壊れた治癒者は、終末世界のカジノを任される
終末世界で、治癒の力を失った男がいた。
癒せず、生かせず、それでも壊れたまま歩き続ける者。
そんな彼が魂の行き先を預かることになる。
風が止まり、砂が逆巻く。
それは、世界の終わりの中でぽっかりと開いた――
静寂の淵。
新世界生物たちは――灰色の渦のように、
バルナバーシュの周りをゆっくりと包み込む。
その中心に、一台の車があった。
黒のシトロエン2CV。
ボロ布をまとった男が、
フロントに腰をかけ、くたびれた煙草をくわえている。
「……どこで間違ったんだろうな、あいつらも」
空を漂う魂の群れを見上げながら、
バルナバーシュは呟いた。
その背後に、静かな光が差す。
――光の粒子が砂を払い、
銀白の装束が風を切り裂くように現れる。
銀白の装束に身を包んだ大柄の男。
風の中から、静かに歩み出た。
「彼らは間違ってなどいない。
ただ、帰る場所を失っただけだ」
「……はあん?」
バルナバーシュは振り返り、
サングラスをずらし、煙を吐く。
「神様か。まぁ、見た目はそうだな。
おれはもう神にも人にも見捨てられた壊れもんだ。
何の用もないだろ?」
テレノアはバルバナーシュの視線を正面から受け止める。
「見捨ててなどいない。
お前を通して常に見ていた。
お前は私の御使いであり、私の目だ。
治癒の力も私が授けたもの。
どうだ、思い出したか?」
「さて、何と言われようがこの様だ。
いまさら神と話すことはねぇ」
「君は癒す者ではない。
生かす者でもない。
ただ、断絶を受け入れている」
「……さすが神様だ、中身まで見えてんのか。
なら話が早え」
バルナバーシュはマントをめくる。
――金属ピンがきしみ、
肋骨の隙間から魂の光が漏れ出す。
皮膚の裂け目をピンで留めた胸板。
ねじれて癒えかけた肋骨。
「おれは壊れたまま動いてる。
それが癒しだなんて言えるか?」
「言えぬ。
だが、縫い合わせた者にしかできぬこともある」
テレノアは砂の上に一歩踏み出す。
その足元に魂が集まり、
螺旋を描いて漂いはじめた。
――螺旋がバルナバーシュを包み、
金属ピンを優しく振動させる。
「マクタンに新しい場が出来つつある。
祈りと欲望、秩序と逸脱。
すべてが共存できる境界の神殿だ。
……そこを、君に任せたい」
「……は?」
バルナバーシュはきょとんとした。
風が吹き、シトロエンの車体が唸る。
「いやいやいや。
なに勝手なこと言ってやがる。
おれはただ、生き延びてるだけだぜ?
人の命を数える資格なんて、欠片も──」
「だからこそだ」
――テレノアの声が低く響き、
魂の螺旋がバルナバーシュの肩に触れる。
「今さら人間との橋渡しなんて、ごめんだがな」
バルナバーシュは笑い、
口の端を歪めた。
「だが、カジノのオーナーって肩書きは魅力的だ。
悪くない取引だと思わないか?」
その目には、欲望と打算、
そして退屈を打ち破る興奮が滲む。
「……後ろに付いてる可愛いお姉ちゃんも一緒なら、
考えてもいいぜ?」
バルナバーシュがにやりと笑い、
黙って様子をうかがっていた
夏樹と恵をちらりと見た。
「ちょっと! 勝手に話を決めないでよ!」
夏樹がムッと顔をしかめる。
だが――
「私はいいよ」
恵はあっさり頷いた。
「えっ!? ちょっと、恵!?」
「だって、カジノのオーナーよ?
……魂が集まる場所でしょ。
私、お金と魂の匂い、嫌いじゃないんだ」
――恵が目をキラキラさせ、
バルナバーシュのマントを指さす。
「そのピンも純金でしょ?」
「……」
夏樹は頭を抱える。
「この男とつがいになるにしては、
乗り越える壁、ちょっとやそっとじゃ済まないだろう」
テレノアが笑う。
「急いでことを決める必要もあるまい」
恵は悪い顔でバルナバーシュを見据えた。
「その体のことだったら、
私の力で浄化できる可能性もあるし」
「やめてくれ」
バルナバーシュは肩をすくめた。
「自分に治癒を施して、えらい目にあったばかりなんだ。
まともにメシも食えなくなったんだぞ」
「――ほら、壁は多そうだろう?」
テレノアは愉快そうに笑い、
魂の螺旋が皆を包む。
――壊れた体に、淡い光が落ちた。
バルナバーシュは立ち上がり、
シトロエンの屋根をぽんと叩く。
「クソったれな運命だな。……だがまぁ、嫌いじゃねえ」
車体が唸り、六本脚の黒い獣が遠吠えを上げる。
「神殿とカジノ?……面白え。やってやろうじゃねえか」
「感謝する」
テレノアは一礼し、光の中に消えていった。
バルナバーシュは煙草に火をつけ、笑った。
「おい、2CV。
おれたちの次の棲家はマクタン島だってよ。
……旅の終わりがこんな場所だとは、誰が予想できたよ」
――煙が魂の渦に溶け、
金色の粒子がそれを導くように輝く。
フンコロガシたちが群れを成し、
シトロエンの後ろに並ぶ。
夜の境界が開き、
車は再び砂の上を滑り出した。
――後ろで、夏樹と恵の笑い声が、
風に混じって遠く響いた。
壊れたものは、必ずしも元に戻る必要はありません。
縫い合わせ、歪んだまま、それでも役割を持つ。




