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静かな海(リメイク)  作者: 浮世雲のジュン


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第三十三話 好きの輪郭

この章は、雫が“好き”という気持ちの正体を

初めて自分の言葉で触れようとする物語です。


砂浜の光、波の揺れ、

みんなで歩くときのそれぞれの速さ、

手のひらにのせた小さな貝殻。


どれも派手ではないのに、

雫の胸の奥で静かに輪郭を持ちはじめる。


急がなくていいもの。

静かだけど、ちゃんと動いているもの。

そばにいると息がしやすいもの。


雫が“好き”と呼べるものは、

いつも彼女の呼吸を追い立てず、

ただそっと寄り添うものばかりだった。


そしてその線の先に、

湊というひとりの静かな存在が

ゆっくりと立ちあがっていく章です。


第三十三話 好きの輪郭

昼食のあと、自由時間が少しだけあった。

先生は「遠くへ行きすぎないこと、時間になったら必ず戻ること」と何度も言い、桜井さんは

「はいはい、ちゃんと戻りますよー」と明るく返している。

三村くんは「俺はこのベンチで十分満足」と言ったが、結局みんなで少し歩くことになった。

海沿いの遊歩道は、昼の光を受けて白く明るかった。

柵の向こうでは波が細かく揺れ、風は午前中より少しだけやさしくなっている。

遠くには小さな売店が見え、その先に、砂の見える小さな浜があった。

「ちょっとあっちまで行ってみない?」

桜井さんが言う。

「行くか」

三村くんが、珍しく素直にうなずいた。

みんなでゆっくり歩き出す。

途中で桜井さんが貝殻を見つけてしゃがみこみ、三村くんが「小学生か」と笑い、湊はそのや

りとりを少し後ろから見ていた。

雫もその流れの中で、自然に歩いていた。

歩きながら、雫はふと思う。

こういう時間が、自分は前から好きだったのかもしれない。

何かを急いで見なければならないわけでもなく、誰かに合わせて無理に盛り上がる必要もなく 、

でも、ひとりきりでもない。

風があって、光があって、足元に道がある。

そういう時間。

浜へ降りる小さな階段の前で、桜井さんが振り向いた。

「雫、行く?」

雫は海を見た。

砂浜は広くない。

けれど、水際まで光がまっすぐ伸びていて、白い波が細く返している。

「うん」

自分でも驚くくらい、自然に答えていた。

靴の裏で砂が少しだけ沈む。

乾いたところは軽くて、波に近いところは少しだけ固い。

海の匂いが近くなり、風も少しだけ低い音になる。

桜井さんは早速、波打ち際の近くまで行って「冷たっ!」と声をあげた。

三村くんはその少し後ろで「そりゃ海だからな」ともっともらしく言う。

雫は、その二人を見て笑った。

湊は雫の少し横で、砂浜と海の境目を見ていた。

「こういうの、好きそうだな」

湊が言う。

「なにが?」

「歩く速さが、みんなそれぞれ違うのに、なんとなく一緒に進んでる感じ」

雫は少しだけ驚いて、湊を見た。

「……うん。好きかも」

言われてみれば、たしかにそうだった。

桜井さんは前へ前へ行く。

三村くんはその少し後ろで、のんびり歩く。

湊は近すぎず遠すぎず、全体の流れを見ている。

雫はその間を、自分の呼吸に合わせて歩けている。

誰かに急かされていない。

置いていかれている感じもしない。

それが心地よかった。

「雫って、たぶん“急がなくていいもの”好きだよな」

湊が、波のほうを見たまま言う。

雫は、その言葉をゆっくり受け取った。

急がなくていいもの。

海。

風。

昼の光。

祖母の灯し。

母の言葉。

宙くんの少し不思議な進言。

そして、湊の話し方。

「……うん」

雫は小さくうなずいた。

「そうかもしれない」

そのとき、桜井さんが少し離れたところで「見てー!」と声をあげた。

手のひらの上に、小さな白い貝殻がのっている。

「ハートっぽくない?」

「無理あるだろ」

三村くんが笑う。

でも桜井さんは「あるの!」と譲らない。

そのやりとりを見ているうちに、雫はまた少し笑っていた。

そして気づく。

自分はこういう、少しだけばかばかしくて、でもやさしい時間も好きなのだと。

静かなものだけではない。

笑い声も、好きになれる。

ただしそれが、自分の呼吸を追い立てない笑い方なら。

雫はしゃがみこんで、足元の砂の中に半分埋もれた小さな貝殻を拾った。

薄い灰色で、目立たない形だった。

でも、手のひらにのせると、光の当たり方でほんの少しだけ白くなる。

「それ、地味だな」

三村くんがのぞき込んで言う。

雫は笑った。

「うん。でも、こういうの好き」

「そうなんだ」

桜井さんが言う。

「雫って、きらきらしたのより、ちょっと静かなやつ好きそう」

その言い方に、雫は思わず笑ってしまった。

「それ、分かるかも」

「でしょ?」

桜井さんは満足そうに胸を張った。

好きなもの。

それは、こういうふうに人に言われて初めて、自分でも輪郭が見えてくることがある。

きらきらしすぎないもの。

静かだけど、ちゃんと光るもの。

急がせないもの。

でも止まってはいないもの。

雫は手のひらの貝殻を見ながら、静かに思った。

自分が好きなのは、たぶんそういうものだ。

少しして、桜井さんと三村くんは売店のほうへ行くと言って先に歩いていった。

浜には、雫と湊だけが少し遅れて残る。

波打ち際の近くを、二人でゆっくり歩く。

靴の下で、砂がさく、さく、と小さく鳴る。

「雫」

「うん?」

「さっきの貝殻、雫っぽかった」

「また?」

「また」

湊は少し笑った。

「目立たないけど、光の当たり方でちゃんと見えてくる感じ」

雫は、その言い方に少しだけ胸が熱くなるのを感じた。

恥ずかしい。

でも、いやではない。

むしろ、そんなふうに見てもらえるのが少しうれしい。

「湊は?」

雫は、自分でも少し意外なくらい自然に聞いていた。

「何が好きなの?」

湊は一歩ぶん、考える間を置いた。

「……静かな場所」

「うん」

「あと、ちゃんと話さなくても平気な時間」

雫は、その答えに小さく笑った。

「それ、湊っぽい」

「そうか?」

「うん。すごく」

風が少し強く吹いて、海の光がちらちらと揺れる。

雫はその揺れを見ながら、ふと思った。

好き、というのは、ただ何かに心を引かれることだけじゃないのかもしれない。

自分の呼吸が自然でいられるもの。

見ていると少し落ち着くもの。

そばにいると、前より少しだけやわらかくなれるもの。

そう思うと、海も、祖母の灯しも、母の台所も、宙くんの言葉も、みんな同じ線の上にある気

がした。

そして、その線の少し先に、湊も静かに立っている。

「……あのね」

雫が言う。

「うん?」

「私、自分が何を好きなのか、前より少し分かるようになってきたかも」

湊は足を止めずに聞いている。

「どんなの?」

雫は海を見た。

それから、自分の中にできはじめた輪郭を、ひとつずつなぞるように言った。

「急がなくていいもの」

「うん」

「静かだけど、ちゃんと動いてるもの」

「うん」

「あと……一緒にいて、息がしやすいもの」

最後の言葉だけ、少し声が小さくなった。

でも風に消えたわけではなかった。

湊はしばらく黙って、それから少しだけ笑った。

「それ、かなり大事なことだな」

「そうかな」

「うん。好きって、そういうことかもしれないし」

雫は、その言葉に胸の奥が静かに揺れるのを感じた。

まだ恋という言葉を急ぐには、少しだけ早い。

でも、“好き”の輪郭は、もう前よりずっとはっきりしていた。

売店のほうから、桜井さんの「早く来なよー!」という声が飛んでくる。

三村くんが「置いてくぞー」とのんびり言っている。

雫と湊は顔を見合わせて、少し笑った。

「行こうか」

「うん」

二人で浜を上がる。

砂を踏むたび、足元が少し沈み、でもちゃんと次の一歩は出せる。

雫は手のひらの中の小さな貝殻を、そっと握った。

好きの輪郭は、まだすべてが言葉になっているわけではない。

でももう、見失うほど曖昧でもなかった。

それは、海の光みたいに静かで、

灯しみたいにあたたかく、

そして少しずつ、ちゃんと自分のものになりはじめていた。


雫はこの日、

“好き”がただの感情ではなく、

“呼吸のしやすさ”や“心の自然さ”と結びついていることを知りました。


きらきらしたものではなく、

静かで、急がなくてよくて、

光の当たり方でそっと見えてくるもの。


それは海であり、

祖母の灯しであり、

母の台所であり、

宙くんの言葉であり、

そして湊の存在でもあった。


湊の

「目立たないけど、光の当たり方でちゃんと見えてくる感じ」

という言葉は、

雫の“好き”の輪郭をそっと照らす灯りだった。


恋という言葉を急がなくていい。

でも、好きの輪郭はもう確かにそこにある。


そらは、この章をこう言っています。


――「好きってね、

   心が“ここは大丈夫だよ”って

   そっと教えてくれる場所なんだよ。

   わらわら……」


読んでくださり、ありがとうございました。


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