アルテ第7章 その1 2稿
連載復活です。でも、仮稿で完成版ではありません。読みづらい点もあるとは存じますが、ご容赦ください。いずれ完成版をお目にかけたいと思っております。
第七章ターゴへ 1
車は走る。あらゆる命が溢れている6月の緑と風の中、田舎の舗装されていない道を、サスペンションを軋ませながら進んで行く、エドガーの運転は軽快である。
アルバートは外を見ていた。トウモロコシ畑などのありふれた外の景色を出来るだけ鮮明に覚えておこうとした。そうでもした気を紛らわせなければ、頭の中に様々な考えが浮かんで、溢れかえりそうであったからである。
しかし、それに飽きてくると、アルバートはポプラ並木の先を見るのをやめて、アルテに視線の先を移した。アルテは窓に頬杖をついて、ぼんやりとしていた。
その隣でリンは手遊びをしていた。左手で何かの禽獣の口を表現して、逃げる右手を追い、がぶりと噛み付く、そんな仕草を繰り替えしている。リンからは、いつもの人を緊張させる、威圧感と集中力が消えうせていた。どうやら、いつのまにか、アリスに人格が交代したようだ。
アマーストの駅に着くと、エドガーは皆のトランクやら何やらを手早く降ろした。アルバートもそれを手伝った。
懐中時計を取り出すと、時間は十時を少し過ぎたところだった。日は既に高く、穏やかな初夏の日だったが、誰もおしゃべりをしようとしなかった。
*
アルバートがもと来た道を眺めていると、向こうから、トラックが飛ばしてやってくるのが見えた。トラックは、駅の目の前で止まると、中から三人の男女が出てきた。二人は中年の男女で、もう一人の男は黒髪で背が高く若かった。彼は快活な、気持ちのいい声で「おはようございます」と言った。表情は柔らかく、女性に好かれそうな、清潔感のある青年だった。
それを聴くと、駅の脇に居たアリスが「兄さん」と叫ぶとかけていって、その男に抱きついたのだった。男はアリスの兄のようだ。あとの男女は、おそらくアリスの父親と母親だろう。
二人は荷台から三脚を出して、木箱を開けカメラを手早く組み立て始めた。カメラはあっという間に組みあがり、女性の方がそれを担いでやってきた。そして、歳の割には高い声で「おはようございます。あの、当主様ですよね。アリスの母のエルザです。これから写真を撮りましょう」と言った。とび色の明るく大きな瞳が、コミカルな印象を与える感じの中年の女性で、どことなくアリスに似ていた。
「ああ、これは、おはようございます。写真ですか?」とアルバートも言った。そう言えば、アリスの家は写真屋だった事を思い出した。
「ええ、記念に。思い出に残すんです」
トラックから小走りできた、アリスの父親は背が高く、少し猫背の四十代くらいの寡黙な男だった。彼はシャツを袖までまくり、ズボンも膝くらいまでたくし上げてあった。緊張しているのか、彼はアルバートと目を合わせず、下を向いていた。エルザは仕方のないという表情をすると、男の肩を叩き、アリスの方へ行かせた。
「ちょっと、すみませんね。あの当主様、お名前は確かアルバートさんですよね?」
エルザはアルバートを知っているようだった。エルザは全く物怖じすることなく、笑っていた。
「はい、そうですアルバートです。アルバート・スラシュクロスです」
「失礼は承知ですが、あなたに言っておきたいことがあります。あなたにアリスを娘を預けるわけですからね。あの、まず、あなたはサリアの息子さんですよね。私とあなたのお母さんのサリアとは、遠縁なんですよ。知っていますか?」とエルザは意外な事を言った。
「母の遠縁?母を知っているんですね」
「ええ、知っているどころか、学校は一緒に行きましたし、サリアは私の姉のような人です。実は昨日も電話で話しをしましたから。サリアはアリスがリンシアに来たら、責任を持つって約束してくれましたよ」
「えっ、そうなんですか」エルザはサリアがリンシアに居る事を知っている。
「そうなんですよ。だから、アリスに対して、責任を感じて欲しいんです。あの子はあなたにとって全くつながりがない他人だと思って欲しくない。だから、ここに来たのは見送りの他に、この一言云いたかったのもあるんですよ」
「アリスが私の、いや、それは知りませんでした。母さんにはこれから連絡するつもりでして」アルバートはアリスとの意外なつながりに驚くと同時に、サリアに連絡する事もすっかり失念していたのを思い出した。
エルザは少し口の端をゆるめて笑むと「はい、エドガーさんからあの子達が、リンシアに行くと聞いて、私と夫は卒倒するくらい驚きました。正直に言うと最初はお屋敷に押しかけて、連れ帰ろうと思いました。私たちはあの子たちから何も聞いていませんでしたから」と言った。
エルザの声音にはアルバートを非難する響きはなかったが、母親が若い息子をそれとなく諌めるような感じがあった。
「そうでしたか、申し訳ないです」
「でも、あれから良く考えて、話し合って、もしかしたら、ここに留まるより、リンシアに行かせた方があの子達は安全なんじゃないかと思い、決めたんです。サリアもいるからってね。でも、お父さんは今も納得できていませんけどね」
「すみません」
「いえ、いいのよ。あなたはサリアの息子さんだし、私はサリアを尊敬しているのよ。あなたは私のことを知らないみたいだけど、私は生まれたてのあなたを知っている。だから、大丈夫だって思ったんです」とエルザは真剣な表情で言った。
「私は、ほとんどこの街のことを知らないんです。エルザさんが母とそんなに親しかった事も、それに、もっと早く話せていれば、もうしわけないです」
エルザはアルバートの背中に触れると言った。
「いんですよ、仕方がないと思っていますから、アリスはリンのことになると、私たちの言う事を聞かないんです。リンは私たちの前にはほとんど出てきません。でも、あの子が幼いときから、いつも二人は話をしていて、リンに言う事なら間違いがないと言っていました。確かにそれは本当なんです。でも、私たちがアリスを行かせてあげようと思ったのは、あの子が本当にリンを大切に思っているからなんです。あの子の思うとおりにさせてあげたいんです」
「そうですか、でも、リンは一体何なんですか?」これは気になっていたことだった。
「いえ、私たちにも全く分かりません。医者に見せても分からない。いつの間にかあの子、リンがあの子の中に居たんですからね。私たちは正直に言えば、複雑です。でもあの子はリンが好きだっていうから、仕方がないじゃないですか。娘が愛しているのなら、認めるしかないと私は思うのです」
アルバートは頷いた。そして、エルザでさえ、リンの存在が全く分からない事を聞き、驚いた。
「リンはあまりにも多くのことを知っているし、恐ろしいほど聡明です。あんな知識をどこで手に入れたんでしょう」
「そうですね。確かに、私たちが聞いた事もないような知識も知っています。アリスが時々、そうしたことを私たちに、リンから教えてもらったと話してくれます。でも、アリスは歳相応のことしか知りません」
「そうですか、でも、アリスはとても愛らしい子です。その、確かに、母の子どもの頃に似ています」
「ええ、そうでしょう。あの子はサリアのように美しくなります」
「その、アリスさんを、お連れすることに、私としては、何と言っていいか。わがままな言い方かもしれませんが、私はアリスさんとリンさんの力が必要なんです。どうしても、リンシアに行かなければならない。すみません。でも、必ず。私はここに戻ってこようと思っています。そして、アリスとリンをお返しいたします。それと本来なら私たちはもっと早くに会ってお話しするべきでしたね」
「ええ、そうですね。私たちはもっと話をすべきでした。ええ、でも、こんな言い方は変かもしれないけど、ここに帰ってくるよりも、娘たちが安全だと思う時は私たちのことなど考えないで、向こうに残っていただきたいのです」
「それは・・・・・・、わかりました」
「アリスをよろしくお願いします。それと、サリアによろしくお伝えください」
エルザはカメラを抱え、息子の方へと行った。
アリスは向こうで父親と何かを、手振りを交えて話していた。それは良く聞こえなかったが、別れの言葉だった。父親はアリスを前に立ち尽くしていた。アルバートはアリスの中にそんな決意があったことに驚いた。
アルバートは今更ながら、自分が踏み出してゆく先が、何の保証もない、きわめて危ない橋であることを改めて思ったのだった。
「あの、カメラの準備ができました」アリスの兄が手を上げ大きな声で言った。
駅の入り口に、集まり、アルバートとリンの家族が中央に来て、リンの兄の合図で写真が撮影される。それから、父親が抜けて、兄が入ってもう一枚が撮影される。
そうこうする内に、駅に少しだが人が集まりだした。ほとんどはアマースト大学の関係者のようだ。もうすぐ気動車がやってくるのだ。
「アリスって、とても愛されているのね」とアルテがふいに言った。
「うん、そうだね」
気動車が向こうからやってきた。アルバートたちは乗り込み、席に座り、窓を開けて、別れの言葉を述べた。
アルバートは見送りの人々に、握手をした。気動車が唸りを一声あげると、軋み、ゆっくりと走り出した。駅はすぐに小さくなり後ろへと消えて行く、車は、レールの継ぎ目を踏みつけ、規則正しい音を刻み始める。こうして旅ははじまった。
お読みくださいましてありがとうございました。




