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アルテ第6章 その2

お待たせしました。その2です。

第六章 旅立ち その2

 

 こうして、アルバートとアルテとリン、アリスの四人?はリンシアへ旅立つ事になった。


 とりあえず一行はプリンストンに赴き、外務省に赴き、旅券を手に入れ、そこで通常の手続きでアルテの出国手続きをしてみる事にした。それでだめなら、他の手段を考えようと思う。


 それと久しぶりに、遠縁のクラトフォード卿を訪ねてみようと思った。クラトフォード卿は公爵で大富豪でもあり、正真正銘の大貴族という人だ。娘のキャサリンはアルバートの幼馴染でもある。いろいろと相談に乗ってもらえる可能性はある。そう思うと、アルバートは急に勇気が出てきて、何とかなるかもしれないと思った。


 その夜、夕食の後、自室にエドガーを呼ぶとアルバートはある手に届いた手紙とリンシアへの渡航のことを話した。もちろんパンティバル音楽祭への出場のことも。エドガーは時々、頷くと静かにアルバートの話を聞いていた。そして、アルバートが話し終えると、少し沈黙した後で「なるほど、そう言う事なら行ってきたらいいと思います。ただ、あなた様には帰るべきところと、忘れてはならない人がいます。だから必ず、這ってでもここに戻ってきてください」と言った。


「それは分かっている。必ず帰ってくるよ」

エドガーは「私の勘ですが」と前置きすると「変な言い方かもしれませんが、心のどこかに留め置いて欲しいことがあります。それは動き出す時と言うのは、ことさら慎重に行動すべきなんだと思います。それと信じられる人と、そうでない人を良く考えておいたほうがいいと思います。判断力と勘を磨けということです。窮地に立ったとき、誰が本当に信頼に値するかです。それをいつも頭のどこかに思っておいた方がいいと思います」と言った。


「なるほど、気をつけておくよ」とアルバートは言った。エドガーがこんなことを言うのは珍しかった。

 

 アルバートは例の隠し部屋に行き、聖皇金貨を全部持ち出すことにした。全部でラサミア貨にすると三百レギルで、何とか航空券の三分の一ほどになった。あとはあの青いダイヤのリングを持ち出した。だが、これを売るのは最終手段だ。とりあえず本当に足りなくなった場合に、クラトフォード卿に借金を申し出る際に抵当代わりにこれを預けるのがいいかもしれない。


 アルバートはあの革の旅行鞄を取り出すと様々なものを詰め込んだ。

だが、アルバートにはもう一つ超えなければならないことがあった。それはマリーの説得だった。


                 *

 

 次の日は雨だった。アルバートは午後になると、エドガーにマリーがどこにいるか尋ねた。

 

 マリーは庭園の左端の斜面を拓いた温室にいるということだった。アルバートは重たいこうもり傘を雨空に開くと、温室に向った。庭園をゆっくりと歩いて行った。


 アルバートの記憶では温室はサリアもお気に入りの場所で、冬は暖かいといい、ここに椅子やテーブルを持ち込んで、本を読んだり、昼寝をしていたのを思い出した。


 温室はさほど広くはなく、デザインも月並みなもので、かなり老朽化していたが、ペンキをこまめに塗り替えて、大事に使ってきたものだった。この地方の冬はさほど寒くはないのだが、花が少なく屋敷を飾る花を確保するには温室は欠かせないものだったのである。それに熱帯の果物も少しは味わえる。


 アルバートは温室の扉を開くと中に入っていった。中に入ると、少し熱気と湿気を感じ、様々な花の匂いが混じっていた。


 温室の中は砕石が敷き詰められ、真ん中に小さな円形の池があり、池には噴水もあったが、今は止まっていた。池には熱帯スイレンの鉢植えやパピルスが植えてあり、池の周りにはバナナや椰子が植えてあった。外側のガラス面には棚があり観葉植物や蘭の鉢植えがあった。


 マリーは使用人のお仕着せをいつものように着て、奥のガラス面に面して、吊ってある鉢の雑草を取っていた。

「義姉さん、ひどい雨ですね。ここの雨漏りは大丈夫ですか」と声をかけた。


「アルバート様、ええ、ここは大丈夫です」とマリーは言うと、今度は棚にある大きな白の花のついた胡蝶蘭を抱えた。たぶんこれから飾りのついた鉢に移し替え、屋敷の方へ持っていくのだろう。


「義姉さんちょっとお話があって参りました」

「そうですか、ちょっとお持ちください」とマリーは言うと、胡蝶蘭を園芸用の台車の上に載せた。台車の上には、青く鮮やかなバンダやガラス壺の様なパフィオディラムなど見事な花をつけた蘭があった。


 マリーは珍しく落ち着いた調子で、安らいでいるようだった。たぶん、この作業が好きなのかもしれないとアルバートは思った。

「お待たせしました。なんでしょう?」

「あの、これから私はしばらく旅に出たいと思っています」とアルバートは切り出した。


「旅ですか?どちらへ?どのくらいの間ですか?」とマリーは早口で聞き返してきた。

「リンシアです。期間は半月ほどでしょうか」

がたんと大きな音がした。マリーがよろめいたからだった。マリーは唇を小さく開き、震えていた。


「リンシア、リンシアに行く」とマリーは繰り返した。

「あの義姉さん。私は、ここに必ず帰ってきますから。心配なさらないでください」

「どうしてなんですか?」とマリーの大きな声が温室に響いた。その声でガラスが振動するような気がするくらいだった。


「その、どうか落ち着いてください」

 アルバートはやはりこうなったかと思った。


「戦争が始まるんですよ。もうすぐ殺し合いが始まるんです。海の向こうから言葉の分からない男たちが来て、私たちの国を辱めるんです。それなのに貴方は行ってしまう。私とウィリアムを置いて行ってしまうんです。私たちはどうしたらいいんでしょうか」マリーは両手を激しく上下にふって大きな声で言った。


 アルバートの心にその声は響いた。内容でなく、その声の調子と切実さに、そう彼は、ようやくマリーの心に触れたような感覚を持った。マリーの瞳はさざなみのように揺れ、その奥には絶望が見てとれた。そこにあるのは不安だった。町を覆う不安、誰もが口に出さず、だが、体の奥にしまいこんでいる不安だった。もちろん彼の中にも同じ不安は存在していた。そして、アルバートは僅かであるが狂気の陰を見出した。


 アルバートはマリーが今更ながら、この不安にさいなまれている事にようやく気がついたのだった。少し想像力を働かせて、考えてみれば分かる事だった。ピーターとリチャードが亡くなり、この田舎の屋敷で幼い息子と二人きり、そこに帰ってきた自分がこの義姉にとってどういう存在で、どう期待されていたのかなどわかりきったことだったのだ。


「私があなたを愛しているといっても、あなたはここから行ってしまいますか?」とマリーは切実さをこめて、訴えるような声で「行かないで欲しいんです。私とウィルの近くにいて欲しいんです」と続けた。

「私は帰ってきますよ。必ず」とアルバートは言った。彼は心の中に罪悪感を持った。しかし、マリーの言う愛とはどういうことなのか?まさか自分に対して?などと思っていると。


 マリーはいきなりアルバートに抱きつき二人はバランスを崩し、温室の砂利道に倒れこんだ。アルバートは近くに園芸用の切り出しが転がっているのが見えた。マリーの力は意外にも強くアルバートはマリーの腕をなかなか振りほどく事ができなかった。


「やめてください。義姉さん、ちょっと落ち着いてください」

 マリーの決心のこもった恐いくらいの表情とダークグリーンの美しい瞳が不意に近づき彼は義姉と口付けを交わすことになった。なぜ、自分は義姉さんとこんなところでキスをしているのだろうか、アルバートの中に困惑と、自分はどうしたらいいのか、次の行動をどうするのか、そんなことが頭の中をぐるぐるとめぐっていた。


 でも、アルバートは力を抜いてマリーの思うままにさせることにした。自分はこの人を全く理解していなかったのだと思ったからだ。激しいキスは続いた。しかし、アルバートの中にはそれ以上の何かは起こらなかった。アルバートはマリーを両手でしっかりと抱きしめた。だんだんと力が弱くなり、そのまま二人は長い間抱き合っていた。


 アルバートは「いいんです」と言った。マリーは少し惚けたような表情をしていたが、頷いた。アルバートは「ごめんなさい。私は義姉さんやウィリアムから逃げてここを出ようと思っているわけじゃないんです。こんな事を言っても分かってもらえるとは思わないけど、私の音楽は自分の中で終わっていなくて、その先を見てみたいと言うか、それを誰かに託したいと思うんです。いや、それは大した才能もない自分が伝えられるのかって話もあるんですが、ただ、私はあの才能を追ってついて行くしかないんです。だって、それが、ただ一つの希望だとしたらついて行くしかないじゃないですか。なんて自分勝手なんだって義姉さん、あなたは思うかもしれないけども」とマリーに言った。


「必ずここへ帰ってきますか?約束できますか?」とマリーはきわめて小さな声で言った。

「はい、必ず私はここへ帰って来ます」アルバートはこう言うと立ち上がった。マリーに手を伸ばし、立ち上がらせた。


「あなたはアルテミス・クラフトブルーをどう思っていらっしゃるのですか?」マリーは抑揚のない明瞭な発音で、それでいて真剣な感じで言った。

「どう思っている?私は・・・・・・彼女にはリフォンの才があります。それはとても大きくて深いものです。私は同じリフォン奏者として彼女の芸術を育てなければなりません」アルバートは思ったままを言った。


「本当にそれだけですか?」

「本当にと言うと?」

「いえ、別にいいんです」


 マリーは黙ったまま俯いていた。アルバートは何かを言おうとしたが浮かばなかった。憐憫や気休めの言葉はマリーを侮辱すると思ったからだ、彼はそのままふり返らず歩き出した。


 温室を出て、すぐにアルバートは唇に違和感に気がついて、右手でこするとそこには血がついていた。マリーの歯か自分のものか分からないがさっきのキスで口を切ったらしかった。アルバートは道端の雑草に血の混じったつばを吐いた。


 次の日、アルバートとアルテ、リンとアリスは屋敷から旅立った。マリーにここに来たときみたいに玄関にいた。アルバートはお辞儀をした。彼女は普段着のドレスを着ていた。アルバートは義姉に気がつくと、「必ず必ず帰ってきますから」と言った。アルバートはジュリーとウィリアムの頭の手を乗せると「心配しないで待っていてね」と言った。アルテとリンも二人に別れを告げると抱き合っていた。


                 *


 外の出ると例のボロ車が止まっていて、アイドリングしていた。エドガーは車から降り、リンとアルテを後ろに乗せ、助手席のドアを開いてアルバートを乗せた。車は庭園を抜け、ぐるぐると丘を回りながら駆け下りていった。

 アルバートは後ろいるアルテを見た。アルテは力強い表情を浮かべ少年のような感じがした。その隣にはリンがいて、リンは前を見据え何かを考えているようだった。


新聖皇歴 1142年6月15日のことであった。

ここまでお読みくださいましてありがとうございました。


次回は首都プリンストンでのお話になります。

次回は「第7章 古の都ターゴ」をお送りいたします。

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