悪政王
西の都から南の都へと旅を続けるシャク、アレス、カーミラの三人。鬱蒼とした森を抜け、ようやくたどり着いた南の都は、陰鬱な空気に覆われていた。民の顔からは生気が失われ、貧困と絶望の色が深く刻み込まれている。
この地を治めるのは、自らの享楽のために民から重税を搾り取る暴君、「悪政王」だ。逆らう者は容赦なく処刑されるという噂は、都全体を恐怖で縛り付けていた。
その光景を目の当たりにしたシャクは、怒りに震えた。
「なんという、なんというひどい……!」
弱き民を見過ごすことのできないシャクは、いてもたってもいられず、単身、城へと向かう。アレスとカーミラは慌ててその後を追った。
「シャク、無茶だ! 城には兵士が山ほどいるんだぞ!」
アレスの叫びも届かない。シャクの決意は固い。
「このまま見て見ぬふりはできない。あの王を、このままにしてはおけない!」
城門を突破し、大広間に突入したシャクを、豪華絢爛な玉座に座る悪政王が退屈そうに迎えた。
「何者だ、貴様」
「王よ! あなたの悪政が、どれほど民を苦しめているかお分かりか!?」
シャクの言葉に、王は不快そうに顔を歪める。
「たかが民草ごときが、この私に意見するとは。無礼千万。そやつを捕らえ、斬首せよ!」
王の命令一下、数えきれないほどの兵士たちがシャクを取り囲む。カーミラは恐怖に顔を青ざめさせ、アレスは剣を抜き、応戦しようとするが、その圧倒的な数に圧倒されていた。
「シャク……!」
「大丈夫、アレス、カーミラ」
シャクは静かに目を閉じ、観音経を唱え始める。すると、シャクの首に振り下ろされようとした兵士の剣が、まるでガラス細工のように砕け散った。
しかし、兵士の数は減らない。アレスもカーミラも歯噛みする。
「くそっ、これでは分が悪い!」
その瞬間、シャクはさらに深く陀羅尼を唱え始めた。すると、虚空に十の光が生まれ、それが十人の美しい女性の姿を象った。
「「「我ら、十羅刹女!」」」
十羅刹女たちの威圧感は、数万の兵士たちの士気を完全に奪う。そして、十羅刹女の後ろから、さらに大きな威圧感を放つ女性が現れた。その顔は美しくも鬼のごとく恐ろしく、しかしその瞳には深い慈愛が宿っていた。
「お母様……!」
シャクは、現れたのが姉だけでなく母である鬼子母神もいると知って、安堵の息を漏らした。
玉座から転げ落ち、床にひれ伏した悪政王は、恐怖に顔を歪める。
「き、鬼子母神様と、十羅刹女様……!? まさか、そなたは羅刹の血を引く者であったか……!」
王は震えながら、これまでの悪行を詫び、王の座を息子に譲り、仏に仕えることを誓った。
騒動が収まり、シャクは姉たちと母に囲まれていた。
「シャク、大丈夫だった?」
「怪我はない?」
姉たちの優しい声が、シャクを包み込む。
その光景を、カーミラは畏怖の念を抱きながら見ていた。そして、シャクの背後に立つ鬼子母神の恐ろしい形相に、思わず後ずさりする。
「な、なんですか、あの人……」
その声を聞きつけた十羅刹女の一人、藍婆が冷たい視線をカーミラに向ける。
「あら、シャクの旅の仲間かしら? ずいぶん怯えているようだけど」
カーミラはびくりと肩を震わせる。
「え、えっと……」
「シャク、この娘、ずいぶんあなたにくっついているみたいだけど、何者なの?」
もう一人の姉、毘藍婆がにこやかに、しかし瞳の奥に鋭い光を宿してカーミラに近づく。
「わ、私は、カーミラです……! シャク様の、旅の仲間として、ご一緒させていただいております……!」
カーミラは必死に挨拶するが、十羅刹女たちの冷たい視線に、声が震えてしまう。
「ふうん、シャクの『仲間』ねぇ」
「旅の道中、シャクに変な虫がつかないか、私たちが監視しておかないとね」
十羅刹女たちは、シャクの思い人だと勘違いし、カーミラに露骨な嫉妬心を見せる。
その様子を見ていたアレスは、肩を震わせて笑いをこらえていた。
「ふふっ、カーミラ、頑張れ」
「うるさいわね!」
カーミラは、姉たちの威圧感に怯えながら、精一杯反発する。
鬼子母神は、そんな十羅刹女たちを静かに見つめ、静かに、そして重厚な声で言った。
「おまえたち! 旅の道中、シャクを助けてくれた娘だ。あまり苛めるでない」
その声に、十羅刹女たちは従順に頭を下げた。鬼子母神はカーミラに向き直る。
「お前も、シャクのことを頼むぞ」
その瞳は慈愛に満ちているが、元が鬼であったその恐ろしい形相に、カーミラは再び恐怖で体がすくんでしまう。
「は、はい……!」
シャクは姉たちに感謝を述べ、母に旅の継続を告げた。
「母上、姉さんたち。ありがとう。俺はまだ、旅を続けます」
鬼子母神は静かに頷き、十羅刹女たちとともに姿を消した。
静けさを取り戻した大広間で、アレスは呆然とした顔で呟く。
「なんだか、すごかったな……」
「そうね……私も、あんな強い女性になれるかしら」
カーミラは、十羅刹女たちの姿を思い出しながら、再び恐怖を覚える。
シャクは、静かに微笑んだ。
悪政王の支配から解放された南の都には、少しずつ明るい光が差し込み始めていた。そして、三人の旅は、これからも続いていく。




