第五話
「一人二役の精霊王さま」第五話です。
本作は毎週火曜日の更新を目標にしています。
「おお……」
無事、変身を終えた有沙を、精霊たちが驚嘆の目で見つめる。
「小鳥、ですね。初めて見る鳥ですが……何とも愛らしい」
エマの言葉に、有沙は「フフフ……」と得意顔で答えた。
「そう。雪の妖精、シマエナガちゃんよ! モフモフ・フワフワで、すっごく可愛いでしょ?」
泉に映った自分の姿を満足げに眺め、鳥綱スズメ目エナガ科エナガ属、北海道に生息する白い小鳥、シマエナガに変身した有沙は、初めて得た翼でパタパタと宙に舞い上がった。
その飛び方は鳥よりも蝶に似ていてスピードもなかったが、初めて空を飛んだ有沙は、生まれて初めての経験に有頂天になった。
―― 精霊王さま、かわいいー。
―― もふもふー。
―― ふわふわー。
―― まっしろできれい―。
「でしょー? 美女の姿もいいけど、こういう別の生き物に変身できるのは、精霊王ならではの能力だよねー」
精霊たちと自然に会話しながら、有沙は旋回するように上空を舞った。
精霊王の機嫌が直ったことで、空は光を取り戻し、蕾は一斉に花開き、爽やかな風がそよそよと吹いて、世界は穏やかな空気に満たされた。
ひとしきり鳥の姿を満喫し、有沙は「でも……」と呟いた。
「鳥もいいけど、エマと話すなら、やっぱり人間のサイズがいいなぁ……」
ふたたび地上に戻り、有沙はそこで、記憶にある前世の自分に変身してみた。
ストレートの黒髪を一本のお下げに結い、十七才にしては少し幼い顔立ちで、パジャマの上にカーディガンを羽織り、厚手の靴下にスリッパ。それが彼女の記憶に一番多く残っている、かつての自分の姿だった。
泉を覗き込むと、見慣れた顔と目が合った。
(……私だ。日比原有沙だった、昔の私だ……)
ふいに視界が揺らぎ、瞳から零れた涙が水面を弾いた。
「精霊王様っ!」
いきなり泣きだした有沙を見て、精霊たちが慌てる。
―― 精霊王さま、どうしたのー。
―― かなしいのー。
―― 泣かないでー。
「だ、大丈夫……。心配しないで……」
自分の感情が周囲の天気まで変えてしまうことを悟った有沙は、懸命に平静さを取り戻そうとした。すでに上空には、厚い灰色の雲がかかり始めていたが、さきほどのようなひどい嵐は起きなかった。
(泣いたり怒ったりするたびに天変地異を起こすとか、周辺住民に迷惑すぎるよね……)
漠然とだが、精霊王の何たるかを理解し始め、有沙は「まず最初に覚えなきゃいけないのは、メンタルコントロールだな」と思った。
「ごめんね、もう大丈夫……」
日比原有沙の姿で皆に詫び、有沙は無理に微笑んでみせた。
「前にいた世界のことを思い出して、ちょっと悲しくなったの。もう、あっちには帰れないから……」
(お父さんにも、ちゃんとお別れが言えなかったな……)
寂しげな精霊王の姿に、エアリエルと小さな精霊たちは、神妙な顔で沈黙した。
(って言うか……)
シュルシュルと、また最初の人型スライムになって、有沙は心の中で呟いた。
(どうやら私は、本当に死んじゃったみたい……。この世界に転生したのも、ホントのホントに現実みたい……)
ようやく自分の死を現実のものと認識し、有沙は「ハァ……」と嘆息した。
(でも、死んじゃったものは、仕方ない)
気持ちを切り替え、有沙はまた違う姿になった。
小学生の時に初めて買ってもらったゲーム。モンスターをテイムして戦う超人気のRPG。その主人公の女の子。
おしゃれで可愛くて元気いっぱいで。ゲームをプレイしながら、「こんな子になりたい」と、強く憧れたものだ。
(名前はリディア、だったっけ……)
公式の年齢は十二才。血色の良い肌に桜色の唇、サファイア色の瞳。小柄ながらしなやかに伸びた手足。蜂蜜色の豊かな長い髪は毛先がカールして、羽根のように軽やかだ。赤い帽子に赤い上着、茶色いミニスカート。黒のハイソックスに茶色い革靴。靴と同じ色のミニ・リュック。
十年前に夢中で遊んだゲームの、ヒロインそっくりの姿になって、有沙は水面に映る自分の姿を見下ろした。
(うん、リディアだ。懐かしいな……)
オンラインで知り合ったゲーム仲間の一人が、アニメイベントでこの可愛いキャラクターのコスプレをした写真を見て、「自分もこういうコスプレができたらなぁ」と、心底羨やんだ時のことを思い出す。
遠出を禁じられていた有沙は、もちろんそんなイベントに参加した経験はない。
今は、コスプレどころかそのキャラクターそのものの外見なのだが、なぜか有沙の心は弾まなかった。
だが、昔の自分の姿になるのは嫌だった。
(ここにいるのは、日本人の日比原有沙じゃない。異世界のオスティアで生まれたばかりの『精霊王』なんだから……)
「そう言えば、精霊王に名前はないの?」
しばらくこの姿でいようと決めた有沙は、リディアの顔で振り向いて訊ねた。
「ございません」と、エマが答える。
「この世界に、精霊王様はお一人です。名前とは、他と区別をつける目的のものです。唯一無二の存在たる精霊王様に、識別のための名など不要です」
「あー、なるほどねー……」
(じゃあ私は、これからずっと“精霊王様”としか呼ばれないってこと? でも……)
「エマも一人なのに、名前があるじゃない」
「人型のエアリエルはわたくし一人ですが、エアリエルと呼ばれる風の精は無数におります。精霊王様がわたくしをお呼びになる際に、他の風の精と区別するために、名が必要なのです」
「なるほど……。じゃあもし私が、ただ“エアリエル来て~”としか言わなかったら、他の風の精も呼んじゃうってこと?」
「左様です。先代の精霊王様が、一度それをなさったことがございます。結果、呼ばれた土地が暴風に晒され、木という木が根こそぎ倒れる事態となりました」
「あっぶな! てか、精霊ヤバ!」
有沙は冷や汗をかきながら、「これはいろいろと、事前に確認しておくべきことが多いな……」と思った。
「えっと。話を戻すけど、私が精霊王であることを隠して誰かと会うなら、その時は名前が必要だよね?」
「はい。先代の精霊王様も、人里に下りられる際は姿を変えて、仮の名を使われていました」
「やっぱり人間にも変身できるんだ。そもそもこの姿でいれば、普通に人に見えるもんね。エマも変身できるの?」
「できません。姿を自在に変えることができるのは、精霊王様と、光と闇の精霊のみです」
「そっかー」
近くの大きな岩に腰を下ろし、有沙は訊ねた。
「ちなみに先代の精霊王さんは、どんな姿で人里に下りてたの?」
「その時々で違います」
ジェスチャーでエマにも隣の岩に腰掛けるよう示したが、風の精霊はそれを丁重に辞退し、有沙の前でまた片膝を折った。それで有沙も、それ以上は勧めなかった。
「人の姿にも獣の姿にも、鳥や虫になることもございました。人になる時も、子どもだったり老人だったり、女性だったり男性だったりと様々です」
「何でもアリだもんねー」
礼儀に厳しいエマと違い自由奔放な小さい精霊たちは、有沙の新しい姿が気に入ったのか珍しいのか、彼女の髪や服にちょっかいをかけて遊んでいた。有沙はこちらも、好きにさせておくことにした。
しかしここで重大なことに気づき、ハッと顔を上げる。
「って言うか、エマ。今っていつ? えっと、人類の暦で言うと何年? 旧暦とか新暦とかあるんだよね?」
「ああ……はい。今は、新暦四〇一年ですね」
情報通の風の精霊は、あっさりと答えた。
しかし。
「えっ!」
「えっ?」
その答えを聞いて、有沙はまた強いショックを受けた。
さらにガイドのマリリンの台詞を思い出し、三度目のショックを受ける。
「……ということは、アリッサが生まれる五〇八年まで、百年も待たなきゃいけないってこと!?」
「アリッサ、とは何者ですか?」
事情を知らないエマはポカンとしていたが、有沙としてはマリリンに騙された気持ちだった。
おそらく神や神の使い、精霊にとっては、百年など誤差の範疇なのだろう。だが、元人間の有沙にとっては、百年などあまりに長すぎて、気が遠くなるほどの年数だ。
「うーわー。信じられない……」
どうにか平静を努めながら、有沙は茫然と呟いた。
だが隠しきれない心の動揺が雷雲を呼び、不穏な風がびゅうびゅうと鳴る。
「精霊王様……。わたくしが何か、失礼を犯してしまったのでしょうか……」
「いや、エマは悪くないよ……うん……」
呼吸を整え、有沙は心の中で「心頭滅却……心頭滅却……」と繰り返し唱えた。数分後、ようやく天気が回復する。
有沙は「えーっと」と、一呼吸置いてエマに向き合った。
「単刀直入に言うと、私は今から百年後の、西暦五〇八年以降の時代に用があるの。でもそれまで百年あるから、すごく暇なの。どうしたらいいと思う?」
「どう、とは……」
「だから、ええと……。精霊王って、何をすればいいの?」
「精霊王の務めについてお訊ねですか?」
「うんそう。その務めについて」
「そうですね……」
エマは顎に手を添え、少し考える顔をした。
「正直申しまして、そんなことは考えたことがございませんでした。精霊王様は精霊王様で、この世界に存在しておられるだけで有り難く尊いお方ですので……」
「でも、何かあるでしょ。人助けするとか、加護を与えるとか」
「それは、我々精霊の役目です。救うべきものと戒めるものを選別するのも、精霊の仕事です」
「たしかに……」
(ラビサーの中でも、キャラたちに加護を与えたのは、精霊王じゃなくて精霊たちだったもんね)
「じゃあさ、先代の精霊王って、何してたの?」
「先代の精霊王様は……基本、眠っておられました」
「えっ?」
「数年眠り、数か月起きる、というサイクルを繰り返しておられました。そして起きていらっしゃる時は主に、各国のめずらしい特産品を召し上がるのを、楽しんでいらっしゃいました」
「精霊って、ご飯を食べるの?」
「食事の必要はございませんが、先代の精霊王様は人族と同じ食事がお好きで、特にスパイスを煮込んで辛いスープにし、炊いた穀物と一緒に食べる、“カレーライス”なる料理を好んでいらっしゃいました」
「カレーライスッ! ここにあるの!?」
「はい。大陸南東の端にある、ロータナシアという国の料理です。先代の精霊王様は、その料理のためだけにロータナシアに赴き、人に変身してカレーライスを食しておいででした」
「うわぁ……」
(って言うかもう、先代の精霊王が地球人だった説、確定じゃない? ホリーって名前もそうだし、私を次の精霊王に指名したのもそうだし。おまけにカレーライス好きとか、それ日本人じゃん。もしインド人だったら、カレーにはナンだよね)
ここがゲーム『迷宮のサーヴァント』と同じ世界であることは疑いようがないが、それは地球人があくまでゲームとして作った世界だからこその、地球文明との類似性であり、このオスティアという世界が地球とはまったく別の場所に実在するのなら、逆にこの類似性はどうやって生まれたのか、と有沙は疑問に思った。
(それとも地球の神とオスティアの神が仲良しで、似たような世界を創っちゃおう、って創ったのかな……。それでもかなり無理があるし、そもそもラビサーの会社は、どうやってオスティアのことを知ったんだろう。もしかして、オスティア出身の転生者が作ったとか……?)
有り得る可能性としては、それが一番高かったが、ここで考えても答えは出ず、有沙はこの件について考えることを止めた。と同時に、ほぼニートな先代の話は、あまり参考にならないな、とも思った。
「あのね、エマ。私は前の世界で、さんざん寝て食べてって暮らしをしてきたから、そういうのはもう、したくないんだ」
有沙はきっぱりした口調で言った。
先代の精霊王は、きっと地球人だった時には、よく働いたのだろう。だから精霊王に転生してからは、ここぞとばかりにぐうたら生活を満喫したのだろう。
だが自分は違う。
通学、通勤、普通の人が、毎日当たり前にこなしていることができなかった。日々仕事や勉強に追われ、忙しい、大変だ、と騒ぐ健康な人たちの姿を見て、彼らを羨んでいた。
「私、勉強したい、働きたい」
すっくと立ち上がり、有沙は両の拳を握り締めた。
「せっかく精霊王なんていう、すごい立場になったんだもん。まず自分は何ができて何ができないのか、それが知りたい」
「精霊王様に不可能なことなどございません」
「でもさすがに万能ではないよね?」
「ではありませんが……ほぼ、それに近い力をお持ちだと認識しております。が、わたくしとて、精霊王様の持つ力がいかほどのものなのか、完全に理解できてはおりません」
「だよね。まずは、いろいろ検証してみたいの。でも側でサポートしてくれる人が欲しい。エマ、手伝ってくれる? あっ、もちろん、忙しかったらいいの。精霊は精霊でお仕事があると思うから」
有沙の言葉に風の精霊は膝を折ったまま、「そんなお気遣いは無用です」と微笑んだ。
「我々の命も存在する意味も、精霊王様あってこそのもの。新精霊王様がこの世界への理解を深めるお手伝いができるのであれば、これ以上に大切な仕事などございません」
「そっかー。ありがとう、助かるよ」
そこで有沙はふと、「ところで、他の精霊はどこにいるんだろう?」と呟いた。
ゲームのラビサーには、全部で六人の精霊が登場した。火と水と風と土と、光と闇。だがマリリンの説明では、もっと沢山の精霊がいるようだ。
「エマ」
「はい」
「他の精霊は、新しい精霊王が生まれたことをもう知ってるの」
「もちろんでございます」
「じゃあそのうち、あなたみたいに挨拶に来るの?」
「はい。すでに、水の精霊が近くまで来ております」
「水の精霊……は、たしか、おしとやかな和風美人さんだったな……」
有沙が呟くと、噂をすれば影。泉の水面がゆらりと波打ち、そこから水の精霊が現れた。
東洋のおとぎ話に登場する天女のように、青にも白にも見える美しい羽衣と着物を身に纏い、青と緑と黒に輝きを変える長い髪、透けそうなほどに白い肌を持つ、儚げな乙女風美人だ。
「わぁ……」
新たに登場した美女(に見えて性別不詳)を見て、有沙はまた感嘆の声を洩らした。
(水の精霊、キターーーッ!)
第六話につづく
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