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静かな海(リメイク)  作者: 浮世雲のジュン


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第十一話 小さな探検家、宙くん

この章は、雫が“思いがけない灯り”を受け取る物語です。


そらくんという小さな探検家は、

甘えん坊で、少し大人びていて、

世界の細かいところを見つける不思議な力を持っています。


雫がこれまで大人たちから受け取ってきた灯りとは違う、

子どもの視点のまっすぐさ。

その言葉が、雫の心に新しい風を吹き込みます。


そんな“予想外の灯り”が訪れる午後の物語です。


第十一話 小さな探検家、宙くん

その日の午後、海からの風はやわらかかった。

台風が過ぎてから数日。町はまたいつもの静けさを取り戻していた。雫は縁側でランタンのガ

ラスを軽く拭きながら、庭先の木々が揺れるのを見ていた。母は台所で煮物をしていて、甘辛

い匂いが風に混じって流れてくる。

「雫ちゃーん」

門のほうから文子さんの声がした。

「はーい」

顔を上げると、文子さんがひとりの小さな男の子の手を引いて立っていた。

帽子を少し斜めにかぶり、小さなリュックを背負っている。大きな黒い目がきょろきょろと忙

しく動いていて、いかにも“何か見つけに来ました”という顔をしていた。

「この子、そらくん。娘の知り合いのお孫さんでね、今日はうちで少し預かることに

なったの」

男の子は雫を見上げて、ぺこりと頭を下げた。

「こんにちは。宙です」

その言い方が妙にきちんとしていて、雫は少しだけ目を丸くした。

「こんにちは、雫です」

すると宙くんは、雫の手元のランタンを見て、ぱっと顔を輝かせた。

「それ、探検道具ですか」

文子さんが吹き出した。

「探検道具って。あんた、何を言い出すの」

宙くんは真顔だった。

「だって、光源があると未知の空間に対応できます」

雫は思わずランタンを持ったまま止まった。

文子さんも「ほら始まった」という顔をしている。

「宙くん……五歳だよね?」

文子さんが聞くと、宙くんはこくりとうなずいた。

「はい。昨日までは四歳でしたけど、いまは五歳です」

「いや、昨日まではって」

雫がつい笑うと、宙くんは不思議そうに首をかしげた。

「年齢は日々更新されますから」

その言い方があまりにも真面目で、縁側にいた母まで台所から顔を出して笑った。

「文子さん、この子おもしろいねえ」

「でしょ。甘えん坊なんだけど、急にこういうこと言うのよ」

宙くんはその“甘えん坊”という言葉に少しだけむっとした顔をした。

「ぼくは甘えん坊ではありません」

そう言った直後、文子さんの服の裾をぎゅっとつかんだ。

雫は吹き出した。

文子さんも「ほら」と言って笑う。

宙くんは少し頬をふくらませたが、すぐに庭の隅に目を向けた。

「あっ」

「どうしたの?」

雫が聞くと、宙くんはそっと指をさした。

「葉っぱの影に、てんとう虫がいます」

見ると、本当に小さなてんとう虫が一匹、葉の裏をゆっくり動いていた。

「ほんとだ」

「逃げないように観察しないと」

そう言いながら、宙くんはしゃがみこんだ。さっきまで文子さんの服を握っていた子と同じと

は思えないほど、集中した目をしている。

雫はその横顔を見て、なんだか少しだけおかしく、少しだけ懐かしい気持ちになった。

祖母が昔、「小さい子は、世界の細かいところをちゃんと見つけるんだよ」と言っていたのを

思い出したからだ。

しばらくして、宙くんが立ち上がった。

「雫さん」

「うん?」

「海まで行けますか」

文子さんがすぐに言った。

「ひとりじゃだめよ」

「ひとりではありません」

宙くんは雫のほうを見た。

「雫さんがいれば、共同探検です」

その言い方がまた妙に大人びていて、雫は笑いながらうなずいた。

「じゃあ、少しだけ行こうか」

「やった」

今度は年相応の声だった。

宙くんはぱっと笑って、リュックの肩紐を握り直した。

海までの道を歩くあいだ、宙くんは石、葉っぱ、空の雲、塀のひびまで、何でも見つけては立

ち止まった。

「この石、さかなの顔みたいです」

「ほんとだ」

「でも、ちょっと怒ってますね」

「なんで?」

「口がこうなってるからです」

宙くんは小さな指で石の模様をなぞった。

雫はその想像力に感心しながらも、あまりに真剣なので笑いをこらえるのが大変だった。

海へ着くと、宙くんは「おお……」と小さく声をもらした。

午後の海は穏やかで、青い水面に白い光が揺れていた。

風は強すぎず、波も静かだった。

「ひろいですねえ」

宙くんは防波堤の手前で立ち止まり、少し考えるような顔をした。

「どうしたの?」

雫が聞くと、宙くんは海を見たまま言った。

「海って、しゃべらないのに、何か言ってる感じがします」

雫は、その言葉に思わず宙くんを見た。

五歳の子が言ったとは思えないほど、この場所にぴったりの言葉だった。

「……そうだね」

「ぼく、まだ全部は分かりません。でも、たぶん、分からないまま見ててもいいんですよね」

雫は息をのんだ。

自分がここしばらく、ずっと探していた答えのそばにあるような言葉だった。

分からないままでもいい。

すぐに全部を言葉にできなくてもいい。

宙くんは雫の顔を見て、首をかしげた。

「なんでびっくりしてるんですか」

「いや……宙くん、すごいこと言うなあと思って」

すると宙くんは、少し考えてから照れたように言った。

「たまに、そう言われます」

その“たまに”がまるで人生を何十年も生きてきた人みたいで、雫はもう我慢できずに笑った。

そのとき、足元の波打ち際で小さな貝殻が光った。

宙くんは「発見です」と叫んで駆け寄り、慎重に拾い上げた。

「見てください。これは、たぶん、海の落としものです」

「貝殻だね」

「でも、ただの貝殻じゃありません」

宙くんは真剣な顔で言った。

「きょう、ぼくが見つけたから、きょうから意味があるんです」

雫は、その言葉にまた少し驚いた。

小さなものに意味を見つける。

それは雫自身が、この物語の中で少しずつ覚えてきたことでもあった。

帰り道、宙くんは少し眠そうになってきたのか、さっきまでの勢いがふっと弱くなった。

そして気がつくと、雫の手をぎゅっと握っていた。

「眠い?」

雫が聞くと、宙くんはこくりとうなずいた。

「でも、たのしかったです」

「それはよかった」

「雫さん」

「うん?」

「また共同探検してください」

その言い方が丁寧すぎて、雫は笑いながら答えた。

「うん、またね」

家の前まで戻ると、文子さんが待っていた。

宙くんは雫の手を離したとたん、文子さんのところへ走っていった。

「文子さん、海はですね、無言なのに会話力が高いです」

文子さんはぽかんとした。

「……なにそれ」

母は台所の窓からその様子を見ていて、肩を揺らして笑っている。

「すごい子だねえ」

「でしょ?」

文子さんは笑いながら、宙くんの頭を撫でた。

宙くんは撫でられながらも、雫のほうを振り返って言った。

「あと、雫さんのランタンは、やっぱり探検道具でした」

「そうかな」

「はい。人の気持ちが暗いときにも使えますから」

その場が、一瞬しんとした。

文子さんも、母も、雫も、思わず宙くんを見た。

本人だけがきょとんとしている。

「……宙くん」

雫がようやく言うと、宙くんは首をかしげた。

「はい?」

「それ、誰に教わったの?」

宙くんは少し考えてから、まじめな顔で答えた。

「たぶん、さっき海が言ってました」

文子さんが吹き出し、母もとうとう声を立てて笑った。

雫も笑いながら、胸の奥がやわらかくなるのを感じていた。

小さな探検家。

甘えん坊で、でも妙に大人びた言葉を使う男の子。

突然あらわれて、みんなを笑わせて、少しだけ考えさせる子。

宙くんの背中を見送りながら、雫は思った。

人は、思いがけないところからも灯しを受け取るのだ。

五歳の男の子のひと言が、海の光のように胸に残ることもある。

午後の風が、やわらかく庭を通り抜けていった。

雫は縁側のランタンを見た。

その灯りはまだ点けていない。

けれど、今日はなぜだか、火がなくても少し明るく見えた。

宙くんは、ただの五歳の子ではありませんでした。

世界の小さな変化を見つけ、

言葉にできないものをそのまま感じ取る力を持っていました。


「海は無言なのに会話力が高いです」

「きょう見つけたから、きょうから意味があるんです」

そのひと言ひと言が、雫の胸に静かに届きます。


灯りは、大人からだけ受け取るものではなく、

ときには子どものまっすぐな視線からも渡される。

雫はそのことを、この午後に知りました。


そらは、この章の風をこう言っています。


――「小さい探検家ってね、

   大人が見落とす灯りを拾うんだよ。

   わらわら」


読んでくださり、ありがとうございました。


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