大楊の影にて
終末へ傾いた世界で、
神は再び歩き出す。
終末世界に降り立ったテレノアは、
夏樹からの報告を聞き終えると、わずかに眉根を寄せた。
それは怒りではない。
――世界の歪みを、正確に測り終えた者の表情だった。
「砂時計と、世界観測の再接続……
そうか。ここまで進んだか」
「ごめんなさい……」
夏樹は唇を噛み、視線を落とす。
「神魔決戦では、私たちも必死だったんだけど……」
「生き残った。それだけで十分だ」
低く、だが断定的な声だった。
「でなければ、次の一手を打つ者がいなくなる。
――世界を救う算段は、残っているか?」
「マクタン島で……」
夏樹は少し考え、言葉を選ぶ。
「皆が、カジノと神殿を一体化させるって言ってた。
私は別行動だったから、全部を見たわけじゃないけど……」
「ほう」
テレノアの口元が、わずかに持ち上がる。
「信仰と欲望を同時に回すか。
面白い。ぜひ案内してもらおう」
「やっぱり……!」
夏樹はぱっと顔を上げ、笑顔を向けた。
「テレノア様、こっちの世界でも、やっぱり大きいんだね!」
彼女の視線の先、
自身の三倍はあろうかという男神の巨躯が、
荒廃した空を背負うように立っている。
テレノアは笑わなかった。
ただ、遠く崩れた大地と、途切れかけた魂の流れを一瞥し――
「まずは、天界だ」
そう告げた。
天界門は、崩壊したまま放置されていた。
門柱は半ば溶け、
転生先を失った魂と、奈落由来の残滓が絡まり合い、
巨大な渦となって漂っている。
秩序の気配はない。
ただ、“溜まり続けるもの”だけがあった。
テレノアが無言で歩を進めた、その時――
甲殻が擦れる音と共に、
サソリ型の神獣が天井から躍りかかった。
「……躾がなっていないな」
男神は、振り向きもしない。
軽く払われた一振り。
それだけで、神獣の腹部に風穴が穿たれた。
神気が、血のように噴き出す。
ギシャァァァ――!
断末魔と共に、
神獣は床に叩きつけられ、腹ばいのまま動かなくなる。
神格を失ったその姿は、
もはや天界の守護者ではなく――
《終末世界の怪物》そのものだった。
「……テレノア様」
声をかけたのはミリアムだった。
アバとケイトを従え、
急ぎ整えた形跡のある装束で出迎えた彼女は、
倒れ伏す神獣を見るなり、わずかに身を引いた。
「上手く、回っていないようだな」
責める響きはない。
だが、逃げ場もなかった。
「化け物同士を共食いさせるつもりだったか?
……いかにも、ガウが考えそうな策だ。
だが、お前が無理に真似る必要はない」
「わ、わたしは……!」
ミリアムは両手を強く握りしめる。
「魂の流入が想定を超えて……
砂時計も調べてはいたんです。でも、どうにも……!」
彼女の翼が、疲労で微かに震えた。
周囲には、処理しきれなかった魂の残滓が淡く漂っている。
天界を継いだ神の姿としては、
あまりにも脆い。
「よい」
テレノアは、穏やかに言った。
「私は追放を恨んだことはない。
弁明も、不要だ」
大楊の木が風を受け止めるように、
彼は深く頷く。
その巨躯が雲を押し分け、
こぼれた光が、ミリアムの全身を包み込んだ。
「神格位は、確かに育ってきている。
だが――惑星の統治を一身に担うには、
まだ数百年、早い」
その瞬間、警戒音が天界に響いた。
Σ-01。
直属のSSR神獣たちが、一斉に臨戦態勢を取る。
「ミリアム様。
天界は、ミリアム様が治めるべきです。
身を委ねてはなりません」
ミリアムの表情が、きつく引き締まる。
「……無礼です」
低い声だった。
「生まれたての神獣が、
現存する最高位の神格に意見するなど前代未聞。
口を、閉じなさい」
神獣たちは唸り声を上げたが――
「よい」
テレノアが制した。
「突然訪れたのは、こちらだ」
ミリアムは一瞬、言葉を失い、
やがて深く頭を下げる。
「……申し訳ありません。
では、これからどちらへ?
新たに神殿を築かせましょうか」
「地上だ」
即答だった。
「居心地のよい場所を見つけた。
しばらく、天界には戻らぬ」
「えぇぇ……!」
ミリアムは、その場にぺたんと座り込み、
翼をだらりと垂らした。
「案ずるな。砂時計は、私が破壊する」
「でも……私、ガウ様の後を任されて……」
声が震える。
魂の光が、彼女の周囲で弱々しく渦を巻いた。
「投げ捨て、隔離する。
それが正しいと信じる者の言葉など、
気にする必要はない」
テレノアの手が、
大楊の枝のように、ミリアムの肩に置かれる。
「……甘えても、よろしいですか?」
答えを待つ間もなく、
ミリアムは崩れるように倒れ込み、
男神の足元に身を預けた。
「……ありがとうございます……」
涙が一筋、
光となって床に落ち、小さな池を作る。
その傍らで、アバとケイトが静かに頭を下げた。
「私たちがどれだけ声をかけても……
神殿の復興と魂の輪廻を、
ずっと、記録し続けてて……」
「砂時計が打ち上がってから、
一度も、休んでないんです」
「意識の高さ、限界突破ヨ……」
「……難儀なことだな」
テレノアはそう呟き、
優しく、ミリアムの頭を撫でた。
その手から伝わる温もりが、
張り詰めた魂を、ゆっくりと溶かしていった。
強い者ほど、休むことを忘れてしまう。
ミリアムの疲弊は失敗ではなく、
誰も受け取ることが出来なかった苦しみの証でした。




