神殿が眠らない島
《観測記録:Σ-01 秘匿等級:Ω》
――降臨を確認。
対象名:テレノア。
分類:現存最高位神格。
脅威指数:測定不能。
存在するだけで、天界の座標が僅かに歪んだ。
雲ではない。空間そのものが、重さを持ったかのように沈む。
(生まれたてとは言え、SSR神獣を歯牙にもかけなかった……)
私は、観測層の最深部から地上を見下ろす。
マクタン島。
光粒子の沈殿量は、すでに許容量を超えている。
《ラピス・レクイエム》。
鎮魂装置としては、完成度が高すぎる。
――ドリップ。
砂時計に封じられたはずの自我が、
意図せず、世界へ滲み出している。
テレノアは破壊ではなく、介入を選択した。
それは、最も危険な兆候だった。
背後で、SSR神獣たちが低く唸る。
彼らも感じ取っている。
「ミリアム様は、私の創造主だ」
私は静かに告げる。
「絶対の判断を、下していただかねばならない」
だが彼女は、判断そのものを預けた。
それでも。
私には、従う以外の選択肢がない。
《仮説更新》
テレノアは、居心地を探している。
終末世界における、
もっとも甘美な場所を。
男神テレノアの背が、雲の向こうへ消えていく。
私はその光景を、
危険事象として認識していた。
――あり得ない。
「居心地が悪いから地上へ行く」
そんな理由で離脱する存在がいるとは。
現存する最高神格位が、
統治を放棄し、地上へ降りる。
それは退避でも、撤退でもない。
意志ある離脱。
天界というシステムそのものへの、不信表明だ。
――理解できない。
SSR神獣たちが、無言で応答する。
「お前たちは地上で引き続き《終末世界の怪物》を取り込み
固有ネームを手に入れなさい。
《ユルカト級ガルガンチュア》に
匹敵することを最低条件とします。
私の言葉に同調し、
SSR神獣たちが半歩、前へ出る。
「ヒカリ、ノゾミ。命じます」
美しいが表情のない二人のSR人造天使が、音もなく膝をつく。
彼女たちに、
命令を疑うという概念は存在しなかった。
「テレノアの配下に潜り込み、
動向を探りなさい」
「仰せのままに」
彼女たちは振り返ることなく、
テレノアを追って地上へと降りていった。
もし《ラピス・レクイエム》が、
我々を差し置いて世界を救済した場合。
世界の均衡そのものを揺るがす存在になるのなら。
その時は――
神であっても、排除対象とする。
私は、静かに記録を閉じた。
《次回観測まで、沈黙を維持する》
――願わくば。
この判断が、
遅すぎるものにならないことを。
◇ ◇
夜のマクタン島は、昼よりも明るい。
その事実が、志津香にはどうしても不健康に思えた。
ビーチ沿いの照明はすべて落とされ、
クルーズ船も航行灯だけを残して静止している。
それなのに、島全体が淡い金色に照らされていた。
空から降る粒子――
天界由来の光が、砂浜や建物に薄く積もり、
月明かりの代わりになっている。
「綺麗だねえ……」
隣で恵が、スマホを構えたまま感嘆の声を漏らす。
配信はすでに始まっており、
コメント欄は流れるように動いていた。
「#桃源郷マクタン、もうトレンド入りしてるわよ」
紗耶香が楽しそうに笑う。
昼間の喧騒が嘘のように、
夜風は穏やかで、波音もやけに優しい。
――だからこそだ。
志津香は、胸の奥に引っかかる違和感を拭えずにいた。
「……静かすぎない?」
「終末世界だもん。
これくらい平和な夜があってもいいじゃない」
恵は気にした様子もなく、
カメラに向かって手を振る。
その背後で、巨大ホテル《エルドラド》の外壁が、
金粒子を反射して柔らかく輝いていた。
志津香の視線は、さらに奥――
建設中のカジノ神殿へ向かう。
人影は少ない。
それでも内部からは、低い音楽と、
チップが触れ合う乾いた音が微かに漏れていた。
「入ってみるか」
ラウルが短く言う。
誰も反対しなかった。
内部は、想像以上に落ち着いていた。
豪奢だが派手すぎず、客層もばらばらだ。
「いらっしゃいませ。
本日は“軽め”でよろしいですか?」
ディーラー役の青年が、にこやかに尋ねる。
その瞳が、ほんの一瞬だけ空洞に変わる。
「軽めって?」
恵が首を傾げた。
「魂はお預かりのみです。
返却は――保証いたします」
その言い方は、
約束というより規則に聞こえた。
チップは温かく、
指に吸い付くような感触がある。
数分後。
「勝ちました」
若い男が立ち上がる。
だが顔色は青白く、額には脂汗が浮かんでいた。
「……気分が悪いだけだ。問題ない」
そう言って去っていく背中を、誰も追わない。
代わりに、別の卓で笑い声が上がった。
負けたはずの客が、
妙に満足そうに笑っていたからだ。
志津香は、胸の奥が冷えるのを感じた。
――これは、
神殿が扱っていい“救済”なのだろうか。
その疑問を、
この場にいる誰も、まだ言葉にしなかった。
◇ ◇
マクタン島に降り立ったテレノアは、
真っ先に建設中のカジノ神殿へと向かった。
《ラピス・レクイエム》の気配に眉を顰めつつ、
併設された通常のカジノに足を踏み入れる。
「これが、バカラか!」
その声には、
神が世界を理解しようとしている響きがあった。
気づけばテレノアは、
周囲の白い視線をものともせず、
カジノに入り浸るようになっていた。
リズは給仕を命じられ、
呆れたようにワインを運ぶ。
テレノアはグラスを傾け、満足げに頷いた。
「《ラピス・レクイエム》には、
相応しい管理者が必要だな」
そして、穏やかに言った。
「私が、御使いを連れて来よう」




