変貌
退却したシャク、アレス、カーミラの三人は、辛うじて南の都の城塞へとたどり着いた。惨敗した討伐軍の残党も次々と城内へと流れ込み、王都は魔導王の軍勢に包囲される形となる。城壁の上から見下ろす街には、恐怖と絶望の影が深く降り注いでいた。
シャクは、城内の一室に引きこもり、静かに観音経を読み続けていた。その様子を見たカーミラは、不安げな表情でアレスに尋ねる。
「シャク、どうしたのかしら……? 急にお経を読み続けるなんて……。やっぱり、魔導王の強さに恐怖しているのかしら……」
アレスも、シャクの様子がおかしいと感じていた。
「そうだな……。シャクのやつ、普段はあんなことしない。よほど、魔導王の強さにショックを受けたんだろう」
しかし、二人の心配をよそに、シャクは一切の動揺を見せず、ただひたすら観音経を読み続ける。その声は、次第に力強く、そして澄み切った響きを帯びていく。
一方、城壁の外では、魔導王の軍勢が王都を包囲していた。デーロクを中心に、ゾンビ兵、ラミアの兵士、吸血鬼の群れが、城壁を前にして不気味な気配を漂わせている。
「デーロク様、なぜ進軍しないのです?」
ラミアの兵士が、デーロクに尋ねる。
デーロクは、不敵な笑みを浮かべながら、城壁を見つめていた。
「……見えぬか? 城壁全体を覆う、強固な結界が。あれは、並大抵の魔力ではない。恐らく、あの小僧が張ったものだろう」
デーロクの言葉に、魔物たちは驚き、城壁に目を凝らす。すると、確かに、城壁全体が淡い光に包まれているのが見えた。
「なんということだ……。たった一人で、これほどの結界を……」
デーロクは、驚きと同時に、シャクへの興味をさらに深めていた。
その時、城塞の門が開き、一人の人間が現れた。
「シャク……!」
アレスとカーミラが、シャクの名を叫ぶ。
しかし、そのシャクの雰囲気は、普段とは全く違っていた。彼の体からは、鬼神のごとく禍々しい闘気が溢れ出し、周囲の空気を歪ませる。その瞳は、怒りと憎しみに燃え、ただひたすらに魔物を滅ぼすことだけを考えているようだった。
「……魔導王の、眷属どもめ……! 我が慈悲を、怒りに変えた罪……! 償ってもらおうか……!」
シャクの言葉は、まるで地獄の底から響いてくるかのようだった。
シャクは、一歩踏み出すごとに、闘気を増していく。その闘気は、デーロクたちを圧倒し、魔物たちは恐怖に怯え、後ずさりする。
「な、なんだ、この闘気は……!? まるで、鬼子母神の怒りそのもの……!」
デーロクは、シャクの放つ闘気に冷や汗を流す。
シャクは、無言で魔物の群れに突っ込んでいく。彼の体から放たれる闘気は、魔物たちを塵に変え、大地を抉る。ゾンビ兵は、シャクの闘気に触れた途端、灰になり、ラミアの兵士は、恐怖で身動きが取れなくなる。
「シャク、待って!」
カーミラが叫ぶが、シャクの声は届かない。シャクは、ただひたすらに、目の前の魔物を蹂躙し続ける。
「シャク……! 落ち着け!」
アレスが、シャクを止めようと、彼の前に立ちはだかる。
しかし、シャクはアレスのことも見えていないようだった。彼の瞳は、もはや理性を失い、ただ目の前の敵を滅ぼすことだけを考えている。
「シャク……! 俺だ、アレスだ!」
アレスが叫びながら、シャクの肩に手を置く。
すると、シャクはアレスを振り払い、その手に持った数珠をアレスに向ける。
「ぐっ……!」
アレスは、シャクの攻撃に吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。
「アレス!」
カーミラが、アレスに駆け寄る。
アレスは、シャクの攻撃で怪我を負ったものの、意識ははっきりとしていた。
「……シャクは、我を失っている。今のシャクを止めるには……」
アレスは、カーミラに顔を向ける。
「カーミラ、俺がシャクの動きを止める! その間に、お前は……!」
アレスの言葉に、カーミラは頷く。
「分かったわ、アレス! 私が、シャクを正気に戻す!」
アレスは、再びシャクに向かっていく。シャクは、アレスを敵と認識し、攻撃を仕掛ける。アレスは、シャクの攻撃を避けながら、隙をついてシャクの動きを封じようとする。
その間、カーミラは、シャクの背後に回り込み、彼の首筋に手を伸ばす。
「シャク……!」
カーミラの声が、シャクの耳に届く。
シャクは、一瞬動きを止めるが、すぐにまた暴走を始めようとする。
「だめよ、シャク! 目を覚まして!」
カーミラは、シャクの首筋に顔を近づけ、そっと囁く。
「貴方の、優しい心を思い出して……!」
しかし、シャクの瞳は、依然として怒りに燃えたままだ。
その時、カーミラの胸元で、淡い光が放たれた。それは、シャクがカーミラにプレゼントしたネックレスだった。その光は、シャクの瞳を捉え、彼の動きを止める。
「……その、ネックレス……」
シャクの口から、掠れた声が漏れる。
カーミラは、その隙を見逃さず、ネックレスをシャクの目の前に突き出す。
「シャク! これを、覚えている? 貴方が、私にくれた、このネックレスを!」
ネックレスの光は、シャクの瞳の中で、怒りの炎を鎮めていく。シャクは、その光の中に、カーミラの笑顔を、アレスとの旅の思い出を、そして、南の都の民の笑顔を思い出す。
「……あぁ……」
シャクの瞳から、鬼神の光が消え、いつもの優しい光が戻っていく。
シャクの体から放たれていた禍々しい闘気も、次第に収まっていった。
「……俺は……いったい……」
シャクは、自分の手を見つめ、震える。自分の怒りの感情に任せ、魔物を蹂躙したこと、そして、アレスを傷つけてしまったことに、彼は深く絶望した。
「シャク……!」
カーミラは、シャクに駆け寄り、その体を抱きしめる。
アレスも、傷ついた体を起こし、シャクのもとへ向かう。
「シャク……。戻ってきてくれて、よかった……」
アレスの言葉に、シャクは涙を流す。
デーロクは、シャクの様子を見て、舌打ちする。
「ちっ……。あの小僧、我を取り戻したか……。まぁよい。今日はこの辺にしておいてやろう」
デーロクは、そう言うと、魔物たちに撤退を命じる。
魔導王の軍勢は、シャクの結界に阻まれ、そして、シャクの放った闘気に怯え、一時的に退却していった。
シャクは、城内で手当てを受けながら、アレスとカーミラに深く頭を下げる。
「二人とも……すまない……。俺は、自分の怒りを制御できず……」
「気にするな、シャク。お前は、俺たちを、そして王都を守ってくれたんだ」
アレスは、優しい笑顔でシャクを励ます。
「そうよ、シャク! 貴方がいなければ、私たちがどうなっていたか……」
カーミラも、シャクを抱きしめ、慰める。
シャクは、二人の温かい言葉に、再び涙を流す。
「……ありがとう……」
シャクは、二人の優しさに触れ、再び立ち上がることを決意する。
魔導王との決戦は、まだ終わってはいない。しかし、シャクは、一人ではない。彼には、信頼できる仲間たちがいる。
シャク、アレス、カーミラの三人は、再び力を合わせ、魔導王に立ち向かうことを誓う。




