いかに意地を張っても、優れた芸術に対して、まともな感性を持った者なら、逆らうことは出来ないはずだ。しかし、どうも私には良くわからない。だが、君がそんなに言うのなら是非ともアルオーゼの曲を聴いてみたいと思うようになったよ」
「わかりました。私が全部、弾きましょう。彼女の曲の良さをわからせてあげますわ」とアルテは両手をあげてリフォンを弾くポーズした。
「それはとても楽しみだ」
「アルオーゼは私の憧れの人です。けれどもラサミアの人はアルバートさんのように彼女の事を良く知らないようです。知っているとしても物語のことで、音楽家としての彼女の素晴らしさに気が付いていません。それはとても残念な事だと思います。リフォンの半分しか知らないようなものです」
「そうかもしれない。それで、どんな人だったんだろう?物語の中では、銀髪の美姫、穏やかで、それでいて優柔不断な典型的なヒロインとして描かれているけど」
「ええ、確かに。でも、それこそ、物語のお話です。彼女の残した曲を演奏するとそれは違うと思うようになります。アルオーゼはそんなに単純な人ではないと思います」
「曲はその人となりを語るという訳か」
「はい、たぶん、アルバートさんも彼女の曲を聞いてみれば、そう思うようになりますよ。良い曲は様々な感情や智慧が泉のように溢れかえっています。それを作り出せる人は大きくてすごい人です」
「それはよくわかる。音楽はふと現れてくるものなんだ。そして、それを創ってくれる人はいつも不思議な人たちだ。彼等はそれのあるところに行って掴まえてくる。私の言っている事がわかるかな?」
「はい、でも、それを形にして、音楽にするのは私たち演奏家の役目です」
「うーむ、それは君が考えた事なのか?」
「いいえ、母さまの言っていた事です。私にリフォンを教えてくれたのは母さまでしたから」
「それは本当のことだ。音楽の地平を切り開くのは私たち演奏家の役目なんだ」
「はい」
「それはそうと、君はアルオーゼを手紙は読んだことがある?」
「ありません。そんなのがあるんですか?」
「この本の巻末に乗っているよ。アルオーゼに興味をもったのはその言葉からなんだ」
「本当ですか?後で読んでみます」
「アルオーゼはルンに宛てた最後の手紙に中でこういっているよ。「生けるもの全てを愛し、この世界の全てを愛し、人を愛する事は、私にとってあなたを愛する事だ」とね」
「とてもアルオーゼらしいです」
それからアルバートとアルテはとりとめもないことを話したり、これからプリンストンについてから、知己の公爵家を訪問してみる事を話した。そこで、思い切って旅費を援助してもらうことを考えていることを。また時間があればアルテの両親の行った古美術店を訪ねてみる事も話した。
アルテはプリンストンの事を良く知っていた。アルテはスライデルから亡命してくると、龍の舌と呼ばれるところで二年ほど暮らしたそうだ。そこでの生活は大変だったらしいが、アルテにとっては思い出深いものだったという話だ。
その後、チャールズが外務省を解雇されて、「歩く」と車を残し、憤慨してステッキで思い切り思案橋の欄干を叩いたことで、たまたま通ったマリウスとは偶然再会した。そして、アルテはスラシュクロス屋敷にやってくる事になったそうだ。
お久しぶりです。ここのところ忙しくて、ほったらかしになってました。すみません。次回で、この章は終わり、次に続きます。
ここまでお読みくださいましてありがとうございました。




