アルテ 第5章 苺摘みの少女 その1
アルテ第五章をお送りいたします。今回も予定よりも分量が多くなったため。分割投稿にしました。
ここまでの簡単なあらすじ
戦争の差し迫る重苦しい時代。魔法楽器の奏者、アルバートは父と兄の死により、伯爵位を継承して、二度と戻らぬと思った故郷に帰ってきた。彼は芸術家として行き詰りを抱えもがいていた。忘れかけていた故郷で、彼はなぜかメイドのふりをする義姉とそりが合わなかったり、父親がわりの執事と再会したり、素直な甥と美術談義をしたり、魔法を信じる少女と話をしたりする。そして、彼は運命の出会いをする。
魔法楽器の天才的な才能を持つ少女との出会いはアルバートを変えていく、物語は新しい展開に入っていきます。
第五章 苺摘みの少女 その1
その夜、アルバートは長旅の疲れにもかかわらず、ずいぶん遅くまで眠る事ができなかった。
ふとした瞬間に、あの時に聴いたリフォンの音色が突然耳の中に、実際に聴こえたようによみがえってきた。その音は甘美で圧倒的な力を持っていた。だが、ほとんど同時に、それが到底自分には成し得ない事だとも分かるのだった。アルバートは自分が隠していた傷口をかき回すような感覚を覚えて、ベットから立ち上がって部屋の中を歩き回った。アルテのリフォンの音色はアルバートの言わば呪いに作用しそれをえぐったのだった。
アルテのリフォンはアルバートに新しい世界をもたらし、同時に喜びと苦しみを与えたのだ。
*
次の日、アルバートは遅めの朝食を食堂でとった。
そこには、彼女も居た。アルテはジュリーの隣に座り、窓から注ぐ光の中にいた。アルテはマリーに促されると、立ち上がってアルバートに向って貴族の令嬢がする礼をした。アルバートも会釈を返し、座るように勧めた。アルテは昨日の打ち解けた様子とはうって変わって、完璧な貴族の淑女を演じているようだった。隣のジュリーは微笑むと「おはようございます」と言った。その向かいにはウィリアムが居て、身体を左右に揺すっていた。マリーはそれに気が付くと、彼女は両手を息子の肩においてやめさせた。
マリーはアルテの傍らに戻り、「紹介します。アルテミス・クラフトブルー嬢です。ちょっと訳がありまして、昨日の晩餐会では紹介できませんでしたが、当家の賓客という立場です。隣に座っているジュリア嬢の姉にあたります。アルテミス嬢の両親については少し訳がありまして、それらのことはエドガーが後で説明いたします」とは事務的な口調で言った。
アルバートは「ありがとう義姉さん。よろしくアルテミス、ジュリー」と言うと微笑み、手を伸ばしてアルテとジュリーと握手をした。するとアルテはアルバートの手を逆に思い切り握り返してきた。アルテはウインクをするとニヤリと笑った。アルバートはそれが彼女のいたずらだと分かった。そして、とてもアルテらしいと思った。
朝食は牛乳で煮たオートミールと黒スグリのジャムをかけたパンケーキだった。それに、オレンジジュースが付いた。ウィリアム、ジュリーとアルテはパンケーキにさらにメイプルシロップをかけていた。甘あまだ。
朝食が終わるとアルテとジュリアは勉強があるといって、出て行き、マリーはウィルの手を引いて出て行った。
その後は、料理人のローラに始まり、伯爵家で働く使用人たちと面会をすることになった。アルバートが希望した事だった。その全員が周辺の町や農家からやってくる通いの人々で、遥か昔の時代のように、住み込みで仕事に当たる者は一人も居なかった。それは、いわゆる伯爵家の苦しい懐具合を示していた。
アルバートは二十人の人々と挨拶を交わした。彼らは口々に自分の仕事の役割と名前、それからアルバートの継承に対して祝いの言葉を述べた。
中には自分はサリアと遠縁に当たるという若いメイドもいて「私はジェシカ・クロスーヤです。アルバート様は町の人々の多くと縁続きなんですよ。多くの人が御当主様を私のように歓迎しているんですよ」と言った。これは意外な一言であり、アルバートを喜ばせた。
サリアはクロスーヤという町に多く住む一族の一人で、メイドの言葉には、クロスーヤが元はハラレ人の血を濃く残す人々で、先住の人々が自分たちの土地を奪還したという意もこめられていたのかもしれない。
アルバートは通いの人々が持ち場に去っていくと、エドガーから簡単な屋敷の収支の状況の説明を受けた。作物の値段が高騰しているために、今期はだいぶ余裕が出そうだという話だった。その余裕を痛んだ水廻りや屋根の修繕に持っていこうという事になったのだ。
そして、アルバートは気になっていた。ジュリーとアルテミスのクラフトブルー姉妹の話を聞いた。
エドガーの話によると、クラフトブルー家は、亡きアンナと血縁のある一族で、王族の儀礼や図書の管理、様々な行事の意味などを研究する家であった。貴族としての序列は高くはないが、役目上、スライデル王家として近しく、夫のマリウスはヨーゼフ皇太子と幼馴染で親しかったそうだである。
クラフトブルー家とはアンナを通じて面識があるだけだったが、ラサミアから王女ソフィアがヨーゼフ皇太子に嫁いだ時、チャールズが外交官として随行した際に、王家と仲立ちをして様々な助力をして貰ったのを、きっかけで親しくなった。それを期に、チャールズがスライデルに行くと、必ずクラフトブルー家を訪ね親しく交際していたのだ。
だが、スライデルに革命が起こり、夫妻がほとんど全てを捨てて亡命することになる。その時、チャールズは一家を躊躇することなく賓客として迎えた。そして、チャールズはマリウスとレイナとアルテミスの三人が生活の基盤を築くまで無期限の援助を約束したそうだ。
妻のレイナがしばらくしてジュリアを産み三歳をすぎると、夫妻はより安全な国であるリンシアに移ろうと考えはじめた。リンシアに行き生活の基盤を作りに行くと言うと、ここを出て行きそのままどこへ行ったか分からなくなってしまったと言う事だ。
アルバートは姉妹の話を聞いて、少しの間言葉がなかった。命以外ほとんど全てを失ったクラフトブルー一家がどんな風にここまで逃げてきたかを具体的には知らなかったが、それはとても幸運が重なった末の事であったに違いない。スライデルの反革命者狩りは執拗なものだったと聞くからである。アルバートは何とか、アルテとジュリーの力になってやりたいという思うのだった。
しかし、アルバートの中にそれとは別の感情があった。それは、どこか興奮した気持ちだった。アルバートはなぜか急いでそれを押しのけようとして「しかし、クラフトブルー夫妻は一体どこへ行ってしまったのだろうか」と言った。
「クラフトブルーの夫妻の行方についてはずいぶん探しましたが、全く分かりませんでした。チャールズ様もいろいろ手を使ったようですが、プリンストンでガルガナという男に会ってそれからはぷっつりだそうですよ」
「そのガルガナという男については?」
「ガルガナですか。ベリヤード街に住む、祈祷師だか千里眼だかの胡散臭い男ですよ。髭面の初老の男で、廻りの人間に評判を尋ねましたが、極度の人嫌いでほとんど誰とも話さない気味の悪い男という評判でしたね」とエドガーは思い出しながら言った。ベリヤード街は骨董品や美術品を取り扱う店が多いところで、プリンストンの中洲にある街だ。夫妻はリンシアへ行く費用を用立てるため、美術品の売却にでも行ったのかもしれないとアルバートは思った。
「エドガー、君は、ガルガナに直接あったの?」
「ええ、会うことには会いましたが、夫妻の写真を見せても、そんな人は知らない、覚えていないの一点張りで、らちがあきませんでした」
「それはなんか変だね。何か隠しているとか」
「私にはなんとも言えませんね。こういう事は全くの素人ですから。何か確証でもあれば別だったんですが」とエドガー言い肩をすくめて見せた。
「そうだね。そのクラフトブルー夫妻とは面識がないからよく分からないが、どんな人なんだい」
「私があの人たちの事を言うのは差し出がましいのですが、とても、明るく誠実で真面目な人たちですね。貴族と言うよりも学者みたいな感じといえばいいでしょうか。あの方々が自分の子供を置き去りにしたとは考えにくいですね」
「まさか、スライデルの機関に捕まったとか」
「いや、それはないでしょう。さすがにプリンストンでは出来ないと思いますよ。それにクラフトブルー夫妻はかなり用心していましたから」
「確かにそうだね。そういえば、あの子たち学校は行っているの?」
「いろいろ理由があって、行っていません。でも家庭教師が付いています」エドガーは少し悲しい表情を浮かべた。つまり、町の学校には行けないということだ。アルテとジュリーはスライデル人であり、それに拒否感を持つ人々も多い。根も葉もないことだが、亡命者はスパイだという流言が広がっていて、暴行事件も起きているくらいなのだ。
「へえ、家庭教師がよく見つかったね」今の時代、薄給で地方に家庭教師で来てくれる人は本当に珍しくそうは居ない。
「それは言うなれば、訳ありでして、その内、アルバート様もお会いになるでしょうから、ご自分の目で確かめてください。とても驚かれるはずですから」とエドガーは言い笑った。エドガーがこんな風に言う事はよほど変わった人物なのだろう。アルバートはその家庭教師に会ってみたいと思った。
「なるほど、それはおもしろそうだね。アルテミスの話に戻るが、彼女は普通なら、進学しなきゃならないよね。それはどうなるの?」
「ええ、このまま平和が続いてくれればという話もありますが、アルテミス嬢はこの九月から私立の寄宿舎学校に入学する事になるはずです。ただ、予定ですねこれは、しかし、きちんとした教育を受けることはとても大切な事でもあります」とエドガーは歯切れの悪い事を言った。
「確かにそれが、自然な事だろうね。けど、そこは、それこそ大丈夫なの?」
「そう思い私も電話で問い合わせました。聞きましたら幾人かスライデル亡命者も学んでいるという話でした。でも、やはりと言うか、あまり歓迎するというような感じではありませんでしたね」とエドガーは言う。
「やっぱり、そうだろうね。と言うか、寄宿舎学校は規則も厳しい上に、不利な立場になったら逃げ場がないからね。あまり、あそこに彼女を行かせたくはないね」
「ええ、私もそう思いました。進学はとりあえず待った方がいいかもしれません。彼女がぜひ行きたいと言うなら別ですが」
「そうした方がいいと思う。ところで、エドガー、君はアルテミスのリフォンを聴いたことがあるかい?」
「リフォン?ああ、いえ、私は音楽室を使うという話は彼女から聞きましたが、聞いたことはありませんね」
「あの子のリフォンは、すごい。正式な音楽教育を受けてないようだが、そんなものは問題にもならない」
「ふむ、そうですか・・・・・・、あなた様が仰るのならそうなんでしょうな、となると」
「うん、別の選択肢もある。彼女はすでに一人で演奏家としてやっていける力がある。学校なら音楽学校に形だけ在籍して、演奏だけで食べていける」とアルバートは言った。
「しかし、時代が時代ですからね」とエドガーはため息をついた。この地獄の釜が開くかといった状況の中では音楽に誰も気が回らないのだ。こんなときこそ音楽が必要とされているのだが。
「そうだね。でも全く手がないわけじゃない。それは右大陸のリンシアに行くという手だ。あの国は戦火に巻き込まれることは少ないだろう」リンシアは中立を掲げていて、どちらの味方でもないが、自由主義の大国で、戦乱を避けて流れ込む人々を受け入れ、文化的にも大きく興隆してきている。
「確かに、でも全ては、あの子たちが望む事を、まず聞いてあげてからでなくてはいけませんね」とエドガーは言った。
「もちろんそうだね」とアルバートは言いながら、アルテの音楽を思い浮かべていた。アルバートはアルテのリフォンに魅了されていた。だから、アルテはリフォンのプロ奏者になるべきだと思っていた。アルバートは、アルテの望みなど聞かぬうちから、それが幸せな事なんだと思っていたのである。
*
それから忙しい日々が続いた。
アルバートは呼ばれて、町議会を傍聴した。昼には町長や警察の署長、それに町にあるアマースト大学の学長と昼食を共にした。学長は新しい寄宿舎の建設用地の提供を求めてきた。
また、町長からは屋敷の前庭を起こして、麦かジャガイモの畑に変えるように勧められた。前庭は薔薇や柘植の生垣で美しい幾何学模様を作ってきたが、それはもう何十年も庭師たちが丹念に仕事をした結果だった。アルバートは食料が不足し始めている事を知っていたが、それを潰してしまうのは正直とても残念に思った。
だが、町長が言うには中学校や町のグラウンドすらジャガイモ畑に変わっているというのだ。しかし、この話に即答は出来なかった。少なくともマリーやエドガーに相談してみる必要があることから持ち帰ることにした。アルバートがこうした、下に置かぬ扱いを受けたのは主に伯爵家が町最大の地主だという側面があったのだった。
*
そんな三日が過ぎると、アルバートはまた暇な生活に戻った。彼は久しぶりに遅く起きると、一人で朝食をとり、さっそく取り寄せたレコードを聴いた。エドガーがラジオとレコードを持って来てくれたのだった。そのレコードはリフォン演奏家ゼルダ・レオナードの演奏集だった。曲は古曲の協奏曲、それに『春夜の夢』という歌曲が入っていた。協奏曲はリンシアの名門楽団とのものだった。
ゼルダはラサミアの王立音楽院に在学中から有名コンクールを制覇、今や人気と実力は一番と言われるリフォン奏者だった。加えてゼルダは女優のような美貌を備えており、強気の性格と華麗な私生活は音楽以外にも注目される事が多く、頻繁にマスコミに取り上げられる存在だった。
アルバートはレコードを置きスイッチを入れ、雑音の後で演奏が始まるや、立ち尽くした。いつも感じる事だが、恐るべき演奏だった。なんという激しさだろう、それにはじめの一音から、ゼルダの音に全てが支配されてしまう。おどけた曲の場面でも、悲壮な場面でも、技巧が要求される繊細な場面でも全てが彼女流に解釈され、余りの素晴らしさにアルバートは聞き続けた。この曲の持つ力以上のことが表現されている気がした。それは、音楽が人の持つ感情の本来の姿を味合わせてくれるからかもしれない。それがアルバートの心の奥を激しく揺さぶってきた。
おまけと思われた歌曲の『春夜の夢』は特にすごかった。ゼルダのリフォンもさることながら、歌だ。様々な要素が入り混じったというか、ゼルダの人格とかが伝わってくる。歌も間違いなく一流だ。
しかし、アルバートはゼルダのリフォンを聞いていると、その中にアルテのリフォンが流れてくるような、感じがした。それは似ているのと言う訳ではない。アルバートはゼルダの音の対して全くアルテのリフォンが負けていないことを感じた。
アルバートはレコードをジャケットにしまおうとした時、あることを閃いた。アルバートはそれをさっそく進めようと思ったのだった。
ここまでお読みくださいまして、ありがとうございました。
しばらくぶりです。アルテですが、いろいろと設定なんぞしてました。ここからまた少しづつ動き始めます。その2に続きます。来週くらいには出来ると思いますのでよろしくお願いいたします。
ブログなんぞ開設してみました。そちらもよろしけば覗いてみてください。




