迷宮のロマンスグレー
廃墟と化した西の王城。草木が絡まり、苔が生した石畳を、二つの影が踏みしめていた。一人は、日本の古式ゆかしい袴に身を包み、腰に一振りの刀を佩いた青年シャク。もう一人は、鮮やかな真紅のローブを纏い、金糸のような金髪と、宝石のような碧い瞳を持つ妖艶な吸血鬼カーミラだ。彼らは、この城を彷徨う骸骨騎士のアレスという伝説の妖怪を討伐するため、禁忌の地に足を踏み入れた。
「まったく、ただの城だと思っていたら、こんなに不気味な妖気が満ちているなんて。聞いてないわよ、シャク」
カーミラは、不機嫌そうに顔を顰める。しかし、その声には、未知への好奇心と、吸血鬼としての本能的な愉悦が混じり合っていた。
「俺だって知らなかったさ。まさかアレスが、まだこの城に留まっているとはな……」
シャクが低い声で呟く。壁に蔦が絡まり、床に埃が積もっているが、かつて栄華を誇った王城の威容は、未だ健在だった。巨大な謁見の間を通り抜け、二人は城の中央、円形広場へとたどり着く。そこに、それはいた。
「あれが……骸骨騎士アレス」
カーミラが、息をのむ。月明かりに照らされたそれは、銀色の甲冑を身につけた、完全に骸骨の騎士だった。頭蓋骨の眼窩には、青白い魂の火が揺らめいている。その立ち姿は、不気味ながらも、どこか誇り高く、そして哀しげだった。
「お前たち……何用だ」
響く声は、生者と変わらぬ重みを持っていた。
「俺たちは、お前を倒しに来た」
「私を倒すだと? ここは亡き王の眠る場所。何人たりとも、その安寧を妨げることは許さん」
アレスが、伝説の愛剣を抜き放つ。それは、毒龍の鱗すら貫いたと伝えられる名刀だ。しかし、シャクは一歩も引かなかった。
「お前はもう死んでいるんだ、アレス! なぜ亡き王にそこまで執着する!」
「執着……か。そうかもしれんな。だが、これは約束だ。悪魔との契約により、私は永遠の命を授かり、この城の墓守となった。王の御身に安寧が訪れる、その日まで、私はこの地を離れることはできない」
アレスは剣を構え、襲いかかってくる。シャクは素早く身をかわし、カーミラが魔法の炎を放つ。だが、アレスは怯まない。その動きは生者よりも速く、的確だ。
「この力……生前の彼よりも強いかもしれないわ」
カーミラが顔を曇らせる。その言葉通り、アレスの剣技は、シャクを追い詰めていく。袴姿のシャクは、軽快な身のこなしで刀を捌くが、防戦一方だ。
「くそっ、このままじゃ埒が明かない!」
シャクは旅立つときに母からもらった経典を懐から取り出し、アレスに向かって声を張り上げる。
「南無観世音、南無観世音、梵音海潮音、勝彼世間音。是故須常念、念念勿生疑!」
シャクの声が響き渡ると、アレスの眼窩の魂の火が激しく揺らめき、悪魔の契約の力が弱まっていくのが感じられた。
「これは……まさか観音経だと? なぜお前がそんなものを……」
アレスは困惑の表情を見せ、動きを止める。その隙を突き、シャクはアレスの胸に手をかざす。
「彼の観音力を念ぜば、枷鎖は釈然と解脱を得ん! 悪魔の契約よ、今こそ解き放たれよ!」
シャクの声と共に、眩い光が放たれる。アレスの胸に刻まれた王の紋章が輝きを放ち、やがて砕け散った。
「ぐっ……これは……」
アレスは苦悶の声を上げ、膝から崩れ落ちる。光が収まっても、アレスは骸骨のままだ。しかし、その眼窩の魂の火は穏やかな光を放ち、苦しげな様子は消えていた。
「もう大丈夫だ、アレス。貴方の忠誠心は、この観音経の力によって、悪魔の呪縛から解き放たれた」
シャクは、優しく語りかける。アレスの姿を見て、シャクはかつての自分を思い出す。会社からただの歯車として扱われ、人間性すら失いかけていた、あの頃の自分を。
「貴方の忠誠心、見事だ。私は、かつて組織からただの歯車として扱われ、心身ともに疲弊していた。だが、貴方は亡き王のため、死してなお、忠義を尽くした。その生き様、心底、羨ましく思う」
シャクの言葉に、アレスは何も答えない。ただ、静かにシャクを見つめる。
「アレス、貴方の忠誠心は、きっと亡き王にも届いているはずだ。だが、もう貴方を縛るものは何もない。これからは、自分のために生きるがいい」
「自分のために……?」
アレスは、ぽつりと呟く。
「そうだ。そして、もしよければ、俺たちの仲間になってくれないか? 共に、この世界を旅し、新たな生きる意味を探さないか」
シャクの言葉に、アレスは驚いた表情を見せる。
「アレス、共に、この世界を歩もうではないか」
シャクは、アレスに向かって手を差し出す。アレスは、その手を見つめる。そして、ゆっくりと、その手を取る。
「……ああ、喜んで。シャク殿、このアレス、命に代えても、貴方を守り抜くと誓おう」
アレスは、シャクに深々と頭を下げた。
その光景を見ていたカーミラは、呆れたようにため息をつく。
「あらあら、討伐しに来たはずが、いつの間にか仲間を増やしているんだから。まったく、仕方ないわね」
カーミラは、そう言いながらも、どこか楽しそうだった。
シャクはアレスに、認識阻害の魔法をかける。
「アレス殿、これは認識阻害の魔法だ。これからは、人間には貴方の生前の姿に見えるようになるだろう」
アレスは、自分の姿を見つめる。
アレスの顔は白いひげが似合い、渋くて凛々しい気品溢れる初老の騎士の姿であった。
三人は、新たな旅路へと歩み出す。西の王城には、もう骸骨の騎士の姿はなく、ただ白い花が、亡き王の墓所に静かに咲き誇っていた。




