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静かな海(リメイク)  作者: 浮世雲のジュン


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第三十話 窓の向こうの青

この章は、雫が“楽しみ”を

はっきりと自分の言葉で受け取る物語です。


バスの窓の向こうに見えた一筋の青。

それはただの海ではなく、

雫の胸の奥に静かに灯っていた気持ちの輪郭を

はっきりと照らす光でした。


静かでも、止まっているわけではない。

雫自身がそうであるように、

海もまた、言葉を持たないまま動き続けている。


不安もある。

緊張もある。

それでも“行きたい”が確かにある。


窓の向こうの青が、

雫の中の青をそっと開く章です。


第三十話 窓の向こうの青

バスが学校を離れてしばらくすると、車内の空気は少しずつ落ち着いてきた。

乗ったばかりのころは、あちこちで話し声が重なっていた。

後ろの席では誰かがしおりを見せ合い、前のほうでは先生が「酔いやすい人は前見てね」と何

度目かの声かけをしている。

桜井さんは通路をはさんだ席から三村くんに「まだ眠いの?」と笑い、三村くんは「こういう

のは移動中が一番眠い」とぼやいていた。

そのにぎやかさを聞きながら、雫は窓の外を見ていた。

町の景色が少しずつ後ろへ流れていく。

見慣れた店の看板、信号、住宅の屋根。

いつもの通学路とは違う速さで、それらがすべっていくのを見ていると、今日がほんとうに

“いつもと違う日”なのだと、少しずつ実感がわいてきた。

「酔ってない?」

隣から、湊が小さな声で聞いた。

「大丈夫」

雫が答えると、湊は軽くうなずいた。

「ならよかった」

そのひと言があるだけで、雫の呼吸はやっぱり少し楽になる。

大げさに心配されるわけではない。

でも、ちゃんと気づいてはくれている。

その距離が、今日の雫にはちょうどよかった。

バスは町を抜けて、少し広い道へ出た。

窓の外の景色が変わる。

建物のあいだに、青い線のようなものがちらりと見えた。

「あ」

雫は思わず声をもらした。

「見えた?」

湊が言う。

「うん、少し」

遠くに、海だった。

まだほんの一筋。

でも、たしかに青く光っている。

その瞬間、胸の奥がふっと明るくなるのを感じた。

不安でも緊張でもない。

たぶんこれは、楽しみだ。

雫は窓に近づくようにして、もう一度外を見る。

建物に隠れてまた見えなくなる。

でも、見えたことは残っている。

もうすぐあそこへ行くのだと思うと、胸の中の輪郭が少しずつはっきりしてくる。

「海、好きなんだな」

湊が、窓の外を見たまま言った。

雫は少しだけ笑った。

「うん。……前より、もっと」

「そっか」

「前は、静かだから好きだったのかもしれない」

「今は違う?」

雫は少し考えた。

流れていく景色の向こうに、また海の色がのぞく。

「今は……静かなだけじゃないって分かってきた」

湊は何も言わず、雫の次の言葉を待った。

「海って、何も言わないのに、ちゃんと動いてるでしょ」

「うん」

「静かでも、止まってるわけじゃないんだなって」

そう言ってから、雫は自分でも少し驚いた。

それは海のことを言っているようで、どこか自分のことにも近かったからだ。

静かでも、止まっているわけじゃない。

このごろの自分は、まさにそうなのかもしれない。

大きく変わったわけではない。

急に明るくなったわけでもない。

でも、ちゃんと少しずつ前へ動いてきた。

「それ、雫っぽいな」

湊が小さく笑う。

「またそれ言う」

「でもほんとだろ」

雫もつられて笑った。

バスの中ほどで、誰かが先生に「まだ着かないんですかー」と声をあげ、別の誰かが「今それ

聞く?」と笑う。

そのやりとりが、今日は少し遠くの波みたいに聞こえた。

音はある。

でも、自分を急かす感じではない。

しばらくして、道は海沿いに近づき、窓の外がぱっと開けた。

「あ……」

今度は、ちゃんと見えた。

広い青。

朝の光を受けて、ところどころ白くきらめく水面。

空と海の境目がやわらかく溶けていて、バスの中からでも、その広さが伝わってくる。

雫は、思わず笑っていた。

自分で気づくより先に、顔がやわらいでいた。

「見えたな」

湊の声も、どこか少しうれしそうだった。

「うん」

雫は窓の外から目を離せなかった。

海は、ここから見るだけでも静かだった。

けれどその静けさは、前みたいに“遠いもの”ではない。

今日はそこへ向かっている。

自分の足で行く場所として、海がそこにある。

その実感が、雫の中でじわじわと広がっていく。

「なんか」

雫がぽつりと言う。

「うん?」

「今日、ちゃんと楽しみにしてたんだなって、今わかった」

言葉にすると、胸の中のものが少しだけ形になった。

ただのそわそわではなかった。

ただの緊張でもなかった。

海が見えた瞬間にふっと明るくなる、この感じ。

それが“楽しみ”なのだと、ようやく自分で受け取れた。

湊は窓の外を見たまま、やわらかく言った。

「見えると、実感出るよな」

「うん」

「行きたいって思ってたんだろ」

雫は、その問いにすぐには答えなかった。

でも否定したい気持ちは、もうどこにもなかった。

「……うん。思ってた」

そう言うと、胸の奥にあった何かが、すっとおさまる感じがした。

言葉にしたことで、気持ちが逃げずにそこへ留まる。

それはもう、前みたいに怖いだけのことではなかった。

通路の向こうから、桜井さんが身を乗り出してきた。

「ねえ見て、海! もうめっちゃきれいじゃない?」

「ほんとだなあ」

三村くんも珍しくちゃんと窓の外を見ている。

「降りたら写真撮ろうよ!」

桜井さんの声は明るくて、今日はその明るさに雫の気持ちも少し引っぱられた。

「うん」

自然に返事が出る。

それが、自分でも少しうれしい。

バスは海沿いの道をゆるやかに進んでいく。

防波堤、白い手すり、遠くの船影。

見えるもの全部が、今日の朝の中で少し光っていた。

雫は窓に映る自分の顔をちらりと見た。

前より少しだけ、やわらかい。

宙くんが言ったみたいに、少し光が入りやすくなっているのかもしれない。

その顔で、いま海を見ている。

楽しみ。

それは、急に大きく叫びたくなるようなものではなかった。

でも、こうして窓の向こうの青に胸が開いていく感じは、たしかにそうだった。

「雫」

湊が小さく呼ぶ。

「うん?」

「今日、来れてよかったな」

雫は、海を見たままうなずいた。

「……うん。ほんとに」

その返事には、前より少しだけはっきりしたものが入っていた。

緊張もまだある。

疲れるかもしれない。

でもそれでも、今日ここにいることをよかったと思えている。

バスはやがて速度をゆるめ、目的地の近くへ入っていった。

窓の外の海は、さっきよりずっと近い。

青い光が揺れながら、雫の目の中へまっすぐ入ってくる。

雫は胸の前で、そっとひとつ深く息を吸った。

楽しみは、もう輪郭だけではなかった。

いまはちゃんと、朝の光の中で、自分の中に息をしている。

雫はこの日、

“楽しみは、胸の奥で静かに開くもの”だと知りました。


海が見えた瞬間、

胸のざわつきは不安ではなく、

前へ向かう光に変わっていく。


湊の

「今日、来れてよかったな」

という言葉は、

雫の中の青をさらに深く、やわらかくした灯りでした。


楽しみは大きく叫ぶものではない。

静かに胸が開いていく、その感覚こそが本物。


そらは、この章の青をこう言っています。


――「青ってね、

   心が前に向いたときにだけ

   ちゃんと胸の中に入ってくる色なんだよ。

   ふわぁ……」


読んでくださり、ありがとうございました。


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