第四十五話
「一人二役の精霊王さま」第四十五話です。
本作は隔週火曜日の更新を目標にしています。
ウィスタリアの北に位置する大国、ラウレ帝国。かつてウィスタリアの権力争いに敗れた王族が興した国だが、その国力は今、祖国ウィスタリアをはるかに凌ぐ。
しかし大陸には、ラウレ帝国と同等の力を持つ大国が他にもある。西には強大な軍事国家であるフルードゥリス帝国、ラウレ帝国の北にあるニンファレア大公国に、東の大国アクアカリス民主国。他にもロマヌシュカ王国にユグドル王国など、大陸で重要な地位を占める国は少なくない。
そしてこれら大国が互いを牽制しあっている現状だからこそ、大きな戦は起きていない。各国は表面上、どの国とも友好的な関係を築いている。表面上は平和を謳いつつ、どこかの国が近隣の小国を取り込もうとすれば必ず妨害するなど、用心深く他国の動きを注視している。
この奇跡的な大国間の均衡により、小国であるウィスタリアも独立を保っている。そうでなければ、とっくにラウレ帝国に征服され属国とされていただろう。
今でも実質属国のような扱いだが、ラウレ帝国から直接的な内政干渉を受けたことはなかった。……つい最近までは。
娘アリッサが七歳の誕生日を迎え、来年は中等部に進学するという年の秋。トマス・セルヴィッジは王宮から火急の呼び出しを受けた。
彼はその時、王都から離れた西部にいた。夏の大雨で大規模な土砂災害が起こり、西への道が塞がれただけでなく、治安の悪化により人間同士の盗難や暴行などの犯罪が多発した。
本来こういった王都以外で起きた事件に関しては、その土地を治める領主が私兵や自警団を作って対応にあたるものだが、影響を受けた地域があまりに広く規模も大きかったため、早急の鎮圧が必要と判断されて特別に王国軍が派遣された。
その総指揮官を任じられたトマスは、すぐに自分の目で現状を把握するべく視察に向かった。
主な町を見て回り、三週間ほどの視察を行ったトマスは、最後の視察地で王宮からの知らせを受け取った。内密に重要な話があるため、視察を切り上げて登城しろ、という王命だった。
その日のうちに出立し、トマスは三日で王都に戻った。彼は自宅にもよらず、そのまま王の元へ向かった。
登城したトマスは、すぐに王の御前に通された。
現在のウィスタリアの国王カーティス二世は、まだ三十代前半と若く、見た目も年齢相応なこともあって、王としての威厳には多少欠けていた。
温和な性格ゆえに家臣たちや妃の押しに弱く、一人で何かを決めるということができない。だがけっして愚鈍な王ではなく、自分にとって益な人間と害ある人間を見分ける能力に長けていた。そんな彼は、愛国心があり、有能で家柄も良いトマスのことを重用した。
使いを出して五日後。
驚く速さで帰還した臣を見て、国王は満足げな顔をした。
「よく来てくれた、セルヴィッジ侯爵。西部から馬を飛ばして戻ってきてくれたそうだな。ごくろうだった」
トマスは深く頭を垂れ、「当然のことでございます。陛下がお呼びとあれば、大陸の端にいたとして急いで参上いたします」と慇懃な口調で答えた。
「うむ。じつは、そなたにも深く関わりのある問題が派生し、早急の対応策が必要と判断したため、無理して戻って来てもらったのだ」
広い謁見の間ではなく、あえて客間の一つにトマスと自身の側近のみ入室させて、国王は一通の書簡をトマスに見せた。
「一週間前に、ラウレ帝国の“教会”から、我が国の“教会”に届いた手紙だ」
補佐官から手紙を受け取ったトマスは、それを開いて一瞥した。
「差出人の名前は、ラウレ帝国聖教会幹部である、セルタン大司教。宛名は、我が国の聖教会最高責任者である、オルグレン司教。中身は読んでの通り、我が国に現れた“聖女”、アリッサ・セルヴィッジ侯爵令嬢を、ぜひラウレ帝国に招待したい、という打診の手紙だ。名目上は教会同士のやりとりとしているが、背景にラウレ国の皇室が関わっているのは間違いない」
「…………」
頭の中に浮かんだ「なぜ」の一言を、トマスは飲み込んだ。
「言葉使いは丁寧で強制を強いてはいない。だがこういう打診があったならば、我が国からも何らかの答えを返す必要がある」
「……オルグレン司教は何と申されましたか?」
補佐官に手紙を返し、トマスは表情を変えずに言った。
「王である私の方針に従うと言っている」
「…………」
無言になったトマスを、王は探るような目つきで見た。
「……君の愛娘は、光魔法が得意だそうだな」
「はい。教会の洗礼式で、そのような結果が出ました」
「今、七歳だそうだが。どの程度の魔法が使えるのかね」
「……先日、娘の侍女が誤ってカップを割ってしまい、それを片付ける際に怪我をしました。その傷を娘が治療してやったと聞いています」
「他には?」
「妻が友人に贈られたバラの木が害虫被害にあっていましたが、それを庭師とともに世話をして元気にしたと……」
「……うむ。そんなものか? 死にかけの病人を奇跡的に救ったとか、命に係わる大怪我をした者を治癒したとか、そういう大きな逸話はないのか?」
「ございません」
「……ううむ」
王はしばらく考えて、「よし」と声を上げた。
隣に立つ補佐官を見上げ、王は「かの国への返事を決めた」と彼に言った。
「我が国の侯爵令嬢アリッサ・セルヴィッジは、たしかにめずらしい光魔法の使い手ではあるが、その力の程度は教会に属する司祭らよりはるかに劣る。ゆえに我が国では、令嬢を聖女とは見なしていない。ラウレ国がいかなる理由で令嬢を聖女と断定したかは存じ上げぬが、我が国で聖女と認めていない彼女を、聖女としてラウレ国へ派遣するわけにはいかない。……返事はこれで良いだろう」
王の言葉に、トマスはホッと息を洩らした。
「……感謝いたします、陛下」
「礼には及ばん。だが、セルヴィッジ侯爵よ」
ここからが本題だ、と言わんばかりに、カーティス二世はテーブルに身を乗り出した。
「そなたの娘が希少な光魔法の使い手であることは間違いない。またその才能が、いついかなる形で開花するかも不明だ。ゆえにこれは王室からの提案なのだが、私の息子ジェイデンと婚約させて、アリッサを王室で保護させてはもらえないだろうか」
「……陛下」
いつか来るだろうと思っていた婚約の話に、トマスは慎重な口調で答えた。
「我が娘に対し、身に余る光栄なお話です。ご厚意に深く感謝いたします。ですが、これは私の一存で決められることではございません。妻に相談するのはもちろんですが、私はなによりも、娘の意志を尊重したく存じます。もしもこれが正式な王命であるならば、我が家にそれを拒む権利はございませんが……」
「ハッ!」
欲のない侯爵の言葉に、国王は思わず失笑した。
「もちろん、これは王命ではない。だがこの国の王としての配慮ではある。王太子の婚約者には、将来の王妃にふさわしい人間を選ばなければならない。息子のジェイデンは賢く清廉な性格だが、付き合う人間によって人は変わる。だからそなたのような義父ができることは、結果として息子のためになると考えたのだ。娘の資質も重要ではあるが、私は妃の背景にこそ気を使いたいのだ」
信頼できる補佐官以外いない三人だけの部屋で、カーティス二世は本音をぶちまけた。
「現在我が国には、二つの大公家、五つの公爵家、十二の侯爵家がある。どの家門も古い歴史を持ち、代々王家に忠誠を誓い、国の重職に就いている。彼らの働きには大いに感謝している。だが同時に大公家と公爵家は、我がウォルフェンデン家にとっての脅威でもある。各家門には王位継承権を持つ者が複数おり、私やジェイデンに何かあれば、次の王権をとるのは別の家門の人間だ」
「陛下、それは……」
反論しかけたトマスの口を片手で制し、カーティス二世は冷静な口調で続けた。
「どう取り繕おうと、これは現実の話だ。……六年前に起きた、王太子が謎の病に侵された話は、そなたも聞き及んでいるだろう。城の治療師も魔導士も原因を解明できなかったが、のちに城へ来た司祭に、瘴気当たりではないかと指摘された。かの者は他国で似た症状の患者を診たことがあり、原因は患者の近くにあった呪物だったそうだ」
「まさか。呪物がこの王城内にあったと?」
「もちろん、そんなものは王宮では見つかっていない。だがもしかすると、何者かがジェイデンの傍に呪物を置き、それをまた何者かが持ち去ったのかもしれない」
「わざわざ呪物を持ち込み、また持ち去ったと? それは……」
「私は、持ち込んだ者と持ち去った者は、別だと考えている」
トマスが発言し終える前に、国王は彼の弁を封じた。
「病から回復してしばらくして、息子に明らかな変化があった。侍女や護衛の話によると、王子は一人の時、誰かと会話をしているらしい、と言うのだ。私はその話し相手は、精霊ではないかと考えている」
“精霊”という言葉にドキリとしながら、トマスは動揺を顔には出さなかった。
「精霊、ですか……」
「うむ、精霊だ。あれは土属性の適性が高いゆえに、おそらく傍にいるのも土の精霊だろう」
驚くべきことに国王は、状況証拠のみで事実を言い当てていた。
「ではまさか陛下は、何者かが城に持ち込んだ呪物を、その精霊が王子から遠ざけたと、そうお考えなのですか」
「理解が早くて助かるな。その通りだ。王太子は、精霊の祝福を受けている。実際、魔塔に連れて行き再度魔力測定をしたところ、以前よりはるかに高い数値を示した。精霊の加護を得た証拠だろう」
「…………」
無言のトマスに、国王は「この話はもういい」と言った。
「慶事は問題ではない。では誰が、息子に呪物を贈ったのか、というのが問題だ」
「……陛下はそれが、王位を狙う家門の仕業だとお考えなのですか」
「あくまで可能性の話だ。そして可能性がある限り、私はそんな危険な家の令嬢を、息子の婚約者にはしたくない。王子と釣り合いのとれた家格で年も合う令嬢は限られている。それら候補者の中で、セルヴィッジ侯爵、そなたの娘が一番安全なのだ」
「…………」
ずいぶんとぶっちゃけたものだ、と呆れながら、トマスはしかし、王のこの選択は親として間違っていないとも感じていた。
自身のこの国と王家への忠誠心は本物で、玉座を狙うような親族は一人もいない。セルヴィッジ家は王家にとって、安心安全なチェスの駒だ。将棋と違い、奪われて敵の駒に変わったりはしない。
現在王太子のジェイデンは九歳。普通の王族は、十歳の誕生日を迎える前に婚約者を決める。慣習通りなら、たしかに婚約者を選ぶ時期にある。
なぜ王族の婚約は早いのか。それは、妃となる女性に妃教育を施す必要があるからだ。王族の結婚は二十歳から二十代前半だ。それより遅いことは良しとされない。
つまり婚約が遅くなれば結婚への期間が狭まり、短期間に多くのことを習得せねばならず、令嬢側の負担が増す。早めに婚約者を決めるのは、王室側の思いやりとも言える。また妃教育期間に適性なしと判断されれば、そこからまた相手を選び直すこともできる。王太子の婚約が早いのには、こういった諸々の理由がある。
「陛下のお考えは充分理解いたしました。賢明なご判断であると存じます」
「そうか、わかってくれたか」
ですが、とトマスは続けた。
「やはり私にとって一番大切なのは、娘の気持ちです。この話はいったん家に持ち帰り、妻と娘の意見も聞いてから判断したいと考えております」
「……そなたも頑固だな。いや、稀に見る愛妻家で親馬鹿ということか」
「どのように取られても構いません。しかしこの考えは揺るぎません。もしこの件で処罰を受けろと仰るなら……」
「ああ、わかった、わかった」
カーティス二世はさっさと出て行けと言わんばかりに、頑固者の忠臣にひらひらと手を振った。
「今この場で断られなかっただけでも、私にとっては重畳だ。正式な返事は近日中にしてくれ。断ってもかまわん」
トマスの性格を知る国王は、自分への保険としてそう付け加えた。
「時間を取らせたな……もう仕事に戻って良いぞ」
「はい。失礼いたします」
いつもの真面目な態度で、トマスは静かに部屋を出ていった。
補佐官と二人残されて、王は、生まれた時から傍にいる侍従に向かって、「どう思う?」と訊ねた。
国王の乳母の息子で、二歳の時から彼に仕える王室補佐官の彼は、静かに微笑んで「そうですね」と口を開いた。
「私はおそらく、侯爵は断られないと思います。侯爵夫人がこの婚約に前向きになるよう、王妃様がずっと根回しをされておられましたからね」
彼の言葉通り、クラリスは定期的に王妃主催の茶会に招かれていた。アリッサが生まれてからはなおさらその頻度は増し、彼女はいつも王妃と同じテーブルに着いている。親友のアドキンズ侯爵夫人も巻き込んで、まるで三姉妹のような睦まじさだと聞いている。
「ただ、懸念事項はございます」
「なんだ」
「イザベル様のことです」
いきなり愛妾の名が出て、カーティス二世はぴくりと眉を上げた。
「ラスキン男爵夫人がどうした」
「陛下はご存知ないようですが、イザベル様も近年、セルヴィッジ侯爵夫人と非常に親しい関係を築いておられます。さらにご子息のクライヴ様も、アリッサ・セルヴィッジ令嬢とは竹馬の友だとか」
「何だと? 私はそんな話初耳だぞ」
「……イザベル様が、あえてお話にならなかったのでしょう。おそらくイザベル様も、アリッサ嬢をクライヴ様の婚約者に望んでおいでです。しかしそれは陛下のお心に背く願望ですから、あえてお隠しになられたのです」
「そなたも、なぜもっと早く私に報告しない」
「私も、あえて黙っておりました」
「何だと?」
いぶかる主君に、三十年以上彼に仕える補佐官は、いつもと同じ静かな声で答えた。
「陛下はイザベル様に甘いので。かのお方がアリッサ嬢を欲していると知れば、ジェイデン様には別の令嬢をと考えられるでしょう。ですからそうならないよう、陛下がセルヴィッジ侯爵に直接婚約を打診する今日まで、イザベル様のことは黙っておりました」
「お前……」
呆気にとられる国王を前に、家臣の表情は一ミリも変わらない。彼は変わらぬ口調で、「アリッサ・セルヴィッジ令嬢は、聖女だと思います」といきなり爆弾発言をした。
「なぜそう断言できる」
「陛下の命により、国内の主な家門については綿密な調査を行いました。忠臣であるセルヴィッジ家は注視しておりませんでしたが、アリッサ様が生まれてからの侯爵家の変化を報告書で知り、私の独断で捜査官を屋敷に送り込みました。彼らの報告も踏まえての、私個人の見解です。アリッサ様は、聖女です」
「ふむ……。ではラウレ国も同じような調査を行って、アリッサ嬢が聖女だと認定したのだろうな。なぜ、私にその報告書を見せなかった」
「陛下は嘘が下手でいらっしゃいます」
「なんだと?」
「アリッサ様を聖女だと認識して、セルヴィッジ侯爵様に縁談を持ちかけたら、相手にもその考えが伝わります。侯爵様は鋭いお方ですから、もし陛下の下心に気づき、大事な娘が聖女として利用されるかもしれないと危惧したならば、この婚約話は間違いなく破談となります」
「そなた今、下心と言ったか?」
「言葉は問題ではありません。我が国、我が王室にとって、聖女であるアリッサ様との婚姻は、けっして失敗できない一大事です。イザベル様がなぜセルヴィッジ家と懇意にしているかは不明ですが、ジェイデン様が病に臥していらしたのと同じ時期に、クライヴ様も蛇毒で重篤な状態から奇跡的に回復したとの報告を受けております。その件にもしかすると、セルヴィッジ家、そしてアリッサ様が関わっておられるのかもしれません。だとすれば、イザベル様は聖女を有することで、クライヴ様の王位継承権順位を上げることを画策されている可能性があります。それは阻止せなばなりません」
「いや、たしかにあれは、昔はジェイデンをライバル視し、息子の継承順位を上げてくれと私にも頼んできたことがあったが、それはもう過去のことで、今は王位にまったく執着している様子はないぞ。息子が元気で笑顔でいてくれることが一番で、王位にも興味はないと申しておった。これも、セルヴィッジ家からの良い影響ではないのか?」
「そうでしょうか?」
言葉の真贋を見抜く能力があっても、好きな女性にはとことん甘い国王の性格を知る彼は、不信をあらわに言った。
「では陛下、ちょうど明日は、イザベル様が登城なさる日です。今日、セルヴィッジ侯爵様に娘と王太子の婚約を打診したと、夫人にもお伝えください。その時にかの方が喜んで賛同されたなら、私もこの疑念を捨てましょう。しかしすこしでもご不満な様子であれば、今後も警戒が必要と考えます」
あくまで自説を曲げない臣下に、国王は不満げに頬を膨らませたが、彼にはこれまでもたびたび助けられてきた手前、その話を一方的に切り捨てることはできない。
「……いいだろう」
いつかの、真剣なボードゲームでこてんぱんにやられた時とまったく同じ表情をして、カーティス二世は言った。
「明日、イザベルにも王太子の婚約の話をする。今の彼女ならきっと、諸手を挙げて賛成してくれるに違いない。私は彼女を信じているぞ」
四十六話につづく
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