第四十七話
「一人二役の精霊王さま」第四十七話です。
本作は隔週火曜日の更新を目標にしています。
国王直々に婚約の打診をされて五日後。
トマスはふたたび登城し、王に謁見した。場所は前回と同じ部屋で、同席したのも同じ補佐官一人だった。
「先日のお話についてですが。妻と話し合い、娘の意向も聞いてまいりました」
挨拶が済むやそう切り出した侯爵に、国王は「うむ」と短く答えた。
「妻は、婚約自体は喜ばしいことと申しておりましたが、やはり娘が幼いことを気にしておりました。そして娘の方は、自分は王太子妃にふさわしい人間ではないため、婚約もお受けすべきではない、と申しております」
「何だと?」
夫人はともかく、令嬢の意外な発言にカーティス二世は声を上げた。
「セルヴィッジ侯爵。そなたの娘は、えらく自分に自信がないのだな。部下の報告によると、魔力値も適性属性も申し分なく、容姿端麗で頭も良いそうではないか。いったいどこが王太子妃にふさわしくないというのだ」
「……はい。娘が言うには、心構えの問題だそうです」
長いテーブルを挟んで国王と対峙し、トマスは淡々と答えた。
「自分は侯爵令嬢ではあるものの、貴族としての責任感と品位に欠けており、いずれ国政を担う王太子の伴侶として難があると感じているそうです」
「……それは本当に、わずか七歳の子の発言なのか」
「はい。頭の良い子ですので、自分の置かれた立場や状況は十分に理解しております」
「それほど聡明でありながら、王太子妃にはふさわしくないと」
「自分はこれから学園に通い、多くの友人を作って気楽に青春を謳歌するつもりだそうです」
「だから王太子の婚約者にはなりたくないと?」
「娘はそう申しております」
平然と答えるトマスを見て、国王は、「ハァ」と大きなため息をついた。
「王室の権威もずいぶんと失墜したものだ。就学前の子どもに、学校で遊びたいから王太子妃にはなりたくない、と足蹴にされるとは……」
「申し訳ございません。親である私の不徳の致すところでございます」
まるで悪いと思っていない顔で、トマスは詫びた。
「いや、むしろ子どもらしい考えかもしれぬ。じつはな、イザベル……ラスキン男爵夫人にも、同じことを言われたのだ」
「イザベル様に?」
「うむ。あれも、アリッサ嬢はきっと王太子妃という窮屈な立場は望まないだろうと、そう申しておった」
「そうですか。イザベル様が……」
妻と男爵夫人の交際については、トマスも見聞きし承知している。貴族の型から外れた価値観の持ち主のイザベルはしかし、王の公妾という王妃に次ぐ地位を自力で勝ち取り、社交界では誰も逆らえない力を手にした。そして彼女は、自分が公妾になったのは、自分の自由を誰にも妨げられたくないからだ、とクラリスに明かしたそうだ。
「夫人はまた、思春期を迎えて好きな男ができた際に、王太子の婚約者であれば恋愛もままならぬだろう、とも言っておった。それは同じ女として不憫に思う、と」
「それは私の妻も申しておりました。私たち夫婦は恋愛結婚でしたので、娘にもできれば好きな殿方と結ばれてほしいと……」
「うむ。だが親の立場から言わせてもらえば、息子のジェイデンはかなり優秀だぞ。見た目も良いし頭も性格も良い。おまけに王太子だ。あれ以上の相手はそうおらぬはずだが」
「殿下が優秀な方であることは、もちろん私も存じております。しかしうちの娘は、条件で相手を選ぶ性格ではございませんので……」
「ならば、どうだ。一度、ジェイデンと娘御を会わせてみないか」
「えっ……」
驚く侯爵に、国王はニコニコしながら言った。
「じつは昨日、息子とも話したのだ。なにしろあの子自身に深く関わる問題であるからな。セルヴィッジ侯爵令嬢との婚約話が出ているが、そなたはどう思う、と訊ねたのだ」
「さようですか。殿下は何と?」
「令嬢とは面識がないため、良いとも悪いとも判断がつかない、と言っておった。ただ自分は王太子であるため、そろそろ婚約者を決めなければならないことは理解している。その上で私や王妃が侯爵令嬢を推薦するのであれば、自分はその決定に従う、とも」
「……なるほど。賢明なジェイデン殿下らしいお言葉ですね」
「うむ。ゆえに今度、二人を見合いさせてみてはどうだろう。もしそこで意気投合すれば、この婚約話を進めてみても良いのではないか?」
「……なるほど。であれば陛下。他の令嬢も殿下とお見合いさせるべきではないでしょうか。私の娘が第一候補であったとしても、殿下にはもっと相応しい令嬢がいるやもしれません。うちのアリッサ一人に絞らずとも、多くの令嬢と交流した方が、殿下のためにも良いと思うのですが」
「……お主は変わっているな。わざわざ娘のライバルを増やしたいのか」
「私とて欲がないわけではございません。しかし人間、欲をかけばろくなことになりません。であれば、私が望むべきは王室の安寧と娘の幸福のみでございます。それゆえの提案です」
「……ふむ」
カーティス二世は顎を掴み、傍らに控える補佐官の顔をチラと見た。寡黙で有能な彼はすぐにその視線に気づき、国王にだけわかる仕草で了承の意を示した。
「あい分かった。そなたの提案に乗ろう。見合いの日程や形式については、後日王宮から正式に通達させてもらう」
「はい。愚臣の言葉をお聞き入れいただき、感謝いたします」
そこでトマスは退室を命じられた。
補佐官と二人になり、国王は子ども時代から知る顔を見上げ訊ねた。
「聞いた通りだ。さて、どうする」
丸投げされた補佐官はしかし、いつもの人形のような無表情で「はい」と答えた。
「もうすぐ王太子殿下は九歳の誕生日を迎えられます。そのパーティーに招いた年頃の令嬢を、後日、数回に分けて王宮の茶会に招待いたしましょう。場所は王太子宮内の温室がよろしいかと。王太子には事前に、各家の令嬢の情報を頭に入れておいていただき、どの令嬢をお気に召したか伺います。さらにその後も茶会や音楽会、詩の朗読会などを催して、招待する令嬢の数を徐々に減らしていきます。最終的に、王太子妃候補を五名ほど選びましょう。その人数にまで絞った上で、全員に妃教育を受けていただくのです。候補が五名もいれば、誰かが脱落してもさほど問題にならないでしょう。その上で最終的に、ジェイデン様ご自身に妃となる令嬢を決めていただくのです。正式に王太子妃を決定するのは、ジェイデン様が成人されてからで良いと思います。これは私が、ジェイデン様が誕生される前から考えていた、新しい王太子妃選別の方法です」
「ほぉ……」
思いがけない部下の話に、国王は驚きと感嘆の声を洩らした。
「これは驚いた。お前も色々と考えているのだな。たしかにその方法ならば、これまでよりも効率的に妃候補を育てることができ、王太子が成人する時にはちゃんと好ましい令嬢を妃に迎えることができる。良い案だ」
「恐れ入ります。また一対一の婚約でなく、あくまで五人いる王太子妃候補の一人になっていただくということで、アリッサ様もあまり重圧を感じることなく婚約を受け入れてくれるのではないでしょうか」
「なるほどな。つまり、本命はセルヴィッジ侯爵令嬢であり、他の四名は補欠要員というわけか」
「しかし、それを他の候補者に気取られるわけにはまいりません。もしセルヴィッジ侯爵令嬢に難ありと判断が下された場合は、他の四名から王太子妃を選ぶことになるのですから」
「たしかにそうだな。補欠は失礼だった」
「ええ。もしかすると、正妃にならなかった者から公妾が選ばれる可能性もありますし」
「うむ。それを考えると、私はリネットが王太子妃で幸運だったな。あれほど有能で、王妃に相応しい品格を持った令嬢はなかなかいない。代役を立てる必要もなかったしな」
「それはぜひ、二人きりの時に王妃様に言ってさしあげてください」
「ああ、そうしよう」
そこで国王と側近の密談は終わった。
***
王と側近の密談から一〇分後。
誰もいない自室で、精霊王ことアリッサ・セルヴィッジこと有沙は、父親の帰宅より早く精霊から報告を受けていた。
今回精霊王のところへ来たのは、風の精霊エマだった。王城にいる部下からもたらされた情報を、エマはそのまま有沙に伝えた。
「へぇ~、五人の妃候補かぁ……」
国王と側近の会話を聞いて、有沙は感心した顔で言った。
「ラビサーにそんなシステムはなかったなぁ。王太子の婚約者はアリッサ一人だったし、補欠もいなかったはずだよ。やっぱり、いろいろゲームとは違ってきてる気がするなぁ……」
そもそも、ヒロインのエミリアが登場していない時点で、ゲームのラビサーとは別物となっているが、全ルートをやり込んだ有沙としては、どうしてもプレイ時の記憶に振り回されてしまう。
だがこの癖は、もういい加減手放さなければならないと、有沙自身気づき始めていた。
ここはゲームの中のフィクションの世界ではない。大勢の人が生きて生活している、現実の世界なのだ、と。
「とりあえず、私一人が婚約者に選ばれるんじゃないなら、すごく気が楽だな。ジェイデンは前世の推しだけど、リアルに会って好きになるかと言えば微妙だし……」
そもそも精霊王として百年以上生きた有沙にとって、九歳のジェイデンはひ孫のような年の差で、異性として好きになりようがなかった。年齢の釣り合うアリッサとして生きているからと、心まで七歳の侯爵令嬢にはなれない。
ただ、「エルマー」と名付けられたジェイデンの守護精霊によると、ジェイデンは心身ともに健やかに成長し、周囲への思いやりもあり勤勉な、完璧な王太子らしい。
そういう意味では、ラビサーのジェイデンとほぼ同じような見た目・性格の青年に育つことは間違いないだろう。
有沙がオスティアに精霊王として生まれたことで、ラビサーの攻略対象たちは、全員が大なり小なりの影響を受けている。
ゲームと異なり母親を失わずに済み、友人も多くできたクライヴは、やんちゃな性格は同じだが、明るく素直で元気な少年になった。歴史にしか興味を持たず他人に心を開かないキャラだったジュリアンも、セルヴィッジ家の後ろ盾を得て、落ち着きと自信に満ちた好青年に成長し、他の攻略対象たちもみな、人生が好転して明るく前向きな性格になった。
ゲームのキャラクターとしては多様性が失われ失敗作と揶揄されるだろうが、現実のオスティアでは、全員が幸せなまま成長できるほうが良いに決まっている。
有沙にとって残念なのはただ一つ、エミリアの不在だけだ。彼女が生まれてこなかったことだけが、小さな針を飲み込んだように、有沙の心をチクチクと刺し続けている。
精霊たちの話によれば、その魂が実在するのであれば、どんな形であれ命を得て神の創造した世界で誕生する。だが精霊にも人にも魔物にも、魂を判定する能力はない。前世の記憶があるならまだしも、普通はまっさらな記憶のない状態で生まれるため、自分が何者であるかなど知ることはない。有沙が精霊王になる前の記憶を持って生まれたことは、とても稀な神からの恩恵であるらしい。
ゆえにエミリアの魂がこの世界に誕生しても、その姿が人であるか精霊であるか、はたまた別の生き物であるかも不明だし、彼女の魂を特定することは不可能だった。
「しかし、精霊王様」
いつまでも罪悪感が消えない有沙に、聡明な風の精霊が言った。
「お話によると、そのエミリアという少女は希少な光属性の持ち主で、清らかな心を持った乙女であったのでしょう。もしエミリアの魂が実在したのならば、この世界で彼女は必ず、高位の精霊か聖女に値する存在として誕生したと思われます。そうですね……たとえばホシミの国の神子であったり、セントーレア公国で活動している慈善団体代表の聖女などですね」
「じゃあ、ウィスタリアでエミリアとしては誕生していなくても、この世界のどこかで聖女として敬われ、幸せに暮らしているってこと?」
「そうです。ただ時代がいつかは不明です。魂の輪廻は不確定で、いつ誕生するかを決めるのは神ですから」
「私は自分で選ばせてもらえたけど……」
「ですから、精霊王様は本当に特別な方なのです。次の転生先と時期まで自分で選択できるなど、特例中の特例でしょう。それほど多くの徳を積むことなど、普通の人間にできることではありません」
「え……、そうなのかな……」
だが、自分が日比原有沙として生まれる前は、どこで何をしていたかまったく覚えていない有沙としては、それ以前の善行についての記憶も皆無なため、エマの説に簡単に頷けずにいた。何しろ地球人の日比原有沙は、毎日ベッドの上でゲーム三昧、辛い手術や治療は経験したが、あとはやりたいことだけやる人生だった。それではたして、どれだけの“徳”が積めたというのだろう。
「精霊王様。そうは仰いますが、病は大変辛く苦しいものでございます。わたくしはこれまでに、病に苦しむ多くの人間を見てまいりました。大抵の者は肉体だけでなく魂までも蝕まれ、他者を憎んだり神をも呪うようになるのです。ですが精霊王様は、他者を恨むことなく与えられた生を全うし、新たな生を得てからは民の救済に尽力されておられます。これこそ、精霊王様の魂が創造神に近い高貴な輝きを有していることの証でございます」
「そ、そこまで褒められると恥ずかしいんだけど……。でも、ありがとう、エマ」
ようやく笑顔を見せた有沙を見て、麗しい風の精霊もほっと表情を和ませた。
「どちらにしろ、エミリア嬢について気に病まれるのは、もうおやめになるべきです。これから王太子の誕生パーティーに、その後は婚約者選定のための茶会等行事が続くのですから。アリッサ・セルヴィッジとしてどう対処すべきか、今からエドガーやエレノアも呼んで協議いたしましょう」
最近の八精霊たちの中では、精霊王の配下としての役割分担が進んでおり、攻略対象たちの見守りをアオイとフレイヤ、マーカス、リディア村の運営がオリビアとローガン、そして王都の監視と精霊王の相談役がエマとエドガー、エレノアというように定まってきていた。有沙自身もこの配置がしっくりくるため、彼らの自主性に任せている。
それで有沙はエマのこの提案に、何の迷いもなく「うん、そうしよう」と答えた。
第四十八話につづく
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