第四十四話
「一人二役の精霊王さま」第四十四話です。
※更新が隔週火曜日になりました。
馬車に揺られて半日。一行は目的の場所、ヤルソン地区に到着した。
ここは半年前、急遽王国軍の駐屯地が作られたという話題の場所だ。その理由は、半年前に突如見つかった特殊なポータルにある。
発見したのは地元の猟師で、彼は獲物を追う途中、偶然、虹色の光を放つ不思議な洞窟を見つけた。恐る恐る中に入ってみたところ、中は長いトンネルになっており、そこを抜けるとこれまで見たことのない場所に出た。遠くに特徴的な巨木の森を見つけ、彼はようやく自分が、元いた場所から数百キロも離れたチェスナス地区まで来たことを知った。
不思議な洞窟の存在はすぐに王宮に知らされ、この天然のポータルに関して徹底的な調査が行われた。だが高位の魔導士にも、なぜこんなものがいきなり現れたかの説明はできず、ひとまず洞窟の出入り口は軍が管理することに決まった。
しかしせっかく見つけた便利なポータルを利用しない手はなく、安全の確認がされた現在、王宮の許可を得て既定の通行料を払えば、貴族のみならず一般の者たちもこのポータルを使えるようになった。
目当ての土地までの大幅な時間短縮が可能なため、西の土地に用がある者は、多くがこのポータルを使って西に向かうようになった。
今回クラリスたちも、この不思議なポータルを使ってリディア村へ行くことに決めた。本来なら馬車で十日はかかる距離が、このポータルを利用すれば一日で着けるのだから、その利便性は計り知れない。
お察しの通り、このポータルを作ったのは有沙だ。
ハーリー男爵には領主邸の中にポータルを作ると言ったが、それはあくまでセルヴィッジ家とハーリー家のみが使う秘密の通路にし、公にできるポータルを別に作ることを決めた。
王都からもリディア村からも一定の距離があり、あくまで自然発生したものとして処理し、管理は国に任せる。その条件を満たすものとして、ヤルソン地区の寂れた森の中にある洞窟を選んだ。元々は大した奥行きもない何の変哲もない洞穴を、精霊王の魔法で特別なポータルに変えたのだ。
有沙の狙い通り、王宮はこのポータルを“タナボタ的に現れた奇跡の場所”と判断し、国所有の関所にした。
国が入口と出口それぞれに軍の駐屯地を作ったことで、噂を聞きつけた商人たちがさっそく周辺に宿や食堂を建て、現在ポータルの周囲には小さな町が生まれている。
これで今後、リディア村からの農作物などを出荷するのも楽になり、逆に王都から観光に来やすくもなった。
非常に便利なポータルではあったが、通行に際し、馬車の場合は馬の手綱を人が歩いて引くことと、必ず軍の兵士を同行させること、という決まりがあった。
また通行料もそれなりの額であり、利用人数と馬車の数によって価格も上がるため、今回のような大所帯での利用は一般人には到底払えない額となる。
しかし領地に皆を招待したクラリスは、全員分の通行料をセルヴィッジ家が持つと言い、実際にポータルに到着する前に支払いも済ませていた。
トマスが根回ししておいたこともあり、侯爵家の馬車を見た兵士たちはすぐに総出でこの一行を迎え、セルヴィッジ家の馬車以降も全員が顔パス状態でポータルを通ることができた。
ポータルを抜けて検問を過ぎると、そこには村の代表として領主代行のバイロンと執事のカミールが迎えに来ていた。
彼らの先導で、一行は夕刻にはリディア村へ着いた。予定より早い到着の一因は、ポータルの出口から村までの道が、驚くほど美しく舗装されていたためだ。
道の整備は侯爵家を迎えるため、村人総出で行ったことになっているが、これももちろん精霊の助けがあって成せたことだった。
王都の街よりもスムーズに走る馬車の乗り心地に、貴婦人方の心証は大いに高まった。
さらに立派な外観の迎賓館と、迎えに現れた女性スタッフの洗練された所作、館を取り仕切るハーリー男爵夫人の登場で、彼女たちの期待は最高潮となった。
***
王都の社交界において、ハーリー男爵夫人の評判は、「いてもいなくても気づかないほど、存在感のない女性」だった。
夫と同じく社交があまり得意でない彼女は、お茶会でも舞踏会でも目立たず静かに、いつの間にかいていつの間にか消えている、無害な幽霊のような存在だった。
化粧も装飾品も控えめで、ドレス髪型も何もかもな地味だった彼女は、同年代の婦人に比べて十歳は老けて見えた。
そのハーリー男爵夫人が、ツヤツヤの美しい肌と髪を華やかに結い、良く似合うワインレッドのドレスに身を包んで登場した時、婦人方は「誰?」「美しい方ですわね」と小声で囁いた。
「皆様、ようこそお越しくださいました。夫ともども、皆様方のご来訪を心より歓迎いたします。滞在中は、精一杯おもてなしさせていただきますわね」
堂々とした立ち居振る舞いで、夫人はゲストにそう挨拶した。
そこでクラリスが、「ご無沙汰しております、ベリンダ様。お元気そうで何よりですわ」と彼女に声をかけたことで、他のゲストたちも、ようやく彼女がハーリー男爵夫人だと気づいた。
「まぁ、まさか、ベリンダ・ハーリー男爵夫人ですか?」
「まったく気づきませんでした……」
「ずいぶんと、その……若返られて……」
「ええ、本当に。年下のわたくしよりお若く見えますわ」
皆の馬鹿正直すぎる内緒話は、ベリンダの耳にもしっかり届いた。
彼女はにっこりと笑い、「ええ、お蔭様で。夫とともにこちらへ越してきてから、心身共にすこぶる健康になりましたの。きっとこちらの食べ物と温泉の効果ですわね」と皆に届く声で言った。
「夫もわたくしも、毎日温泉に浸かっておりますのよ。皆さんにもぜひ、ここの温泉の効果を実感していただきたいですわ」
論より証拠。
皆の前に立つ男爵夫人の若返った姿は、美を貴ぶ彼女たちにとっては、とてつもなく大きな説得力を持った。
「まぁ、信じられないわ……」
「ですが、お迎えに来てくださったハーリー男爵様も、かなり若返ってらしたような……」
「ええ、お二人とも、王都にいらした頃より十歳は若く見えますわ」
「私は五年前に一度お会いしましたけれど、あの頃よりもお若い印象です」
婦人方のざわめきは静かな興奮と期待を秘め、その目はキラキラと輝いていた。
「よろしければ、当地自慢のウェルカムドリンクを召し上がったら、さっそく一度温泉にお入りになりませんか。またこの施設には、腕の立つマッサージ師もおります。先に入浴されるグループとマッサージを受けるグループで十人ずつに分かれていただき、お越しいただいた方全員に、ぜひうちの自慢の施設を堪能したいただきたく存じます」
堂々たる男爵夫人の言葉に、その場にいた全員から歓声が上がった。普段はクールなイザベルまでが、「まぁ、とても楽しみだわ。王都にもこんな特別な施設はございませんわよ」とはしゃいだ笑顔を見せた。
***
母親や姉たちがスパに向かったため、アリッサたちお子さまグループは、有沙が「キッズルーム」と名づけた子ども向けの部屋に集められた。
大勢の子を集めるために作られたこの部屋は、舞踏会会場の真上にあり広大で、遊戯スペースと読書スペース、お昼寝スペースに従者向けの喫茶スペースと区切られており、遊戯スペースの騒音はお昼寝スペースには届かない魔法がかけられている。
読書スペースには破れない紙で作った絵本に童話、お絵描きができる黒板などを用意し、目玉である遊戯スペースは、日本の商業施設に設けられた遊び場を模しており、滑り台やブランコ、ボールプールやミニアスレチックなどが設置されている。床は転んでも痛くないウレタン製で、もちろんこれら全て有沙が作ったものだ。
これまでの貴族の子女たちの遊び道具と言えば、お人形や木馬、ボードゲームなど屋内で大人しく遊ぶものしかなく、思いきり体を動かすこれら遊具は、彼らにとってはもちろん、お付きの侍女や騎士たちにとっても初めて見るものばかりだった。
大人びた性格のノアですら、これら魅力に満ちた遊具を前に、思わず我を忘れて茫となった。
それにいち早く気付いた有沙は、わざと「セシリア~。エイミ~、私眠い~」と、侍女だけを連れてお昼寝スペースに向かうよう仕向け、ノアには「クライヴ様とリアム様のお相手をしてあげて」と命じた。
「えっ。よろしいのですか?」
「うん。私はちょっと寝るから。あ、エイミーとセシリアは、お昼寝スペースの隣の喫茶スペースで待っててね。起きたら呼ぶから」
「はい、かしこまりました」
「ここでジュースとかケーキも食べられるから、好きなの注文すればいいよ。制服を着たスタッフに頼めばすぐに持ってきてくれるよ」
有沙が指差した先には、この施設専用の青い衣装を着た精霊たちがいた。手の空いている者がすぐ、「お呼びですか。なんなりと承ります」と笑顔で答えた。
従者を全員残し、有沙は勝手知ったるキッズルームで、さっさとお昼寝スペースに向かい、空いているベッドで横になった。そしてルーチェとバトンタッチし、自分はリディアの姿になって迎賓館の中を見て回った。
思った通り、温泉やエステルーム、喫茶室やサロンなど、どこに行ってもゲストたちの喜びはしゃぐ姿が見られた。
古代ローマ時代の豪華な浴場をイメージして作った大浴場では、専用の衣装に着替えた貴族の婦人方が、うっとりした顔つきで湯船に浸かっていた。
隣のマッサージルームでも、寝心地の良さを追求した施術用ベッドに並んで横たわるゲストたちが、スタッフから手足や肩などを揉まれて、完全にリラックスモードに入っている。
招待主であるクラリス、イザベルやシャーリー、ベリンダらは、横に控えるスタッフから給仕のサービスを受けながら、いつもとは違う寛いだ姿で浴場に設けられたデッキチェアで歓談を楽しんでいた。
彼女たちの満足げな表情を見るだけで、このサービス事業の成功は約束されたも同然だった。
ふたたびキッズルームに戻ると、思った通り、リアムとクライヴ、ノアの三人は、アスレチックやボールプールに夢中になっていた。施設のスタッフ(精霊)がついて見守っているため、お付きの侍女たちは喫茶ルームでのんびりお茶を楽しんでいる。これだけ遊べば、子どもたちは全員、今日は早めに就寝するだろう。
この迎賓館では、ゲストの貴族はもちろん、従者たちも休めるよう配慮した。精霊たちにも手伝ってもらい、滞在中は施設のスタッフだけでゲストの世話を賄える。招待された貴族だけでなく、使用人たちにとってもここでの滞在がバカンスとなるのだ。
子どもたちを一時間ほど遊ばせて、キッズルームのスタッフたちは、次にすぐ隣の子ども向け飲食スペースに彼らを連れていった。そこで提供されるのは、ずばり日本の「お子様ランチ」スタイルのワンプレート料理だ。
子どもたちはサンプルを見て、主菜に副菜、デザートなど、皿に乗せるおかずを自分で選ぶ。どれも子どもの興味を引くような見た目と味をしたメニューばかりで、栄養バランスも考えてある。
完璧な夕食の後は、湯あみの時間となる。大人が利用する大浴場と違って、浅く小型の浴槽を複数並べた中規模の浴場で、男女別に分かれている。これにもそのまま、キッズスペースのスタッフが付き添う。
この時点で、ほとんどの子どもが睡魔に襲われる。
今回有沙は、迎賓館に来る子どもたちを林間学校方式でもてなそうと考えていた。親とは完全別行動で、他家の子どもたちとの共同活動をさせる。遊ぶ部屋も食事をとる部屋も、入浴するのも共同で、寝室も共同だ。
ただしこの国では床にごろ寝という文化はないため、巨大な二段ベッドを用意した。一つのスペースに十人くらいが余裕で寝られるベッドを、男女各部屋に四つ設置した。
下は五歳から上は十二歳までの貴族子女たちは、この巨大なベッドに驚きつつも、子どもらしい柔軟さで、嫌がるどころか大喜びで川の字になった。
残念ながらクライヴ、リアムは大好きなアリッサと別室になってしまったが、一緒に遊んだノアを彼らが気に入り、平民の彼も同じ部屋で寝ようと誘ったのは意外だった。
しかし身の程を弁えているノアの方から、この申し出は丁重に断った。クライヴはかなり不満顔だったが、明日またキッズルームで遊ぶことを約束し、どうにか納得してくれた。
普段、主に仕えて神経をすり減らしていた側仕えたちも、夫人と子どもたちどちらの世話も村のスタッフが担ってくれたため、滞在中はかなり羽が伸ばせた。
使用人用の宿舎にも大浴場が用意されており、食事も村の料理自慢が作ったご馳走を提供された。清浄な空気と美しい自然に囲まれた場所で、時間に追われることなくのんびり過ごせたことで、来た時と帰る時では、皆が別人のように元気になっていた。
このようにして、主賓である貴族の婦人方のみならず、連れの子どもたちや使用人への配慮も行き届いたリディア村の迎賓館は、たちまち王都でも評判となった。
招かれた婦人たちは事あるごとにこの時の経験を自慢し、それは同行した使用人たちも同様だった。
当然のごとく、リディア村への訪問を希望する声が殺到したが、それは簡単に叶う願いではなかった。
高位貴族の領地に、下位の貴族が勝手に訪問することは許されない。セルヴィッジ家は侯爵家であり、王家とも浅からぬ関係がある名家であるため、実質、当主夫妻の許可なくリディア村を訪問できるのは、現国王夫妻と大公家くらいのものだった。
リディア村への訪問に関して、トマスは一切の権限を妻のクラリスに与えているため、クラリスは領主代行のハーリー男爵夫妻と話し合い、他貴族の訪問は月に二回、一度に十人までと決めた。
すでに希望者の数は三桁に達しているため、予約だけで一年待ちという状況だが、それがまたさらにリディア村の価値を上げた。
村の評判が上がったことで、王都からの移住希望者も増えた。ハーリー男爵夫妻はあえて、彼らに村まで直接来てもらって面接を行った。精霊王の結界効果で、邪な思いを抱えて訪問した者は、村に近づいただけで具合が悪くなったり恐ろしい幻覚を見たりして逃げ帰るのだから、それで最初の篩にかけられた。夫妻は残った善良な候補者の中から、やる気や情熱がある者を選ぶだけだった。
最初九人しかいなかった村民は、年を追うごとに増えていき、わずか五年で三百人を越えた。
こうして順調に、村は発展していった。
第四十五話につづく
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