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静かな海(リメイク)  作者: 浮世雲のジュン


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第二十六話 自分の席のつくり方

この章は、雫が“学校という世界の中での居場所”を

初めて自分の手でつくりはじめる物語です。


教室のざわめき。

窓の外の風。

図書室の静けさ。

そして、そばにいても呼吸を奪わない人の存在。


雫は、逃げるためではなく、

自分の呼吸を守るための小さな工夫を

ひとつずつ見つけていきます。


席は与えられるものではなく、

自分の呼吸で少しずつ形づくるもの。


そんな、やわらかい成長の章です。


第二十六話 自分の席のつくり方

週の半ばになるころ、雫は少しずつ学校の空気に慣れはじめていた。

慣れた、と言っても、教室のざわめきが急に平気になったわけではない。

朝の話し声が重なると胸の奥が少しだけ浅くなるし、休み時間の笑い声が近すぎると、どこか

へ逃げたくなることもある。

それでも前みたいに、ただ飲み込まれるだけではなくなっていた。

自分が、どこにいると少し楽なのか。

どんな時間なら、呼吸が整うのか。

それを雫は、少しずつ覚えはじめていた。

朝の教室なら、窓を一度見ること。

休み時間なら、無理に話の輪の真ん中へ入らず、でも完全に離れすぎないこと。

昼休みは、ざわめきが濃い日は図書室へ行くこと。

そういう小さな工夫が、いつの間にか雫の中に増えていた。

その日も、一時間目のあと教室は一気ににぎやかになった。

桜井さんが後ろの席で「ねえ、校外学習のしおり見た?」と大きな声を出し、三村くんが「ま

だ」とのんびり答えている。

誰かが廊下で友達を呼び、別の誰かが次の授業の愚痴を言う。

教室はいつものように、いろんな声で満ちていた。

雫は机の上の消しゴムをそろえながら、小さく息をついた。

少しだけ、音が多い。

すると、隣の列から湊が何気ない声で言った。

「今日、ちょっと濃いな」

雫は思わず顔を上げた。

「濃い?」

「教室の空気」

その言い方がおかしくて、雫は少しだけ笑った。

「うん。たしかに濃い」

湊はそれ以上何も言わなかった。

でも、その一言だけで、自分だけがそう感じているわけじゃないと思えて、雫の肩の力は少し

抜けた。

二時間目の移動教室では、雫は珍しく桜井さんの隣になった。

桜井さんは階段を下りながら、持っていたノートをぱたぱた振っている。

「雫ってさ、最初もっと話さない子かと思ってた」

唐突にそう言われて、雫は少し驚いた。

「そう見える?」

「見える見える。でも最近、ちゃんと話してくれるじゃん」

桜井さんは悪気なく笑った。

「なんか、ちょっとうれしい」

その言葉は軽かった。

でも軽いからこそ、雫には受け取りやすかった。

「……まだ、そんなに上手じゃないけど」

雫が言うと、桜井さんは「上手とかじゃなくてさ」と首を振った。

「話す量じゃなくて、ちゃんとそこにいる感じがするってこと」

雫は、その言葉に少しだけ胸があたたかくなるのを感じた。

ちゃんとそこにいる感じ。

それは、雫が学校の中で探していたことに近い気がした。

無理に明るくならなくてもいい。

うまく話せなくてもいい。

ただ、自分のままで、ちゃんとそこにいること。

三時間目のあと、雫は一人で図書室へ行こうとして、途中で立ち止まった。

今日は、ほんの少しだけ気持ちが違っていた。

静かな場所へ行きたい気持ちはある。

でもそれは、“逃げたい”とは少し違う。

ただ、自分の呼吸を整えるために静けさがほしいだけだ。

その違いに気づいて、雫は自分でも少し驚いた。

階段の踊り場の窓から外を見る。

校庭の隅の木が、明るい風に揺れている。

そのとき、後ろから声がした。

「行かないの?」

湊だった。

「図書室」

「あ、うん。行こうとしてた」

「じゃあ、俺も行こうかな」

二人で並んで歩きながら、雫はふと思った。

前なら、こんなふうに誰かと一緒に静かな場所へ向かうこと自体が少し落ち着かなかったかも

しれない。

でも今は違う。

湊といると、静けさが奪われる感じがしないのだ。

図書室の窓際に座ると、午後の光が机の上にやわらかく落ちていた。

湊は借りていた別の本を開き、雫は自分のノートを出した。

「また書くの?」

湊が聞く。

「少しだけ」

「そっか」

それだけ言って、湊は本へ視線を戻した。

雫はノートを開いた。

教室の中では書けない日もある。

でも、図書室では少しだけ書きやすい。

隣に誰かがいても、その人が静かにしていてくれるなら、なおさら。

雫はページの上に、短く書いた。

学校の中にも、少し呼吸しやすい場所がある。

そこまで書いて、少し考える。

そしてもう一行。

それは場所だけじゃなくて、人のいる感じもふくまれている。

書いたあと、雫は鉛筆を止めた。

湊のほうを見ると、本を読んでいる横顔はいつもと同じように落ち着いている。

自分らしくいられる時間。

それは、ひとりでいるときだけではないのかもしれない。

ちゃんと黙ってくれる人がいること。

無理に元気にしようとしなくていいこと。

そういうこともまた、自分の席をつくっていくのだと、雫は思った。

昼休みの終わり頃、図書室を出るとき、湊が何気なく言った。

「雫、最近ちょっと変わったな」

雫は足を止めた。

「どう変わった?」

湊は少し考えてから答える。

「前は、教室の中でずっと息を止めてる感じだった」

「そんなふうに見えてたんだ」

「うん。でも今は、ちゃんと息つく場所を知ってる感じがする」

その言葉は、雫の中にまっすぐ入ってきた。

息つく場所を知ってる感じ。

それはきっと、今の自分をいちばんよく表している言葉だった。

全部が平気になったわけではない。

学校が急に好きになったわけでもない。

でも、自分を見失わないための小さな場所や時間を、少しずつ持てるようになってきた。

「……うれしい」

雫がそう言うと、湊は少しだけ目をやわらげた。

「そっか」

午後の授業では、班のプリントを回すとき、雫は前の席の子に自分から声をかけられた。

掃除の時間には、桜井さんに「そのほうき、こっちお願い」と言われて、自然に「うん」と返

せた。

ほんの小さなことばかりだった。

でも、そのどれもが、今日はちゃんと“そこにいる自分”につながっていた。

放課後、帰る前に雫は窓際の自分の席に少しだけ立ち止まった。

ここは、ただの席だ。

学校が決めた、番号のついた机と椅子。

でも今の雫には、もう少し違って見える。

この席から朝の空を見る。

ざわつくときは、一度窓の外へ目を向ける。

湊と短い言葉を交わす。

ノートを机の隅に置く。

そういう小さな積み重ねで、ただの席が少しずつ“自分の席”になっていく。

「帰らないの?」

湊が後ろから声をかける。

「帰る」

雫は鞄を持って振り向いた。

「ちょっと、この席見てた」

「席?」

「うん」

湊は不思議そうな顔をしたが、雫は少し笑って言った。

「前より、ここにいても大丈夫になったなって思って」

湊は窓際の席を見て、それから雫を見た。

「そっか」

そして、少しだけ笑った。

「じゃあ、いい席だな」

その言い方が、雫にはとてもやさしく思えた。

家へ帰ると、母が夕飯の支度をしながら「おかえり」と言った。

いつもの声。

いつもの匂い。

でも今日は、学校から帰ってきた自分の中にも、少しだけ落ち着いた灯りが残っていた。

夜、ノートを開いて雫は書く。

学校の中にも、自分の席はつくれるのかもしれない。

それから、少し考えて、もう一行。

場所だけじゃない。

呼吸を急がせない時間と、人のいる感じが、少しずつ居場所になる。

書き終えて、雫はその文字を見つめた。

学校は、まだ少し疲れる。

でも、ただ苦しいだけの場所ではなくなってきている。

そこに自分の呼吸を置ける時間が、少しずつ増えているからだ。

窓の外では、夜の風が静かに木々を揺らしていた。

雫はノートを閉じて、小さく息をつく。

自分の席。

それは、誰かにもらうものではなくて、自分の呼吸で少しずつつくっていくものなのかもしれ

なかった。

雫はこの日、

学校の中に“自分の席”をつくりはじめました。


ざわめきが濃い日は窓を見る。

休み時間は輪の外側に立つ。

静けさが必要な日は図書室へ行く。

そして、静かにそばにいてくれる人と過ごす。


それらの小さな選択が、

雫の呼吸を少しずつ深くしていきます。


湊の

「息つく場所を知ってる感じがする」

という言葉は、

雫の変化をそっと照らす灯りでした。


居場所は、誰かにもらうものではなく、

自分の呼吸でゆっくり育てていくもの。


そらは、この章の風をこう言っています。


――「席ってね、心が安心して座れる場所のことなんだよ。

   椅子じゃなくて、気持ちのほうの席。

   わらわら」


読んでくださり、ありがとうございました。


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