女の子は男の体臭が嫌い?
「鈴谷さんに恋愛相談があるんだ。佐野、お前、知り合いなんだろう?」
そう同じ大学のナガイから頼まれて、僕は一瞬警戒をした。鈴谷さんに告白するつもりかと思ったからだ。でも直ぐに冷静になった。告白する相手に恋愛相談なんてしないだろう。ただ、それでも考え直した方が良いとは思った。大学の民俗文化研究会というサークルに所属している鈴谷さんは、勘が鋭くて、ちょっとした謎を簡単に解いてしまったりする。その噂を聞いて彼は彼女に相談しようと思ったのだろうけど、彼女は恋愛相談なんて柄じゃないんだ(心理学方面の知識は持っているかもしれないけど)。きっと彼女は迷惑がるだろう。
「止めておいた方が……」
それでそう彼を説得しようと思いかけたのだけど止めた。これを口実にして、鈴谷さんに会いに行けるし、それにもしかしたら少しは彼女の恋愛観を聞けるかもしれないとも思ったからだ。
ここまで言えば分かるかもしれないけど、僕は鈴谷さんに惚れている。それも、これでもかっ!という勢いで。
民俗文化研究会のサークル室に入ると、鈴谷さんはいつも通りに本を読んでいた。僕らを一瞥すると「どなたかしら?」と訊いて来る。どうやらナガイとは面識がないらしい。
僕は軽くナガイを紹介すると「こいつが君に相談があるらしくてね」と言って彼を促した。彼は慌てて口を開く。
「実は気になる女の子がいるのだけど、それでちょっと困ってて」
それを聞くと鈴谷さんは軽く僕を睨んだ。柄じゃないと分かっていながら、僕が断らなかったのを察しているのだろう。やっぱりダメっだかな?と僕は思う。
空気を読まない性質なのか、ナガイは構わずに話し続けた。
ナガイとその女性は偶然に知り合っただけで、特に男女の仲を期待していた訳ではなかったらしい。可愛いとは思っていたがそれだけ。
ところが、彼の勘違いでなければどうにもその女性が彼に気があるようにしか思えなかったのだそうだ。意味ありげな視線と思わせ振りな態度。それで試しにデートに誘ってみるとあっさりとOKをしてくれた。
「それで俺はこれはいけるんじゃないかと考えた訳だ」
と、彼は語った。
気合を入れてオシャレをして、体臭にも気を遣った。彼は毎日二回はシャワーを浴び、制汗シートやスプレーなどで体臭を消すようにしたのだという。
「女の子は男の体臭が嫌いなものだろう?」
そう言われて僕はちょっとドキッとした。自分の体を嗅いでみる。鈴谷さんの前で、体臭を気にした事はなかったからだ。
そこまでつまらなそうに彼の話を聞いていた鈴谷さんは、それを聞いて何故かわずかばかりの反応を見せた。
「でも、それから少しも進展しなくなってしまったんだ。特に嫌っている素振りはないのだけど、前みたいな熱っぽい視線を向けてはくれなくなった。単に飽きられただけかもしれないけど、何か悪い事があったとは思えなくって……」
それで彼の相談は終わりのようだった。鈴谷さんは、悩んでいるようだった。そして、何故かこんな質問をする。
「あなた、見た目は良い体をしているわね? スポーツは得意? 病気には強い方かしら?」
彼は戸惑いながらも、
「スポーツは得意だよ。滅多に風邪は引かないから健康だと思う」
それに彼女は「そう」と返し、少しの間の後に「その女の人の事を私は何も知らないから、単なる漠然とした予想に過ぎないのだけど」と断った上でこうアドバイスをしたのだった。
「その体臭対策をやめてみるのはどうかしら?」
彼はその言葉に目を大きくする。
「でも、体臭を嫌っている女の子は多いって」
「確かにそうね。でも、そういう人ばかりじゃないわ。そういう体臭を気にしている態度を“男らしくない”と思う人もいる。そもそも、その人があなたに好意を向けていた頃はあなたは体臭なんて気にしていなかったのでしょう? なら、少なくとも止めても弊害にはならないのじゃない?」
それを受けると、彼は渋々ながら一応は納得したらしかった。
僕はどうして鈴谷さんがあんなアドバイスをしたのかいまいち分かっていなかった。彼女はてきとーな事を言うタイプじゃない。分からないのなら分からないとちゃんと言う。なら、何か考えがあるはずなのだ。
それで気になっていたものだから、十日振りくらいに偶然にナガイに会って、「あれから例の女性の件はどうなった?」と尋ねてみたのだ。すると彼は嬉しそうに、
「それが言う通りにしたら、なんでか上手くいくようになってさ。彼女はまた俺に熱視線を向けてくれるようになったんだよ」
などと答えたのだった。僕は驚いてしまった。それでそのまま民俗文化研究会に足を運んでそれを鈴谷さんに報告をしたのだ。
「どうして、あのアドバイスで上手くいくって分かったの?」
そして、その後に好奇心を我慢できずにそう尋ねた。
彼女は軽く溜息を洩らすと、「私だって別に確証があった訳じゃないわ」と応え、それからこう続けた。
「女性は嗅覚が鋭いって話を聞いた事がある? それは年頃の女性でより顕著なのだけど、その理由は“男性を選ぶ為”だという仮説があるの」
「男性を選ぶ為?」
「そう。匂いから、その女性と適合した遺伝子を識別するのだって。身体能力に優れているとか、病気に強いとか。その女性に“合う”のなら、その男性の体臭を心地よく感じる。逆に合わないのなら嫌悪感を覚える。女性は対象じゃないから、そこまで不快を覚えない。
若い女性が、よく“男性の体臭がきつい”と文句を言っていたりするけど、その仮説が正しいのなら納得がいくわ。
女性にだってお風呂にあまり入らない人はいるから、そういう発言が男性差別だと批判される場合もあるけれど、本人達は恐らく差別しているつもりはなくて、経験的に本当に男性からだけ不快な臭いを感じ取っているのだと思う。もっともこれは男性側が悪いのではなくて、女性にそういう生物的な特性があるというだけの話なのだけど」
僕はその説明を聞き終えるとこう返した。
「つまり、彼は体臭をその女性から気に入られていたって話? だから体臭対策をしたらダメになって、止めたら再び上手くいき始めた」
「多分ね。その女性は無自覚だったかもしれないけど」
それから彼女はこう尋ねて来た。
「一部の女性達は、男性の体臭を特に気にするわよね。そういう女性達に配慮して、男性は体臭対策をするべきなのか、それとも、男性に体臭対策の為のコストをかけさせるのを否とし、そういう女性達が我慢をするべきなのか、一体、どちらが正しいと思う?」
僕は困ってしまった。
「いやぁ? どうなのだろう?」
それは男が体臭対策をするようになると、女性側は正しい情報を得られなくなってしまうという事でもある。それを考えるのなら、体臭対策を強いるのは間違っていると思う。男性選びに失敗をしてしまう女性も出て来るのじゃないだろうか?
いや、そういう問題でもないのかもしれないけど。
「ま、私達が答えを出して良い問題でもないわよね、こーいうのは」
と、そんな様子の僕に彼女は言った。
それを聞いてちょっとだけ、僕の体臭を彼女に嗅がせたくなってしまった。もちろん、絶対にセクハラになるからやらないけど。