骸骨騎士アレス
旅路は続く。だが、シャクの心は、決して晴れることはなかった。
西の都を後にした二人は、広大な平原を北へ向かっていた。どこまでも続く草原の緑は、シャクの心を癒すことはなく、むしろ、空虚な気持ちを際立たせるだけだった。隣を歩くカーミラは、そんなシャクの異変に気づいていないようだった。時折、珍しい野花を見つけては、子供のように無邪気な笑顔を見せる。その笑顔を見るたびに、シャクの胸は、鈍い痛みを伴って締め付けられる。
(ロアを倒せば、カーミラは死んでしまう…)
ロアが告げた言葉が、何度もシャクの脳裏に蘇る。永遠に続くと思っていた旅路の終着点が、カーミラの死であるという事実。その重圧は、シャクの心を蝕み、彼を深い苦悩の淵へと突き落としていた。
「ねえ、シャク。どうしたの? さっきから、黙ったままで」
カーミラの心配そうな声が、シャクを現実へと引き戻す。
シャクは、無理に笑みを浮かべ、誤魔化すように言った。
「なんでもない。少し考え事をしていただけだ」
「ふうん。なんだか、つまらない顔してるわよ?」
カーミラは、シャクの言葉を信じていないようだった。不機嫌そうに唇を尖らせるカーミラに、シャクは胸の奥が温かくなるのを感じた。
(この笑顔が、いつか見れなくなるのか…)
再び、心に影が差す。シャクは、カーミラから視線を逸らし、空を見上げた。どこまでも広がる青空に、遠い故郷を思い出す。
その日の夜、二人は森の中の洞窟で野営することにした。焚き火の炎が、二人の顔を赤く照らす。パチパチと燃える薪の音が、静寂な夜に響く。
「ねえ、シャク」
カーミラが、シャクの横に座り、そっと肩に頭を乗せた。
「いつまで、旅は続くのかしら?」
「さあな。俺も、お前も、不老不死だ。果てのない旅になるだろう」
シャクの言葉に、カーミラは嬉しそうに微笑んだ。
「そうね。永遠に、あなたと旅ができるなんて、素敵じゃない」
カーミラの言葉に、シャクは何も答えることができなかった。永遠の旅路。それは、ロアの言葉を聞くまでは、シャクにとっても望むべき未来だった。だが、今は違う。永遠の旅の終着点が、カーミラの死であるという事実が、シャクを苦しめる。
(どうすればいいんだ…)
シャクは、鬼切丸の鞘を握りしめる。この刀で、ロアを斬れば、カーミラは寿命を迎える。だが、斬らなければ、カーミラは永遠に吸血鬼として生き続ける。どちらの選択も、シャクにとっては、カーミラを不幸にすることに変わりはなかった。
「シャク…?」
シャクの苦しそうな表情に、カーミラは心配そうにシャクを見つめる。
「なんでもない。少し、疲れただけだ」
シャクは、そう言って、カーミラから顔を背けた。これ以上、カーミラの顔を見ていたら、この旅を続けることができなくなる。そんな気がした。
翌朝、二人は、西の都へ戻ることにした。シャクは、このまま旅を続けても、カーミラに嘘をつき続けることになる。それでは、カーミラに申し訳ない。一度、都に戻り、心を整理しよう。シャクは、そう考えた。
西の都の冒険者ギルドは、朝から多くの冒険者たちで賑わっていた。シャクとカーミラがギルドに入ると、受付嬢が笑顔で出迎える。
「シャク様、カーミラ様、いらっしゃいませ。何か、ご用件でしょうか?」
受付嬢の言葉に、シャクは依頼書が貼られた掲示板を指さす。
「依頼を見に来た。何か、面白い依頼はあるか?」
「はい。現在、いくつか討伐依頼がございます。西の森に出没するゴブリンの群れの討伐、東の山に棲みつくグリズリーの討伐、そして…」
受付嬢の言葉に、シャクは興味を示さなかった。ゴブリンもグリズリーも、シャクにとっては、赤子を相手にするようなものだ。
「もっと、強い魔物はいないのか?」
シャクの言葉に、受付嬢は少し困った顔をする。
「強い魔物と言いますと…現在、一つだけ、高難度の依頼がございます」
受付嬢は、そう言って、一枚の依頼書を指さした。依頼書の隅には、「Sランク依頼」の文字が記されている。
「これは、西の地の果てにある『骨の墓所』に潜む、骸骨騎士アレスの討伐依頼です」
骸骨騎士アレス。その名を聞いて、シャクは顔色を変えた。アレスは、かつて、姉から読み聞かされた物語に出てくる英雄。だが、彼は、闇の力に魂を売った。死してなお、その魂は腐敗し、骸骨の騎士として、この世を彷徨っているという。
「骸骨騎士アレス…」
シャクは、呟くように言った。アレスは、シャクと並び立つほどの強者だった。だが、闇に堕ちた今、どれほどの力をつけているのか、想像もつかない。
「そのアレスを討伐しろ、と?」
シャクの言葉に、受付嬢は頷く。
「はい。アレスは、強力な魔物です。並の冒険者では、手も足も出ません。ですが、もし、討伐できれば、多額の報酬が支払われます」
多額の報酬。だが、シャクの興味は、そこにはなかった。シャクは、アレスという強敵と戦うことで、心の葛藤を忘れられるのではないか、そう考えたのだ。
「シャク、あなた、本気でこの依頼を受けるつもり?」
カーミラの声が、シャクの耳に届く。カーミラの声は、いつものように甘えた声ではなかった。真剣な、心配そうな声だった。
「ああ。アレスは、俺の鬼切丸の刃にかかるべきだ」
シャクは、そう言って、受付嬢から依頼書を受け取った。
「シャク、待って! アレスって物語にも語り継がれるほどの英雄だったんでしょ? そんな人と戦うなんて、危険すぎるわ!」
カーミラの言葉に、シャクは、カーミラの方を振り向く。その顔は、いつになく真剣な表情をしていた。
「危険だからこそ、俺がいくんだ。それに、どんな敵だろうと、この鬼切丸で、切り伏せてみせる」
シャクは、そう言って、カーミラの頭を優しく撫でた。
「でも…」
カーミラは、なおも食い下がろうとする。だが、シャクは、それを遮るように言った。
「大丈夫だ。俺を信じろ」
シャクの言葉に、カーミラは何も言えなくなった。シャクの言葉の裏に隠された、深い苦悩を、カーミラは感じ取ることができなかった。
シャクとカーミラは、再び旅に出る。行き先は、西の地の果てにある「骨の墓所」。そこには、かつての英雄であり、今は闇に堕ちた骸骨騎士アレスがシャクを待っている。
シャクは、アレスとの戦いの中で、自分の心と向き合うことができるのだろうか。そして、カーミラの命と引き換えに、呪いを解くという、究極の選択を、シャクは下すことができるのだろうか。
シャクの旅は、新たな局面を迎える。それは、ただの旅ではなく、シャク自身の、心の旅でもあった。




