第四十九話
「一人二役の精霊王さま」第四十九話です。
本作は隔週火曜日の更新を目標にしています。
国王の挨拶が済み、国王夫妻と並んだ席にジェイデンが落ち着いてすぐ、エルマーが戻ってきた。
「いきなり傍を離れて、すまんかったな」
帰ってきたザントマンの詫びに、ジェイデンは「もう、どこに行ってたのさ」と心の声で文句を言った。
「ちょっと野暮用だ」
「精霊に野暮用なんてあるの?」
「うるさいな。細かいことは気にするな」
エルマーが戻ったタイミングで、いよいよ、高位貴族から順に王太子への個別の挨拶が始まった。
まず、この国の東の地に住む大公家の当主とその妻、さらに彼の二人の息子が現れて、彼らはその場で三人の王族に恭しく頭を下げた。
「国王陛下、並びに王妃殿下。このたびは、王太子殿下が九歳のお誕生日を迎えられましたこと、心よりお祝い申し上げます。誠におめでとうございます」
「おっ、ほら、ジェイデン。客人がこっちへ来たぞ」
話を逸らそうと、エルマーはわざと大きな声で言った。
「最初の挨拶は大公一家か。この家には、娘はいないようだな」
「うん……。僕より年上の兄弟がいるだけだよ。でも僕は、あの兄弟はちょっと苦手なんだ……」
先に国王夫妻と挨拶を交わす両親の傍らで、十四歳の兄と十二歳の弟は、チラリとジェイデンを見た。
その顔に嘲りの表情が浮かぶのを見て、エルマーは「なんだ、あいつらは」と顔をしかめた。
「なぜあいつらは、あんな威張った顔でこちらを見ている」
「それは……、僕の得意魔法が土属性だから……」
「なに?」
「あの兄弟は、兄が火属性、弟は雷属性で、どちらも攻撃魔法として強いから、それで、土属性の僕を見下しているんだよ……」
「何だとぅ!?」
ジェイデンの言葉に、土の精霊であるエルマーは激怒した。
「火と雷が、土より偉いとでも思っているのか、あいつらは! なんという思い上がりだ! 土は偉大だぞ! 考えてもみろ! 人も他の生き物も、大地があるからここで生きていられるんだ! この世界から土が消えてみろ! 陸がなくなって、魚しか生きられない世界になるんだぞ!」
「え、エルマー。お願いだから、頭の中でわめかないで……」
青ざめたジェイデンはしかし、隣でギャアギャア騒ぐ精霊のお陰で、苦手な家族からの挨拶もろくに聞かずにやりすごすことができた。
大公家の後に公爵家が三組、次いで侯爵家、と挨拶が続いた。
「あっ、エルマー。ほら、次に来るのが、セルヴィッジ侯爵家だよ。あの階段のすぐ横に控えている、薄紫色のドレスの少女がアリッサ嬢だね。父上から聞いているけど、彼女は光魔法の使い手なんだって。それに、生まれてすぐ魔塔で受ける検査で、魔力量が僕と同じくらいあったんだって」
「ふ、ふぅん……」
いきなり落ち着きを失くした守護精霊に、ジェイデンは期待に満ちた口調で話しかけた。
「すごい、とっても綺麗な子だね。なんだか、周りの空気まで輝いて見えるよ……」
さすがに魔力量が高く、さらに精霊と契約までしたジェイデンは、精霊王を中に宿したアリッサの、尋常でない神聖力を無意識に感じ取っていた。
また光の精霊の影響で、アリッサはただそこにいるだけで、魅了の力を周囲に振り撒いている。魔力が高ければさほど影響はないが、逆に魔力の親和性が高いと、その相手には否応なく惹かれてしまう。
そしてじつは、アリッサとジェイデンの魔力の波長はぴったりだった。それはアリッサの中にいる有沙にも、当然ジェイデンの側にも伝わった。
「なんだろう、エルマー。何だかあの子から目が離せないよ。あんな綺麗な子が現実にいたなんて……。僕、アリッサ嬢と友だちになりたいよ……」
「なっ、い、いかん!」
「え?」
「あ、あの子は、いかん! いかんぞ、ジェイデン!」
つい先ほど、精霊王自らに「ジェイデンにアリッサを遠ざけるよう進言してくれ」と頼まれた土の精霊は、心に冷や汗をかきながら懸命に訴えた。
「いかんって、どうして? 彼女の何がいけないの?」
「いや……その……、理由はないが……、とにかくわしは、あの令嬢はお勧めできん」
「どうして? あんなに綺麗で優しそうで、マナーも完璧なのに。それにご両親のセルヴィッジ侯爵夫妻も、人格者で有名なお二人だよ。そんな彼女の何がだめなの?」
「そ、それは……、お主には、もっと気の合う娘がおると、思うから……」
土の精霊がしどろもどろになったタイミングで、セルヴィッジ侯爵家の順番が回ってきた。
有沙はトマス、クラリスとともに壇上へ上がり、まず父親が国王夫妻に挨拶するのを、母親と一緒に頭を下げて聞いていた。
それから母親が祝いの口上を述べ、いよいよ娘のアリッサが挨拶する番になった。
今、世界で一番地位が高い存在の有沙だが、中身は元一般人の女子高生であったため、当然前世では、リアル王族と面会した経験などない。
ゆえにこの世界での有沙も、 “王様”、“王妃様”、“王子様”といった肩書きに対して、無意識に緊張を覚えてしまう。
高そうな王冠はその頭に載っていないが、やはり国王と王妃の威厳は本物で、有沙は緊張に頬をひきつらせた。
それでもその緊張を極力隠し、彼女は国王一家に向かって、見事なカーテシーを披露した。
「お初にお目にかかります。国王陛下、王妃殿下、王太子殿下。セルヴィッジ侯爵家が長女、アリッサ・セルヴィッジと申します。このたびは、このような素晴らしいお祝いの席にご招待いただきましたこと、深く感謝申し上げます」
そこで有沙は、一番端の席に座るジェイデンの方を向いて、にっこりと微笑んだ。
「王太子殿下、九歳のお誕生日を迎えられましたこと、誠におめでとうございます。この一年が、殿下にとって実り多き素晴らしい年になりますよう、心よりお祈りいたします」
「あ、ありがとうございます、……アリッサ嬢」
赤い顔で礼を述べる息子を見て、国王夫妻は「おや」という顔をした。
これまで何組かの貴族家から祝いの言葉をもらったが、王子はずっと貼りついた笑顔で、「ありがとうございます」と返すだけで、こんな風に照れた顔を見せることも、相手令嬢の名を口にしたこともなかった。
(これは……)という二人だけで通じる眼差しで、国王と王妃は視線を交わした。
アリッサは王太子と短い挨拶を交わすと、また綺麗なカーテシーを披露して、すぐに両親の陰に隠れた。
「あ……」
アリッサが離れて、ジェイデンは明らかに落胆の顔をした。
(できればもう少し長く、彼女とお話がしたかったな……)
ジェイデンのこの心の声は、そのままエルマーにも届いた。
(い、いかん……!)
「ジェイデンよっ!」
焦った口調で、土の精霊は王太子に言った。
「あのアリッサ・セルヴィッジは、クライヴ・ラスキンと友だちだそうだぞっ!」
「え……」
思いがけない事実を知り、ジェイデンは明らかに動揺した。
しかし彼は、根っからの王族だった。
「どういうこと? クライヴってあの、ラスキン男爵夫人の息子で、僕の異母弟の……」
次に現れたアドキンズ侯爵一家の挨拶を笑顔で受けながら、彼は念話で精霊と話を続けた。
「そうじゃ、そのクライヴ・ラスキンじゃ」
「そんな……どうして?」
「セルヴィッジ侯爵夫人と、ラスキン男爵夫人が友人なんじゃ」
「だけどセルヴィッジ侯爵夫人は、僕の母上とも親しいよ」
「それはそうじゃが、あちらは家族ぐるみの関係じゃ。アリッサがクライブの家に遊びに行くこともあるし、逆もある。長期休暇には毎年、ラスキン母子がセルヴィッジ領の保養地に行っておるらしいし、クライヴはアリッサ嬢のことを一番の友だちと公言しておるらしい」
「……そんな」
いきなり元気を失くしたジェイデンを見て、エルマーは胸の痛みを覚えたが、精霊王からの頼みを断ることはできない。ここは心を鬼にして、ジェイデンの関心をどうにかアリッサから逸らす必要がある。
「じゃから、ジェイデンよ。残念だがあのアリッサ嬢は……」
「……だけど」
そこでいきなり、ジェイデンの口調が変わった。
「友だちと婚約者なら、後者の方が圧倒的に近しい関係だよね?」
「なにぃっ!」
仰天する土の精霊に、ジェイデンは確信に満ちた口調で告げた。
「エルマー。僕はどうしても、またアリッサ嬢に会いたいんだ。こんな短い挨拶だけじゃなくて、もっといろいろ彼女と話したい。だから僕、父上に頼んで、彼女を婚約者にしてもらうよ」
「ちょちょちょ、ちょっと待てい! いきなり一人に絞る必要はあるまい! ほれ、見ろ。まだお主に挨拶していない令嬢が、あんなにおるではないか! もしかしたら、今から来る娘御の中に、もっとお主が気に入る令嬢がおるかもしれんだろうが!」
「いるかもしれないけど、たぶんいないと思う」
「そんな簡単に諦めるなっ!」
気を逸らすどころか、逆にクライヴへの対抗心を焚きつけた形になり、エルマーは焦った。
「そ、そもそも、婚約者候補は五人選ぶんじゃろう! どうせアリッサ嬢は国王が推薦しておるんじゃし、お主は残り四人の令嬢を見つける努力をせいっ」
「べつに、残りの四人は誰でもいいんだけど……」
「じゃから、そう結論を急ぐでない!」
エルマーは会場中の十歳未満の令嬢を見回し、「うむ、うむ」と一人頷いた。
「とりあえず、性格の穏やかな娘が良いのだろう? わしが数人に絞ってやったから、あとはお主が実際に見て選ぶがよかろう」
「え、本当? ありがとう、エルマー」
「……約束したからな。ほれ、今から壇上に来るアニカ・スタール侯爵令嬢は、なかなか良い魔力の持ち主じゃ。落ち着いていて、波動が穏やかじゃ。本人の魂が穢れておらぬ証拠じゃ」
「へぇ、すごい。エルマーってそんなことまでわかるんだ」
「お主と契約し、フレイヤ様から神聖力も分けていただいたお陰でな、普通のザントマンよりも能力が高いんじゃ。ゆえに良い心根の者、邪心を抱く者、どちらも見分けがつく」
「この会場には、邪心を抱いている人なんていないでしょう?」
「ふむ……」
ザントマンは精霊特有の聖なる瞳で会場を見つめ、「まぁ、目立って邪悪な人間はおらんな。不届きな心根の者はおらんこともないが、これは人間なら特に珍しいものではない」としたり顔で言った。
「アリッサ嬢はどう?」
どうしてもアリッサが気になるジェイデンが訊ねると、エルマーは胸を張って、「あの御方は別格じゃ」とつい本音を口にした。
「あの御方ほど高潔で美しい魂を持つ存在などおらん」
「へぇ~……」
そこでハッと我に返った土の精霊は、「あっ、いや、今のはちょっと、言いすぎた」と慌てて訂正したが、一度発した言葉は覆せない。
ジェイデンは青い瞳をキラキラと輝かせて、「やっぱりアリッサ嬢は、素晴らしい令嬢なんだね」と、すでに視界から消えた彼女を探すように、壇上から広い会場を見渡した。
「いや、じゃから、その……、他の令嬢も……」
しどろもどろになりながら、どうにか挽回を図ろうとするエルマーだったが、彼の声はもう、王太子には届いていなかった。
***
ゾクッ。
ふいに形容しがたい悪寒を覚え、有沙はびくりと肩を竦めた。
「どうしたの、アリッサ?」
隣でローストビーフと格闘中のリアムに声をかけられ、有沙は「ううん、何でもない」と曖昧に笑ってみせた。
立食形式のテーブルには豪華な料理が隙間なく並び、今回は子どもの参加者も多いということで、大人用のテーブルより低めのテーブルが別に用意されていた。アリッサとリアムはそちらの子ども専用テーブルで、食べきれないほどのご馳走に舌鼓を打っていた。
「この魚のムースが入ったプチシュー、すっごく美味しい! うちの料理長にも、作ってって頼んでみようかな」
アリッサがそう言うと、リアムはベリーのソースがかかったローストビーフを頬張り、「これもすごく美味しいよ! アリッサも食べてみて」と自分が気に入った料理をお勧めしてきた。
子ども用テーブルには他にも、大勢の貴族の子女が集まっていたが、皆行儀良く食事とお喋りを楽しんでいた。
「あーあ、これでクライヴもいたら、最高だったのになぁ」
残念そうなリアムの発言に、有沙は「……そうだね」と曖昧な表情で相づちを打った。
まだ七歳のリアムは、クライヴがここに来れない理由をちゃんと理解していない。そもそも、クライヴが国王の庶子であることすら知らない。クライヴ本人がその話題を嫌うため、アリッサが勝手に教えるわけにはいかない。リアムもいずれ知ることになるだろうが、それはもう少し先の話だろう。
(……よく考えたら、私はクライヴの友だちなんだから、ジェイデンの婚約者になるのは問題あるんじゃないかな。だけど国王夫妻もうちがラスキン家と仲いいことは分かっているはずだし、それを承知の上で私を婚約者候補にしてるんだよね?)
その辺りの政治的駆け引きは有沙も苦手だったが、今、自分が親しくしているのはクライヴで、ジェイデンとは今日が初対面だ。優先すべきなのはどちらか、火を見るより明らかだった。
一時間ほど前、国王一家への挨拶をする前に、ジェイデンの守護精霊と話ができたのは幸いだった。
(エルマーがきっと、ジェイデンにうまく言ってくれてるはずだよね……)
有沙は勝手にそう期待した。
ただ、ジェイデンと挨拶した時に、彼の魔力とアリッサの魔力の波長が、妙にシンクロしていたような、不思議な心地良さがあった。
もともとアリッサは、光以外にも土と水と森への適性があり、土属性との適性値は高い。だから土属性のジェイデンとも相性が良いのだろう。
またジェイデンは、神聖力もかなりのものだった。人族で加護もなくあれほどの神聖力を有しているのは、さすが英雄候補と言うべきか。
(……だからラビサーで、聖女のエミリアと相性ぴったりだったんだよね)
今その聖女の役は、アリッサに移っている。精霊王が憑依しているのだから聖女どころの話ではないが、少なくとも王宮や教会はそう見ている。
とはいえ、このまま魔神が復活せず、世界の平和が維持されたなら、ジェイデンや他の攻略対象たちも、救国の英雄にはならず、めいめいの与えられた人生を全うすることになるだろう。
有沙としてはそれが一番望ましいが、呪物を使ってアリッサや彼らを害そうとする者が実在する限り、魔神の復活も起こる可能性がある。
(もし魔神が復活したら……、ゲームみたいに人族に戦わせるんじゃなくて、精霊王一人で決着つけるのも有りかもしれない……)
ゲームはあくまでゲーム。本来ならそれが一番現実的で一番確実な対処法だろう。
過去の精霊王は民事不介入の精神だったのかもしれないが、現在の精霊王は違うのだ。
アリッサとして七年生き、有沙にとってはもう、アリッサを取り巻く全てがとても大切なものになっていた。
(魔神でも魔王でも、何でもかかってきなさい。私が受けて立ってやるんだから)
隣で大きなエビと格闘している幼なじみを見つめながら、有沙は一人密かにそう決意した。
第五十話につづく
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